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メアリー・ジェインの手紙 : 2017年11 月23 日  心の内を吐露

私の心の叫びを聞いてください!

11月23日

フルダミニストリーの皆さま
おはようございます。

私は、バタアンとパンパンガの境界に住むアエタ部族への伝道旅行の準備をちょうど終えたところです。私が調べたところ、そこはキリスト教会がなく、地方政府からの支援はほとんどなく、山地であるため非政府組織の人々も行ったことがありません。
私は百三十人の子どもたちと五十家族のために贈り物を用意しました。
私の末の弟がそのためのショッピングを手伝ってくれ、リクが運転をして、私と一緒に伝道に出かける予定です。

私の後、このミニストリーはどうなるのでしょう?

私はときどき、今日私が死んだらどうなるのだろうと思います。
だれも私の代わりにこのミニストリーをしないでしょう。
私の家族はこのミニストリーへの私の思い入れを理解しません。それどころか、両親は私の伝道に対していつも迫害者でした。
母はいつも、私が訪問している部族は希望のないどうしようもない人々で、いかに私が彼らを助けても彼らは変わらないと言います。そのことで私は傷つき時折、母親と口論になります。母は私に何をせよというのでしょうか?
自分たちのことだけを考え、贅沢な生活をしている私の兄弟のようになれというのでしょうか?
母は私のミニストリーに以前からずーっと消極的なのです。

「伝道基地と若者たち」の集い

昨年の11月15日、私はアンティオポロで行われた「伝道基地と若者たち」の集いに招待され、デュマガット部族について話しました。
そのとき、あるアメリカ人宣教師が私に向かって「デュマガット部族をほかの教会に送りこむ代わりに、なぜ、あなた自身が牧会をしないのか?」と、尋ねました。彼はまた、「教会を持つことは簡単だし、良いことだ。そこで説教し、幾つかの賛美歌を歌う、それだけだ」と言い、そして私に批判めいたことを言い続けたので、私は彼に、牧者としての召命を受けていないとだけ答え、その後は口を閉じました。
私は、個々の部族の人たちの救いのために、彼らの生活の場に出かけて伝道したことはなく、市街地でプラカードを掲げて説教するだけの彼とは、それ以上言い争うことをしたくなかったからです。

私は、そのアメリカ人宣教師に腹が立ちました。
彼はキリストの教会をそんな風に考えているのでしょうか?教会は生きている人々の集まりであり、主ご自身は、個々の民の心の中に住まわれるのであり、建物、礼拝の場所に住まわれるのでないことを、彼はどのように理解しているのでしょうか。
私はそのことを彼には話しませんでした。というのは、「私こそ義なる正しい人間だ」と信じている人との議論を極力避けたかったからです。

堕落した教会、実のない伝道

私は、牧者が、召命と権威を笠に着て極力多くのお金を信者から集めようとやっきになり、伝道者をしもべのようにこき使ったりして自分の権威を乱用するケースをたくさん見てきました。私自身も過去、犠牲者となった経験があります。

現在、ある牧師によってアブラに二年間遣わされているノセもその一人です。ノセはその教会からは何の支援も受けておらず、自力で宣教しているのに、その牧師はアブラに来ると、ノセの働きが自分の傘下でなされているかのように吹聴し、アブラの地域のあちこちでも多くの伝道をしていると、自慢げに言うのです。
その牧師が誇らしげに語るのを、私自身の耳で聞いたのは、つい先ごろ11月3日から6日にかけてアブラの刑務所の青少年犯罪を扱う部署に行ったときのことでした。

見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払いの賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。(ヤコブ5:4)


私は収容者たちに、イエス・キリストを救い主として受け入れるなら、詩篇127篇、マタイの福音書5章に記されているように、主によって備えられることと、自分の罪を悔い改め、主の救いにすがり、神のために生き、神を見上げ、刑務所の中で光、塩になってほしいと、彼らを励ましました。
主が家を建てるのでなければ…主が町を守るのでなければ…主はその愛する者には、、眠っている間に、このように備えてくださる。(詩篇127:1-2)
あなたがたは、地の塩です…あなたがたは、世界の光です…あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:13-16)

バタアンとパンパンガの境界のアエタ部族の村

ところで、私がこれから訪問伝道する予定のバタアンとパンパンガの境界のアエタ部族の村には、教会はあるのですが、牧師がいません。なぜだと思われますか?

その理由の一つは、信徒が牧師にこき使われ利用された苦い経験から、牧師の支配下に置かれることに辟易(へきえき)しているからということが、挙げられます。
私が実際目撃した例を挙げますと、ザンバレスのサンマルセリノにある大きな教会(無牧です)の場合です。ある一定期間、ケソンシティーからある牧師が数人の韓国人を連れてその教会にやってきました。

そこで何をしたかといいますと、アエタ部族の信徒の写真を何枚か撮ったのです。それは、アエタ部族を利用して資金集めをするためでした。
牧師たちは、たった一日、部族の教会にやって来るだけで、アエタ部族とともに、対等の関係で質の高い交わりをしようとはません。それはデュマガット部族、アブラにいる部族についても同じことがいえます。

間違いなくそのような部族の間での収穫(部族の魂の救い)は大きいのですが、陽の当たらない部族に手を差し延べる人はほとんどいないのです。政府から差別を受けている人々に、心底から執り成す牧者や伝道者がいなければ、どのようにして神さまのこと、キリストによる救いを伝えることができるでしょう?

また、私にあの思いがよみがえってきます。もし私が死んだら…このミニストリーはどうなるのだろうかと。
私の家族?
私の家族は私がしていることをだれも引き継がないでしょう …あゝ、神様助けてください!

どうかお祈りください。ここフィリピンでも「繁栄の福音」、―この世での物質的繁栄、健康維持、肉の祝福に重点を置く、異教のご利益宗教と何ら変わらないこの世に迎合するキリスト宗教― に誤まって導かれている多くの牧者がいます。
聞きなさい。金持ちたち…あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。(ヤコブ5:1-3)
実は、私からお金を借りたまま返さない牧者が何人かいます。私は彼らを主の御前にかかげ、主の裁断にお任せしたいと思います。
この手紙を読んでくださりありがとうございました。皆さまに面と向かってお話をした気がして、気分が少し楽になりました。

主にあって    メアリー ジェイン

こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです…見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。(ヤコブ5:7-9)