ピナツボ火山噴火でナブクロドに避難、移住したアエタ部族の苦境
6月28日
再び、ナブクロド、フロリダブランカ、パンパンガに戻って
私たちは火山噴火でここへ避難、移住してきたアエタ部族の子どもたち、親たちとフェローシップ(賛美、礼拝)のときを過ごしました
ナブクロドに避難したアエタ部族のお年寄りの話
ザンバレスでのバナナの植えつけ作業を終えたあとの6月23〜25日、私たちはバガングとサンマルセリノに行き、6月28日には、ナブクロド、フロリダブランカ、パンパンガにも、もう一度立ち寄りました。そのとき、アエタ部族の再入植地であるナブクロドには問題が山ほどあると、ピナツボ火山噴火によってナブクロドに避難したアエタ部族のお年寄りが話してくれました。
彼が話した内容は次の通りです。
アエタ部族同士間の問題
1992年、ピナツボ火山が噴火した際、彼らはフィリピン空軍によって救助され、バサ空軍基地に避難しました。その後、ナブクロドに移住させられたのです。そこにはすでに別のアエタ部族が住み着いていました。
ナブクロドに先に住んでいたアエタ部族は後から移住させられたアエタ部族に対し、家の拡張禁止と野菜を育てるなら2,000平方メートルの土地代年間4,000ペソを支払えと命じたのです。後で移住したアエタ部族は、この条件に従い、ナブクロドにすでに住んでいたアエタ部族と折り合いをつけてきました。
法律的には、アエタ部族の先祖の土地は、先に住もうが後に住もうが全てのアエタ部族のものであることは明らかです。しかし、ナブクロドに後で移住したアエタ部族は、いまだこの法律が現実になるのを見ることができないでいます。
彼らの当然の権利を主張することによって先住のアエタ部族と争うことを恐れているのです。ですから、彼らの大部分は、自分たち自身の嗣業の地で、農民として一日あたり150ペソ(300円)の賃金で、食物も与えられず働いているのです。
奴隷のように何も言わず、山岳地で、そこを農地に変えるために働いているのです。
6月28日、ナブクロドにて
賛美、祈りと子どもたちのための諸活動
バガングとナブクロドのアエタ部族が抱えているもう一つの問題
この世には興味本位、上辺だけの関心を示す人々は多いが…バガングとナブクロドに住んでいるアエタ部族の人々が抱えている同じ問題があります。それは人々が彼らのところにやって来て、写真を撮っていくが、二度と戻って来ないという問題です。
しかし、私は彼らに言いました。「主が与え、私にそれができるようにしてくださるので、私は定期的にあなたがたのところに来て、あなたがたとフェローシップ(主にある交わりのとき)をもちます」と。
私は彼らに、ナブクロドを離れ、彼らが以前住んでいた場所(ザンバレスとターロック)に戻るよう説得しましたが、彼らはもうナブクロドに根を下ろしているので、そこでの全ての困難に耐えていくと、私に語りました。ですからどの家族も自分で農業をしたければ、年間4,000ペソの借地代を支払い、もしそれだけのお金がなければ、雇われ農夫として 一日あたり150ペソの賃金で働くことになります。
またある意味で彼らは、いくつかの教会に搾取されているといえます。ある教会は彼らのところに来て写真を撮り、食料品を持ってくるが、二度と戻ってくることはなく彼らとフェローシップさえしないのです。