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第312号  ヨハネ2:13-22、マタイ21:9-13

 生ける神の宮、―教会― の聖め

キリストは、行動預言で、宮聖めの必要を二度、警告されました。聖めが必要なのは、人の手に成る建物ではなく、人自身、―聖霊の宮である信徒自身 ―です…

さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスは、エルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。』弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか。」イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」しかし、イエスは、ご自分のからだという神殿について語られたのであった。それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。       ヨハネ2:13-22

群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」  マタイ21:9-13


キリストは福音宣教のミニストリーを始められた後、二度、エルサレム神殿の聖めを実践されました。

最初に挙げた引用箇所は、キリストがミニストリーを始められた最初の過越の祭りの時期で、ユダヤ人成年男子に義務づけられていた巡礼のため都エルサレムに上られたとき起こった出来事でした。「宮の中」、すなわち、神殿の外庭は、異邦人の礼拝場所として、ユダヤ人以外の人も入ることが許されていた場所でした。

神殿に入られるや、キリストが憤られたのは、神を礼拝すべき神聖な「わたしの父の家」で、両替人たちが、当時一般住民が用いていたローマ皇帝の彫像の刻まれたローマ貨幣を、神殿内で献げるいけにえを買うために用いる神殿専用の硬貨に替えるための商売の場所として用いていたことに対してでした。イザヤが「われわれの神の復讐の日」と預言し、ヨハネが「神と子羊の御怒りの、大いなる日」と預言した、裁くためにキリストが来られる「再臨の日」を垣間見させるかのような荒々しい行為でキリストは、外庭の商人、商売道具、商品の動物を細縄の鞭で一掃され、神殿の聖めを行われたのでした。それは、詩篇69篇に預言されている(父の)家を思う熱心が私(キリスト)を食い尽くす行為でした。

当時、神殿を管理する権威ある立場に就いていた宗教指導者たちのみならず、ユダヤ人たち群衆も、神殿内で許可を得て商売をしていた両替人たちにこのような暴力行為を働いたキリストを全く理解できず、一体、何の権威があってこのような冒涜を働くのかと、詰め寄りました。「権威のしるしを見せてほしい」と、挑んだユダヤ人たちにキリストは、三年後に起こることになるご自身の身体の甦りに言及され、

この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」

と謎めいたお答えをされました。

ユダヤ人たちはお言葉を誤解し、建設に四十六年もかかった神殿を、たった三日で再建するというのか、といっそう憤りを募らせました。エルサレム第二神殿は紀元前18年に新装改築が始まり、西暦63年に完成したので、当時、まだ改装中でした。ユダヤ人たちはお言葉の意味を理解できず、完全に誤解したのでしたが、弟子たちでさえ、キリストが言及された「神殿」の意味が本当に分かったのはキリストの甦り後だったのです。三年後、キリストにとっては地上での最後の「過越の祭り」のとき、宗教指導者たちは受難週の尋問、―不当な裁判― でキリストに不利な証言を得るため、このお言葉を偽証人たちに発言させたのでした。

神の数とみなされる「三」は聖書では生命、霊、新しい生命、すなわち甦りに関わる出来事に象徴的に用いられています。

天地創造時、新しい生命、植物が誕生したのは三日目でした。アブラハムは独り子イサクを献げるためモリヤの地に向かい、神の備え「いけにえの雄羊」を与えられたのは三日目でした。預言者ヨナは、甦るまで三日間大魚の腹の中にいました。エリコを偵察したイスラエルのスパイは三日間かくまわれた後、救出されました。キリストが最初の奇蹟を行われたカナの結婚式は三日目に行われました。預言者ホセアによれば、世の終わり、イスラエルの復興は悔い改めの嘆願後三日目に起こるのです。

このように、時代を超えて、異なった著者、筆写者によって記された内容に完全な一貫性が見られるのは、聖書が唯一の著者、神ご自身の霊感によって記されているからです。


冒頭に二つ目に挙げた『マタイの福音書』からの引用箇所は、キリストが地上での最後の過越の祭りのため、エルサレムに来られ、預言者ゼカリヤが預言した通り、群衆にメシア、―油注がれたダビデの血筋の王― として大歓迎され、エルサレムに入城された出来事です。

過越の祭りの四日前、後世「シュロの聖日」と呼ばれるようになった日曜日の朝、子ろばに乗ったキリストは、シュロの枝を振る群衆に「ホサナ」、すなわち「救ってください!」、―私たちユダヤ人をローマ人の手から解放してください!― と、大きな期待で迎えられたのでした。ちょうどダビデの子ソロモンが戴冠の儀式を行ったとき、ろばに乗って都エルサレムを巡り、全イスラエル部族の王であることを公言したことをほうふつとさせる出来事でした。


しかし、ろばから降りられたキリストの矛先は、群衆が期待していたローマ人の兵営ではなく、ユダヤ人宗教指導者が管理していた神殿でした。群衆の歓喜と興奮で迎えられたエルサレム入城が一瞬のうちに吹っ飛んだ、キリストの二度目の宮聖めでした。最初と同じように、持ち込まれるべきではないものをすべて、荒々しく神殿の外庭から一掃されたキリストは、イザヤ書とエレミヤ書から引用して

『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている

と言われました。キリストが地上でのミニストリーの最初と最後に、

あらゆる民の祈りの家(イザヤ書56:7、下線付加)

であるべき神殿に対して同じ行為をされたことは重大な警告のメッセージでした。

異邦人の立ち入りが許されていた神殿の唯一の場所、異邦人にとっては神を礼拝する神聖な場所を商売の場とし、神殿でいけにえを買わなければならなかった遠方からの巡礼者の神殿硬貨への両替で、宗教指導者たちは不当に利益を得ていたのでした。長い間、このような権威当局による汚職が公然とまかり通っていたのです。


この神殿でのキリストの警告の預言的行為に続き、翌日早朝、キリスト一行が再びエルサレムに上ったとき、キリストが「葉だけ生い茂り、実の全くなかったいちじくの木」に向かって、「今後いつまでも、おまえの実はならないように」(マタイ21:19)と命じられ、たちまち木が枯れるという出来事が起こりました。しかし、キリストは、ご自分の空腹を満たす実が一つも見つからなかったので不毛の木を憤られたのではなく、この木に起こったことを通して弟子たちに教訓と警告を与えるためでした。

「葉」に象徴されるのは形式的な宗教、「実」に象徴されるのは神が望まれる実践的信仰の結果の結実です。この不毛のいちじくの木は「虚飾の宗教はあっても信仰の実態のないイスラエルの姿」でした。

キリストはすでに、福音書著者ルカが記しているように、イスラエルを象徴する「いちじくの木」に託して、父なる神に「切り倒しをもう一年待ってください」と、執り成しをされたのでした。そのとき、七年経っても未だ不毛の木はもはや不要と言われた神に執り成し、もう一年の猶予を願われたのです。

しかし今、そのときは終わり、メシアご自身の警告にもかかわらず、悔い改めず、自らの義に依存して宗教行為を踏襲していたイスラエルに裁きが下ることが、キリストの二度に亘る神殿聖めの預言的行為と、いちじくの木のたとえで宣言されたのでした。


いちじくの木が象徴的に枯れた二、三日後、宗教指導者たちはキリストを十字架刑にかけ、奇しくも、キリストは神のご計画通り、過越のいけにえの「神の子羊」として献げられ、亡くなられたのでした。キリストが行動で預言されたイスラエルへの裁きは、キリストの死後すぐには成就しませんでしたが、西暦70年、ローマ兵によってエルサレム神殿完全焼失、国家崩壊で、1948年、イスラエル国家が奇蹟的に再興されるまで、ユダヤ人は流浪の民として全国に四散したのです。西暦一世紀、宗教指導者たちのうち生き延びたのはキリストの預言を信じた一部のパリサイ人だけでした。

今世紀に入って、ユダヤ教の教師ラビたちによって、神殿再建と神殿制度復活の動きが活発になっています。シミュレーションによる第三神殿モデルは完成しているようで、地下で建設が進められているという話もありますが、具体的な動きは見られません。


冒頭に挙げた最初の引用箇所でキリストがご自身に言及された「ご自分のからだという神殿」について新約聖書は

あなたがたは神の畑、神の建物です…その宮です(コリント人第一3:9-17)、

あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり…(コリント人第一6:19)、

私たちは、生ける神の宮なのです(コリント人第二6:16)

ほか、七箇所で語っています。

神の契約の民ユダヤ人にとっては神殿(建物)、制度は重要な意義がありますが、新約の民に要求されているのは、先月、第311号で考察したように、「神の家」、信徒自身の聖めの必要と「御霊と真理によって父を礼拝する」「真の礼拝者」であることです。

このことをキリストが告げられてからほぼ二千年経ち、2020年以降、神の裁きが下される集大成のとき、主の再臨が急速に近づいています。

預言者たちとキリストの警告を聞いて、キリストの身体なる教会は構成員一人ひとりが自らの聖めをし、主の再臨に備える必要があります。今は、主がいつ戻って来られても備えができているように神の国に焦点を据え、日々、意識的、かつ、無意識のうちに犯した罪を悔い改め、御言葉を宣べ伝え、実を実らせるときです。コロナ禍を契機に諸外国で専制的体制が取られ始め、

全世界に来ようとしている試練の時(黙示録3:10)

が急速に近づいているからです。