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第240号 詩篇46篇 

自然災害、戦争、 テロ...この世に助け、避け所がないとき

世界的に、天災人災への危機感は強まっています。東京都は東京防災の冊子と防災マップを都民に配布し、災害への備えの必要を喚起、本格的な防災対策に入りました...
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも、たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。 セラ。
川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい。神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都は揺るがない。神は夜明け前にこれを助けられる。国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。 セラ。
来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。  セラ。   詩篇46篇

九月に入って、日本列島は未曽有の大雨に見舞われ、とどめるすべなく瞬時に広がった痛ましい大災害に震撼させられました。「線状降水帯」と呼ばれる低気圧が、日本列島の南北に広域に亘って停滞したため、千葉、栃木、茨城から福島、宮城県、北海道に至るまで、河川の氾濫、大洪水が起こり、大自然の脅威を再度見せつけられた数日間でした。
さらに、東京湾地震、阿蘇山噴火、Ⅿ8.3のチリ沖大地震が相次ぎ、自然現象に脅かされる一方で、ヨーロッパでは、シリア難民が、せきを切ったようにハンガリー、トルコの国境からヨーロッパに大移動するという出来事が起こりました。
いったい何が起こり始めたのだろうという危惧の背後には、全世界制覇のためのイスラム教徒のヨーロッパ圏、米国への戦略的な有無を言わせぬ大移動が始まったとする警戒心以上に、人道支援を重視するドイツをはじめとするヨーロッパ諸国のシリア難民に対する温情は大きく、国を挙げての積極的な受け入れ態勢を表明し、この輪は広がっています。

そのような中、「なぜ、ペルシャ湾岸諸国が難民を受け入れず、ヨーロッパだけが人道的措置を講じることになっているのか? なぜ、国際連合事務総長は、アラブ諸国に助けを依頼しもしないで、ヨーロッパに難民収容を強要しているのか」との疑問の声が起こり、国際連合安全保障理事会に宛てた世界的嘆願への署名集めの動きが強まっています。
内容は、中東とアフリカのクリスチャンや宗教的少数民族を保護する行動計画を認可すること、ISIS指導者らを国際刑事裁判所に付託すること、ISISに対する財政支援や交易の停止策を認可すること、ISISに武装解除させることの四項目です。全世界の少しでも多くの人々が積極的な行動を起こすことで、世の動き、歴史を変え、多くの生命を救うことができると信じる方々は、嘆願への署名が下記サイトでできます。(http://citizengo.org/en/27580-stop-slaughter-christians-and-other-religious-minorities-libya-iraq-and-syria

世界的に、天災人災への危機感は強まっています。東京都は「30年以内に70%の確率で発生すると予測されている、首都直下地震。あなたは、その準備ができていますか…もしも今、東京に大地震が起きたら…小さな備えが、あなたを守る盾になる…今やろう。災害から身を守る全てを」と呼びかけ、340ページもの分厚い東京防災の冊子と防災マップを都民に配布し、災害への備えの必要を喚起、本格的な防災対策に入りました。
科学的、歴史的、統計学的な裏づけの下で作成されたと思われる冊子には、地震だけでなくその他の自然災害対策も列記されていますが、テロ・武力攻撃への対策、―ゲリラや特殊部隊による攻撃、弾道ミサイルによる攻撃、着上陸侵攻、航空攻撃、化学剤などによる攻撃― にも言及されており、これまで平和憲法下で無縁だった日本に、外国勢による攻撃をも考慮した物騒な時代を予測しているかのような、また、安保法案の強引可決を見越し、平和憲法改正を前提とするかのような日本政府の試案が窺え、不気味です。
防災の知識を身に着けておくことは天災、人災のいずれにも役立つでしょうが、これからの時代が、高度に進展した文明を謳歌するどころか、創造者なる神の秩序を無視して人が開発してきたすべてのことの刈り取りをしていく時代であるとするなら
 ―聖書は至る所で
「主はご自身を知らせ、さばきが行われた。悪者はおのれの手で作ったわなにかかった」(詩篇9:16)
と、明確にそのことを警告しています―、
人の側で、我が身を守るすべはないといえるかもしれません。武器を取る者は武器で滅びるのです。

聖書は、忍耐の神が、ご自分に反逆して警告を聞こうとせず、暴虐、不正、不義で自らの王国を築こうとする者に、しばし我が道を行くことを許されますが、究極的には神から離れた人には自滅以外ないことを告げています。正反対に、神の御旨に従順な者には、神の守りと恵みが約束されており、ときには、この地上では人が期待するようには、守り、恵みが与えられず、困難な人生であったとしても、この世を越えて、神とともに生きる永久の生命が確約されていることを明確にしています。
詩篇46-48篇は、国家の大惨事に瀕していたご自分の民を、大変な危機から救われた神ヤーウェへの称賛と崇敬が歌われた詩篇です。いずれもこの世での祝福を越えた未来のメシヤの王国を預言的に描写しています。

冒頭に引用した46篇の背景は、全世界が揺さぶられ、全土が荒廃し、地震、洪水で絶滅するかのような天変地異が、諸国間のすさまじい戦争と同時多発的に起こるような時代、まさにキリストが再臨される直前の大艱難期の様相です。この詩篇の三つの段落の各々で強調されているのは、そのような世の終わりにあって、神の力、助けへの完全な依存と信頼、神とともにいることのかけがえのない安全、すべてに卓越した神の主権です。
第一段落は、この世の外的な変化に焦点を当て、自然災害の脅威だけでなく、隠喩的に、秩序ある創造の世界を脅かし、破壊する力として、神に敵対する諸国家も描写されています。この詩篇は宗教改革の創始者、マルティン・ルターのお気に入りで、ルターの書いた讃美歌「力強い避け所は私たちの神」には、この詩篇が反映されているようです。またこの聖句は、ヴィッテンベルクのルターの墓の上に書かれているのです。

第二段落は、内なる源に焦点が当てられています。真の神に起因する内なる安全は、いかなる外的な力にも脅かされることはありません。ここには、エデンの園を連想させ、生ける神のご臨在を象徴する「静かな水の流れ」が描写されています。
詩篇1篇には、「悪者のはかりごとに歩まず…主のおしえを喜びと(する)」人が神の家、神の御座から流れる水のほとりに植えられ、永久に生きることが描写されています。また、キリストの愛弟子ヨハネは、パトモス島で、キリストから啓示を与えられたとき、「水晶のように光るいのちの水の川」「神と小羊の御座」(黙示録22:1)、すなわち、神のご臨在の場から流れているのを見たのでした。このように、3節の「立ち騒ぎ、泡立ち」死をもたらす水とは正反対の静かに流れる水は、神の都と民に益と満たしをもたらす生命の水です。
ヘブル語聖書に赤裸々に記録されているイスラエル史では、神の奇蹟的なご介入は朝、起こりました。ユダの王ヒゼキヤの時代、当時、近東を支配していたアッシリヤ軍がエルサレムを包囲し、絶体絶命と思われたとき、神は預言者イザヤと王、民が一丸となってご自分に信頼し、拠り頼んだことに応えられ、一晩のうちに十八万五千人のアッシリヤ兵を疫病で絶滅させられたのでした。歴史をさらにさかのぼって、モーセの時代、出エジプト後、イスラエルの民を追いかけてきたパロの軍勢が紅海でおぼれ死んだのをイスラエルの民が目撃したのは、朝でした。
このように、暗やみを光が照らすとき、大逆転が目撃されるように、終末末期の大艱難期の幕開けも、神のひと声で「地は溶けた」、すなわち、状況の劇的な一変になるのです。
ゼカリヤは、この激変を
「その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある」(ゼカリヤ書14:6-7)
と預言しています。
明らかな気象学上の変化が起こり、ご自身「光」なるメシヤの支配される時代に突入するのです。死から生命へと民を導いてくださった神に、止むことのない称賛、賛美、礼拝がささげられる時代となるでしょう。

第三段落は、主の御わざに焦点が置かれています。神に反逆する者が一掃され、不義で築かれたすべての王国が崩壊する時代の到来です。イニシアティブは人災天災すべてを支配しておられる神が取られ、戦争をも含め、地震、火山爆発、洪水、津波などによって、地の荒廃と悪者の破滅をもたらされるのは、神ご自身です。この詩篇の詠み手、コラの子たちは、堕落し、荒廃した全地に、主の圧倒的な御わざが真の平和をもたらすのを「見よ」と、呼びかけています。
主は人が人を殺すために用いたすべての武器、―在来型兵器、核兵器、生物兵器、化学兵器―を破壊されます。
世の終わりに、地上で諸国家が関わる破壊的な戦争を終結させるのは、
「人手によらずに山から切り出され…鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕(く)」(ダニエル書2:45)石、
すなわち、ありとあらゆるこの世の諸国家を打ち砕く、源が天にある方がご介入される最後の戦い、ハルマゲドンの戦いです。
神の主権をはく奪して自らを神としてきた諸国家、諸国民に神は「やめよ」と命じられ、地上で真の神だけがあがめられるメシヤの支配される御国が到来します。
古来、神を恐れる者たちが祈り求めてきた神の究極的な御目的、
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」(ルカ2:14)
が、ついに現実のこととなるのです。
地に平和をもたらし、永久に君臨されることになるこの神は、最後の節で「万軍の主」、「ヤコブの神」、「われらとともにおられる」と三通りに表現されていますが、力の神の称号、契約の神の称号、数ある神の呼称の一つ「インマヌエル」のすべてで呼ばれるヤーウェ、ついにはキリストとして知られることになる唯一真の神です。

使徒パウロは
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人8:28)
、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ人8:31)
と、この世や我が身に何が起ころうと、信仰の人生が不敵であることを確信をもって語りましたが、同時に、この世では、真理に生きる人にはサタンの攻撃があり、決してこの世の人々が望むような楽な人生ではないことを
「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」(ローマ人8:18)
と、未来の明るい希望との比較で明記しています。
その後、栄光の時代、すなわち、キリストの再臨によってもたらされるメシヤの時代が到来するので、今のこの世での苦しい信仰生活を全うすることができるのです。