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第268号  詩篇123-128篇

「都上りの歌」の中心的ビジョン、エルサレム神殿再建

預言的洞察で祈られた「都上りの歌」の中心はエルサレム神殿再建のビジョン、まさに、私たちの時代に実現しようとしている、イスラエルのメシヤ、イエス・キリスト来臨の予兆となる出来事を眺望…

あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで …
「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え …ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天を造られた主の御名にある。
主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。悪の杖が正しい者の地所の上にとどまることなく、正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである。主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、いつくしみを施してください。しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを、不法を行う者どもとともに、連れ去られよう。イスラエルの上に平和があるように。  詩篇123-125篇
主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」…主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰ってくる。
主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい …主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。見よ。子どもたちは主の賜物。胎の実は報酬である …
幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう …見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。主はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。    詩篇126-128篇


イスラエルの族長アブラハム、イサク、ヤコブに約束されたように、イスラエルの首都エルサレムが、全世界の首都として樹立されるまでには、紆余曲折を経なければならないことが、詩篇120篇から134篇の「都上りの歌」に祈りの形で、預言的に洞察されています。この驚くべき詩篇を今月も引き続き、考察することにしましょう。
三篇ずつの五連詩で構成されているこの巡礼の詩篇の最初の部分三篇を先月取り上げました。今月は、この祈りのパタンが繰り返されている第二と第三の部分、123~128篇を考察します。第二の部分は、天上の神に向かってユダヤ人の「約束の地への復興」を願う祈りが、苦悩の叫びに続いて苦悩から主への信頼、解放と祝福の描写、という第一部と同じパタンで構成されています。
続く第三の部分は、「神殿礼拝復興」を求める祈りですが、五連詩のこの真ん中の部分には、第一部、第二部と同じ祈りのパタンは見られず、「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった」と、神殿礼拝復興を眺望した喜びの表明に続き、全十五篇の中心127篇で、エルサレム第一神殿を建立したソロモンの詩篇を導入することで、神殿再建に焦点が当てられています。第三の部分の締めくくりの128篇は、エルサレムに究極的な解放と祝福、平和を仰ぎ見た預言的祈りになっています。


エルサレムの平和がますます遠のいたように見える幕開けとなった2018年に、二千四百年近くも前に編纂され、預言的洞察で祈られたこの「都上りの歌」の眺望がどのように成就することになるのでしょうか。すでに成就した数々の預言だけでなく、まだこれから成就することになる多くの預言が網羅されている聖書は神が源なので、記されている預言は百パーセント成就することが期待できます。賛美、祈祷書とみなされている『詩篇』も多くの預言を含んでおり、特に使徒パウロの初代教会時代以降の終末の末期、すなわち、今日に関わる預言が含まれているのです。「都上りの歌」もその一つで、まさに私たちの時代は、この神殿再建預言の成就を待っている時代といえます。

これらの預言的詩篇が「都上りの歌」と名づけられた種々の理由のうちでふさわしいと思われる解釈は二つあります。バビロン捕囚にあったイスラエルの民が七十年を経て約束の地に本国帰還したときの「アリヤー」を象徴的に「都に上る」とみなしたという見解と、イスラエルの民が、年に三回巡礼の義務づけられた「主の例祭」を守るため、都エルサレムに上ったことへの言及とみなす見解です。
西暦七十年にエルサレム第二神殿の崩壊で全世界に四散後、捕囚先各地から本国への帰還はイスラエルの場合、十九世紀後半から1948年の建国までに五回起こっています。1882年から1904年にかけて、ロシアからの大規模移民、1904年から1914年にかけて、ロシア、ポーランドからの大規模移民、1919年から1923年にかけて、おもにロシアからの大規模移民、1924年から1932年にかけて、おもにポーランドからの大規模移民、1933年から1939年にかけて、おもにドイツからの大規模移民です。これらの「アリヤー」はイスラエル建国後も今日に至るまで引き続き起こっており、ロシア、ウクライナ、モルドバ、フランス、英国、ドイツ、オランダ、ベルギー、アルゼンチンからのさらなる移民が予期されています。


イスラエルの歴史をさかのぼると、北イスラエル王国がアッシリヤに滅ぼされた後、南ユダ王国のヒゼキヤ王、―多くの詩篇と箴言を書き残し、強い信仰に生きた王― は、エルサレム神殿を聖め、神殿礼拝を復興させました。不治の病を信仰の祈りで克服したヒゼキヤ王に、神は十五年の寿命を加えられ、その癒しの確証を求めた王に、さらに神は「アハズの日時計」に針が十度戻る奇蹟を起こし、しるしとされました。ラビや学者たちの間では、この奇蹟の十度が「都上り」のステップに関連するという見解が採られています。
ヒゼキヤ王に加えられた十五年の寿命の間に、六年ごとに一箇月を加えることにより暦が変えられ、このとき以降、一年は360日から365.25日になったと、ラビたちは伝えています。興味深いことに、ローマ人もエジプト人も、そのほか世界の各国でこの時期に暦を変えたことが記録されているのです。

癒されたヒゼキヤは「主は、私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で琴をかなでよう」(イザヤ書38:20)と、日時計の「十度」に因んで喜びの詩篇を十篇作り、それにダビデの詩篇四篇とソロモンの詩篇一篇を加えて十五篇とし、自分に加えられた十五年の寿命の記念、覚えにしたといいます。
「仮庵の祭り」のとき、祭司が神殿の十五の階段を口ずさみながら上ったこれら「都上りの歌」には、約束の地への復興、神殿建設、艱難、メシヤの御国到来にかけての預言的眺望が祈りの形で歌われていますが、これらの預言の成就に向けての過程は二十世紀に始まり、今日急ピッチで完成に近づいているのです。

敵にあざけられ、さげすまれている詠み手を憐れんでくださいと、神のご介入を願った123篇は、加害者への裁きを要請した苦悩の叫びの120篇を、今度は被害者への憐みの要請で繰り返したものです。
第一部と同じ祈りのパタンの第二部の後、第三部(126篇~128篇)は、眼前に信じられない光景を見た驚きを、エルサレムの夢のような繁栄、灼熱の太陽が照りつけるネゲブ砂漠を流れる川、奇蹟的な収穫の喜びで表現し、主が建てられる「家」、すなわち、願望の神殿建設、主が守られる「町」,すなわち、エルサレムに訪れる平和、を眺望するクライマックスになっています。
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう」は祈りではなく、民の主への従順こそ、主が奇蹟を起こし、願望を確かな祝福へと変えてくださるという確信の表明で、「種」に宿してくださった主の力を信じる者、「種」に働かれる主のわざを信じる者は、自分が信じたもの、収穫を刈り取ることになるのです。

127篇で生命の宝庫、「種」に関連づけて言及されているのは子孫の誕生、―生命を司る創造者からの賜物― で、主に信頼する結果、主は愛する者に必要なものをすべて喜んで与えてくださることが明確に語られています。
すべてを備えてくださる神に信頼し、神に安息するとき、人生の野望、目的、義務、人間関係、楽しみ、喜びをはじめすべてが、間違いなく神の最善へと導かれるのです。イスラエル、エルサレムに訪れる究極的な救いと祝福がイスラエルを象徴するぶどうとオリーブの木で描写されている128篇は、今日、ユダヤ人だけでなく、世界中が成就を見守っている預言です。


五連詩で構成されたこの巡礼の詩篇が眺望しているエルサレム神殿建立の動きは、トランプ大統領の「米国大使館をテル・アビブからイスラエルの首都エルサレムに移す」との宣言、1月18日に米国メディアが2018年末までに移動すると明言したことにより、にわかに高まっています。
イスラエルでは神殿再建のために二十世紀後半から着々と準備がされてきており、神殿奉仕に必要な聖具類、祭司の血筋の神殿奉仕者、装束、第三神殿の設計図、聖めに必要な調合油、香油、神殿での使用のためのいけにえ用の動物などすべてがすでにそろっています。神殿さえ建立されれば、西暦七十年で阻止された祭司制度が復興することになるのです。
この動きを確証するかのように、今年3月31日の「過越の祭り」、続く一週間の「種なしパンの祭り」の時期にベングリオン国際空港と神殿の丘の西壁、―エルサレム第三神殿― を結ぶ新高速列車が開通することになっています。高速道の交通渋滞とは無縁の鉄道は、世界中からの巡礼者たちと、彼らが携えて来るいけにえの動物を運ぶのに最適であるという実用面だけでなく、ヘブル語の列車「ラケベト」にはものを結びつけるの意があり、全イスラエルを集める主の例祭にふさわしい輸送手段なのです。
また数秘術で「ラケベト」と「神殿の丘」が622の同数値で関連づけられることや、列車、テル・アビブ、エルサレムがヘブル暦5778年に関連づけられて、創世記17章に「聖書の暗号」で織り込まれでいることなどから、ラビたちは
多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。(ゼカリヤ書8:22)

を引用し、この列車の開通がメシヤ到来の前触れとなると信じています。