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第249号  詩篇118篇 

英国のEU離脱は「主が設けられた日」か?

英国の国民投票結果「EU離脱」に対する抗議の波紋は、政治、経済界だけでなく、英国民の一部、特に若い年代層と、かねてから独立を望んでいたスコットランドを中心に広まっている。英国のクリスチャン指導者は、EU離脱が意味する霊的な重大性を国民にどのように伝え、神の御旨へと導いていくことができるだろうか…

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで… 
主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。
すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう… 彼らはいばらの火のように消された。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう…
喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。
義の門よ。私のために開け。私はそこから入り、主に感謝しよう。これこそ主の門。正しい者たちはこれより入る。私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです… 
これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう… 
主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。
あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。 詩篇118篇

6月23日に英国で行われた国民投票の結果は、EU離脱派が51.9%、残留派が48.1%で、過半数を占めた離脱派の勝利となり、離脱なら世界経済、政治に重大な影響が及ぶと懸念されていたことが現実のこととなってしまいました。
変化を恐れる人々の希望的観測から世論調査では、投票日直前まで残留派支持が優勢だったようですが、開票結果は予想外で、全開票終了前にすでに英ポンドが1985年以来の最安値に下落したことをはじめ、世界中の金融市場が安定化への対応に追われ、英国のキャメロン首相は辞意を表明し、EU諸国への打撃、動揺は瞬く間に報道されました。離脱を訴えてきた英国独立党の党首が「6月23日は英国民の独立記念日だ」と喜びを表明した一方で、スコットランド民族党の党首は、スコットランドでは62%の住民がEU残留を望んだのに、その意向が反映されなかったとして、英国からの独立を目指す二度目の国民投票に挑むことを表明、一昨年、かろうじてスコットランド独立を留めた英国に再び、国家の分裂という新たな危機がよみがえってきました。
欧州連合EUも、中枢の同盟国、英国の予期しない離脱に、発足以来最大の危機に直面することになりました。今後、EU諸国、各々での国民投票が実施された場合、英国に続く「ドミノ離脱」が起こり、EU自体の分裂、崩壊の可能性も否定できなくなって来たのです。しかし、EUが、黙示録の語る「復興ローマ帝国」、この世最後の世界統一政府機構であるなら、最終的には十国の同盟国に絞られることになり、今回の英国の離脱はその先駆けとみなすことができるかもしれません(『一人で学べるキリストの啓示:「ヨハネの黙示録の預言」』参照)。

英国では、EU離脱か残留かに関するさまざまな預言が教会やクリスチャンに与えられてきましたが、離脱決定後、神のご介入のわざであると神に栄光を帰すクリスチャンがいる一方、見解を異にしたクリスチャンとの統合が乱れ、動揺が隠せないようです。霊的指導者で預言者のクリフォード・ヒルをはじめ、英国の離脱派クリスチャン指導者が重きを置いた預言は、2015年11月17日にデイビット・ノーク氏に与えられた次のものでした。
『英国の民よ。あなたがたが陥った背信と堕落にもかかわらず、わたしは終わりなき愛であなたがたを愛している。わたしの名で偽りを教え、それを信じ、自分たちのように行うようにと勧めてきた教会指導者たちに向けられたわたしの怒りは激しく、彼らに対するわたしの裁きは厳しい。しかし、わたしは、信仰深い羊飼いのいない羊のような者たちを憐れんできた。わたしの心は、その父祖たちがわたしの名を支持し、わたしのことばを地の果てにまでもたらした民に憐れみをかけたいと、なお望んでいる。わたしのことばの真理を信じ、信仰に根づいた掟を作り、霊感によって高潔な文化を築きあげてきた民に。
『あなたがたは、わたし自身とあなたがたに対するわたしの真実とに頼らず、この世的な目的のために、その議会でわたしの名を否定し、わたしを認識することを拒んだ機構と行動をともにするほうを選んだ。わたしのすさまじい怒りは、その反逆、わたしに対する挑戦的な拒絶、わたしのいにしえの民イスラエルに対する頑なな心のゆえに、その機構の上にある。
『わたしは今、あなたがたに、欧州機構が、わたしが災いと破壊をもたらしても悔い改めようとしないことを警告する。わたしはあなたがたを駆り立てる。ああ、あなたがたの信仰深い父祖たちのゆえに、まだわたしに愛されている英国よ。同じ破壊に捕らわれることがないように、彼女(欧州機構)から離れなさい。わたしはもう今にも、彼女が達成しようとしていることを無に帰す裁きを起こそうとしているのだから。もしあなたがたが、神を拒絶することを宣言した彼女から離れるなら、わたしはあなたに憐れみをかけ、わたしの守りの手を戻そう。そして、わたしは、今日どんどん増えている暗やみに失われている多くの者に、光をもたらすために、もう一度あなたがたを用いよう。
『かつて信仰深かった民よ、聞きなさい。わたしの呼びかけに答えなさい。さもなければ、あなたがたも同じ滅びの裁きに自滅するであろう。これはわたしの望むところではない。あなたがたは、どの道をとるのか選ばなければならない。わたしはあなたがたに、もう今にもヨーロッパに来ようとしている災いの下での死ではなく、わたしに応え、わたしの鍛錬の下での生命と守りを選ぶことを勧める。』

英国の霊的指導者やクリスチャンの祈りは「EU離脱が成るように」以上に、「主の御心が成るように」に向けられて来ましたが、その結果、主は憐れみをもって、英国をEUのくびきからの解放へと導いてくださったと、彼らは主に感謝し、さらなる主の指示を仰いでいます。
しかし、英国にもたらされた課題、波紋は予想外に大きく、神の掟からの大きなゆがみを修正し、聖書に基づいた国家を再建する絶好の機会が与えられたとの前向き志向とは裏腹に、国内の反対勢力との平和的統合、EUとの友好関係を保ちつつ経済的自立を構築していかなければならないなど、決して楽な道が開かれたわけではないようです。

キリストは
汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。(マタイ12:43-45)
と、今の英国が克服しなければならないメッセージを語られました。一つの悪霊のくびきから解放されたと手放しに喜び、心、思いを神の霊「聖霊」で占めることなく野放しにしておくと、すぐに以前より悪い霊どもが入り込み、そのくびき下に置かれたら最後、状態が最初よりはるかに悪くなることを警告されましたが、EUを離脱した英国民も同様、今、これまで以上に多くの悪霊、―人を神から遠ざける働きに従事する悪しき霊― から守られなければならない状態に置かれたのです。
そのためには、キリストのくびきの下に身を置くこと、すなわち、キリストとの正しい関係に歩んでゆかなければならないのです。神の言葉を聞いて、民を導いている聖書的預言者たちの指導力がこれまで以上に求められることになるでしょう。クリフォード・ヒルは、英国民がカンタベリー大司教の指導下、キリストに従う民として結束すること、また、一人ひとりのキリスト者が主との関係を正しくするようにと、奨励しています。

冒頭にあげた詩篇118篇は、多難な問題を抱えながら、新たな門出に立った英国民に送るにふさわしいメッセージではないかと思います。
このくだりは一連のハレルヤ詩篇の最後で、さまざまな声が入り混じった行列の歌です。この世の諸国間の同盟に依存するのではなく、神に信頼する民を神はくびきから解放し、今「広い所」、すなわち、神の掟に則った司法制度を打ちたてるなどの自由の下に置かれました。この詩篇は、敵に滅ぼされそうになり絶望的であったダビデの血筋の王が主に救い出され、王位に戻され、民がその統治を喜び祝う、新しい時代の到来を預言的に仰ぎ見ており、イスラエルの秋の祭り「仮庵の祭り」に関連づけられています。行列が、いけにえをささげる場、主の家への門「義の門」を入るとき、祭りは最高潮に達します。

王と民の背後には、敵愾心に燃えたこの世の脅威がありますが、交唱の形式で表現されているのは、指導者なる王の声とそれに応答する民のさまざまな声です。苦しみのうちから主を呼び求める王の信仰の姿は、王位は軍事、政治、経済力によってではなく、主に依存することによって支えられるとの確信の祈りに表れています。
主の家への道を歩んだ王と民の一行が「義の門」で、祭司たちと神殿の門衛に出迎えられると、「正しい者たち」の行列は、いよいよ祭壇に向かうことになります。王はそこで、神が祈りに答えて自分を救われたことを証しし、民は、神が王を選ばれたこと、また、そのような喜びの日を自分たちに与えてくださったことを祝い、主に感謝するのです。

言うまでもなく、「義の門」に象徴されているのは「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます」(ヨハネ10:9)と招かれたキリストご自身です。神との正しい関係にある者はだれでも、この門から入り祝福に与ることができるのです。 
「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」「この日」は、ユダヤ教では、イスラエルの祭り日、―「過越」、「ペンテコステ」、「仮庵」―への言及とされていますが、キリスト教では、キリストがエルサレムに勝利の凱旋をされた日か、キリストの甦りの日とみなされています。
先行する22、23節の聖句「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」が、キリストご自身がご自分に適用されたメシヤ預言であることと、27節の「主は神であられ、私たちに光を与えられた」が、神がご自分の王を死の暗闇から生命へと救い出されたこと、すなわち、キリストの十字架上での勝利を予兆していることから、「この日」はキリストの永久の生命への甦りの日を祝い、神に感謝する日とみなすのが最もふさわしいようです。
英国民には、直面している苦難を信仰によって乗り切り、世界に良い範例を示してもらいたいものです。