ダニエルの「七十週の預言」の画期的な解釈
旧約聖書のヘブライ語原典に基づいてダニエル書9章を翻訳し直した結果導かれた、ヘルマン・ゴールドワーグ氏による画期的な解釈、―ダニエルの『七十週の預言』はイエス・キリストの初臨によって完全に成就した―私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、主の前に伏して願いをささげていたとき、すなわち、私がまだ祈りの中で語っていたとき、私が初めに幻の中で見たあの人ガブリエルが、すばやく飛んで来て私に近づいた。それは夕方のささげ物を献げるころであった。彼は私に悟らせようとしてこう告げた。「ダニエルよ。私は今、悟りによってあなたを賢明にさせようとして出て来た。あなたが願いの祈りを求めたとき、一つのみことばが出されたので、私はそれを伝えに来た。あなたが特別に愛されている者だからだ。そのみことばを聞き分けて、その幻を理解せよ。あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」 ダニエル書9:20-27(新改訳2017)
冒頭に引用したダニエル書9章24-27節の『ダニエルの七十週』の預言はエルサレム神殿再建の命令から反キリストなる人物の破滅までのイスラエル史の全容を四節で表現した驚異的ともいえる要約です。突然絶たれることになる「油注がれた者」、ユダヤ人の王の出現と、冒涜の限りを尽くした後、滅ぼされることになる「荒らす者」の出現を含めた、イスラエルの民と都エルサレムの歴史が七十週で完了することを告げた未来預言とみなし、拙著『一人で学べるダニエル書』では、預言の「六十九週」までがキリストの初臨によってすでに成就し、残りの一週(最後の七年間)は再臨で成就することになるとの見解に立ち、解説しました。この見解は、今日、ほとんどの聖書研究者が支持しています。
しかし、終末論は実に多くの異なる視点から考察できる分野で、預言の成就が近づき、正しい方向性が見えてくるまでは、聖書が明示的に述べていないにもかかわらず、大多数が支持する仮説が定説になることは往々にして起こり得るようです。
私には、従来の見解で疑問に思っていたことが一つありました。それは、『七十週の預言』の27節の「彼は一週の間…」の「彼」がなぜ「荒らす者(反キリスト)」になるのかという点でした。原文では「彼」がないので不明瞭ですが、文脈では当然26節に登場する「油注がれた者」が「彼」になるはずなのに、すでに想定された結論に一致させるためか、27節はすべて「荒らす者」に関することとして解釈されてきました。そのように解釈すれば、「定説になっている終末論」、―世の終わりの最後の七年間、反キリストがイスラエルと平和協定を結び、三年半で契約を破棄する― の主張に合致し、仮説の累積で築き上げられた定説を一層強化することになります。
しかし、ヘブライ語原本に基づき、「欽定訳聖書」を訂正したヘルマン・ゴールドワーグ氏の英語訳(1997年刊行)に出会ったことで、解消されなかった疑問が打開されることになりました。『ダニエル書』9:24-27の四節をヘブライ語原文から英訳し直した、ゴールドワーグ氏による「欽定訳聖書」の訂正版の邦訳は、次のようになります。
24あなたの民とあなたの聖なる都に七十週が定められた。背きを制止し、罪を終わらせ、不義を贖い、永遠の義をもたらし、ビジョンと預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。25それゆえ、知れ、悟れ。エルサレムを復興し、建てよという御言葉の出現から、メシア/油注がれた者、君主が来るまでが七週と六十二週、そして、苦しみの期間に、エルサレムは街と堀が復興され、再建される。26そして、六十二週の後、メシアは断たれ、滅ぼされる。都と聖所は次に来る君主の民によって破壊される。その終わりは洪水のような荒廃とともに訪れ、そして、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。27そして、(彼は)その週〔の間に〕多くの者たちのために契約を非常に強化し、その週の真中で(彼は)いけにえとささげ物を終わらせる。そして、翼の上の忌まわしいものが荒廃を引き起こす。完全な破滅が荒らす者の上に命じられるまで。
ヘブライ語に通じていた著者ヘルマン・ゴールドワーグ氏は従来のダニエル書の預言解釈に満足できず、「欽定訳聖書」自体が原典に符合していないことに気づき、研究を重ねた後、『七十週の預言』の始まりと終わりに関する正しい解釈に行き着きました。彼が到達した結論は、従来の解釈を完全に塗り替えることになる画期的な見解、「ダニエルの『七十週の預言』は、イエス・キリストの初臨によって完全に成就した」でした。
従来の解釈では、七十週の最初の六十九週〔七週+六十二週〕と最後の一週を切り離し、最初の部分はキリストの初臨によって成就、最後の一週は終末末期、反キリストの登場とキリストの再臨によって成就する、とみなしています。従来の見解では、24節の半分は初臨によってすでに成就し、残りの半分は再臨のキリストによって成就されることになる、とされていますが、新しい解釈では、24節はすべて、キリストが初臨で成就されたことになるのです。24節は、『七十週の預言』でメシアを通して達成される神の御目的の全容なのです。
この遠未来預言が御使いガブリエルによって預言者ダニエルに与えられたのは、ダニエルの「断食、荒布、灰による祈りと哀願」に対する答えでした。ダニエルは、ネブカデネザル王の軍隊がエルサレムを包囲後、バビロンに第一次捕囚となったユダヤ人たちの一人でした。彼が
私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました。…義はあなたにありますが、罪をおおう恥は私たちにあります。…あなたのすべての義のわざにしたがって、どうか御怒りと憤りを、あなたの都エルサレムから、あなたの聖なる山から去らせてください。…今、あなたのしもべの祈りと願いを聞き入れ、主ご自身のために、あなたの荒れ果てた聖所に御顔の光を照り輝かせてください。…主よ、聞いてください。主よ、お赦しください…(9:3-19)
と、自分の罪と民イスラエルの罪を告白し、神の聖なる山のために哀願していたとき、御使いガブリエルが現れ、バビロン捕囚七十年後にイスラエルの民の本国帰還がエレミヤの預言通り成就し、エルサレムの都と神殿が復興されることを告げたのでした。
しかし、それだけでなく、ガブリエルは終末に成就する預言をも告げたのです。それは、背き/罪を制止する手段とイスラエルの民の不義に対する永遠の贖罪を、計り知れない憐れみと愛によって提供する、との神のご計画で、そのことは、イスラエルの油注がれた君主、メシアによって達成されることになるとの預言でした。25節には、メシア到来の正確な時期が明示され、ダニエルがこの啓示を受けた六百年後にこの預言は成就したのです。
ゴールドワーグ氏の解説によれば、24節のイスラエルの民と都エルサレムに約束された神の御目的は、①背きを制止する、②罪を終わらせる、③不義、咎を贖う、④永遠の義をもたらす、⑤ビジョンと預言とを確証する、⑥至聖所に油を注ぐ、の六つで、これらは、キリストがユダヤ人に対して初臨で達成された出来事でした。
キリストを受け入れた信徒は悔い改めた後、聖霊の導きによって罪を抑制されます。キリストが十字架上で贖罪を達成してくださったので、信仰により義と認められた信徒には永久の義が帰せられ、「神の聖なる宮」なる信徒に聖霊が注がれ、預言の成就が保証されたのです。次号ではさらに詳細を考察します。