TRANSLATE

AD | all

フレデリックの手紙:2015年12月24日 その1

2015年クリスマスに、一牧者の喜びの証しをお送りします!

12月24日
フルダミニストリーの皆さま

救い主イエス・キリストの名において、イエスのご降誕をお祝いし、さらにイエスによく顕わされている神性を今一度、思い起こし、皆さまに「メリー クリスマス、そして良い新年を!」のご挨拶をいたします。
イエスのご降誕を思うとき、私は、神の救済と神の全人類へのご計画を思い起こし、艱難を通してでも、そこに期待を寄せます。私たちが、もはや涙、悲しみ、嘆きが存在しない天の御国に召されるとき、人類の救いが完全に全うされることを待ち望みたいと思います。

以下は、私たちが牧者や指導者訓練を行った際に、一人の牧者から寄せられた証しの報告です。どうかブルンジにいる私たちのためにお祈りください。

*フレデリックは中央アフリカのブルンジの主都ブジュンブラで、「リーマ・ミニストリー」を指導、ブルンジと近隣諸国の牧者、霊的指導者たちに聖書の解き明かしを基に、国家復興のための指導に当たっています。

ひとつの成功物語  その1

牧師、セオフィル・ナヒゴンビーの証し
「私の同胞は知識がないために死に、ほんのわずかなお金すらないために死んでいく」
彼が、与えられた人生をどのように生きたかについての赤裸々な証しをお読みください。皆さまはきっと勇気づけられることでしょう。

ホセア書4:4-10

ホセア書4章は、民の堕落が神の祭司や預言者、すなわち、霊的指導者にあることを訴えています。
「私の民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、私はあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神の教えを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう」(6節) 
神の御旨に逆らったミニストリー、教会組織は、究極的には神の御手によって滅びます。 
ミニストリー、組織が大きくなることは必ずしも、神の支持を裏づけているものではありません。
むしろ神は、
「彼らはふえるにしたがって、ますます、わたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える」(7節)
と言われます。神の御手に陥ることは恐ろしいことです。牧者、霊的指導者は、組織やこの世の目を恐れるのではなく、神ご自身を畏れる牧会、ミニストリーにいそしみ、少しでも多くの魂が救われることを祈っていかなければならないのです。

私の人生、信仰生活

1.スウェーデン・ペンテコステ教会の主に仕えるしもべとして
私は1986年、スウェーデン・ペンテコステ教会で祈りを受けて伝道者に任命されました。私はそのとき、すでに結婚をして子どもが一人いました。
任命を受ける前に、私はその教会の長老たちに、自分が主から伝道者として召名を受けたことを申し出ていました。しかし、私には聖書を学ぶ機会がありませんでした。私のために祈って教会に送り出してくれた人々は、次のように言いました。
「行きなさい。あなたは、聖霊があなたの心に語ったことは何でも話し、説教しなさい。主があなたに任された人々と、それを分かち合いなさい」
私は価値のない人間であり、能力がないにもかかわらず、教会に対する主の愛がゆえに、主は私を通して教会を守り、教会と人々を養ってくださいました。

2.その当時、私は貧しくて、私と妻のベッドのシーツさえ買えませんでした。彼女が持っていた服を寝巻代わりに使っていました。
私への支払いはペンテコステ教会用語では「石鹸一個」でした。事実、スウェーデン・ペンテコステ教会では「一度、神の召名を受ければ、神が必要な物をすべて備えてくださる」と言われていましたから、私に支払われた手当ては一ヶ月当たりほんの630BIF(ブルンジフラン、1BIF=0.077円なので日本円に換算すると約50円弱)でした。

3.スウェーデン・ペンテコステ教会は私たちのために何の備えもしてくれませんでした。聖書を学ぶ機会もなく、生きるすべも教えられず、家族をどのように養っていくかの顧みもなく、「石鹸一個」の手当では、粗末な家さえも造ることができない状態で、それでも一日中、ミニストリーに携わっていました。
このように、私は文字通り極貧の中にいたので、生きていくために、捧げられた献金の一部をかすめる以外にありませんでした。その事実が明るみに出れば私は盗人であり、当然教会から追い出されます。発覚しないように、私は盗みを隠れて行っていました。
どうか主が、私のこの告白を聞き、憐れみ、赦してくださいますように!  
私はこのような生活を1986年から2005年まで続けていました。もしこのままずっと続けていたなら、私は告白をすることはなかったでしょうし、悔い改めることもなかったでしょう。悔い改めれば、教会から破門され、天国に行けず、結果として神の国を継ぐこともできないと信じていたからです。

ミネバム教会への逃避

1.2005年の7月、私はスウェーデン・ペンテコステ教会を脱会し、ミネバム教会に逃れました。
この教会のリーダーは私たちを受け入れてくれました。ミニストリーができるように備えをし、聖書の学びのほか、経験を積むために同列の他の教会や他の教派の教会を訪問することも許されました。
自由がなく、厳格な伝統を重んじるスウェーデン・ペンテコステ教会とは対照的に、ミネバム教会で私に起こったことは驚きでした。私にとってそれは、死から生き返ったような人生でした。
まず私は、「お互いに助け合いましょう!」と呼びかけた「お金を回す」グループに入りました。
そこでは、お金を貯め、同じ機関からお金を借りることを学びましたが、その当時、残念ながら、私はそれを実行できませんでした。食べるに困り、お金を貯めることなど全くできなかったのです。
また私たちは「HIV、AIDS」の問題についても教えられました。この問題は、スウェーデン・ペンテコステ教会では、神聖を汚す不浄なこととして教会の中では話すことさえ許されなかったのでした。

2.2013年、私たちはリーマ・ミニストリーに招かれ、そのワークショップに参加しました。
そこでは次のことが扱われました。
(1)聖書の学び
新約聖書に重きが置かれ、キルンジ語(私はキルンジ語しかわかりません)で書かれた解説書をもとにマタイの福音書からヨハネの黙示録までを読みました。
(2)環境保全
植樹、牧草を育てることのほか、多くを学びました。
(3)動物飼育
やぎ、羊、豚、牛、うさぎなどを育てることを学びました。
(4)開拓
土地を肥やし、開拓して果物を収穫する方法を学びました。
(5)生計
小規模のビジネスをすること

リーマ・ミニストリーで私たちが学んだことは、スウェーデン・ペンテコステ教会で教えられたこととははるかに違い、まさに、開眼の思い、奇蹟でした。
スウェーデン・ペンテコステ教会では、独断的に次の三つが教えられていました。
(1)二人の主人に仕えることは禁止
(2)「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5章3節)
この句は間違って引用され、本来の意味から外れて使用されていました。
(3)私たちは自分の時間の50%を家族のために、30%を教会の奉仕に、20%を私たちの住んでいる社会奉仕に用いるべきである


ひとつの成功物語  その2へ