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メアリー・ジェーンの手紙:2013年7月15日

フルダミニストリーの皆さま

主イエスキリストの御名によりご挨拶します。
私の祖父は今、ケソンシティーの病院の一般病棟にいます。
管(くだ)を通して食事をとっている状態です。
7月2日から医師が勧める食事(この食事は高額で1日当たり6,500フィリピンペソ=約1万6千円)をしています。
また手術以来、アルブミン(タンパク質の一種)摂取と輸血を続けています。

祖父は五人の子どもを儲(もう)けました。
私の母は長女、伯父は2011年4月に交通事故で亡くなり、
一番若い伯父は2003年に銃で撃たれマヒ状態、もう一人の伯父は農業従事で五人の子持ち、叔母は学校の教師で五人の子どもがいます。
私の母と、伯父、叔母たちはできるかぎりのことをして(祖父所有の牛の売却など)入院、治療費用を捻出(ねんしゅつ)しています。


明日、祖父はパンガシナン(Pangasinan)にある、自分の家に戻り、自宅療養を始める予定です。祖父の病状は確かに良くなっており、排便は定期的にあり、自分で座ることができるようになりました。
医師の話しでは、祖父と同じ病気の高齢者の手術の成功率は10%ということです。
しかし自宅療養でも引き続き、管を通しての食事が必要になります。
どうか、食事代を含め医療費が賄(まかな)えるようお祈りください。

私の母は六十三歳で、腰を痛めていますし、弟と私は大病院を回り、良い薬を買いに走ったりしてストレスがたまり、従兄弟たちも交代で祖父の面倒をみたりで、みな、非常に疲れています。どうか私たちの健康も主によって守られ、支えられますよう合わせお祈りくだされば幸いです。
今週中に私のミニストリーのご報告をしたいと思っています。
皆さまのうえに主からの祝福がさらにありますようお祈りいたします。

愛をこめて、    メアリー ジェーン

あとがき

メアリー・ジェーンの6月末の手紙では、おじいさまは内臓摘出を含む大手術をしなければ生きられないとのことで、手術に臨むことになったのですが、高齢であることから、複雑な手術は無理で自然に任せることを医者が勧め、その道を選ぶことになった旨、お伝えしました。
しかし、おじいさまの痛みとの戦いを見ることは辛いものがありました。そこで、盲腸と胃の一部を取り除く、比較的簡易の手術をすれば、痛みを緩和することができることが分かり、その手術を決行しました。
結果は大成功で、おじいさまは、あと二年は十分に生きられると、医者から太鼓判が
押されました。術後の快復ぶりも驚くべきで、主が祈りを聞き、生命の道を開いてくださったことは疑う余地がありません。

ところが、今度は新たな問題に直面することになったのです。
術後から始まった特別食を続けなければならないことと、かさむ医療費支払いの問題です。おじいさまの手術代を捻出するだけでも財政的に限界だったのに、おそらく考えもしなかった出費に振り回される事態になってしまったのです。
術後二十日たった現在、おじいさまは自宅に戻り、身内の人たちが交代で、お世話をしているとのことですが、おじいさまの認知状態は日によって大きく異なり、悪いとき、良いときの非常な差が生じているとのことです。主が、特別食への依存から早くおじいさまを解放してくださるよう、どうぞお祈りに覚えてください。

メアリー・ジェーンだけでなく、このような問題の板挟みになって悩んでおられる方々は多いにちがいありません。
不死を目標とするこの世の傾向は、飛躍的な医療の進歩、最新工学の助けによって、身体の部品を交換しながら生き続けることを理想としますが、聖書はそのようには語っていません。人はだれでも一度死ななければならないことを明確にしています。
高齢になって身体の死を迎えることは自然現象で、だれにでも訪れる神の摂理です。もちろん、全知全能の神は、奇蹟や病の完全な癒しを、ご自分が御旨とされるときにはいつでも、人知をはるかに超えて起こすことのできる方です。そのような例は今日でも確かに起こっています(シンガポールの牧者に起こった癒しの証しをご覧ください!)。
しかし、人類の救い主イエス・キリストが地上に戻って来られるまでは、奇蹟的な癒しで生命(いのち)永(なが)らえさせられた人をも含め、今生きている者はみな死ぬことが定まっています。
この世の生命がすべてと信じている人たちがこの世の生に執着することは仕方のないことですが、聖書を信じるキリスト者は異なった考え方をすることのできる唯一の群れです。キリストの群れは、死後の真の希望、永遠の生命の約束に生きているのです。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている……
ヘブル人への手紙 9:27
わたし(キリスト)は彼ら(牧者なるキリストに従う羊の群れ)に永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
ヨハネ10:28
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちを終わりの日によみがえらせます。」
ヨハネ6:40

聖書は、神が私たちの願い、祈りに答えて、ご自身の御旨ではないことも許してくださることがあることを語っています。しかしその結果、人は思いもかけない問題に巻き込まれることになりますが、同時に、神は人の過ち、自己中心的な思いからの願いに対しても祝福の道を備えてくださる愛の神であることを、聖書は証ししています。
数多くある中で、アブラハムの例を取りあげてみますと、イスラエルの族長アブラハムが、神の約束を自分の力で成就させようとした結果、生まれたのがイシュマエルでしたが、神はイシュマエルをも祝福し「大いなる国民」とされたのでした(創世記15章-18:15、21章-21、25:12-18)。

神は祈り求める者に、必ず道を備えてくださいます。
八方ふさがりとしか思えないときにも、キリスト者には、祈って神の憐れみにすがる方法が備えられているのです。