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第329号  ダニエル書9:20-27

キリスト教『終末論』の通説を覆す、ヘブライ語原文に基づくダニエルの『七十週の預言』の解釈

初臨によってキリストが同胞ユダヤ人と結ばれた『新約』はユダヤ人の救いに対する「証印」であった… ちょうど、内住の「御霊」がキリストの再臨時、キリスト者が御国を受け継ぐことの「証印」であるように…


24あなたの民とあなたの聖なる都に七十週が定められた。背きを制止し、罪を終わらせ、不義を贖い、永遠の義をもたらし、ビジョンと預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。25それゆえ、知れ、悟れ。エルサレムを復興し、建てよという言葉の出現から、メシア/油注がれた者、君主が来るまでが七週と六十二週、そして、苦しみの期間に、エルサレムは街と堀が復興され、再建される。26そして、六十二週の後、メシアは断たれ、滅ぼされる。都と聖所は次に来る君主の民によって破壊される。その終わりは洪水のような荒廃とともに訪れ、そして、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。27そして、(彼は)その週〔の間に〕多くの者たちのために契約を非常に強化し、その週の真中で(彼は)いけにえとささげ物を終わらせる。そして、翼の上の忌まわしいものが荒廃を引き起こす。完全な破滅が荒らす者の上に命じられるまで。   ダニエル書9:24-27(「欽定訳聖書」の訂正版)


先月号と先々月号で二度に亘り、『ダニエルの七十週』の預言を、ヘルマン・ゴールドワーグ氏の翻訳に従い、考察しました。この預言は明らかなように、六十九週が終わった七十週目に油注がれたメシアが顕れ、殺されると告げているので、七十週目を六十九週から切り離して、終末末期の預言として扱う従来の解釈では、キリストの死が終末末期に持ち越されることになり、大きな矛盾が生じることになります。

また「油注がれた」君主、メシアの出現はキリストのご降誕時とか、受難週のエルサレム入城時ではなく、キリストがミニストリーを始められる直前、公に聖霊が注がれたときと解釈するのが的を射ているように思われます。


ゴールドワーグ氏は、『欽定訳聖書』では原典のヘブライ語から正しく英訳されなかった十数箇所を指摘していますが、その中で、従来の訳が大きな誤解をもたらしたのは27節で、ヘブライ語では男性形で表現されていますが主語のない「彼」を、27節の最後に登場する「荒らす者」、すなわち、反キリストとみなしたことにあります。また、「(彼は)その週〔第七十週〕多くの者たちのために契約を非常に強化し」(冒頭に引用した訂正版、下線付加)と訳すべき箇所を「彼は一週の間、多くの者堅い契約を結び」(新改訳2017)と訳したことでした。

前号ですでに解説しましたが、この「彼」は、26節に登場した「油注がれた者」メシアのことで、反キリストを想定して訳した『欽定訳聖書』の影響下で、神学者、聖書研究者のほとんどが、27節は反キリストに言及していると解釈する「通説」を支持するようになってしまったようです。

ゴールドワーグ氏によれば、24節の「ビジョンと預言を確証し」の意は、キリストが三年半のミニストリーによって多くの預言を成就されたように、再臨に至るまでの今後の預言もみな成就することの「証印が押された」ということのようです。

コリント人第二1:20-22でパウロが

神の約束はことごとく、この方(キリスト)において『はい』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです…神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました

と語り、信徒への聖霊の内住が神の約束のすべての成就の保証である、と説いたのと同じです。このように、キリストご自身が定義されたように、聖霊が宿る新約の民にとっては神殿は建物のことではなく、信徒自身であり、信徒が神の至聖所、「聖霊の宮」なのです。「神の宮」の定義についてはこれまで何度も扱ってきましたが、フルダレターNo.312で詳しく解説しましたので、ご覧ください。

キリストは同胞イスラエルの民の救いのためにすべてを達成され、昇天されました。再臨で戻って来られるとき、ユダヤ人同胞は再臨のキリストを一目見て、全員キリストをメシアとして受け入れ、エルサレムを首都とするメシアの御国が始まります。預言者ゼカリヤはその感動的な回心の様子を次のように預言しています。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く(ゼカリヤ書12:10)。
その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ…私の神、主が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る…主はすべての地を治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる(14:4-9)。

しかし、主が戻られるこの栄光の日までユダヤ人には迫害が続き、全地に四散している、神の御旨に従うユダヤ人にとって、安住の地は約束の地イスラエルしかないので、今日、ユダヤ人の本国帰還が促され、聖地に集められています。まさに預言の成就で、実際、コロナ禍で世界中の国々の人口が急激に減っている中、イスラエルの人口は出生率と帰還者の増加で2022年には2.2%増え、総人口が950万人を越えたのです。

27節の「契約を非常に強化(する)」に用いられているヘブライ語の「非常に」は、聖書の中では「神」に関連して何度も用いられている用語で、全人類の救いのため『新約』をもたらされた、メシアの神のわざ、力強い御働きが表現されています。今日、世界的な動きがすべての面で預言の完全な成就に向かって、すなわち、神に反逆する反キリスト「荒らす者」の体制の究極的な終焉に向かって進んでいます。

最初の人類を騙して以降、神の預言を不発に終わらせようと試みてきたサタンの反撃が世界的に激しくなっていることは、かつては正体を隠していた暗闇の主の働きが公になっていることから明らかです。この世の情勢は混乱に満ち、御言葉に基づいて神の御旨を理解していなければ、「選ばれた者たち」でさえ転ぶことになります。


彼ら〔ユダヤ人〕は不信仰によって折られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がることなく、むしろ恐れなさい(ローマ人11:20)

とのパウロの警告は、本来のオリーブに接ぎ木され、その根によって養分を受け、支えられているにすぎない野生種の分際でありながら、イスラエルの救いを否定するキリスト者の傲慢に向けられたものです。

しかし、同じ文脈でパウロは、イザヤの預言を引用し、

兄弟たち、あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。『救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。これこそ、彼らと結ぶ私の契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である』と書いてあるとおりです(11:25-27、下線付加)

と、キリストの初臨によって締結された『新約』により、ユダヤ人の救いに証印が押されたことを明確に宣言しています。

明らかなように、黙示録の艱難期、大艱難期の警告はキリストが御使いを通してご自分の信徒たち、キリスト者に向けて語られた警告です。神の直接のご介入で集合的な回心へと導かれるユダヤ人に対してではありません。通説とみなされてきたキリスト教の『終末論』の見直しをすべきときが来ています。


最後に、『ダニエルの七十週』に関するゴールドワーグ氏の見解が、聖書の暗号によっても確証されていることをお伝えしたいと思います。

旧約聖書のヘブライ語の文字を一定の字数ごとに拾い出していくと、意味のあるメッセージが浮き彫りになることが発見され、聖書に織り込まれているこのような文字列を「聖書の暗号」といいます。

ヤコブ・ラムゼル氏はヘブライ語の原典に文脈がメシアに関する内容であるところにイエスのへブル名「イェシュア ישוע」の四文字が「等距離文字列法」による暗号で織り込まれていることを発見しました。ダニエル書の預言の四節のうち、24節、25節、26節の三節に、「イェシュア」が織り込まれているのです。

24節では、「都」から始まり26節の「まで」に79文字間隔で右から左へ通常のヘブライ語の書き順通りに、25節では、「六十」から27節のメシアに関する文脈の「まで」にかけて、61文字間隔でやはり右から左に「イェシュア」が織り込まれています。26節では、「都」から始まって25節の「週」まで、今度は、左から右への逆順で26文字間隔で織り込まれています。しかし、非常に意義深いことに、反キリストに言及する「荒らす者」が登場する27節には暗号は織り込まれていないのです。