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Mary Jane のミニストリー活動報告:2015年3月~4月 その2

いよいよサパル宣教に旅立つ

4月19日

食料品などが入った袋を運んでいる馬とサパルに通じる山道の写真です。
写っているのは、ダニーの母親に贈り物として買った豚と、黒米です。
私たちはサパルに,六時間歩いて、着きました。
写真の古い家は、ダニーの両親の先祖の家です。石が積み上げられているのは、ダニーの父親の墓です。もう一つのはダニーの下の弟の墓です(アブラでは親族の墓は彼らの家の近くか家の中にあります)。

 4月20日

サパルでの聖書教室のスタートです。

4月21日~23日

サパルで開かれた最初の聖書教室の写真です。
参加した子どもたちは共通語のタガログ語が話せず、私も彼らの言語(ナボカ語、イロカノ語)を話せないので、ダニーの甥や姪が手伝ってくれました。
プレートを持った子どもたちの写真です。‘Jesus loves Jena’(イエスはジナを愛しておられる)と書かれています。
ダニーの母親、ダニーの長兄のマノロ、一番下の弟アルバロ(ピンクのシャツ)、一番下の妹サロメ、弟のトニーの写真です。

4月23日

サパルからブネグに戻る山道の写真。
私たちは小川のそばで昼食をとっています。お皿のほか、バナナの葉も食器代わりに使いました。
クヤ・マノロと彼の馬です。
サパルで作られた「ほうき」の写真です。
サパルの主要な手工芸品です。一本のほうきは300フィリピンペソ(≒838円、為替レート1ペソ≒2.776円)ですが、市場で売られているわけではなく、ラクブで砂糖、コーヒー、ミルク、塩と交換されます。私は2009年にこの「ほうき」を買い、今でも使用しています。

4月24日

ブネグでの最後の日です。夕方、私たちは再びフェローシップをもちました。
その際、フェリペ・デュガエン(82歳)さんが第二次世界大戦のとき、日本軍が二日かけて歩いてタリピルゴまで行ったこと、一週間かけて、やはり歩きでアパヤオまで行ったこと、アメリカ人は子どもたちにいろいろ教えていたこと、日本人の幾人かも子どもたちに日本語を教えていたことを話してく
れました。

4月25日

私たちは帰途、アブラのバングエドに到着しました。

4月26日

私たちは、お昼頃、ブラカンに戻りました。神さまに栄光あれ!

DVDについて

13March 1、2、3:  ダニーの長兄の家での賛美
13March 13: ブネグからバングエドに向かう道中
18April 7-8:   共同体の部族ダンス
19April 19:   サパルのダニーの先祖の家
19April 20:    タイ・フェリプの歌
24April :     ブネグのオネサンたちによる私への別れの歌  

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