「いなずまのようにとぎすまされた」神の剣の光が空中を走るとき
世界中で相次いで起こっている大洪水、大地震、大規模な山火事、竜巻、魚、鳥、動物の突然の大量死、地の沈没と海の消失…いったい何が起こっているのか? 答えは聖書に…
ついで、私に次のような主のことばがあった。「人の子よ。バビロンの王の剣が来るために、二つの道にしるしをつけ、二つとも一つの国から出るようにせよ。町に向かう道の始まりに一つの道しるべを刻みつけておけ。
剣がアモン人のラバか、ユダ、すなわち、城壁のあるエルサレムに行けるように道にしるしをつけておけ。バビロンの王は、道の分かれ目、二つの道の辻に立って占いをしよう。彼は矢を振り混ぜて、テラフィムに伺いを立て、肝を調べる。彼の右の手にエルサレムへの占いが当たり、彼は城壁くずしを配置し、虐殺を命じて口を開き、叫び声をあげて、城壁くずしを門に向かわせ、塹壕を掘り、塁を築く。彼らは、何回となく誓われても、その占いはうそだと思う。だが、彼は彼らを捕らえて、彼らの不義を思い出させる。
それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたがたのそむきの罪があばかれるとき、彼が、あなたがたの不義を思い出させて、あなたがたのすべてのわざに罪が表れるようにするため、また、あなたがたが思い出すため、あなたがたは彼らの手に捕らえられる。悪に汚れたイスラエルの君主よ。あなたの日、最後の刑罰の時が来た。神である主はこう仰せられる。かぶり物は脱がされ、冠は取り去られる。すべてがすっかり変わり、低い者は高くされ、高い者は低くされる。廃墟だ。廃墟だ。わたしはこの国を廃墟にする。このようなことは、わたしが授ける権威を持つ者が来るまでは、かつてなかったことだ。
人の子よ。預言して言え。神である主はアモン人と、彼らのそしりについてこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が、虐殺のために抜き放たれた。いなずまのようにして、断ち滅ぼすためにとぎすまされた。彼らがあなたにむなしい幻を見せ、あなたにまやかしの占いをするとき、その剣は汚れた悪者どもの首に当てられ、彼らの日、最後の刑罰の時が来る。剣は、さやに納められる。あなたの造られた所、あなたの出身地で、わたしはあなたをさばく。わたしはあなたの上にわたしの憤りを注ぎ、激しい怒りの火を吹きつけ、滅ぼすことに巧みな残忍な者たちの手に、あなたを渡す。あなたは火のたきぎとなり、あなたの血はその国の中で流され、もう思い出されることはない。主であるわたしがこう語ったからだ。」 エゼキエル書21:18-32
冒頭に引用したエゼキエル書21章18節以降は、20章45節から始まる、神の裁きの四つの神命のうち最後の二つで、「剣の預言」と呼ばれるこれらの神命には、国家の罪のゆえに善人も悪人もともに滅ぼされる神の恐ろしい裁きが預言されています。
最初の神命をさらに具体的に告げた21章では、バビロン王が、南ユダ王国のダビデの血筋の最後の王を滅ぼし、メシヤが来るまでもはやイスラエルには王が即位しないことが告げられています。
この時点に至るまで、神は憐みの期間を延ばされてきたのでしたが、預言者を通して語られた、悔い改めよとの警告を無視し、聞く耳のない民には、もう裁き以外に何も残されていないのです。神が森の宮殿、エルサレムに向けて送られる裁きの火は、ここではバビロンの軍勢で、反逆の民イスラエルの敵は神ご自身です。
バビロン王ネブカデネザルは、陰謀を企てた二つの敵国の首都、アモン人のラバか、ユダのエルサレムか、どちらを先に攻撃しようかと作戦を練っています。古代の異邦人の国々では物事を決定するための常道であった、三つの占い法、―矢筒に入れられた矢を抜き、そこに記されている名で決める法、偶像テラフィムを霊媒にして伺いを立てる法、羊の肝臓を切り開き、生命の座「肝」に現れた筋、色、しるしを読み取る法― すべてを試み、エルサレムが選ばれました。
エルサレムの住民はそのようなうわさを聞き、警告されても、「神の都を敵が滅ぼすことができるはずがない」と、一笑に付します。しかし、預言者エゼキエルは、罪に汚れた民を目覚めさせ、聖めるために、民がバビロンに討たれ、国を失い、捕囚に連れられていくことを告げます。神を捨て、おごり高ぶり、自己中心に生きていた反逆の民は、当時、神の都エルサレムはただ名ばかりで、神の守りの覆いがすでに、エルサレム、ユダの地から取り除かれていたことに気がつかなかったのでした。
しかし、この厳しい刑罰によって、「すべてがすっかり変わり、低い者は高くされ、高い者は低くされる」ようになる、この世の価値観が完全に覆される時代が訪れます。
「廃墟だ。廃墟だ。わたしはこの国を廃墟にする」と神が宣告された徹底的な廃墟からイスラエルの復興が実現するのは、究極的には、ダビデの血筋のメシヤ、イエス・キリストの再臨によるメシヤの時代です。これはこれから成就する遠未来預言ですが、近未来的には、ネブカデネザルによってエルサレム陥落、国家を失い、ユダ王国最後の王ゼデキヤがバビロンに捕らわれていく屈辱を味わうことで成就したのでした。その後も、イスラエルは、国外への四散を繰り返し、1948年の国家復興後も諸国家による敵視、戦争、迫害が付きまとう安住できない歴史を今日に至るまで続けています。
しかし、辛苦を経た後、メシヤの時代到来という明るい展望がユダに与えられた点が、エゼキエルが続けて預言したアモンに対する四つ目の神命とは大違いです。アモンが、ネブカデネザルがエルサレムを選んだことで安堵したのもつかの間、神はアモン人のユダに対する「そしりについてこう仰せられる」と、アモンにも裁きを下すことを宣告されました。アモンとユダはバビロンを相手に反バビロン同盟を結んでいましたが、実際には友好関係にあったのではなく、ネブカデネザルがラバの代わりにエルサレムを選んだことを喜んだのでした。
ネブカデネザルは廃墟のエルサレムを統治させるために総督ゲダルヤを選びましたが、このゲダルヤを陰謀で殺害したイシュマエルをアモンが支援したかどで、エルサレム陥落の五年後、アモンもネブカデネザルに滅ぼされ、この預言は成就したのです。
しかし、アモンの復興に関しては一言の展望も与えられず、その行く末は、イスラエルの宿敵エジプトに対するより厳しいものでした。このアモンの惨めな行く末に、「むなしい幻…まやかしの占い」、すなわち、偽預言や偽りの占いが関わっていたことを、エゼキエルは指摘しています。北イスラエル王国にも南ユダ王国にも偽預言者がはびこり、神の憤りが切迫しているときに、「平安、平安」と民をだまし、安心させていたことが至る所に記されていますが、アモンにも、ユダの苦境に乗じて偽預言でユダを攻撃、略奪することを促した占い師や偽預言者たちがはびこっていたのでした。
ここには、偶像の神々を信奉する占い師や偽預言者にだまされることの恐ろしさと同時に、神をないがしろにし、堕落したユダとはいえ、神が贖われた「神の民」を迫害、敵視する国家には、復興の見通しのない裁きが下されることが警告されています。
今日、世界中で起こっている世の終わりをほうふつとさせるような諸現象、災いは、エゼキエルを通して神が語られたこれらの神命を適用して、解釈することができます。神が送られる裁きの「剣」、森を焼く「火」には、戦争だけでなく、天災、人災も含まれ、神はそれらすべてを用いて、神を冒涜するこの世にメッセージを送られるのです。
実際、今年の八月から九月にかけて、要因が神の怒り以外に解明できないような惨事、―大洪水、大規模な山火事、大地震ほか― が世界中で相次ぎました。
8月21日に、米国大陸を横断する九十九年ぶりの皆既日食が起こった後、「太陽は世界の諸国民、月はイスラエルを象徴する」とみなすユダヤ教のラビたちが、天体現象、日食を通して神が語っておられると、米国に警告を告げていた現象や、クリスチャン預言者たちが予告していた災いが次から次へと成就しました。
ラビや預言者たちのメッセージは、もし予告された災いが近未来的に実現すれば、それは警告のしるし「前兆」で、悔い改め、神に立ち返ることを通してさらなる災いを免れることができる、さもなければ、致命的な大災害が下るというものでした(第31回「ヨシェルの学び」参照)。
ラビや預言者たちのメッセージは、もし予告された災いが近未来的に実現すれば、それは警告のしるし「前兆」で、悔い改め、神に立ち返ることを通してさらなる災いを免れることができる、さもなければ、致命的な大災害が下るというものでした(第31回「ヨシェルの学び」参照)。
イスラエルの古代預言によれば、「日食がエルルの月の初め(2017年のエルルの月の初日は8月21日)に起こるとき、それはとりわけ悪い前兆」と、警告されてきましたが、八月から九月にかけて相次いだハリケーンのうちハリケーン・ハービーがテキサス州ヒューストン市を襲い、大洪水で米国史上最大の損害をもたらしたのは、皆既日食の四日後の25日深夜から26日にかけてでした。
皆既日食が米国を通り過ぎたとき、大西洋上で発生していた三つの嵐がよもやハリケーンにまで成長するとは、気象関係者のだれも予想していなかったとのことでしたが、予想を裏切って、ハービーはメキシコ湾からヒューストンを直撃、ハリケーン・イルマはカリブ海諸島からフロリダ半島に上陸、ハリケーン・ホゼとハリケーン・マリアはプエル・トリコをはじめ西インド諸島を直撃し、前代未聞の大惨事をもたらしました。まさに、標的になった島々は最初のハリケーンで難を免れたと思ったのもつかの間、続くハリケーンで片っ端から滅多打ちにされるという事態に見舞われたのでした。
皆既日食が米国を通り過ぎたとき、大西洋上で発生していた三つの嵐がよもやハリケーンにまで成長するとは、気象関係者のだれも予想していなかったとのことでしたが、予想を裏切って、ハービーはメキシコ湾からヒューストンを直撃、ハリケーン・イルマはカリブ海諸島からフロリダ半島に上陸、ハリケーン・ホゼとハリケーン・マリアはプエル・トリコをはじめ西インド諸島を直撃し、前代未聞の大惨事をもたらしました。まさに、標的になった島々は最初のハリケーンで難を免れたと思ったのもつかの間、続くハリケーンで片っ端から滅多打ちにされるという事態に見舞われたのでした。
9月には7日にM8.1、19日にはM7.1、23日にはM6.2と三度に亘るメキシコ大地震が相次ぎ、マスコミを通して世界中の目が一連の恐ろしい出来事にくぎ付けになりましたが、エゼキエルの預言が示しているように、これらの出来事を究極的な目で見るなら、今後加速度的に全世界で起こることになる世界の破滅のほんの序の口に過ぎないということです。
今、難を免れたからと安心していると、次の瞬間、我が身に災いが降りかかるという、黙示録の警告
わざわいが来る。わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。(黙示録8:13)
が他人ごとではない時代が到来間近のようです。
預言者イザヤは、
地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ…地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。そのそむきの罪が地の上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。(イザヤ書24:19-20)と、世界的な大災害の要因が、地上の住民の罪にあることを明確にしています。メキシコ地震で、各所に設置された防犯カメラが捉えた不思議な光は「いなずまのように…とぎすまされた」神の剣の光だったかもしれません。
「西欧に日食が起これば、偶像崇拝がはびこっていることのしるし」、「モーセ五書では忌むべきこととされている禁令が、キリスト教国と称する西欧諸国では合法化され始めている」、「米国式生活様式に安住しているユダヤ人はイスラエルに帰れ」等々、警告がされてきましたが、ユダヤ教では、「第七の月の十日」、すなわち、2017年は9月30日の「贖罪の日/ヨム・キプル」まではちょうど一年の罪を悔い改め、帳消しにしてもらう時期で、断食して祈り、神の御旨を行い、立ち返ることが促されています。
米国からメキシコ、西インド諸島にかけて起こった一連の大惨事はみな、イスラエル暦の「小さな悔い改めの日」、―今年は米国で皆既日食の起こった8月21日に一致― から「贖罪の日」に至る四十日間に起こり、神は全諸国民に警告のしるしを見、悔い改めて立ち返るよう呼びかけておられます。
善人も悪人もともに滅ぼされる究極的な災いは、諸々の罪が重ねられてきた地の聖めから始まっています。今、悔い改めなければ、贖いの約束のないアモンの滅びが日本に下るでしょう。