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第243号  ネヘミヤ記3章 

イスラエルの門の名に秘められた「福音」

一年の初めに当たり、新たな年2016年も、神の知恵と預言の宝庫『聖書』を、さらに新たな思いと動機で意欲的に読み進んでいく手始めとして、今月は、エルサレムの門の名に預言的に秘められた、神の人類救済のご計画を考察することにしましょう…
こうして、大祭司エルヤシブは、その兄弟の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、とびらを取りつけた。彼らはメアのやぐらまで聖別し、ハナヌエルのやぐらにまで及んだ。彼の次にエリコの人々が建て、その次にイムリの子ザクルが建てた。
魚の門はセナブの子らが建てた。彼らは梁を置き、とびら、かんぬき、横木を取りつけた。彼らの次に、コツの子ウリヤの子であるメレモテが修理し、その次に、メシェザブエルの子ベレクヤの子であるメシュラムが修理し、その次に、バアナの子ツァドクが修理した。その次に、テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった。
エシャナの門はバセアハの子エホヤダと、ベソデヤの子メシュラムが修理した…彼らの次に、ギブオン人メラテヤと、メロノテ人ヤドン、それに川向こうの総督の管轄に属するギブオンとミツパの人々が修理した…
谷の門は、ハヌンと、ザノアハの住民が修理した。彼らはそれを立て直し、とびら、かんぬき、横木を取りつけ、糞の門までの城壁一千キュビトを修理した。
糞の門はベテ・ハケレム地区の長、レカブの子マルキヤが修理した。彼はそれを建て直し、とびら、かんぬき、横木を取りつけた。
泉の門はミツパ地区の長、コル・ホゼの子シャルンが修理した。彼はそれを建て直し…また、王の園のシェラフの池の城壁を、ダビデの町から下って来る階段のところまで修理した。そのあとに、ベテ・ツル地区の半区の長…
オフェルの住民で宮に仕えるしもべたちとは、東のほうの水の門、および突き出ているやぐらに面する所までを修理した。そのあとに、テコア人が…オフェルの城壁までの続きの部分を修理した。
馬の門から上のほうは、祭司たちがそれぞれ、自分の家に面する所を修理した。そのあとに、イメルの子ツァドクが、自分の家に面する所を修理した。そのあとに、シェカヌヤの子、東の門を守る者シェマヤが修理した…
そのあとに、金細工人のひとりマルキヤは、召集の門の向かい側にある宮に仕えるしもべたちや商人たちの家を、かどの二階の部屋のところまで修理した。かどの二階の部屋と羊の門の間は、金細工人と商人たちが修理した。
ネヘミヤ記3章
古都エルサレムには多くの城門がありました。その各々の名は、おそらくダビデ王の時代につけられたのではないかと言われていますが、詩篇の大部分を詠んだ預言者でもあったダビデが命名に関わったとすれば、未来の洞察をこれらの門の名に反映させたようです。
聖書は天と地との懸け橋の場所を北の端、地理的にいえば、中東で一番高いヘルモン山になぞらえていますが、ダビデは、天に最も近い北の端から始めて、エルサレムの城壁に名をつけたようです。冒頭に引用したネヘミヤ記は、エルサレムの城門を北の「羊の門」から始めて南下、反時計回りに円を描き、東から北に戻って一周し、その途上の修理された門の名を明確に挙げています。
エルサレムの地を南北に走っているタイロピオンの谷沿いに南下すると、南端がヒノムの谷で、Uターンしてキドロンの谷を北上すると神殿の東の門を通過して、北の「羊の門」に戻ることになります。

一年の初めに当たり、新たな年2016年も、神の知恵と預言の宝庫『聖書』を、さらに新たな思いと動機で意欲的に読み進んでいく手始めとして、今月は、エルサレムの門の名に預言的に秘められた、神の人類救済のご計画を考察することにしましょう。聖書を初めて読まれる方も、聖書が人の手に成る神話、宗教書ではなく、人知をはるかに超えた方、真の神により、他次元から企画構成された書であることに気づかれるでしょう。

ダビデ王の時代の都エルサレムは非常に小さな敷地内に築かれたので、城壁も各門も互いに近接していたようですが、エルサレムは幾世紀にも亘って城壁の拡張が外へ外へとなされ、門も単純に新しく拡張された城壁沿いに築かれたようです。586BCEにバビロン軍によって都が完全に破壊されたため、今日、門の位置を比較検討することはできませんが、にもかかわらず、考古学的発掘によって、各門の位置が初期の門の位置に非常に近く再建されたことが分かっています。
ネヘミヤ記は、ペルシャ王アルタシャスタが445BCEに都エルサレムの城壁再建の勅令を発布し、ネヘミヤをエルサレムに遣わし、再建が始められたことを記しています。冒頭に引用した3章には、修理されたエルサレムの十の門の名が、北東の「羊の門」、―今日の「ヘロデの門」の近く― から始まって、「魚の門」、「エシャナの門」、「谷の門」、「糞の門」、「泉の門」、「水の門」、「馬の門」、「東の門」、「召集の門」まで順に挙げられています。
非常に興味深いことに、これらの門の名には順に、神が約束されたユダヤ人のメシヤ、イエス・キリストによって後世もたらされた福音、「キリストによる救いの道」が反映されているのです。
まず、今日まで続いている羊市場に因んで名づけられた「羊の門」は、まさに「神の小羊」として「世の罪を取り除く」ために、この世に来られたイエス・キリストを象徴しています(ヨハネ1章)。
今日、キリストが十字架の横木を背負って歩かれた道として、エルサレムの「ドロロサ」の石畳の坂道が観光ルートになっていますが、おそらく、キリストがカルバリに向かって通られたのは、エルサレムの北方に通じているこの「羊の門」であったと思われます。
英国人将軍チャールズ・J・ゴードンが見つけ、1882年以降「園の墓」として知られている「ゴードンのカルバリ」が十字架刑の正しい場所であれば、キリストは「ダマスコの門」からではなく、いけにえの子羊として、この「羊の門」から北方のゴルゴタに向かわれたと思われるのです。

北壁に沿って西に向かうと、今日「ダマスコの門」と呼ばれている「魚の門」があります。洗礼者ヨハネによって、いけにえの子羊として世に紹介されたキリストは「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と、弟子たちを招かれました。実際、魚は新約時代のキリスト信仰の象徴になり、「魚の門」は、「永久の生命」の約束を公に告げ広める門口となったのです。今日に至るまで世界中で、永久の生命に与る福音が伝えられています。

さらに西に進むと「古い門」の意の「エシャナの門」がありますが、今日この門は意義深くも「新しい門」と呼ばれています。
旧約時代、アダムから受け継いだ罪のゆえに人々は律法の奴隷となり、苦しみました。パウロは新生体験がなく、自然のままに生き、滅びに至る人を「古い人」と呼びましたが、キリストによる罪の贖いがもたらされたことによって、福音を信じる者は「新しい歩み」を始めた「キリスト・イエスにあって生きた者」とされたのでした(ローマ人6章)。
このように、「古い門」は、人は皆だれでも福音を聞き、受け入れる必要がある「罪深い者」、すなわち、聖書用語で「罪人(つみびと)」であることを思い起こさせるのです。

今日、地中海岸沿いのヨッパの町に至る高速道に因んで「ヤファの門」と言われているのが古代の「谷の門」です。古代この門はタイロピオンの谷のチーズ職人の谷、あるいは、地獄をイメージさせるゲヘナの谷を見下ろした門でした。この門には、罪人に自力の罪からの解放の道はなく、「卑しめ、恥の谷」におとしめられなければならないこと、救いのためにはどん底からキリストを呼び求める必要があることが象徴されています。
このステップは、罪の人生からの回心の過程の重大な第一歩で、悔い改めなくして救いはないことを物語っています。

西壁をさらに南下すると、南壁に「糞の門」があります。預言者イザヤは、私たちの義が「不潔な着物のよう」(イザヤ書64:6)で、決して誇ることができないばかりか、神の義に与る以外に救いはないことを教えましたが、この門は、古い人生からの百八十度の方向転換、すなわち、「悔い改め」が必須であることを訴えています。
ダビデの時代には、神殿の丘の最南端で最低部のヒノムの谷は、一日中陽が当たらず、深い谷底にはうじがわき不衛生で、都のゴミ捨て場として用いられていました。まさに、ゲヘナの谷、すなわち、地獄の象徴とみなされたゆえんでした。
地形的に「糞の門」まで来たら、Uターンするか、そこに留まるかしかないと同じように、人はこの最南端からUターンして、新生の人生を歩みださなければ、行く先は恐ろしい滅びでしかないのです。しかし、そこから北上の道をたどれば、神殿、すなわち、神の御許に戻ることができるのです。

「泉の門」は、シロアムの池の入り口にあります。救いを求める人のすべての罪を赦し、永久の生命を授け、この世にあって心と身体、両方の病から解放する「福音」をもたらされたキリストが、生まれつき目の見えない人を癒されたのが、このシロアムの池、言い換えれば、「遣わされた者の池」でした(ヨハネ9章)。
シロアムの池のように幾つかのポーチのある大きな池は、神殿域に入る前に霊的な聖めをすることを望んだ人たちが利用したものでしたが、この池は、回心による新生を象徴しています。実際、キリストの時代に至るまで、聖められたいと望む人たちはシロアムの池のある南の端までやって来て身を聖め、そこから東壁沿いに北上して、神殿の外庭に直接通じていた東の門に向かったのでした。新生の働きは、自分自身のわざではなく、神が人の救いのために「遣わされた者」、すなわち、神の霊であり、キリストの霊でもある「聖霊」によるわざでした。
「泉の門」には、聖霊の働きが象徴されており、「水の門」には、聖霊が注がれる生命の水が象徴されています。キリストを救い主として受け入れた者は、聖霊の助けと満たしで、この世での信仰生活を全うすることになります。

さらに東壁を北上すると、かつて馬が王宮に入るのに用いられた「馬の門」があり、神殿の真東には「東の門」、東壁の最北端には「召集の門」があります。新生の人生を最後まで歩み続け、この世の死で肉の身体から解放され、神の御許「パラダイス」に凱旋していく者たち、すなわち、キリスト信仰に生き続けた者たちに待っているのは、再臨の主との永久の統合です。
聖書には、再臨の主が王として白馬に乗って来られ、東の門からエルサレム神殿に入られることが記されています。監視、検閲の門の意の「召集の門」では、再臨のキリストが支配される「神の御国」に入る者と締め出される者との選別が行われるのかもしれません。

城壁を一周するまでに、すなわち福音が語られている間に、神が示された道を選択しなければ、あなたは永久の滅びに至るのです。