ユダヤ暦の5777年(グレゴリオ暦2016年-2017)への期待
新しい年を仰ぎ見るとき、神の契約の民イスラエルを中心とする中東情勢にまず目を留めることはふさわしいことである
イスラエル史で国家の流れを変える大きな出来事、―最初のハヌカの祭り, 最初のクリスマス、イスラエル国家建設、六日戦争ー が起こったのはすべて、めったに起こらない「ハヌカの祭り」の初日と「クリスマスイブ」が同日になった年であった…
しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、
大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ … ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。 イザヤ書9:1-7
2016年は、世界を支配してきたエリート組織が揺さぶられ、新しい動きへと画期的な変化が見られた年となりました。2015年に続いて、難民の欧州への大移動、英国の欧州連合離脱、聖書を愛読し、親イスラエルの立場に立つドナルド・トランプ氏の米大統領選出、ロシアのイスラエルへの歩み寄り等々、2017年に多難な進展が予想される動きが始まりました。
天体では、10月から12月にかけてイスラエルの地平線上に七十年ぶりに、三連続の超大満月が現れるという現象が起こり、ユダヤ教ラビたちは神からのしるしとみなし、ユダヤ暦の5777年(グレゴリオ暦の2016年10/3~2017年9/20)は、イスラエルにとって何か画期的なことが起こると信じています。
二千年前、キリストの御降誕のとき現れた夜空にひときわ光る星もまさに神からのしるしで、東方からの賢者たち一行は、星に導かれて、幼子イエスのおられた場所を探し当てたのでした(ヨシェルの会第四回参照)。
この予想が決して単なる憶測ではないことは、2016年が、教会暦の年末の大イベントを画するクリスマスと、ユダヤ教のハヌカの祭りが重なるという非常に珍しい年となったことからも裏づけられるようです。2016年は、暗闇の世に真の光がもたらされたことを喜び祝う12月24日が、やはり神の光と力を覚える八日間の祭りハヌカの初日と重なり、まさに真の神により一つとされる神の民すべての救いを象徴するかのように、クリスマスが祝われたのです。二つの祭りの重なりは神を待ち望む民に、主の再臨の近づきを新たに告げているかのようです。
ハヌカの祭りは、紀元前二世紀に当時中東一帯を支配していたギリシャのセレウコス王朝に対しユダヤ人が奇蹟的に大勝利をあげ、異端の神々崇拝で汚されたエルサレム神殿を聖め、神に再奉献した出来事に因んで祝われるようになった祭りでした。ヘブル語で奉献の意の「ハヌカ」と名づけられ、レビ記の掟に記されているイスラエルの「主の例祭」に加えられたこの祭りは、キリストの時代にも「宮きよめの祭り」として守られていました。
この祭りの発端となった歴史的出来事は、聖書外典マカバイ記第一、第二に詳細に記されています。シリヤの王アンティオカス四世(175-164BCE)は自ら、「ご自身を顕す神」の意のエピファネスと命名し、常軌を逸した残酷な暴君でした。エピファネスは、この世の終わりに現れると聖書が預言している最後の「反キリスト」のひな型とされている人物で、ダニエル書はその詳細を語っています。キリストご自身も、
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。) (マタイ24:15)
と、この忌むべき出来事をきっかけに大艱難期が始まることを警告されました。
エピファネスは、イスラエルにギリシャの多神教樹立を企て、ユダヤ人が律法を守ること(特に、安息日と割礼に関する掟遵守)を禁じ、ユダヤ人のすべての慣習を排除しました。ユダの町々の至るところに異端の神々へのいけにえが持ち込まれ、王の代表者らによる家宅捜索、不当な摘発が少なくとも月に一回強行され、モーセの掟の写しを隠し持っている者、あるいは、割礼の儀式を行っている者はみな処刑されたのでした。
アンティオカス四世は168BCEの12月、自分の誕生日のキスレウの月の二十五日、エルサレム神殿の全焼のいけにえの祭壇に、レビ記の掟で儀礼的に汚れた動物とみなされている豚のいけにえをささげ、至聖所にはゼウス神への偶像を建て、「ゼウス・オリンパスの宮」と呼び、崇拝を命じたのです。
この冒涜行為に憤ったユダヤ人祭司マッテヤスの一族マカバイ家の勇士たちはセレウコス王朝に謀反を起こし、ゲリラ戦から本格的な戦争へと発展したのでした。三年後に、はるかに劣等なユダヤ人勢力が強力なシリヤ(ギリシャ)勢力を打ち負かす奇蹟的勝利が起ころうとはおそらくだれも信じていなかったことで、165BCEのキスレウの月の二十五日に行われた神殿の再奉献は、神のご介入の結果の奇蹟以外の何ものでもありませんでした。
マッテヤスの息子ユダの手柄として最も知られるようになったのは、エルサレム奪還と、異端のいけにえで汚れた祭壇を含め神殿の修復と聖めでした。しかし、奇蹟はこれだけではありませんでした。
神殿が聖められたとき、聖所に置かれた七枝の燭台「メノラー」に点火し燃え続けさせるに必要な純粋なオリーブ油がありませんでした。神殿中を捜したところ、大祭司の封印が施された小さな油びん一個(一日分の燃料)が発見されましたが、掟に則って聖い純粋なオリーブ油を精製、調合して調達するには八日間が必要で、メノラーを燃え続けさせるには、点火を見合わせなければならない状況でした。
しかし、信仰深い者たちは、油がすべて備えられるのを待たないで、メノラーの点火を決行したのです。その結果は、新しい補給の油が備えられるまで、たった一びんの油でメノラーが八日間燃え続けるという奇蹟でした。この神の御介入による奇蹟以降、ユダヤ人は毎年「ハヌカの祭り」を八日間、祝うようになったのです。ギリシャ勢による国家、文化、宗教融合化の圧力、迫害下で、マカバイ家による勝利がもたらしたものは、イスラエルの文化、伝統とヤーウェ信仰の堅持でした。
この約二千二百年前に起こった古代の奇蹟に匹敵する「現代のマカバイ家の奇蹟」と称される出来事は、1948年のイスラエル国家誕生の奇蹟でした。イスラエルは、国連の承認で一日にして国家として誕生し、
だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。(イザヤ書66:8、下線付加)
の預言が見事に成就したのです。しかし、神に対する最初の反逆者サタンの謀反以降、真理の神と神の民を敵対視する者たちが絶えることはなく、近隣のアラブ諸国五箇国は、イスラエルの国家としての独立が宣言された翌日、イスラエルに宣戦布告したのです。しかし、このときも神の守りによって1948年末までには、イスラエルはアラブ諸国を打ち負かし、この勝利によって、国連が新しいアラブ人国家に割り振る計画をしていた領土の半分をイスラエルはさらに征服することになったのでした。残りの半分は、ヨルダンとエジプトに分けられ、都エルサレムに関しては、イスラエルが西半分、ヨルダンが旧市街地と神殿の丘を含む東半分を支配することになりました。
このように、イスラエル国家は西暦一世紀から十九世紀間もの年月を経て、外交と戦争の結果突如樹立され、今日に至るまで両舞台での生存競争が繰り広げられていますが、四十九年前にも神の御介入による奇蹟が起こりました。詩篇83:1-5には、イスラエルの近隣諸国がイスラエル撲滅の陰謀を企てている情景が描かれ、同時に、危機にあって神の救いを求め、祈っている神の民が預言されています。
「神よ。沈黙を続けないでください…今、あなたの敵どもが立ち騒ぎ、あなたを憎む者どもが頭をもたげています。彼らは、あなたの民に対して悪賢いはかりごとを巡らし、あなたのかくまわれる者たちに悪だくみをしています。彼らは言っています。『さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう…」と。
この預言を地で行ったような出来事が1967年の六日戦争で、当時のアラブ連合共和国のガマル・アブデル・ナセル大統領は1967年5月28日、イスラエルに対する総攻撃を布告し、目的をイスラエルの破壊と宣言し、その八日後、ヨルダン、シリア、イラク、アルジェリア、スーダン、クウェート、サウジアラビア、モロッコが加わって戦争が勃発したのでした。しかし、イスラエル抹消の試みは失敗に終わり、何と六日間で戦争は終結したのです。
奇蹟づくめの戦争の結果、イスラエルは議論の余地なく戦勝者となり、イスラエルは期せずして、首都エルサレムと神殿の丘を取り戻したのでした(ヨシェルの会第二十回参照)。この六日戦争の後、詩篇83篇は新たな関心で読まれるようになり、ユダヤ人のメシヤ、イエス・キリストが王としてこの世を治めるために来られる再臨のとき、約束の地が完全にイスラエルの制御下に置かれることによって達成されるであろうと、完全な成就が待たれています。
冒頭に引用したイザヤ書のくだりは、キリストがガリラヤ宣教を始められることによって暗やみの時代に光をもたらされることになるとの預言です。クリスマスもハヌカも、神の御子が人となってこの世を罪から「救う」ために来てくださったことによって実現した、闇から光への希望のメッセージを告げています。
2016年はこの二つの祭典が重なり、二千年前、キリストが奇しくもハヌカの祭りのときに語られたメッセージ、「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)、言い換えれば、「ヤーウェ信仰に生きるユダヤ人とキリスト信仰に生きる者の信じている神は同じ神、唯一真の神である」が思い起こされますが、この真理の成就、―すべての神の民がキリスト支配の神の国に入れられる― に向かって、神がクリスマスイブとハヌカの初日が重なる年に、大きなメッセージをこの世に語り続けてこられたことに気がつきました。
まず、164BCEに最初のハヌカの祭りが祝われたとき、祭りの初日は12月24日であったといわれています。次に、聖書に従い、エリサベツが洗礼者ヨハネを授かった日から割り出すと、マリヤがキリストを受胎したのは「キスレウの月の二十五日」になりますが、この日が12月24日であったことは十分考えられるのです。さらに、ユダヤ暦を調べていて驚くべきことを発見しました。
イスラエルが大転換期を迎えた1948年と1967年はいずれも、12月25日が「キスレウの月の二十六日」に重なっていたのです。この見事な一致は今後当分起こらないので、ユダヤ暦5777年(グレゴリオ暦2016-2017年)は、神の御介入が期待できる画期的な年になることが予測できるのです。