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Yさんの証し その45

御言葉の学びを通して与えられた洞察を皆さまと共有したいと思います!

2022年6月27日(月)

頌主 

81回『ヨハネの黙示録第3』を拝聴、ご指南誠にありがとうございました。

【1】自身も、Philadelphiaの教会に向けられた「艱難を通して艱難のただ中で守られる」 ‘ κἀγώ σε τηρήσω ἐκ τῆς ὥρας τοῦ πειρασμοῦ:  I will keep you from the hour of trial’ という解釈が他の聖句を照らし合わせても、妥当のような気が致します。

例:「毒麦のたとえ」Parable of the Tares(マタイMatt13:30)

‘Let both grow together until the harvest. At that time I will tell the harvesters: First (πρῶτον) collect the weeds(1)’ and tie them in bundles to be burned; then gather the wheat(2) and bring it into my barn.

脚注(1) the weeds「毒麦」:キリストを受け入れなかった者たち/キリストを一旦受け入れたのに信仰を手放してしまった者たち

脚注(2) the wheat「麦」:艱難の下でも信仰を守った者たち

[艱難前携挙説ならば、麦wheatが先に、倉barnに入れられるはず]


【2】下記の二箇所もなぜか終末の艱難を覚悟させる言葉と感じています。

イザヤ書 Is.48:10、:12 

Behold, I have refined you, but not like silver; I have tried you in the furnace of affliction…… Haken to me O Jacob, and Israel, whom I called! I am He, I am the first and I am the last.

ダニエル書 Da.11:35 

…and some of those who are wise shall fall, to refine and to cleanse them, and to make them white, until the time of the end.


【3】ラオディキアLaodiceaの教会の戸外に立っておられる主キリストのお姿

Behold, I stand at the door and knock (黙示録 Rev.3:2 ) 

に、幼い頃に聞いた法華経『譬喩品(ひゆほん)』の「火宅(かたく)の人のたとえ」(3)をふと思い出しました。自身の信仰・選択・現状が、実は火宅の中なのか(外なのか)を、時々立ち止まってしっかりと自省することの大切さを再認識いたしました。

脚注(3)「火宅(かたく)の人のたとえ」:長者の邸宅が火事になった時、中にいた子どもたちは遊びに夢中で火事に気づかず、長者が説得するも外に出ようとしなかった


【4】H姉の「柱とはしご・パウロ」の洞察を大変興味深く拝読いたしました。

私は、6月半ば、息子の家庭教育ツアーHome Education Tourで、スコットランドの首都エジンバラEdinburghに滞在しました。

宿泊所の近くに「ヤコブのはしごJacob’s Ladder」と呼ばれるやや急な階段があり、カールトン・ヒルCalton Hillへの近道に、息子と朝の散歩がてら登りました。

はしごは上部と下部を一箇所で最短で結びつけるために真っ直ぐで急ですが、二つの部分を確実に結びつけるという点でも、創世記Gen28:15 の 

見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。‘Behold I am with & will keep you wherever you go, and will bring you back to this land’

という御言葉通りだと思います。

万軍の主の御許にたどり着く唯一のはしご

【5】また、はしごは主イエスご自身にたとえられるかもしれせん。

I am the way, and the truth, and the life: no one cometh unto the Father, but by me (ヨハネJn.14:6).

確かにこのはしごは急で、登ることを選んだ人間にとって、時には非常に孤独な過程とも感じられるでしょう。しかし「神に見捨てられた」と嘆くのは、実は人間の側で、「自らの意思で」このはしごを手放した状態をいうのかもしれません。このはしごに信頼し、最後まですがる者が、はしごから振り落とされることは決してなく、これこそが最短で確実に万軍の主の御許にたどり着く唯一のはしごです。このことを常に胸に刻んでおきたいと思います。

ヤコブのはしごJacob’s Ladderの上から撮影した「エジンバラとアーサーの玉座Edinburgh&Arthur’s seat」の写真も一緒に添付致します。

今後ともご指南何卒よろしくお願い申し上げます。

皆さまの上に主イエス・キリストの豊かな祝福と守りが注がれますように。 

Y拝

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