神が天空に描かれた人類救済の絵巻、救い主によるサタン退治
― 天文学の黄道帯の「おとめ座」から「しし座」で完結する「赤い竜」サタン退治の全容―
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知恵を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。太陽は、部屋から出てくる花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 詩篇19:1-10
人生、物事の初めは真の神を知ることから始まります。新たな年の道標は神の言葉「聖書」です。聖書の最初『創世記』から数えて19書目の『詩篇』19章には、神を証しする被造物の声として三つの代表が挙げられています。冒頭に引用した詩篇の最初の段落1-6節では、天の声、中でも代表の「太陽」が神を語っています。天の万象は静かに、地にいるすべての人々に創造者の栄光を宣言しているのです。太陽に象徴される天からの光は崇拝の対象では決してなく、その力が人の行く末を支配するわけでも方向づけるわけでもありません。天の万象の栄光は、それらを造られた創造者なる唯一真の神の義と真実をあかしし、神に栄光を帰しているのです。
次の段落7-9節では、神の律法の声が神を語っています。ここには、「律法(掟)」が五通りの言葉で表現されています。「みおしえ」「あかし」「戒め」「仰せ」「さばき」と表現されているのはどれも、律法を全面的に擁護した言葉です。新約聖書で律法に対して語られた言葉「律法は怒りを招くもの」(ローマ人4:15)や、新しい契約と古い契約を比較してパウロが語った言葉、「文字は殺し、御霊は生かす」(コリント人第二3:6)とは大きく対照をなし、詩篇の著者ダビデは律法を喜びの源として、「金よりも好ましく、蜜よりも甘い」と明言したのでした。1-6節では神に対するヘブル語用語の「創造者」、7-14節では「贖い主」を用い、この詩篇は、前者、―大自然が告げる一般啓示の神―と、後者、―福音宣教を通して語られる特別啓示の神―とを描き、この世のだれもがその存在を潜在的に認めている神が真の神であることを告げるために、神は、ご自身の不変の律法、神の言葉「聖書」を授けられたのでした。この特別啓示によって初めて、人々は真の神を知ることになるのです。最終段落は、御言葉を受け入れ、主との正しい関係を保ちたいと願う主のしもべの声で締めくくられています。
今月は、神が太古の昔、まだ律法を授けられなかったとき、天空にどのようにご自分を啓示されたかを聖書との関連で垣間見ることにしましょう。以下は『一人で学べるキリストの啓示:ヨハネの黙示録の預言』(「一人で学べる聖書」シリーズの第五書、2014年3月刊行予定)からの抜粋です。
創造の始め、神が天に描かれたデザイン、星座の配置と神の人類救済のご計画とには密接な関連がある。そのうち、黙示録12章のビジョンに直接関係がある、十二宮のうちの「おとめ座」と「しし座」に着目することにしよう。
天文学の「黄道(こうどう)帯(獣帯)」は、ヘブル語では“マザロト”、日本では「十二宮」と呼ばれているが、天地創造後、天の万象を一つひとつ「名」で呼ばれた創造者なる神が天に描かれた「福音の絵巻」であった。残念ながら、星座は、古代バビロンに由来する占星術、未来占いの手段として曲解され、それだけが広まってしまったため、今日大きく乱用、悪用され、神が本来意図されたこととは全く無縁なことだけがちまたで横行している。しかし、古代、天空のしるしは神の御旨を告げる手段と捉えられてきた。星座と福音との関係に新たな関心がもたれるようになったのは、ほんの西暦1800年代以降のことで、星座はじめ森羅万象の解釈があまりにも世俗化してしまったため、今日、神が創造の最初にどのようなメッセージを星座、星群に託して配置されたかを真剣に受けとめようとするキリスト信徒はほとんどいない。
星は「神の栄光を語り告げ」ており、時節を知るいろいろな手段が発明、開発された今日も季節を知る暦として有益であることに変わりはない。しかし、天空の万象から未来に関する新たなメッセージを引き出そうとしたり、依存することへの危険を聖書が警告していることも前もって、告げておかなければならない。イエス・キリストが救い主としてこの世に来られ、キリストを証しする旧・新約両聖書が神の最終的な啓示の書として示された今日、神の真理を知るために、「神の言葉」なる聖書以外にどんなしるしをも求めてはならないのである。
聖書が唯一の啓示の書、神の真理の拠り所であることを強調した上で、星座に託された驚くべきメッセージに目を向けることにしよう。
天空には十二の星座群があり、「おとめ座」で始まり「しし座」で終わる絵巻は、各々四つずつの星座群が役割を担う三幕劇ででき上がっている。第一幕の最初は、救い主の初臨(ご降誕)である。神のご計画はベツレヘムで始まり、「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」(イザヤ書7:14)の預言を思い起こさせるものである。星座のおとめは左手に小麦の「穂」を、右手には「枝」を持って立っている。前者の位置、―左手― にこの「おとめ座」で一番明るい一等星「スピカ」(「穂」の意で、ラテン語、ヘブル語、アラビア語では「枝」、エジプト語では「種」の意)が輝いている。これらの描写に託されたメッセージは、明らかにすべて「メシヤ」を象徴するものである。この「おとめ座」星座群を構成する三つのしるしとなる星座は、「コマ」(赤子を抱いているおとめ)、「ケンタウルス」(「二つの本質」の意で、神と人との両性を象徴)、「牛飼い座」(杖と鎌に象徴される「偉大な牧者なる収穫者」)である。
これらすべてのイメージを結び合わせると「処女が、神であると同時に人間である赤子を産み、その子は成長したら、群れを導く偉大な羊飼い、収穫の裁き主となる」となり、まさに聖書のメッセージである。この「おとめ座」から、「福音の絵巻」は、神が最初の人類の堕落直後にサタンに向かって預言されたように、「蛇の種(子孫)」の撲滅、すなわち、サタンの最期に向かって、続く十一の星座群によって展開されていく。
黙示録12章冒頭の預言者ヨハネが見た天の「巨大なしるし」、―メシヤを産もうとしている女の描写―から、メシヤの誕生は、ちょうどおとめの真上に照り輝く太陽によって「おとめ座」が隠され、新月がおとめの足もとに位置する、ユダヤ暦の「新月祭(ロシュ・ハシャナ)」のときであったと、推し量ることができる。このようにして始まったパノラマは、「てんびん座」から「かに座」を経て、最後の「しし座」では、エジプトの「スフィンクス」を思い起こさせる、おとめの頭と獅子の身体から成る彫像に終結する。偉大なる獅子が獲物にとびかかろうとしている描写はまさに「ユダ族から出た獅子、ダビデの根」の勇壮、荘厳なる姿である。
なるほど、救い主は、最初に来られたときは「世の罪を取り除く神の小羊」としてご降誕され、この世に平和の福音をもたらされたのであったが、再び戻って来られるときは、ダビデ王家の血筋「ユダ族から出た獅子」、すなわち、王として、ご自分の王国を地上に樹立されるために来られるのである。
預言者イザヤはイスラエルの国家復興が神のご介入で一日のうちに起こるビジョンを女の産みの苦しみになぞらえて、「聞け。町からの騒ぎ、宮からの声、敵に報復しておられる主の御声を。彼女は産みの苦しみをする前に産み、陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ」(イザヤ書66:6-8)と表現したが、これは1948年の奇蹟的なイスラエル国家誕生で成就したとみなされる一方で、「宮からの声、敵に報復しておられる主の御声」に象徴されるように、これは悪魔、悪魔の体制に対する最終的なキリストの勝利の描写でもある。
「しし座」星座群を構成する三つのしるしとなる星座は、「ヒドラ」(逃げ惑う蛇)、「噴火口」(怒りの杯)、「カラス」(滅びの鳥を象徴)で、これらすべてのイメージを結び合わせると、「蛇」に象徴された神の敵の滅びの描写である。「王のつんざく声、逃げ惑う蛇、敵の上に下る神の怒りの鉢、敵の死骸をむさぼり食う猛禽」と、この星座はまさに王キリストのサタンに対する究極的勝利を描いている。「ヒドラ」は、天の円周三分の一にまで及ぶ巨大な多頭の蛇で、自らの滅びとともに天の御使いの三分の一を道連れにしたサタン、「その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた」(黙示録12:4)の描写に合致する。「ぞっとするほど忌み嫌われた」という意の「ヒドラ」は六十(人の数「6」の十倍)の星で構成されている上、その頭を切り取るとそこにまた新たに二つの頭が生えるという、恐ろしい生命力のある「海へび」、まさに「赤い竜」サタンである。
このように、天に描かれた神のデザインは、神の人類救済のご計画、―堕落した人類を贖(あがな)い、人類を罪におとしめたサタンを完全に退治することによって、神と人が永遠に伴う世を具現する― の一部始終を、神が人類史の初めから預言的に天界に刻み、証しされたものであった。
モーセを通して、神の霊感によって『創世記』が顕わされ、記されたときよりさらに二千五百年前、人類文明のごく初期に生きた人たちは、神の愛と贖いのメッセージを天のデザインを通して学んだに違いない。カイン、アベルの後生まれたアダムの息子「セツ」は、ノアの洪水を生き延び、天に繰り広げられた神のこの素晴らしい人類救済のご計画を人類に伝え、全人類はこの伝承とともに世界中に散らされ生きることになったのであった。
黙示録12章の天のしるしはまさに、「おとめ座」で始まった天の絵巻が輪を描くように「しし座」と連結して終わった最終的なビジョンの予兆であり、今日、「しし座」の十二の星の王冠をかぶった「おとめ」が産んだキリスト「女の種(子孫)」が、反キリスト「へびの種(子孫)」に勝利する、創世記3章の預言の成就が非常に近いことを告げているようである。預言者ヨハネは黙示録13章で、反キリストを描くのに、古代イスラエルの「混乱の海獣の神話」を巧みに織りまぜているが、このことも、天の絵巻の「海へび」にうまく合致するのである。