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Yさんの証し その25

心の願いをご存知の主に導かれて

主は、Yさんのヘブライ語への情熱をご存じで、不思議な出会いが過去何度もあり、多忙な中、今もユダヤ人の方の指導で、Yさんのヘブライ語の学びは続いています
今回も、ユダヤ人の方との大きな出会いがありました
また、職場での「聖書の学び」が始まったことも、大いなる主の導きでした
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4月14日(土)

今日は、中東部門で働いている正統派ユダヤ教徒のユダヤ人の女性職員の方とお話いたしました。去年、ケンブリッジ大学のジーサス・カレッジの東洋学(Oriental Studies)を卒業された方です。
なんと、2014年に亡くなったジーサス・カレッジの学生監(Jesus College、Dean)、―大学での講義のほか、カレッジ・チャペルの管理、聖職に当たり、学生生活相談に応じる職務― だった私の友人が、彼女を一年生のときに指導していたことがわかりました。彼女には、亡き友人が引き合わせてくれたような気がして、嬉しさで思わず涙目になりました。
彼女は、聖書のヘブライ語(Biblical Hebrew)の質問はなんでも聞いてね、と言ってくれました。
この出会いに、主イエスに感謝です。

Y

5月6日(日)

頌主…
ここ三日ほど夫の腸内出血が続いており、心配ですが、主が必ず癒してくださると信じて、このバンク・ホリデー(5月7日、月曜日、英国では銀行休暇)を心を静め、過ごそうと思います。

先週から、昼休み(三十分)を使って、アジア、アフリカ研究(Asia African Studies)の閲覧室で東洋キリスト教徒(Orient Christian)の開架書庫を覗いています。ヘブライ語関係の本も多く、主キリストの成し遂げられた御業の新たな側面・洞察を得るよい機会になればと願っています。

律と福音、適用過程は似ているが…

聖書の言葉を信じる者は、人生の艱難や世の中の理不尽な出来事に直面するたびに、福音の言葉を正しく解釈、消化し、状況に応じ適用し(艱難に立ち向かうための武器に変え)てゆく必要があります。
これは、「不正に立ち向かい、弱者を保護し、社会的衡平を確保する」法律の適用過程に非常に似ていると思いますが、福音の言葉の適用にあたっては、いつもイエスさまに問いかけられているように感じる別の基準があります。

それは、「(その)決断・行為に、『愛』があるか(あったか)、否か」という問いかけです。
主が示された「最も大切な掟」(マタイ22:37-39、マルコ12:31、ルカ10:27ほか)を挙げてみますと…
心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。(申命記6:5)
あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。(ルカ19:18)
しかし、わたしはあなたがたに言います。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためなのです。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからです。(マタイ5:43-48の44、45節、下線付加)
あなたがたに新しい掟を与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34、下線付加)

不可解・理不尽な出来事、不当な扱いに対して

私は非常に短気な性格なため、不可解・理不尽な出来事に出くわしたり、不当な扱いを受けるたびに、
復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。(申命記32:35/ロマ書12:19
や、ことわざの
天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず(Heaven's vengence is slow but sure)。
―天罰を逃れることは決してできない― という言葉が、大変恥ずかしいことに、マタイの福音書5章43-48節よりも早く頭をよぎってしまいます。
これらの言葉(上述の申命記32:35/ロマ書12:19と、ことわざ)は、留飲を下げるのには一時的に役に立つのですが、しばらく経って冷静に思い返すと、自分の愛のなさに愕然とさせられます。

申命記15章10節には、「あなたは心から彼に与えなければならない。彼に与えるときは惜しんではならない(未練があってはならない)」とあります。
主の掟を行う際に、
「何事もしぶしぶ(grudgingly)行っていないか」、
「義務感からだけで従っているのではないか」、
「(その)決断・行為に、『愛』があるか(あったか)」
を問い直すたび、身の縮む思いで、穴があったら入りたい気持ちになることもしばしばです。それでも、こんな私を見放さず、見守り続け、変わらぬ愛を示してくださる主に感謝です。

わたしがあなたがたを愛したように…(ヨハネ13:34)
そして、「悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」天の父のような愛を、つまづきながらでも日々学び続けて参りたいと思います。

今後ともご指南何卒よろしくお願い申し上げます。
皆さまの上に主イエス・キリストの祝福が豊かにありますように。

Y

愛によって働く信仰

使徒パウロはガラテヤの信徒に
キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。(ガラテヤ人5:6)
失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。(ガラテヤ人6:9-10)
と語り、
まことの信仰は、この世の制度で得た資格や宗教的儀式を経ることによってではなく、愛に裏づけられるもので、家族、信仰の家族(主にある兄弟姉妹)、隣人(助けを必要としているすべての人)に惜しみなく善行を実践することに、真の愛が実証されると、教えました。
キリスト者の博愛に国境はなく、個々のキリスト者には善を実践し、平和を保つ社会的責任があるのです。
だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ人12:17-18)
上記三箇所の聖書引用は、「新改訳2017」から


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