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第274号   使徒の働き17:16-17、:22-31

タムルアン洞窟に神の御手

タイ洞窟救出の奇蹟は、全世界の祈りに対する愛と憐れみの神の応答であった。
神は、十二人の少年とコーチが生き残ることができるように、完璧な備えとタイミングで、御介入された。
恐ろしい天災、人災によって全世界が翻弄されているこの時代、神の御旨を『聖書』を通して知らなければ、人類は、来るべきさらなる逆境、艱難に対処できない...

さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。それでパウロは、会堂でユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った。
…パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。この世界とその中にある全てのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。
確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。
神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられますなぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。         
使徒の働き17:16-17、:22-31(新改訳2017)、下線付加

日本列島は、「激甚災害」に指定された西日本豪雨の災害から立ち直る間もなく、「生命にかかわる暑さ」続きで、熱中症の危険が連日叫ばれています。大洪水と酷暑は世界的な現象で、北極圏の各国でも30℃以上を記録し、ラオスでは暴風雨の後,来年完成予定のダムが決壊し、周辺の村々が水没し、ギリシャでは、欧州で今世紀最悪の山火事(放火)でアテネ近郊のリゾート地が焼失、多くの犠牲者が出るなど、至るところで人には対処できない大自然の脅威が報道されています。欧州、豪州、カナダ、米国は各地で酷暑、火災、干ばつに見舞われ、英国では年中芝が緑であることは定評ですが、今年は茶色に変色とのことです。

洞窟に神の御手

昨今、文明の発達に対する人間のおごりとは逆行して、年を追うごとに大自然の脅威に人が無力であることを認めざるを得ない事態が相次いでいます。そのような中、タイ北部チェンライ県のタムルアン洞窟で起こった、豪雨によって水かさの増した洞窟に閉じ込められた少年たち十三人の、7月8日から10日にかけての救出劇はまさに神のご介入による奇蹟でした。
地元サッカーチームの少年十二人とコーチをはじめ、救出に関わった人々、日夜祈りを捧げ、一丸となって救出隊を支援した地元の人々、祈り、見守った世界中の人々や、世界の中心的なメディアがこぞって、「奇蹟か科学か何なのか分からない」と称した偉業は、
私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて、どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。たとえ、私が天に上ってもそこにあなたはおられ、私がよみに床を設けてもそこにあなたはおられます。私が暁の翼を駆って海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。(詩篇139:7-10)

を彷彿とさせる、まさに「洞窟に神の御手」が、証しされた奇蹟でした。

残念ながら、無神論者が圧倒的に多い日本の報道記事の中には「生存は『奇跡』ではなく、適切な行動をとったうえで、勝ち取ったものだった」というコメントがありました。しかし、この出来事が、関わった人々の知恵、努力以上にはるかに大いなる外なる導きと完璧なタイミングによって誘導された神のご介入であったことを証しする数々の驚き、―世俗的には単に「偶然」として片づけられがち―を、挙げることができるのです。

これらのことを通して、私たちは背後にすべての人の生命を愛する神がおられ、聖書史の時代だけでなく、今日も完璧な備えとタイミングで人類史に介入しておられることを知ることができるのです。

6月23日から7月10日にかけて起こったこと

以下、実際に起こったことを箇条書きにしてみました。
1.タイは98.8%が、(日本に伝播された大乗仏教とは異なり)仏陀の教えにより近いとされる、上座部仏教徒の国で、少年たちを導いたエーカポンコーチは修行僧としての八年間の経験があり、断食、瞑想、危機にあっての存命法の知識があった

2.少年の一人十四歳のアドゥル・サムオン君は、この出来事の数箇月前イエス・キリストを受け入れた、タイでは非常に数少ないキリスト者で、神はこの出来事のただ中にご自分の証人を置かれた
十三人の救いのために、彼自身と世界中の真の神を信じるキリスト者の真摯な祈りが日夜積まれた

3.十三人は暗やみの洞窟内に閉じ込められたとき、各自、懐中電灯を持っていた

4.6月23日以降、数日間の降雨で洞窟壁から絶えず滴る水滴によって飲み水が供給された

5.危機にあって一人ではなく、仲間とともにいたこと、コーチがふさわしい指導をしたこと、互いにチェッカーをしてときを過ごす余裕もあったこと等々、プラス要因が多かったことはまさに神の備えであった。
また、タイでの休暇を割いて、救出活動中の三日間岩棚の上で十三人の面倒を見たオーストラリア人のダイバーで麻酔科医のリチャード・ハリス氏の心身カウンセリングも、まさに愛の神の配慮であった。

6.捜索開始後十日目に、洞窟の奥に向かって潜水を続けていた二人の英国人ダイバー、リック・スタントン氏とジョン・ヴォランセン氏は持っていた誘導ロープが足りなくなったので、空気孔を見つけて浮上したところ、目の前の岩棚の上に十三人がいた
もし誘導ロープがもっと長ければ、彼らは少年たちの存在に気づかず、そのまま潜水を続けていたであろうし、もし4.5m短ければ、岩棚に達する前にUターンして、拠点に戻ってしまったであろう。

7.少年の一人が、最初に彼らを発見したダイバーと英語での応答ができた

8.洞窟の多孔性の石灰岩と岩肌のひびが空気孔になり、当座は十分な空気が供給された
しかし、狭い岩棚上の空間の酸素量は減り始めており、救出作戦決行の8日の時点で15%(通常21%)を割っており、手段を選ばない強硬救出、―長距離水泳はおろか、潜水経験の全くない少年たちが少なくとも2.5kmを潜水で移動する必要― 以外に、もはや遅延が許されなかった

9.タイでは5月から10月は雨期で、救出作戦開始日頃豪雨が予報されたにもかかわらず、降雨が留められたことにより、7月8日、タイ当局責任者は「決行」を決断、予測された雷雨は完全に鳴りを潜めた。

10.救出活動中の三日間、初日夜の降雨にもかかわらず洞窟内の水位は一定で、何本かの排水ポンプがうまく作動し、計画通りの工程を進めることができた
しかし、最後の二人が無事洞窟外に運び出された直後、まだ百人近くの救出隊員が洞窟内1.5kmの地点に留まっていたとき、排水用の主要ポンプが突然故障し、洞窟内の水量が一気に増し始め、全員が緊急脱出せざるを得ない危機に追いやられた。
まさに数時間の違いで、この救出劇は大きな犠牲者を伴った悲劇で閉じられるところであった。

11.七日間、休止なく作動させられた数本の排水ポンプで二億ℓ 相当の水が洞窟近郊の農地に放出され、苗床が水没する被害を被った農家も少なくなかったが、皆、「生命には代えられない」と笑顔で語っていた。
そのほか背後で、各々にできる最善を尽くして救出を支援した人々は数知れない
神の御姿に似せて造られた人々に、神の愛、慈悲、無私、喜び、平安が反映されているのを垣間見ることができた感動的な救出劇であった


救出のための多くの試み

このように、困難で危険を伴う潜水による救出作戦が進められていた一方で、山の上からの洞窟へのアプローチの可能性も並行して探索され、超小型潜水艦を用いての脱出作戦など世界中の知恵も集められ、洞窟内の通信にはイスラエルの最新工学が用いられるなど、世界中が一丸となって救出に取り組んだ結果、真の神は人々の純粋に救いを求める叫びに応えてくださったのでした。
思い起こされる聖句は
聖書はこう言っています。『この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。』ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。『主の御名を呼び求める者はみな救われる』のです。(ローマ人10:11-13)
です。

パウロはヨエル書2:32を引用したこのくだりに続いて、真の神はただお一人であること、その方は福音を通して全世界の人々に伝えられること、「キリストについてのことばを通して」、すなわち、『聖書』を通してこの方を確証できると告げています。
この世は偶像、宗教の神々に満ちていますが、冒頭に引用したパウロのアテネでのメッセージは、まさに、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう」と、人々が知らないで礼拝しているこの唯一、真の神をどのようにして知ることができるかを告げたものでした。

劇的な救出劇後の7月24日、キリスト者を除く十一人の少年たちとコーチは頭を剃り、救出感謝と救出活動中に死亡した元海軍特殊部隊員サマン・クナン氏、―少年たちの留まっていた岩棚まで空気ボンベと救援物資を運び届け、ダイバーたちの拠点まで戻った後、過労死― に栄誉を表明するために九日間の仏門に入りました。これは、救出に関わった人たちへの敬意を表する行為として、仏教の初心者(修練士)として叙階されるための最初のステップで、コーチは修道士として叙階されることになりました。

今回の救出劇は宗教の枠、信仰の有無を問わず、人々の純真な心が神に届き、その結果の奇蹟でした。聖書にはこのような例が多く見られます。
しかし、パウロがアテネで論じたように、キリストの死からの甦りによる罪の贖いの完成で、すべての人が唯一真の神の救い、永遠の生命に生きる時代が到来、選択が迫られているのです。