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第214号 詩篇90篇:神 の人モーセの祈り、「死の詩篇」「悔い改めの詩篇」―「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年 ……それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください」―

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聖書が語る、死に備えての生き方とは?

主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まいです。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。

あなたは人をちりに帰らせて言われます。「人の子らよ、帰れ。」まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。あなたが人を押し流すと、彼らは、眠りにおちます。朝、彼らは移ろう草のようです。朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。

まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います。あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごとを御顔の光の中に置かれます。まことに、私たちのすべての日は、あなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。

帰って来てください。主よ。いつまでこのようなのですか。あなたのしもべらを、あわれんでください。どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください。あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見させてください。

私たちの神、主のご慈愛が、私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。
―神の人モーセの祈り― 詩篇90篇

七月二十五日の厚生労働省の発表で、去年、日本人の平均寿命は男性が79.94歳で過去最高齢に達し、女性は86.41歳で、二年ぶりに世界一位に返り咲いたことが分かりました。平均寿命が公表されている主な国や地域との比較では、日本女性の平均寿命はおととし香港を下回り二位になったことを除けば、それ以前は二十六年連続で世界一位でした。日本人男性の平均寿命は世界五位で、2011年三月の東日本大震災や2010年夏場の猛暑の影響で二年間、日本人の平均寿命は低下したものの、三年ぶりに上昇に転じたとのことです。厚生労働省は、医療技術の進歩や自殺者の減少をその要因とし、今後も平均寿命が延びる、明るい見通しを立てています。世界的にかつてなかったような天災、人災、異常な気象現象に見舞われている昨今、これは確かに希望を与えるニュースですが、現実にはこの世は今、どのような行く末に向かっているのでしょうか。

神はノアの大洪水の後現れた、悪が一掃された大地にノアの家族八人を送りだし、祝福して「生めよ。ふえよ。地に満ちよ」(創世記9:1)と言われました。このときから、御言葉通り、今日のアジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、オセアニアの五大陸に人類は増え広がりました。しかし、二十世紀半ばから、特に開発途上国において、この勧告に逆行する傾向が出はじめ、その結果、人口統計学上、目立った変化が起こっているといいます。たとえば、ヨーロッパでは、他のどの人口統計上のグループよりもイスラム教圏、イスラム教徒の出生率が急速に増えており、このため、ヨーロッパ大陸の経済的、社会的、霊的構成が大きく変わってきています。世界の人口統計学での今世紀にかけての大きな変化は、出生率の低下と平均寿命の増加に起因するもので、今日、先進国では女性の多くは単身で自活する道を選び、自分の生涯設計に合う男性が現れたら結婚するか、あるいは、伝統的な家庭環境が許されれば、多くの子を生み、育てることに従事するかの道を選ぶ傾向にあるといいます。昨今の結婚観、男女の役割や仕事、家庭、子育てに対する考え方の変化は世界人口特性に多大な影響を与え、先進国の人口更新率(人口を維持するために必要な出生率)は2.1ですが、世界人口のほぼ半分を占める国々での出生率はこれ以下の数値とのことです。

合計特殊出生率(TFR:厚生労働省「人口動態統計」における指標で、 一人の女性が一生の間に生む子どもの数の目安)が人口更新率を下回ると、その国の人口は高齢化することになり、しかも、一家族の子ども数が減る一方で、人々の寿命は長くなっているので、世界の平均年齢はますます高くなる傾向にあります。百年前までは、人間史のほとんどの時代、高齢者が世界人口に占める割合は3-4%であったそうですが、今日では15%近くで、二十一世紀半ばまでには、25%に達すると言われています。ヨーロッパでは35%、アジアでは、40%近くにもなると予測されているのです。

同時に、ほとんどの先進国では、人口が急激な下降線に差しかかることが予測されています。他方で、予測される高齢者の慢性病対策にかかる出費の増加は、労働力となる社会の若年層の肩に重くのしかかることになるとの予想が、今世紀の人口統計学上の見通しです。開発途上国では、先進国に比べれば、平均年齢ははるかに若いのですが、それでも高齢化に向かっていることに変わりはなく、メキシコも2040年までには、米国と同じような人口構成ピラミッドになると予測されています。中国も、富国になるにつれ出生数の減少が予測され、1979年以降実施されるようになった「一家庭一子政策」の成果が目に見えて現われはじめているのです。しかし、この政策は、強制的な中絶、女児嬰児殺し、女児誕生の非申告という非人道的な大きな犠牲の上で達成されているもので、この人口統計変化と不動産バブルと融資急増が同時に起これば、金融危機の可能性は高まると予測され、「中国は富国化する前に、高齢化する国家である」と言われています。

神不在のこの世が築き上げてきた社会構造は、多くの面で挑戦を受けています。不死を求めての探求がいろいろな方法で追求され、医療技術の進歩で長寿を全うする人々が確実に増えている一方で、人々が直面しなければならない現実は、平均寿命を過ぎると、急激に死に向かっての人生の終焉が迫ってくることへの「備え」です。これは被造物にすぎない人間、だれでも自覚しなければならない現実であるにもかかわらず、なぜか回避されてきている話題です。マスコミをにぎわしているのは、生きることへの話題ばかりです。

しかしながら、神の言葉『ヨハネの黙示録』が明確に預言しているように、人々が時期尚早に人生を終えることになるような予期しない災いが突如として襲う終末末期の時代に生きている私たちは老若無関係にだれでも、死に備えて生きなければならないのです。健康維持、長寿嗜好のこの世の視点とは正反対に、長寿を全うして死を迎えることになろうと、短命で人生を終えることになろうと、全人類に「死に備える生き方」を教えているのは、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。災いの日が来ないうちに。また、『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に」(伝道者の書12:1)と勧告している聖書だけです。

冒頭に引用した詩篇の中でモーセは、「あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです」と、「永遠の神」と比べ、被造物にすぎない「死すべき人」の人生がいかにはかないかを表現しましたが、神の御前に生きることの真の意味を悟っていた使徒パウロは、すでに二千年前、「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです……日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています……私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです……私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります」(ローマ人13:11-14:12)と、勧告しました。一言で言えば、キリストによる救い、―キリストの十字架上での死による個々人の罪の贖い、― を信じる信仰に生きる人の生命、人生は自分のものではなくキリストのものであり、この世の生死、―生まれ持った肉の身体の有無―  に関係なく、福音を受け入れた人の霊はその瞬間から「キリストのゆえに生きる」道を歩み始めることを説いたのでした。

モーセは、「死の詩篇」「悔い改めの詩篇」とも呼ばれる詩篇90篇で、神の御旨に逆らう「罪」のゆえに人が神から引き離され、肉の身体の死はじめ、病、労苦、悲嘆、災いが人生にもたらされるようになったこと、そのことを通して神は人が悔い改め、神との最初の関係に立ち返ることを望んでおられること、この世での人の寿命は神の摂理によって七十歳から八十歳に定められたので、人は「自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください」と、束の間の人生を神に受け入れられるように賢く生きる必要があることを祈りの形で語っています。

人は神を受け入れ従うとき、大きな祝福の中に入れられるのです。この世での人生が労苦に満ち、病や死の恐怖にさらされるのは、神から離れた人の罪のせいで、主は人を見捨てられたのではないこと、「帰って来てください。主よ」と悔い改めて主による贖いを求めるとき、信じる者は自らの努力によってではなく、ただ神の恩寵によって主との正しい関係に戻され、「私たちの手のわざを確かなものにしてください」と表現されているように、人の努力、達成が百パーセント実る神の御国、―主イエス・キリストの再臨によって始まるメシヤの時代― に入ることになるのです。

このようにして、人は創造時の神との親密な交わりに戻されることになります。使徒ペテロも「愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐強くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます」(ペテロ第二3:8-10)と、今、愛と忍耐の神が多くの罪人に悔い改めの機会を与えてくださっていること、しかし、主の裁きの日は間違いなく、しかも一瞬の間に到来することを勧告しています。