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Fさんの証し:癒やしは御言葉を確証する「しるし」 

フランシス兄の証し

2021年5月15日

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた(ペテロ第一2:24)

私は、何年もの間、私自身の身体の癒やしを求めて祈ってきましたが、使徒ペテロのこの言葉は私の癒しに大きな感化をもたらしました。

出来事の発端

私は1981年以来の腰の痛みと2015年に痛めた肩の痛みにずっとさいなまれてきました。物理療法、マッサージ、はり治療、投薬などを試みてきましたが、ほんの二、三日間、効果があるだけでした。ところが2021年2月7日に神さまの恵みと憐れみにより、完全に癒やされたのです。甦られた、私たちの主イエス・キリストに感謝を献げるとともに栄光を帰します。以下、私の癒やされた証しを皆さまと分かち合いたいと思います。

私は1981年に腰を痛め、それ以来激しい腰痛と座骨神経痛に悩まされて来ました。

出来事は私がシドニーで、友人の引越しを手伝った際に、長さ1.8mの大型水槽を友人たちと運んだことがきっかけで起こりました。水槽は空でしたが、底に小石が10cmの高さまで敷き詰めてあったので、とても重かったのです。

三人の成人男性をもってしても、持ち上げるには重すぎたのですが、とにかく、二人で、居間から奥の部屋まで移そうと試みたところ、戸口で、私と友人の二人が一緒に通り抜けることはできず、動けなくなってしまったのです。友人は、私が片方の端を持ち上げている間に家の外に走り出て、戸口の向こう側からもう一方の端を持ち上げることにし、その結果、水槽は私一人が支えていることになりました。不幸にも、私は重い方の端を持ち上げていなければならず、その重さに耐え続けることはできませんでした。

ついに、私は膝を曲げ、膝から上の脚で水槽を支えたのです。深い食い込みがその後数日間、太ももの上に残りました。

その膨大な重さの水槽を太ももの上で支えるまでに、短い間であったとはいえ、立位姿勢の私の身体にかかった非常な重さは、脊椎下部に損傷を起こしたのです。翌日、非常な痛みに襲われ、それは数日続きました。そのとき、私はそれが水槽に起因するものであると気づいたのです。

それ以降、数年間、坐骨神経の激痛の連続でした。

新たな傷害

なおその上に、2015年、仕事でスリランカに滞在中、リゾート地のマウント・ラビニア・ビーチで、波乗り(サーフボードなし)をしていたとき、私は波のスピードを誤算したため、大波に乗り切れず、大きな衝撃音とともに砂浜に投げ出され、肩を強打してしまいました。頭部でなかったのは不幸中の幸いでした。それは肩の後ろの棘上筋(きょくじょうきん)の腱を部分的に引き裂くに十分なほどの衝撃でした。

痛みはその数時間後に襲って来ました。オーストラリアに帰ってX線と超音波で調べたところ、骨の腱の部分断裂が判明しました。非常な痛みでした。医師たちには、数箇月間、注意深く運動すれば自然に治るだろうから、侵襲的な修復法は取らないと言われました。そこで、炎症と痛みを和らげるため、肩の骨の関節にコーチゾンの超音波ガイド下の注射をしてもらいました。しかし、効果はほとんどありませんでした。

腰については、X線画像は、腰椎が1981年に損傷してから年月を経て悪化していることを示していました。それは何年間にも亘る状態の増悪、並びに加齢による消耗のせいでした。また、X線は脊柱の湾曲がひどくなっていることも示しており、それが腰痛を悪化させていたのでした。医師たちは、問題を改善するための脊柱の手術はできるが、場合によっては、脊柱を損傷し、二度と歩けなくなるリスクもあると言い、私は手術を断念しました。

腰、肩の二重の損傷を抱えているということは、いつでも非常な痛みが発症し得る状態にあるということで、私にとって飛行機での旅は悪夢となりました。搭乗ゲートまでの長い歩行、移動する荷物ベルトからスーツケースを引き降ろす等々… 最近では、国際便に搭乗するときにはいつも、安全のため、車椅子介護者に援助してもらう有様でした。

憐みの神のご介入

さて、話を進めますと、今年2021年の2月7日、出張中のタイで、バーンナー区の教会で開かれた賛美と礼拝の午後の集いに出席しました。その「ライフチヤーチ」は、タイ人とその他の種々の国籍の人々に「御国の良き知らせ」をもたらすことを目的として、スウェーデン人夫妻によって営まれている、聖書を信じる活気に満ちた教会です。その中にはパキスタンでのキリスト者への迫害を逃れ、難民としてタイ在住の多くのパキスタン人キリスト者もいます。

とりわけ、その日、私は痛みがひどく、非常に気分が悪かったので、起きて、集会所の外に出、少し歩き回って身体を若干リラックスさせなければなりませんでした。後で、私は牧者の妻パウリナに、痛みが非常に強いことを話しました。彼女とたまたまそこに居合わせたダニイという名のパキスタン人難民の友人が、私の両肩に手を置いて、祈ってくれました。

彼女は、新約聖書のペテロ第一2章24節を読み、癒しの祈りをしてくれました。そのとき、イエス・キリストがさげすまれ十字架上にくぎづけにされたとき、「木の上」の御身体の上に私たちの罪を負ってくださり、それゆえ、私たちはすでに癒やされたということが思い起こされました。祈りは1分か、そこらでした。

私は教会のロビーから15mほど車まで歩き、非常な不快感で車の運転席に這い上がるのが精一杯でした。私の車はSUVで乗車位置が高く、大きなステップで着座しなければならないのです。

ところが、今でもはっきり覚えていますが、シートベルトをつけるとき、私は肩と腰をくねらせ、そのとき、肩と腰の痛みが全くなくなっていることに驚いたのです。「なんと素晴らしいことか!無事に運転して家に戻ることができるようにとの祈りが聞かれたのだ」と心の中で思いました。運転中も何の痛みもありませんでした。家に戻り、熱、頭痛、関節に痛みがあることに気がつきましたが、腰痛はありませんでした。その瞬間、私は、いつもあった背と両足の痛みを今日とりわけ強烈にしたのは、この突然のウイルスによる攻撃だったのだ、と悟ったのです。

私の体温は37.8度で、私にはそれが微熱であると分かっていました。私は解熱鎮痛薬パラセタモール二錠を飲み、ベッドに横たわり休みました。ほぼ一時間後に、体温をもう一度計ってみました。同じでした。その夜、私は非常に長い間熟睡し、翌朝、目覚めたとき、熱と頭痛はなくなっていました。関節の痛みもないのです。私は、前日受けた祈りが素晴らしい効果をもたらしたことを知り、ただ主に深く感謝しました。

完全な癒やし

ベッドから起き上がり、私が長い年月付き合ってきたあのいにしえの痛みの片鱗でも取り戻そうと、身体をひねったり、延ばしたりしてみましたが、驚くべきことに、腰にも肩にも全く痛みを引き起こすことはできなかったのです。

素晴らしいことは、この日2021年2月7日以降、私は自国から持ってきた半年分のトラマドールとプレガバリン〔神経障害性疼痛に用いられる薬物〕の一つも必要なく、睡眠鎮静薬のジアセパムや睡眠薬のゾピクロンも全く必要ない、ということです。

四十年後、神の恵み、恩寵によって私は癒やされ、この証しを記している今日に至るまで、痛みの兆候は一切戻っていません。今、私は脚にも背にも何ら不快感なく、長距離を歩くことができますし、肩に何の痛みもなく、再び自由形で存分に泳ぐこともできるようになったのです。

私は今、日々、主がいかに憐れんでくださったかを思い起こしています。主は確かに、私の病を「あの木の上で」御身体に背負ってくださり、私は主の打ち傷によって間違いなく癒やされたのです。何という祝福に私は生かされていることでしょう。私は現在71歳。驚くほど力がみなぎっているのを感じています。

甦られた私たちの主イエス・キリストにすべての賛美と栄光がありますように。アーメン


☞フランシス兄の「預言的メッセージ」と「霊の戦略のメッセージ