VBS(夏季休暇聖書学校)
5月26日〜28日
サン イシドロ、ブラカンで、VBS(夏季休暇聖書学校)を開きました。
百三十三人の子どもたちが参加し、二人の先生が手助けしてくれました。
2019年3月の第二週、左上の写真に写っているこれらの牧者たちはサン イシドロで開拓伝道を始めたいとのことで、バランガイの役所の人が私に彼らを紹介してくれました。
そこで、私は彼らをサン イシドロのデュマガット部族とバランガイ サンイシドロの聖書クラスに参加している家族のところに案内しました。
4月27日に、サン イシドロ小学校での最初の伝道集会が開かれ、私もお手伝いしました。
2014年、日本のFFNチームが彼らの伝道の一環としてパフォーマンスを披露したのは、この小学校ででした。
そこで、私は彼らをサン イシドロのデュマガット部族とバランガイ サンイシドロの聖書クラスに参加している家族のところに案内しました。
4月27日に、サン イシドロ小学校での最初の伝道集会が開かれ、私もお手伝いしました。
2014年、日本のFFNチームが彼らの伝道の一環としてパフォーマンスを披露したのは、この小学校ででした。
5月25日〜31日
リバーサイドのアエタ部族の若者五人がアンティポロにある聖書訓練コースで学ぶことができるように、財政支援を行いました。
コース終了後、私たちは彼らをザンバレスに連れ帰り、彼らの兄弟の分も含めて学用品を手渡しました。
彼らはリーダーとして立ち上がる勇気を得ました。
「多くが召名を受けるが選ばれる者は少ない」との聖句を思い起こし、私たちは、彼らに「あなたがたは神さまから祝福を受けている。あなたがたが部族の祝福となるように!」と励ましました。
折しも、多目的ビルが完成することにより、彼らはますます神さまに用いられることでしょう。
彼らはリーダーとして立ち上がる勇気を得ました。
「多くが召名を受けるが選ばれる者は少ない」との聖句を思い起こし、私たちは、彼らに「あなたがたは神さまから祝福を受けている。あなたがたが部族の祝福となるように!」と励ましました。
折しも、多目的ビルが完成することにより、彼らはますます神さまに用いられることでしょう。
左下の写真はザンバレスでの開拓伝道をする私たちの同労者クヤとマニーです。
招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。(マタイ22:14)
マタイ22:1-14は、結婚の披露宴に招かれた者は、主催者があてがった高価な礼服を身に着け、ふさわしく盛装して出席する必要があること、それが主催者への儀礼であり、応答であることを教えた、預言的含蓄のある「たとえ」である
多くの含蓄の中でも重要な二点を挙げることができる
1.王なる神の招きの言葉は二度放たれた
✶最初は神の民、イスラエルに、二度目は異邦人に
多くの含蓄の中でも重要な二点を挙げることができる
1.王なる神の招きの言葉は二度放たれた
✶最初は神の民、イスラエルに、二度目は異邦人に
➝『使徒の働き』8章以降で、福音宣教が異邦人に及び、神の救いの招きは全世界に放たれ、成就
2.披露宴への出席資格として、「主催者があてがった高価な礼服」、すなわち、「神の義」が要求された✶神の救いの宴会に受け入れられるには、
自分自身の義(所詮、「罪人の義」は汚れた雑巾 イザヤ書64:6)ではなく、神が与えてくださった「キリストの義」をまとうことが要求された
➪自分の義と自我を捨て、悔い改めて、キリストの義に依存するとき、だれでも神の国、御国に入れられるのです!
牧者ノノイと父
6月1日、父の召天後四十日記念会をブラカンの伝道所/農園で行いました。近所の人々が参列。牧者ノノイは彼らのために祈りました。
左下の写真は2019年2月8日、牧者ノノイが父と一対一で二時間あまり話し合ったときのものです。
このとき、父は牧者に「自分の全家族を集めて、皆の前で赦しを乞いたい。もう直ぐ死ぬことになるだろうから、おそらく私の誕生日に」と語り、二人とも涙を流したとのことです。
この話を聞いて、私は牧者ノノイに言いました。「父の全家族が集まることはとても難しい。特に私の弟シップの家族は難しい」と。
牧者ノノイは私に言いました。「だれもいつ死ぬかは分からない。でもあなたのお父さんは誕生日に死ぬ、と言ったのです」
牧者ノノイも葬儀に駆けつけてくれました。彼は、お棺に入った父の遺体の前で、私たちに、2月8日に父と語り合ったことを話し、父の代わりに私たちに赦しを願ったのです。それを聞いて私たち家族は全員、涙を流しました。父が望んでいた家族全員を集めることは彼の生前、決して実現することはなかったのですが、彼が亡くなって初めて、弟たちとその家族も含め、母も一緒に集うことができたのです。
この話を聞いて、私は牧者ノノイに言いました。「父の全家族が集まることはとても難しい。特に私の弟シップの家族は難しい」と。
牧者ノノイは私に言いました。「だれもいつ死ぬかは分からない。でもあなたのお父さんは誕生日に死ぬ、と言ったのです」
牧者ノノイも葬儀に駆けつけてくれました。彼は、お棺に入った父の遺体の前で、私たちに、2月8日に父と語り合ったことを話し、父の代わりに私たちに赦しを願ったのです。それを聞いて私たち家族は全員、涙を流しました。父が望んでいた家族全員を集めることは彼の生前、決して実現することはなかったのですが、彼が亡くなって初めて、弟たちとその家族も含め、母も一緒に集うことができたのです。
6月1日
父の召天後四十日の記念会の写真です。私たちは近所の人々、彼の友人、子どもたちを招待しました。
6月2日
私たちは、リバーサイド ザンバレスの若者たちを車でリバーサイドに送りました。
設置されたポンプは今や彼らの洗い場になっています。
設置されたポンプは今や彼らの洗い場になっています。
左下の写真はリバーサイドに住むロシタの庭です。彼女はスイカなどを育てています。
右下の写真は聖書コースに参加した五人の若者の兄弟たちです。
右下の写真は聖書コースに参加した五人の若者の兄弟たちです。