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英国滞在記 2018年2月~4月

生きるを考える  2018年5月

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フルダミニストリーでは、キリストとともに歩んでいる(歩んだ)兄弟姉妹の生涯の
赤裸々な記録を「あかし」として、皆さまにご紹介しています。
今回、英国での二ヶ月間の滞在中、主にある多くの兄弟姉妹や、
執り成しをされている未信者の方々にお会いし、
✓ 主の御旨にかなった祈り、執り成しが確実に聞かれること、
✓ 祈りの交わりの中にいる兄弟姉妹たちが驚くほど強いきずなで結ばれていること、
✓ これが地理的隔たり、国家、民族、言語の壁や時空を超えた真のイエス・キリストの教会、
主にある兄弟姉妹の交わり、「クァハール」(ギリシャ語では「エクレシア」、「コイノニア」)であるとの確信を得ました。
主イエス・キリストにつながる者の群れは、まさに「主にあって一つ」です!
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キリスト者の召名

使徒ペテロは「御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たち」、すなわち、キリスト者に対して、ペテロ第一1、2章で、次のように語りました。
あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるよう用意されている救いをいただくのです。そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、さまざまな試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。

と、キリスト者が「信仰の結果であるたましいの救い」をすでに得ているとの確約と、
あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の者とされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。…異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。…もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。…善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。このためにこそ、あなたがたは召されました。

と、困難に耐え、最後までキリストに喜ばれる生き方を全うすることの勧めでした。

ペテロは、これがキリスト者の召名であることを明確にし、「万物の終わり」、すなわち、困難な時代に生きるために、信徒が

何よりもまず、互いに熱心に愛し合い」、「祈りのために、心を整え身を慎(む)(ペテロ第一4:7-8)                ―聖句引用はすべて「新改訳2017」―
ようにとの指示を与えました。

終末末期

今日、世界的に公共の場での宗教活動や宗教的勧誘とみなされる言動への規制が強化され、キリスト者にとって伝道がますます困難な時代、ペテロが語った「万物の終わり」に近づいています。
かつてキリスト教国といわれた英国も例外ではなく、ヨーロッパ諸国や米国と同じように、反ユダヤ主義、反キリスト的風潮が日増しに強まっています。少なくとも、メディアはその点を強調して報道しているようですが…

果たして…

当然のことながら、英国のキリスト教会も困難な時代に直面し、教会維持も大変に違いないと思っていたのですが、実際には、権威当局に逆らわず、定めに従っている限り、宗教活動は自由で、平日使用しない教会の建物を公共事業、健康産業や趣味、学習教室などに賃貸するなど、この世とうまく共存している教会像が印象的でした。
特に当世風なエレキバンド演奏によるゴスペル・ソングは、伝統的な賛美歌に代わって、多くの若者たちを魅了しており、これからの時代、教会はこの世をうまく取り入れていかないと立ち行かないかのようです。会衆の高齢化で、閉鎖に迫られている伝統的な教会とは対照的な新興教会の成長ぶりは日本でも見られ、これが世界的な傾向のようです。

英国での体験

しかし、今回、英国で体験したことは、このような外的な教会活動とは無縁に、本物のキリストのしもべたちの交わり「クァハール」、「コイノニア」が祈りのグループという形で、力強く存続していることの喜びでした。
祈りのグループには、近隣の主にある兄弟姉妹が所属教会とは関係なく、定期的に、あるいは、必要に応じて集まって来ます。緊急な集まりの場合、祈りが必要な兄弟姉妹の許にさっと駆けつけて祈り、急いでいる人はすぐ退席しと、行動に自由があります。同時に、迎える側も特別な用意や茶菓子などの配慮は一切必要なく、ただ祈られ、励ましを得るための集まりであるということです。このような祈りの効果は大きく、主が明らかな結果で答えてくださるので、祈り合うことは大きな励ましになるのです。

キリストが弟子たちに維持するようにと勧められた教会はこのような「家の教会」で、これからの時代、その真価をますます発揮していくのではないかと思います。

主にある兄弟姉妹のその後…

困難を乗り越え、イエス・キリストとの親密な関係に生きてこられた数人の兄弟姉妹たちの今日の祝福と、主が、執り成されている未信者の方々にどのように近づいておられるかの例を皆さまにご紹介したいと思います。

Yさん
「Yさんの証し」でその実直な信仰生活をご紹介している姉妹と、彼女の職場の社員食堂で山盛りのランチをご馳走になりながら、お話を伺いました。
上司の方が聖書を信じるキリスト者で、「聖書の学び会」を始められ、現在、Y姉妹をも含め、職場で毎週、二、三人の方がともに学んでおられるとのことでした。何という神の采配でしょう! 時機とタイミングを司っておられる神の完璧な巡り会わせに、新たな感動、驚異を覚えました。主に燃える兄弟姉妹の神探求は、この世の時世とは無縁に着実に進行しています。

Lさん
四年半前、咽喉癌末期と診断され、喉頭摘出、声帯除去の手術以外に生存の可能性がないと宣告されたL姉妹、彼女自身が祈りの中で示された詩篇107:17-22の「喜び叫びながら主のみわざを語れ」に、私たちも、そこに彼女に対する神の御心があると信じ、声帯除去手術以外の方法で彼女が生きる道が開かれますようにと、執り成しを始めました。
詳しい経緯は「フルダレター226号」英語欄226号でご紹介しましたが、L姉妹と夫のP兄弟の心の叫びと、私たちの執り成しに神は答えてくださり、現在、彼女は、十数人の医師団の中で彼女の手術中止に決定的な決断を下した一教授の画期的な成功例として大きく認められているだけでなく、公共事業のボランティアとして責任ある働きを任っています。
かつてこの世での仕事に全く就くことができず、資格取得に挑戦しても完成させることができなかったL姉妹は、今や主によって完全に変えられ、昨年の6月からは高齢者介護の仕事、―介護者の健康や身体を損ねることのない電動装置を用いての介護が民営の施設では普及― にも就き、入居者たちの間でとても良い評判を得ているとのことでした。
また、大病以前はどんなにレッスンを重ねても達成できなかった泳ぎがつい先ごろ三週間で簡単に泳げるようになったと、感動的に話してくれました。
主に信頼することによって死からの生還という大奇蹟を経験したL姉妹は今、巣立ちつつある二十台の三人のお子さんのいろいろな問題をかかえていますが、どんな辛苦にあっても神を信頼し続けたP兄弟とともに、困っている人たちに助けの手を差し伸べ、名実ともに信仰の人生を生きています。

JさんとGさん
二十数年、仲睦まじいおしどり夫婦として知られ、主にある兄弟姉妹のための執り成しの役割を担ってこられたJ姉妹自身が、離婚の危機に見舞われようとは想像だにしないことでした。しかし、夫の外泊は増え、離婚訴訟は避けられない見通しです。
聖書的に離婚は決して主の御旨ではないので、J姉妹は離婚に同意しておらず、姉妹の願いは夫の魂の救い、―主イエスへの完全な立ち返り― と、復縁です。このような危機、苦しみのただ中にあってもJ姉妹は、問題に遭遇しているほかの兄弟姉妹のために日々執り成しておられ、主にある愛の実践の信仰生活に何のかげりもないのです。今回も、フルダミニストリーのための預言的洞察を交えての執り成しと励ましをいただいて来ました。
対照的に、二十年来の離婚生活の間も復縁を信じ、祈り続けてきG姉妹は二年前、祈りがかない、現在、少し離れた場所に居を移し、キリストを受け入れ洗礼を受けた夫とともに、勝利の信仰生活、新生のクリスチャンホームを築き上げています。

Bさん
一年半前、東京で会ったB姉妹、N姉妹はまだ、キリストを「救い主」として受け入れていません。B姉妹のいとこのW姉妹の温かい配慮で、W姉妹、J兄弟宅で今回、姉妹がたとの再会が成りました。B、N姉妹がW姉妹宅に着く前、私たちは簡単に祈りました。「今回の再会が、B、N姉妹にとって神のご介入のときとなりますように。姉妹たちの心が開け、主を受け入れることができますように…」と。
祈りに応えて、主は姉妹たちとの再会を祝してくださり、素晴らしい語らいのときとなりました。
N姉妹は、ほとんど主を受け入れているようでしたが、B姉妹には最初、霊的な束縛、心のこわばりが感じられました。しかし、W姉妹の手作りのランチの後、J兄弟の入れてくださったコーヒーを飲みながらの打ち解けた語らいの後、B姉妹に解放が感じられことは嬉しいことでした。数日後に控えているひざの手術が成功するように、祈りの約束をして別れました。
ところが、手術後、回復時にB姉妹の動悸が急に激しくなり、救急車でロンドンの専門病院へ送られたとの連絡をW姉妹から受けました。寝耳に水で、全く予期しないことが起こったのです。しかし、医師に囲まれ、緊急、かつ、ふさわしい処置を受けることができたことと、この出来事の間、B姉妹が主の守りと祈られていることによる平安を感じることができたと、W姉妹に話したことは、まさに、私たちの祈りに対する主の答えでした。
その後、いろいろな検査を経て数日でB姉妹は退院し、現在は、二人の息子さんが昼夜、交代で面倒を見、彼女は自宅療養中です。「ひざの手術の後、だれも私の世話をしてくれる人はいないわ」、と、あの日別れるとき、夫に先立たれたB姉妹が寂しさからというより、あきらめを投げ捨てるように吐いて、W姉妹、J兄弟宅を後にした光景が思い出され、主は、人知を超えた不思議な方法でB姉妹の心の叫びにも答えられたのだと、祈りの力を新たにしました。

一瞬先に待ち構えている危険をいやでも意識せざるを得ない人生、―誕生直後から身体の細胞の死が始まり、死に向かって痩せ細っていく生命― を生きている私たちにとって、現在の年齢にかかわらず、今、決めておかなければならないことがあります。
それは今、身体が機能し、物事を分別する理性があり、自分の意思で選択する自由が与えられているときに、未来の行く先を確実にしておくことです。
B姉妹が、今、イエス・キリストを彼女を罪から贖う「救い主」として受け入れることができるよう、私たちの執り成しは続いています。

ジョン・パーカー師とクリス・ドーン師
英国、ダラム市のジョン・パーカー師とクリス・ドーン師宅の家庭集会では、私たち「クァハール」のために、また、日本の救いのためにいつも執り成してくださっている兄弟姉妹のお一人おひとりとお話しすることができ、感謝でした。
私たちも英国のため、彼らのために祈り、また祈られるという「祈りのきずな」で結ばれた相互関係は、まさにキリストを中心とした「三つどもえ」の力です。
一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。(伝道者の書4:12)
キリストは
だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか(ルカ18:8)

と問われましたが、主の再臨のときまで地上に残っている主の民がいるとしたら、祈りで固く結ばれたキリストの教会「クァハール」に違いありません。

英国ダラム市のエマヌエル教会
ジョン・パーカー師とクリス・ドーン師が所属するダラム市のエマヌエル教会は、会衆二百名で百人に及ぶ子どもたちに御言葉を伝授している理想的な家族教会です。ダラム市の工業地区の倉庫を買い取って教会に改装し、郊外にも支部教会を持ち、教会人口は確実に増えているとのことでした。
六人の長老、―ジョン・パーカー師もその一人― と牧者アラン師が教会を支え、定期的に幹部会を開き、教会運営に当たっています。この教会の底力は、個々の会衆の家庭を解放して定期的に持たれている家庭集会「小さな集まり」にあるようです。
この小さな集まりで信徒は賛美し、祈り、聖書を学び、ときには食卓を囲んでの交わりのときをもち、神の御旨を知り、分かち合い、励まし合い、成長しているのです。

デイビット・キャンベル師
このエマヌエル教会の創設者は、デイビッド・キャンベル師で、現在、カナダのオンタリオで
エマヌエル教会と同じ流れの教会の牧会にあたっておられます。
キャンベル師がダラム大学、大学院在学中に創設したのが、エマヌエル教会で、今日に至るまで、師は各地の関連教会を巡回訪問しておられます。キャンベル師がたまたまダラム市を訪問されたタイミングで、私もエマヌエル教会の幹部会に出席し、日本の救いのための執り成しをキャンベル師にもお願いできたことは感謝でした。

多くの主にある兄弟姉妹が日夜執り成してくださることは、日本の救いのためにかけがえのない力です。

帰国後の課題
日本では見られない「生き生きとした信仰生活」が少なくとも私が接した英国のキリスト者には息づいているのを見て、日本の救いのためには、日本の信徒一人ひとりが、もっとイエス・キリストの甦りの生命に躍動しなければならないことを衝撃的に感じて、帰国しました。
  
主のしもべ、フルダ