TRANSLATE

AD | all

第269号  詩篇129-131篇

「都上りの歌」の第四部に反映されている逆境、艱難のとき


逆境のとき、神の民は忍耐を学ぶ。自分で自分を救うことのできない「罪人」にできることは、神の約束に信頼し、主権者なる神の救いのわざを待つことだけ…

「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。」さあ、イスラエルは言え。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった。耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った。」主は、正しくあり、悪者の綱を断ち切られた。シオンを憎む者はみな、恥を受けて、退け。彼らは、伸びないうちに枯れる屋根の草のようになれ。刈り取る者は,そんなものを、つかみはしない。たばねる者も、かかえはしない。通りがかりの人も、「主の祝福があなたがたにあるように。主の名によってあなたがたを祝福します」とは言わない。
主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそ、あなたは人に恐れられます。私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。主は、すべての不義から、イスラエルを贖い出される。
主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。
イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。   詩篇129-131篇


信仰と繁栄との深い関りが経験的に美しく描かれた詩篇128篇から一転して、苦しい忍耐のときを描写しているのが、「都上りの歌」の第四部、詩篇129篇から131篇です。ここに歌われているのは、艱難からの救いを求める祈りです。129篇で、苦悩のただ中で解放を求めて祈りをささげる詠み手は、イスラエルの民がエジプトで隷属状態にあった過去を思い出し、むちが当てられ、深く長い傷跡の刻まれた背中に象徴される、ひどく長い年月に亘った苦しみの連続にもかかわらず、今も生き残ってここにいる奇蹟を証しすることで、正しく導いてくださった主を仰ぎ、敵へのさらなる勝利を宣言しています。
実際、次から次へと新たな困難に直面するたびに神を求め続けてきたイスラエルの民の歴史は、ただ神の憐みと救いを求める民の祈り、祈りに次ぐ祈りだけが「シオンを憎む者」に対する唯一の抵抗手段であることを証してきました。敵の「伸びないうちに枯れる屋根の草のように」短い繁栄と不作を、また、敵が近隣諸国から孤立するようにと求めてただ義なる主にすがりつく信仰が、今日までイスラエルを支えてきたのです。

終わりの見えない神の懲らしめに遭ったとき、どのように応答するかには人の側の選択が迫られます。
1.神を侮りののしる
2.神に頑強に抵抗する
3.打ちひしがれ気力を失う
4.神の御旨を受け入れて服従し、試練が無駄にならないようにと祈る
の四通りの選択肢があります。
130篇は、イスラエルの選択が、四番目、―憐みの神にすがり、恩寵による解放をひたすら待ち続ける― であったことを反映しています。祈りは、1節と3節では憐れみの神、贖い主なるヤーウェに向けて、2節では主権者なる主アドナイに向けて、赦しの哀願になっています。詠み手は、神が人を不義がゆえに裁くおつもりはないと確信しています。もし神が厳しい裁きを執行されれば、だれも救われる者はいないからです。「罪人」(すなわち、全人類)はすべて失われることになるからです。

神は、人にとってまことに畏れ多き方です。それは、神が人には自力での克服不能な「不義」を恩寵によって赦し、罪に対する勝利をもたらしてくださるからです。詠み手は、ただ希望もなく失望の状態で神を待つというのではなく、神の約束と真実、御言葉に顕された真理に堅く立って、心底から「私は主を待ち望みます」と宣言しています。
家畜のための、あるいは、軍隊の「夜回り」、すなわち、夜警は夜明けにもたらされる安全を確証していたので、朝の訪れを今か今かと待ったものでした。主の恵み/愛、贖いを確証している詠み手はそれ以上に大きな期待で主を待ち望んでいます。ですから、全イスラエルに、罪を悔い改め、主の赦しに入れられ、主に望みを置き続けるようにと、呼びかけているのです。

続く131篇では、解放を求める祈りに究極的な答えを与える「ダビデの詩篇」が挿入されています。謙遜な羊飼い、勇気ある武将、多くの賜物に恵まれた戦術家、真の神の人、イスラエル史上最大の王としてイスラエルの領土を広げ、多くの富を増し加え、息子ソロモンに神殿建設の考案、人材、資材、財源のすべてを委譲したダビデは、この詩篇で

主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません…イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て

と、人生の真髄、―神に栄光を帰し、自分は神の御働きを地上で成し遂げるための器として神の指示を仰ぎ、待つ― を語っています。詠み手は、自らの人生、生活様式が神以外のものに占められることはないと宣言し、神と神を慕う者との関係を、愛のきずなで結ばれた母親と幼子との絶対的な信頼関係にたとえ、神に対するしもべの真の謙遜と忠誠を表明しています。

「都上りの歌」の第四部、詩篇129篇から131篇に反映されているメッセージは何でしょうか。ここには預言的に、艱難期に自らを謙虚に顧みるユダヤ人たちの姿が描写されているようです。第三部は、巡礼の旅路にあるイスラエルにとっての最高潮、神殿再建に至り、エルサレムにもたらされる究極的な解放と祝福、平和を仰ぎ見た預言的祈りで締めくくられたのでした。ところが、続く第四部は、神殿礼拝復興の喜びどころか、苦しみの中から神を求める艱難期の描写です。
この「都上りの歌」に預言的に描写されている、逆境に再び引き戻される厳しい巡礼の旅路は、預言者ダニエルやキリストも預言されたことでした。キリストは、終末末期にエルサレムに起こることを

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば…そのときには…ひどい苦難がある…(マタイ24:14-21、下線付加)

と警告されました。神殿/聖所が、自分こそ神であると主張する反キリストによって占領され、汚されること、その出来事が「大艱難期突入」を画するしるしになることを明確にされたのです。

キリストのお言葉によれば、ご自分の再臨前にエルサレムに再建される神殿は、反キリストによって汚され、あるいは、破壊されることになり、預言者エゼキエルが詳細に描写した地上に成る「神の国」の神殿ではないのです。反キリストが正体を現わす前に神殿が建てられるとすれば、それがエルサレム第三神殿、エゼキエルの神殿は第四神殿になります。

イスラエルのメディアBINがリストに挙げた、2018年に成就が期待されている聖書預言五つのうちの一つは神殿再建です。ロシアのプーチン大統領は数年前イスラエルを訪問したとき、神殿再建を願い、祈るために神殿の丘を訪ねたといいます。イスラエルは、このプーチン大統領の願いが、イスラエルを支持している米国のトランプ大統領の方針と相まって、霊的遺産としてのエルサレムに対するユダヤ人の権利を大々的に支持する政治的条件を生み出すことができればと、期待しているのです。2018年初頭、現在の復興サンヘドリンは、異邦人国の指導者たち、―プーチン大統領とトランプ大統領― に、このことを思い起こさせるべく、聖書の預言を引用して手紙を送ったとのことです。

キリストが引用されたダニエル書9:27ほか、パウロも、テサロニケ人第二2:3-4で

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい、なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

と、「主の日」、すなわち、「主の再臨」直前に中東イスラエルで出来事がどのような順で起こるかを明確に告げ、同時に、反キリストが現れるとき、エルサレムに神殿、―少なくとも、「神の宮」を象徴する「聖所」― が存在していることを明らかにしています。したがって、「都上りの歌」の第三部から第四部への衝撃的な変遷は、2018年にエルサレム神殿が再建されることになれば、それに続いて起こることの預言になります。

イスラエルのメディアBINが挙げているその他の四つのリストは、
1.米国大使館のテルアビブからエルサレムへの移動
「『わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする」(イザヤ書42:6、下線付加)の預言の成就として、神ヤーウェの民イスラエルが本来の役割を担うことが期待されている

2.イスラム教スンニ派とシーア派の分裂
「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう」(創世記16:12)との預言通り、アラブ人世界を独占してきた「イシュマエル」の子孫の兄弟間での争いは今日に至るまで絶えない。イランとサウジアラビアの関係が悪化している今世紀、ラビたちは十三世紀に告げられた預言「ペルシャの王(イラン)がアラビヤの王(サウジアラビア)を憤らせるとき、アラビヤの王がエドム(西欧)に助言を求め、ペルシャの王は全世界破壊に乗り出す。全諸国民がいがみ合い、メシヤが顕れる」を思い起こしている
 
3.北朝鮮の脅威
北朝鮮がイランの軍事援助を受けていることから、北朝鮮の核武装はイスラエルにとっても脅威とみなされており、1967年の六日戦争と1973年のヨム・キプル戦争を正確に預言したラビ、レビ・サーディア・ナフマニをはじめ、北朝鮮を警戒するユダヤ人は多い 

4.ダビデ王朝の再興
預言者エレミヤは「ダビデには、イスラエルの家の王座に着く人が絶えることはない」(エレミヤ書33:17)と預言したが、家系図によると、ダビデから八十七世代を経たミッチェル・ダヤンというユダヤ人をはじめ、今日もダビデ王の血筋の人たちが生存している。イスラエルでは日増しにダビデの血筋のメシヤによるダビデ王国の再興が待ち望まれている。