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Yさんの証し その27

西日本豪雨の被災者の方々のご冥福をお祈りします

7月8日(日)

頌主。
月報をありがとうございました。

日本列島各地での大災害(大阪高槻、千葉県沖の大震災、中国・四国地方を襲っている豪雨による大洪水・土砂崩れ)の惨状に言葉を失いました。

「天誅(てんちゅう)」「災異説(さいいせつ)」
【前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)は、国に失政があったとき、天がまず災を降(くだ)して譴告(けんこく)し、それでも改悛(かいしゅん)の心がないときは異を出して威嚇すると説き、さらにだめなときはこれを滅ぼすとし、災異説を確立した(日本大百科全書)】、
とりわけ旧約聖書の主のいましめと反逆の民イスラエルに降りかかった災難の数々が思い起こされ、身の縮みあがるような心持ちでおります。 

犠牲者の方々のご冥福、遺族の方々、被災をされ避難所での生活を余儀なくさせている方々、命がけで日夜救出活動を続けておられる皆さまの安全を引き続きお祈りいたします。

オウム真理教関係者七人の処刑

先日6日には地下鉄サリン事件首謀松本被告を含め七人の死刑が執行されました。
あの事件が人々の心に植えつけた「宗教嫌い」は、聖書・福音(真理)に対する耳まで閉ざしてしまったような気が致します。

オウム真理教はその後アレフと光の輪という名前を変えた二つの団体として今でも存続しており、若い世代の人たちの入信が絶えないと聞いています。技術が進み、生活も格段に便利になった現在も、不公平や不正は日常茶飯事、人々の心の渇き・空しさが癒されないからでしょうか。

「宗教嫌い」でも、合格祈願・恋愛成就といった個人祈願のためには、あらゆる寺社仏閣を回り、お札やお守りを買い巡り、お願いをし、祈願成就か否かで一喜一憂する姿は、競馬場で馬券を買う賭博打ちにも似ています。

なぜ、人々は生ける源なる神の書『聖書』に目を向けないのでしょうか?

何かの団体に入会する必要も、儀式も、出家や苦行も、上納金(寄付金)も、上下関係も、人間が定めた規則もなく、ただ「キリストの贖いという無償の慈愛を信じてすがるだけの救い」が、『聖書』に約束され、すべての人類に差し伸べられているのに、なぜ「(この)生ける水の源を捨て(見向きもせず)水をためることのできない壊れた水溜を掘る」(エレミヤ書2:13)ことに全財産・全人生を注ぎ込み続ける人々が後を絶たないのでしょうか。無念でなりません。

どうか主が、福音を、乾いた地面に水がしみ込むように確かな言葉で、周囲に伝えてゆく勇気と知恵を私たちに授けてくださいますように、祈り続けていきます。

皆さまの上に主イエスキリストの平和と恵が豊かにありますように。

Y