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第328号  ダニエル書9:20-27

ダニエルの「七十週の預言」の画期的な解釈 ―その2―

「ダニエルの『七十週の預言』はイエス・キリストの初臨によって完全に成就した」と解釈するヘルマン・ゴールドワーグ氏による画期的な見解は、特に預言の26節と27節をうまく説明…


24あなたの民とあなたの聖なる都に七十週が定められた。背きを制止し、罪を終わらせ、不義を贖い、永遠の義をもたらし、ビジョンと預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。25それゆえ、知れ、悟れ。エルサレムを復興し、建てよという言葉の出現から、メシア/油注がれた者、君主が来るまでが七週と六十二週、そして、苦しみの期間に、エルサレムは街と堀が復興され、再建される。26そして、六十二週の後、メシアは断たれ、滅ぼされる。都と聖所は次に来る君主の民によって破壊される。その終わりは洪水のような荒廃とともに訪れ、そして、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。27そして、(彼は)その週〔の間に〕多くの者たちのために契約を非常に強化し、その週の真中で(彼は)いけにえとささげ物を終わらせる。そして、翼の上の忌まわしいものが荒廃を引き起こす。完全な破滅が荒らす者の上に命じられるまで。      ダニエル書9:24-27(「欽定訳聖書」の訂正版)


ダニエルの七十週の預言の従来の解釈を完全に塗り替える画期的な見解、「ダニエルの『七十週の預言』はイエス・キリストの初臨によって完全に成就した」ことを、ヘルマン・ゴールドワーグ氏の解釈に基づいて先月号で考察しました。冒頭に引用したのは、ゴールドワーグ氏がヘブライ語原本に基づき、『欽定訳聖書』を訂正した英語訳(1997年刊行)の邦訳で、24節に、キリストが初臨で達成された御働きの全容が集約されています。

①背きを制止する、②罪を終わらせる、③不義、咎を贖う、④永遠の義をもたらす、⑤ビジョンと預言とを確証する、⑥至聖所に油を注ぐ、の六つの出来事がイスラエルの民に約束され、成就したことを学びました。〔先月号で掲載した邦訳に一箇所、25節の「御言葉」を「言葉」への訂正があります〕


今月は、この預言をもう少し掘り下げて考察することにします。まず、ダニエルの預言がキリストにおいて成就したことを反映させて、各節を意訳し、その後、その内容がどのような形でイスラエル史において具体的に成就したのかの肉付けを試みたいと思います。

24節:ダニエルに「イスラエルの民と都エルサレム」について定められている「七十週」(490年)の預言が与えられた。その内容は、①背き/罪の制止、②罪のためのキリストの贖罪、③キリストの従者に与えられる義、④神の民イスラエルに限られた恵みの排他性が除かれる〔七十週の預言の終わりに全世界に義がもたらされる〕⑤預言の成就と聖書の完成、⑥至聖所(信徒)への油注ぎが行われる〔このすべてが、イスラエルに約束されたメシア、イエス・キリストによって成就する〕

25節:イスラエルの民がバビロンから聖地に帰還後、エルサレムの復興と再建が命じられた後、反対する者たちとの戦いを経、苦難の末、七週で完成し、その六十二週後にメシアなる君主が到来する

26節:エルサレムの復興と再建が命じられた後六十九週(483年)後、七十週目にメシアが到来した後、メシアは十字架にかけられ、亡くなる。都エルサレムとエルサレム第二神殿がローマ帝国の民によって破壊される。イスラエルの民の終わりは、戦いで洪水のように訪れ、荒廃する。

27節:メシアは、最後の七十週目(七年間)に、多くの人たちのために契約を非常に強化し〔キリストの死による新約の成就〕、この週の半ばに、神殿で「いけにえとささげ物」を献げる旧約のいけにえ制度は終わりを告げる〔三年半のミニストリーの後、キリストご自身が最初で最後のいけにえになってくださった〕。都エルサレムが包囲された後、ローマ軍による神殿冒瀆が起こるが、「忌まわしい荒らす者」には、破滅が定められている〔荒廃は戦いの終わりまで定められているが、その終わりは「荒らす者に完全な破滅が下るとき」来る〕。


イスラエル史において、エレミヤがバビロン捕囚期間は「七十年」と預言した通り、民はバビロンの急な崩壊直後、ペルシャ王クロスが命じた勅令により、本国帰還、神殿再建が許されました。しかし、御使いガブリエルが預言者ダニエルに取り次いだ『七十週の預言』には、イスラエルの民が聖地に戻り、神殿を再建するという以上の、神の大きな愛と恵みが含まれていました。それは、神に反逆し、完全に引き裂かれてしまったようにみえた神とイスラエルとの関係が、イスラエルに約束されたダビデの血筋の王メシアによって復興されるとの遠未来預言、―まさに24節に展開された預言―でした。

実際、エルサレムに第二神殿が再建されるため、エズラやネヘミヤなどの指導者、ハガイ、ゼカリヤなどの預言者が送られましたが、片手に武器、片手に工具を取って、反対者と戦いながらの至難の建設作業でした。

25節には「エルサレムを復興し、建てよという言葉の出現」、勅令から、「油注がれた王」メシア到来の時期が483年後であることが預言されています。

ネヘミヤ記に記されているように、エルサレム神殿再建だけではなく、神殿と城壁を再建して都エルサレムを復興する勅令は、ペルシャのアルタシャスタ王によって445BCE に出された、というのが通説でした。しかし、ゴールドワーグ氏によると、アイルランド大司教アッシャーが提示した年代は、454BCE で、ギリシャ、ペルシャ、バビロンの資料もこの年代に近い455BCEと定めていることから、アルタシャスタ王の治世の第二十年454BCE に、エルサレム再建の勅令が発布されたとみなすことは妥当だと思われます。

この年に483年を加算すると、西暦29年になります。


「油注がれた王」メシア到来の時期を、これまでの通説のように、キリストが受難週に子ろばに乗って「メシア」としてエルサレムに入城されたときとみなすのではなく、地上でのミニストリーを始められる直前、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたとき、天から聖霊が下られ、公に油注がれることによって、メシアとしてキリストがミニストリーを始められたときとみなすのが、ゴールドワーグ氏の見解です。

この見解は、ダニエルの預言の26節以降をうまく説明することになります。メシアは七十週目(最後の七年)に地上でのミニストリーを始められ、その真中の三年半後に突然、生命を絶たれますが、24節に示された神の御目的をすべて達成してくださったのでした。メシアが人類の罪のための身代わりのいけにえとなって死んでくださったとき、神殿の至聖所の幕が真っ二つに裂けたことは、いけにえを献げる祭司制度が終焉したことを象徴する出来事で、メシアを受け入れた民は神との直接の関係に戻されたのでした。このとき、メシアの血により締結された新約が成就し、旧約の民にメシアを通しての救いの道が開かれたのです。


福音書著者ルカは

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督であり…アンナスとカヤパが大祭司であったころ(ルカ3:1-2)、

洗礼者ヨハネが、来たるべきメシアの先駆者として、ヨルダン川周辺で「罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝え(始めた)」ことを、時代背景を明記して記しています。おそらく、ヨハネがミニストリーを始めたのは西暦29年の夏で、キリストが洗礼を受けられ、ミニストリーを始められたのはその年の秋だと思われます。キリストのミニストリーは三年半でしたから、キリストが十字架上で亡くなられたのは、西暦33年の春、過越の祭りの週になります。

キリストが預言されたように、西暦70年に「次に来る/(未来の)君主の民」、すなわち、タイタス/ティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムは神殿もろとも崩壊し、ユダヤ人は国を失い、全地に四散したのでした。


キリストが亡くなり、埋葬され、甦られ、昇天された後、地上では御霊の内住によって力を帯びたユダヤ人使徒や信徒たちが福音宣教に旅立ち、エルサレムからユダヤ地方、異邦人の地からアジア、ローマ(当時、世界の首都とみなされていた)へと広がりました。

七十週の後半の三年半、ユダヤ人対象に福音宣教がなされた後、キリストがもたらされた『新約』は全世界に広がり、ユダヤ人への恵みの枠は名実ともに取り除かれ、ユダヤ人のメシア、キリストを自らの罪を贖う「救い主」として受け入れる全世界の人々に、魂の救い、永遠の生命がもたらされたのです。異邦人宣教の口火を切ったのはペテロで、異邦人コルネリウスの一族郎党がキリストを受け入れ、キリストが内住されたのでした。

この出来事は西暦35~40年に起こったとみなされていますが、このダニエルの預言に従えば西暦36年秋に起こったと考えられ、キリストの初臨によって、ユダヤ人に約束された『七十週の預言』は見事に成就、聖書の信憑性が確証されたのです。