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第305号  エステル記9:1、:17-32

 謎に満ちた書:『エステル記』

「エステル」の意、―何かが隠されている― が暗示しているように、この書には、神ヤーウェの名が幾つかの方法で隠されている…

第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。…これはアダルの月の十三日のことであり、その十四日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。しかし、スサにいるユダヤ人たちは、その月の十三日にも十四日にも集まり、十五日には休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。…

実に、アガグ人ハメダイの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのである。こういうわけで、ユダヤ人はプルの名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。…

ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。         エステル記9:1、:17-32

『エステル記』にはペルシャ帝国支配下でのユダヤ人の栄光の時代が記録されています。ユダヤ人女性エステルがペルシャ王クセルクセスの王妃に選ばれ、ユダヤ人虐殺の陰謀から民を救うために神がエステルを用いられ、どのような経緯でユダヤ人救出を祝う「プリム祭」が制定されることになったかのイスラエル史を記録しています。

後世、毎年プリム祭のときには、『エステル記』が読まれ、一般のユダヤ人の間でもヘブル語聖書の他のどの書よりも人気のある書です。何世紀にも亘るユダヤ人迫害の歴史下で、この書は、全世界に四散したユダヤ人に究極的な解放の確信と生存、国家樹立の希望を生き生きと蘇らせてきたのでした。

この書が多くのユダヤ人に知れわたっている理由の一つに、まず、他のどの書よりも写本が多いことが挙げられます。次に、ラビたちによるこの書の注釈がキリストの福音宣教の初期の時代から多くあったということが指摘できます。それは『タルムード』に収められており、今日もユダヤ人学者によって敬意が払われています。数多くある初期の資料の中でも、ほとんどの英語訳聖書の原本となっているへブル語の『マソラ本文』は疑う余地なく最も初期の形式を留めており、英語版からの邦訳もその類になります。

書かれていることは善が悪に勝つという道徳訓ではなく、歴史的実話です。その裏づけをする外部資料は少なくとも五つあり、著者自身も書の最後に

彼(クセルクセス王)の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の時代誌』に確かに記されている(10:2)

と情報源を明記しています。バビロン帝国を征服したペルシャ帝国が539BCEから331BCEの間、聖地、カナンの地を支配するようになり、その支配の最初の時点でバビロン捕囚から解放されたイスラエル人が自国イスラエルの地に帰還しましたが、『エステル記』はクセルクセス(アハシュエロス)王が支配したペルシャ帝国の中間期の十年以上に亘る出来事を記録しています。


この書は謎に満ちた書とみなされています。多くの理由がありますが、『聖書』のうちの一書なのに、神の名ヤーウェや神の称号に言及されていない、礼拝、信仰、祈り、いけにえへの言及もメシアの予告もなく、マルティン・ルターはこの書は正典に加えられるべきではないと信じたほどでした。しかし、「エステル」が「何かが隠されている」の意であることが暗示しているように、今日では、神ヤーウェの名が幾つかの方法でこの書に隠されていることが明らかになっています。

すべての出来事の背後には、人類史を司っておられる創造者なる神がおられ、神の主権、思惟が著者を通してこの書に反映されたようです。おそらく、捕囚後、イスラエルがまだ他国、異教の神々の支配下にあった時代、著者はイスラエルの神の名を意識的に伏せ、しかし、「折句(アクロスティック)、あるいは、頭字語法」「等距離文字列法」とを用いて、この書に神の名を織り込んだのでした。『エステル記』は、ユダヤ人撲滅をもくろんだユダヤ人の敵ハマンが陰謀をくじかれただけでなく、敷いた罠に自分がかかるという劇的な逆転劇のほかに、隠されたメッセージも織り込まれている驚異的な書なのです。

非常に興味深いことに、「折句」では、神の名「ヤーウェ」が五箇所登場し、隠されている文字は最初の箇所は逆順で、次は正順で、というように、以下、交互に入っています。それぞれの箇所の額面上の文脈と隠された名「ヤーウェ」を組み合わせると、順に次の五つのメッセージになります。

1.この世や異邦人の助言や協議事項は神に逆行する(逆順で後退を象徴)2.神は支配しておられ、エステルに行動を起こさせる(正順で前進を象徴)3.神は異邦人ハマンの喜び、計画を覆される(逆順で後退を象徴)4.神は支配しておられ、定められた敵の最期をもたらされる(正順で前進を象徴)5.ユダヤ人の敵は「わたしは『わたしはある』という者である」方、すなわち、ヤーウェの敵(逆順でヤーウェに逆行する者を象徴)。

「等距離文字列法」では、三箇所に「メシア」、「イエス(イェシュア)」、「全能の神(エル シャダイ)」の名が入っており、最後の一箇所には「ハマンとサタン、悪臭を放つ」のメッセージが入っています。

冒頭に引用した9章には、「アダルの月の十三日」、定められた戦いの日に、驚くべきどんでん返しが起こり、ユダヤ人に対して敵が企てたことがすべて、ユダヤ人の敵の頭上に降り注がれることになった神のご介入の奇蹟が記されています。

エステルの養育者モルデカイの助言

あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない(4:13-14)

を聞き入れ、王妃エステルが生命をかけて王の前に出、ユダヤ人のために執り成したことにより、ペルシャ政府当局はユダヤ人を助けたのでした。アガグ人ハマンとハマンの十人の息子たちが処刑されたことにより、サウル王が神の聖絶の命令に逆らって命拾いさせて以降、モーセの時代にも執拗にイスラエル撲滅を企んできた「アマレク」がついに滅ぼされたのでした。

モーセの掟では制定されなかった「プリム祭」が、このようにして、神の慈しみを思い起こす祭りとして二日間祝われることになり、撲滅を免れたユダヤ人は食べ、楽しみ、贈り物を交わし合い、貧しい人たちを覚え、「第十二の月、すなわち、アダルの月の十三日」は断食日、「アダルの月の十四日と十五日」は祝宴の日として年ごとの例祭に加えられたのでした。

また、イスラエルでは、第十一の月、「シェバテの月の十五日」に木々の初なりの果実を奉献する日が、古代のラビたちによって制定されました。十三世紀のトーラ学者ナフマニデスは、エゼキエル書36:8、

だが、おまえたち、イスラエルの山々よ。おまえたちは枝を出し、わたしの民イスラエルのために実を結ぶ。彼らが帰って来るのが近いからだ

に因んで、イスラエルの地の木々が豊かな果実を実らせるとき、それは「最後の贖い」、―メシアの来臨― の明らかなしるしである、と注釈しました。

その果実を奉献するこの「地の贖いの日」は、今年は1月27日で、その三十日後が「アダルの月の十五日」のプリム祭で、今年は2月25、26日になります。ラビたちは地が贖われ、木々が育ち、果実が実り始め、備えができてから、国家、民の贖いがもたらされると解釈し、現在のイスラエル国家の状態はまさに「最後の贖い」の時期にあるとみなしています。それは、最初のイスラエル政権が発足されるはずだったのは1948年10月でしたが、独立戦争のゆえに11月に延期された後、戦争が終結し、やっと地が贖われたのは1949年1月25日だったのでした。この日はちょうどその年の「シェバテの月の十五日」に当たり、その三十日後がプリム祭で、イスラエルは国家の贖いの時期に入り、完成が近づいているからです。

国家として誕生してから今年七十三年になるイスラエルの地の木々の生長ぶりは素晴らしいものがあります。族長ヤコブは死の床で、息子たちに祝福の預言を告げましたが、ナフタリに対し

ナフタリは放たれた雌鹿、美しい子鹿を産む(創世記49:21)

と告げました。十一世紀のフランスのトーラ学者ラシは、「この預言的ビジョンは、ナフタリ族に割り当てられた地のジノサール峡谷に言及するもので、ちょうど鹿が敏捷なように、その地域の肥沃な地の果実は速く熟すだろう」と注釈しました。

実際、北部ガリラヤは、極めて肥沃で、青々としているのです。先に引用したエゼキエルの預言は、ユダヤ人とイスラエルの地との関係は非常に深いので、ユダヤ人が戻ってくるまでは聖地は不毛のままであるが、ユダヤ人が戻るや、溢れる果実を生み出すことになると読むことができ、これは実際に昨今、イスラエルで起こっていることなのです。この地に住んでいる人たちは、ナツメヤシの木もオリーブの木も次から次へと実を結び、穀物もよく育ち、極上の収穫物に喜びと祝福、預言の確かさと驚きを共有しているとのことです。


数年ほど前から死海の沿岸に海底から真水の湧き出るシンクホールが発見され、魚が生息するようになっていましたが、2019年の冬から初めて海岸沿いに花々が咲き乱れるようになっています。イザヤ書35章、エゼキエル書36章ほかの預言の成就で、メシア到来が非常に近いことのしるしです。

また、最近、イスラエルの砂丘に生息する新種の蜜蜂が沿岸平野シャロン地域で見つかったことには意義深いものがあります。ここ数十年、気候変動、昆虫病、公害のために世界的に飼育蜜蜂が激減しており、世界の穀物、果実生産に貢献する受粉昆虫の絶滅が危ぶまれているからです。神はイスラエルの地をどんな環境下にあっても食物に恵まれる地「乳と蜜の流れる地」と呼ばれましたが、野生の蜜蜂発見はこの預言の成就なのです。