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第325号  テサロニケ人第二2:1-12

使徒パウロの預言の解釈:「反キリストが座る『神の宮』」とは何か?

パウロは「ついには自分こそ神であると宣言」する反キリストが「神の宮に座ることになります」と預言した。パウロは何を「神の宮」と呼んだのだろうか? 大多数の聖書学者、説教師たちは「神の宮」をエルサレム神殿と解釈しているが、これはパウロが意図したことだろうか? キリストご自身は何を「神の宮」と言われただろうか…

さて兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします。霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。どんな手段によってでも、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。

私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか。不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。          テサロニケ人第二2:1-12


先月は、『テサロニケへの手紙第二』2章の「不法の者、すなわち滅びの子」、「引き止めているもの」、「不法の秘密」、「滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺き」が何を指しているのかを考察し、パウロの預言の概略をたどりました。今月はこの預言をさらに深く吟味し、パウロの警告が人類史のどの時代よりも今日の時代に向けられたものであり、私たちが真剣に耳を傾け、警告に従って、行動に移さなければならないことを確かにしたいと思います。

パウロは、イエス・キリストの再臨と携挙が起こる前に、

まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ(ならない)

ことを明確に告げました。正体を現した不法の者は神の宮に入ると、そこで背信の活動を始めますが、この「神の宮」はエルサレム神殿のことではありません。新約の時代は、旧約の時代と違って信徒はどこででも天の父を礼拝することができると教え、「キリストの身体」なる教会、個々の信徒が「神の宮」である、と定義されたキリストご自身の教えを思い起こす必要があります。

しかし、ここでパウロが言及した「神の宮」がエルサレム神殿ではないことは、パウロの預言自体が明らかにしています。先月号で、「引き止めているもの」を「ローマ帝国」であるとみなしました。ローマ帝国は70CEにエルサレムを神殿もろとも破壊しましたから、ローマ帝国が取り除かれた後、不法の者が現れたときには、エルサレムには神殿はありませんでした。したがって、「神の宮」と呼ばれるものは、このとき以降、今日に至るまで、「キリストの身体」なる教会以外にないのです。


次に、冒頭に挙げた書簡の6節と7節には「引き止めているもの…者」への言及が、前者は中性名詞、後者は男性名詞になっていることと、この聖句で用いられているギリシャ語動詞に直接目的語がないことから、引き止めているものが何らかの直接行動によって不法の者を阻止するというのではなく、引き止めている者の力が場所を占めている間は、「滅びの子」は現れることができない、の意になります。言い換えれば、不法の者が現れるまでは、神が現在の抑制を許しておられるということになります。

「不法の秘密」とは、何か秘められたものが今は、―パウロの時代― 内的に働いており、その現れを引き止めている抑止力が除かれるまでは、そのように引き続き働くでしょうが、その働きがもはや内的ではなく、外的に明らかになるときが来る、ということへの言及です。しかし、「滅びの子」が自らを公に現すとき、世界中が彼を知り、支配下に置かれることになりますが、究極的には「御口の息…来臨の輝きをもって」御姿を顕されるキリストによって、彼は滅ぼされることになります。

イザヤ書11章には「口のむちで地を打ち、唇の息で悪しき者を殺す」神、すなわちメシアについて預言されていますが、再臨のキリストは、ハルマゲドンでご自分に反逆した者たちを御言葉によって一瞬のうちに滅ぼされるのです。


このように、パウロはローマ帝国が取り除かれた後現れる「滅びの子」が、キリストの再臨のときまで存続することをこの預言で語っています。終末末期に住む私たちには、「滅びの子」が十数世紀も続いていることになりますから、この「滅びの子」が一個人ではあり得ないとの結論に自然に導かれます。パウロは、「引き止めているもの…者」、すなわち、ローマ帝国を中性名詞と男性名詞の両方で表現し、個々の皇帝によって引き継がれることを示唆しましたが、同じように、「滅びの子」も、その地位、名、権力を継承する人々の集合的な表現とみなすことができます。

おそらく、パウロはここで、使徒ヨハネが預言した「反キリスト」(定冠詞のついた、最後に登場する「背教の反キリスト」、黙示録13章の「獣」)にではなく、再臨のときまでに現れるすべての「滅びの子」に言及したようです。ヨハネは自らの書簡で、これら多くの「反キリスト」について

今は終わりの時です。反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であると分かります

と、語っています。初代教会のときにすでに背信の反キリストが多く存在していたのです。


初代教会の時代、ローマ帝国が滅びて、それまで隠されていた反キリストがついに現れれば、もうすぐにもキリストが再臨される、と信徒たちは信じていたに違いありません。しかし、私たちは、ローマ帝国がすでに滅んだことも、キリストの再臨がまだ起こっていないことも知っています。したがって、私たちは、聖霊の導きによって、「滅びの子」が一人ではないことを知り、ローマ帝国が占めていた地位、権力を維持する背教の制度、組織が再臨まで続いていることを知ることができるのです。

そこで、ローマ帝国崩壊後、現れ、世界的な影響力を及ぼした何か尊大で横柄な力、今日も続いている力とは何だろうかという疑問が沸き起こります。樹立された場所と時期、それ以降の世界的影響力と存続期間、個々人の継承で維持されている背教の制度、これらすべての条件を満たす権力機構はバチカンの教皇制度以外にないのです。しかし、パウロは、教皇制度同様、堕落した教理と礼拝体系を踏襲しているすべての教会制度をも含めているようです。


どんな手段によってでも、だれにもだまされてはいけません

とパウロは警告を促し、「背教」に言及しました。このギリシャ語は、キリスト信仰の初期の基準からの屈折、劣った状態に陥ることで、だれも一度も立ったことのない所から落ちることがあり得ないように、かつて立っていた基準から離れた、堕落した教会の特徴に言及する言葉です。黙示録2:5の、キリストによる、教会撤去への警告

どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く

が即、適用されなければならない危険な状態です。

また、「滅びの子」という表現は新約聖書の中では他に、キリストを裏切ったユダに対してだけ一回用いられており、使徒の継承者、キリスト教の司教に適用される用語です。キリストご自身が弟子ユダを「滅びの子」、「悪魔」と呼ばれたように、反キリストは、キリストの群れ、教会内から現れるのです。


神から霊の賜物を多く受けた者の背教が、与えられた賜物、恵みに比例して一層大きな罪に匹敵するとの一貫した聖書の主張に耳を貸すなら、この背教の制度、組織に関わっている人たちは今、躊躇することなく、罪の巣窟バビロンから出なければならないのです。さもなければ、同罪になることは、教会史の中でも特にカトリック教会を反映している「ティアティラの教会」へのメッセージで明確に語られています。

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は淫らな行いを悔い改めようとしない。見よ。わたしはこの女を病の床に投げ込む。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めないなら、大きな患難の中に投げ込む。また、この女の子どもたちを死病で殺す。こうして、すべての教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知る。わたしは、あなたがたの行いに応じて一人ひとりに報いる。(黙示録2:21-23)

この教会へのメッセージは

耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい

で締めくくられていますから、まだ、関わっているすべての人に悔い改めの機会が与えられているのです。


終末末期、キリストの再臨が近づくにつれ、政治、経済、金融、商業、宗教すべての領域で、全世界的統合の傾向が顕著になってきています。

宗教では、アラブ首長国連邦のアブダビの文化の中心地、サディヤット島に建設中のモスク、教会、シナゴーグ、教育センターで構成される三大宗教の和合「アブラハム家」のビジョンは、2019年2月に教皇フランシスコとエジプトのグランドイマームによる友愛に関する文書の署名後に始まり、2023年に完成予定です。

キリスト教界でも、カトリック教会と英国国教会、プロテスタント諸教派の歩み寄りは急速に進んでいます。日本のプロテスタント教会でも2019年11月23、24日の教皇訪日を機に、統合へと動き出したようです。

また、教皇は、枢機卿大学と司教職を再構築し、従来のとは別の教会を先導するため、LGBTQ擁護の共通のビジョンを持つ、米国の急進的な枢機卿五人を奨励し、新たなアジェンダに乗り出したことが、10月21日に報道されました。反キリストが「神の宮」、―信徒の心― を占有するときが非常に近づいています。決断が信徒個々人に迫られているのです。