「都上りの歌」の第五部、巡礼の旅の最終地はメシヤの御国への入国
主に信頼する神の家族、主にある兄弟姉妹の一致の素晴らしさ…至福の交わりは神の憐みの奇蹟、―「とこしえのいのちの祝福」の所有…
主よ。ダビデのために、彼のすべての苦しみを思い出してください。彼は主に誓い、ヤコブの全能者に誓いを立てました。「私は決して、わが家の天幕に入りません。私のために備えられた寝床にも上がりません。私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみをも。私が主のために、一つの場所を見いだし、ヤコブの全能者のために、御住まいを見いだすまでは。」今や、私たちはエフラテでそれを聞き、ヤアルの野で、それを見いだした。さあ、主の住まいに行き、主の足台のもとにひれ伏そう。主よ。立ち上がってください。あなたの安息の場所に、お入りください。あなたと、あなたの御力の箱も…
主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは大いに喜び歌おう。そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている。わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。」
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れて、その衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
さあ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕える者たちよ。聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。天地を造られた主がシオンからあなたを祝福されるように。 詩篇132-134篇
逆境下で忍耐と、主への確信で夜明けを待ち望む「都上りの歌」の第四部の後、第五部の詩篇132篇から134篇は、メシヤによる平和の御国樹立の祈りです。
132篇8節の「御力の箱」とは、モーセの幕屋の至聖所からソロモンの神殿の至聖所に移された「あかしの箱」のことで、この詩篇の祈りはソロモンがエルサレム神殿を奉献したときの祈りに関連づけることができ、その記念日には、この詩篇が歌われたと思われます。その都度、ダビデ王朝の基がどのようにして築かれたのか、神の箱がどのようにして保管されてきたのかが思い起こされ、公での神への誓い、献身が新たにされたに違いありません。
「都上りの歌」の最終ステップ、第五部で、巡礼者たちはエルサレムにいます。「あかしの箱」が置かれた神殿の至聖所には今、主の栄光が満ちており、巡礼者たちは神のご臨在の場に近づいています。詠み手は、ダビデがエルサレムを占領するとき直面した危険と、「あかしの箱」をそこへ運ぶために直面した危険や苦難を主が覚えておられるようにと、訴えています。
132篇6節には、神の箱がイスラエルの全家から二十年もの間失われていたのが、エフライム族の領土シロにあるとの情報が入り、ついに「ヤアルの野」、―おそらく「キルヤテ・エアリム」― で発見されたという感動の経緯が描かれています。放浪を経て、神の箱は共同体の礼拝の場、新しい家に保管されることになったのでした。
8-10節の「主よ。立ち上がってください…あなたのしもべダビデのために…」は、神の箱保管の儀式を思い起こさせる祈りです。それが聞かれたことが、14-17節の神の応答「『これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから…」に反映されていますが、実際、「主のための家を建てたい」とのダビデの切実な望みがついに神ご自身の御旨とされ、約束に変えられたことがサムエル記第二7章に記されています。
『主はあなたのために一つの家を造る。』あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。(11-13節)
との神の約束、―ソロモンによってダビデ王朝が確立し、神のご臨在の場、神殿が建てられる― が、預言者ナタンを通してダビデに告げられたのでした。
しかし、132篇17節の神の締めくくりのお言葉は「とこしえの王国」の約束で、「一つの角」、―強さを象徴― とは、ソロモンを越えたダビデの血筋のメシヤ「油そそがれた者」、イエス・キリストのことです。ダビデの後、王位を継承した子たちの中に、約束されたようなダビデの位に着き、「ともしび」、―永続、不滅の象徴― となるような子はだれもいませんでした。ダビデの系図の多くの王たちが神の御旨から離れてしまったことをヘブル語(旧約)聖書の歴史書や預言書は告げています。
至聖所の「あかしの箱」の上には「贖いのふた」が置かれ、大祭司は年に一度、「贖罪の日」にこのふたの上にいけにえの動物の血を注ぎ、罪の贖いの儀式を行いましたが、この「贖いのふた」は、ご自分の血で罪人を贖い、人類のために最初で最後の救いをもたらしてくださったイエス・キリストの玉座にふさわしいのです。14節以降は、今天上におられるキリストが再臨によって地上に戻って来られ、支配されるメシヤの時代の預言です。神は、ご自分の玉座から、語っておられるのです。そのとき、貧しい者たちは顧みられ、必要なものがすべて備えられます。
このように詩篇132篇は、非常な逆境下からの民の苦悩の叫びを聞かれた主が、ついに民の前に出現され、地を治められるメシヤの時代が歌われています。
続く133篇には、ダビデの血筋のメシヤによる理想的な支配、喜びと祝福をほうふつとさせる「ダビデの詩篇」が挿入されています。ダビデは分裂した民との間に市民戦争を繰り返し、ヘブロンで七年半の間ユダ族とベニヤミン族を統治した後、主が王国を統一させてくださったことにより、全イスラエル部族の王になったのでした。
ここには、その出来事を背景に、主に信頼する神の家族、主にある兄弟姉妹の一致の素晴らしさが描かれています。世界中からの巡礼者は妻子だけでなく、友も連れてエルサレムに上って来て、素晴らしい交わりに入ります。彼らはみな、唯一真の神ヤーウェを信じない人たちによる迫害を最後まで耐えた人たちでした。
大祭司に注がれ、特別に聖別された「尊い油」と、神が与えてくださる元気回復、生命と実りを象徴する「露」はともに、一致の喜び、祝福の描写です。ヘルモン山に降りる露が遠く隔てたシオンに降りることが奇蹟であるように、至福の交わりは神の憐みの奇蹟、―「とこしえのいのちの祝福」の所有― です。
「都上りの歌」の最後134篇は、大祭司による、すべての者たちへの賛美と奉仕への招きです。昼夜、神殿で主に仕え、賛美する者たちの特権は彼らがいつも主の家、主のご臨在のただ中にいることです。大祭司の祝福
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」(民数記6:24-26)
は、神が大祭司に、「神の民一人ひとりへの祝福を、わたしの名で祈るなら、わたしはその祈りを聞き、民を祝福する」と約束された祝福でした。このように、信じる者たちの巡礼の旅の終わりは、喜び、救い、祝福の成就で、それはメシヤによる御国が地上に樹立されることによって完成を見ることになります。
詩篇120篇から134篇にかけて預言的に織り込まれたメシヤの御国到来、すなわち、イエス・キリストの再臨に向けての人類史が、今日、間違いなく終末末期を迎えていることは、昨今の世界情勢、異常気象現象、自然災害の頻度、強度の急増から明らかです。
2018年1月25日、『世界終末時計』、―人類の絶滅を午前零時になぞらえ、その絶滅までの残り時間を「あと何分」という形で象徴的に表示― の針も2017年よりさらに大きく進められ、残り二分と発表されました。政治、経済、社会、宗教、気象、科学的な要因のすべてを総合してこの世が認め、警告していることは、すでに聖書に明確に記されていることです。
前月報(No. 267-269)で考察したように、イスラエルの民の約束の地への帰還と国家復興を求めた祈り120-125篇はすでに完全な成就に向けて進行中で、126-128篇に描写されている神殿礼拝復興はまさに今日実現しようとしています。
3月19日に、イスラエルの新生サンヘドリン、―聖書的に七十一人の長老で構成された法廷― がアラブ人に向けて、「イシュマエルの子ら」としてエルサレム第三神殿を支持する役割を担うようにと招いた、ヘブル語、英語、アラブ語で書かれた手紙を公開したことが報道されました。
全世界をメシヤの時代を特徴づける世界平和へと一歩進ませたいとの意向から、手紙は、「親愛なる兄弟、すぐれたイシュマエルの子ら、偉大なアラブ国の皆さま、イスラエルの守護者、救い主、契約による世界の創造者の恵みの御助けによって、私たちは、メシヤの足音が明らかに聞かれ、エルサレムのモリヤの山のいにしえの場所に、神殿を再建するときが訪れたことを宣言します」で始められ、ユダヤ人と同じく父祖がアブラハムであるアラブ人に、イザヤの預言60:4-6を引用して、神殿再建と維持に役割を担うようにと要請したものでした。
すでに二十三人のラビによって署名されたこの手紙は、サンヘドリンの七十一人の署名を得た後、主要なアラブ諸機関と指導者たちに送られることになっています(詳細はサイトへ)。
今日、アラブ人、ユダヤ人、イスラム教徒、パレスチナ人との歩み寄りで、神殿の丘に第三神殿建設の実現が近くなっています。米国は2月に、5月14日のイスラエル国家独立七十周年記念日に合わせて米国大使館をエルサレムに移転し、フリードマン大使と少数の職員も5月に臨時の大使館に移転すると報道しました。
他方で米国は、イスラエル人とパレスチナ人の今後の平和提案を提示する予定でしたが、パレスチナのアッバス議長の強硬な反対で遅延されることになりました。しかし、現在、アッバス議長の健康状態が危ぶまれていることから、新しい指導者の下で平和協定が結ばれれば、パレスチナとイスラエル各々がエルサレムを首都とする東西エルサレム分割妥協案が受諾され、その代償としてエルサレム神殿再建の実現へと進展することになるかもしれません。
しかし、エルサレムに神殿/少なくとも聖所が建立され、古代イスラエルの祭司制度、いけにえ制度が復興しますと、世界的な大艱難のときへと導かれることになります。人の手に成る平和協定はくつがえされ、キリストが預言したように、反キリスト「『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つ」(マタイ24:15)からです。