さやかに星はきらめき 御子イェス生まれ給う
神は、暗闇から光を待ち望む冬至に祝われる異教徒の祭りクリスマスを、この世が御子のご降誕を祝う日とするために利用され、すべての人々を人類救済のご計画に巻き込んで来られました。
神のなさることにはいつも驚き、意外性があり、聖書は逆説や背理に満ちていますが、特に、『ルカの福音書』はその意識的な構成で特徴づけられています…
神のなさることにはいつも驚き、意外性があり、聖書は逆説や背理に満ちていますが、特に、『ルカの福音書』はその意識的な構成で特徴づけられています…
さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けてこよう。」そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 ルカ2:8-20(新改訳2017)
エルサレムの神殿の丘の南東、ティロピオン峡谷によって隔てられた、シオンの山とは反対側の斜面に羊の群れのやぐら「ミグダル・エデル」があり、この地でダビデは生まれ、羊飼いとして育ち、やがて王として支配しましたが、この地ベツレヘムはエルサレム神殿でいけにえとして献げられる羊を飼う放牧地でした。預言者ミカは七百年余も前に、この地にダビデの血筋の牧者なる王が戻ってくること、メシアが生まれることを
あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘、あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。(ミカ書4:8)
ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。(5:2)
と預言しました。メシアの来臨は神が創造の始めに定められたことでした。
果たして、紀元前6~4年の秋、「パンの家」の意のベツレヘムで野宿していた羊飼いたちに突然、光り輝く御使いが現れ、約束のメシアがご降誕されたことを告げたのでした。
宿のあるベツレヘムの町に行き、この世に永久の「いのちのパンをもたらす」、油注がれた王メシアを最初に崇拝したのは、名も知れぬ羊飼いたちでした。彼らは神の栄光、啓示の光に照らされた感動を即座に周りの人々に告げ知らせました。まさに福音宣教の始まりでした。
福音書著者ルカとマタイが描いたこのキリストご降誕の出来事は良く知られた賛美歌「さやかに星はきらめき」(賛美歌第2編219番、英語のタイトルは“O Holy Night”)に美しく表現されています。クリスマスの時節になると崇高な響きで人々を感動させるこの歌の歌詞は輝いています。
歌詞といい、メロディーといい、待ちに待った人類の救い主イエス・キリストのご降誕を祝うにふさわしい、喜びと解放と平和が天と地に響き渡った日の感動を見事に描写した美しい名曲、このような魂を揺さぶる霊的に研ぎ澄まされた名曲がどのようにして生まれたのか、その歴史を知ることは極めて興味深いことです。1.さやかに星はきらめき 御子イェス生まれ給う 長くも闇路をたどり メシヤを待てる民に 新しき朝は来たりさかえある日は昇る いざ聞け 御使い歌う 妙(たえ)なる天(あま)つ御歌を めでたし きよし今宵(こよい)2.輝く星を頼りに 旅せし博士のごと 信仰の光によりて 我らも御前に立つ 馬槽(うまぶね)に眠る御子は君の君 主の主なり 我らの重荷を担い 安きを賜うためにと 来たれる神の子なり3.「互いに愛せよ」と説き 平和の道を教え すべてのくびきをこぼち 自由を与え給う げに主こそ平和の君たぐいなき愛の人 伝えよ そのおとずれを 広めよ きよき御業を たたえよ 声のかぎり
ライトワーカーズ・ミッションの記事を通して、驚くべき事実をご紹介しましょう。
①この歌詞は1847年に、フランスの小さな町の酒屋でワインの販売をしていた、カトリックの教育を受けた後、教会にはほとんど出席することなく、自身の信仰につながらなかった詩人プラシド・カポー・ド・ロケマウレによって書かれました。
ミサに出席するどころか、むしろ、ローマカトリック教会に批判的だったカポーに教区の司祭がクリスマスのミサのために詩を書いてほしいと頼み、カポーは衝撃を受けながらも依頼されたことに敬意を表し、ルカの福音書から霊感を得て書き始めました。
ベツレヘムの羊飼いたちがキリストのご降誕を目撃したことが如何なるものであったかの想像に基軸を据え書き進めた結果、カポーは自分の作品にとても感動し、ぜひ曲をつけたいと願ったのです。
②著名なユダヤ人音楽家が作曲しましたが、彼は、この詩に歌われていることを信じませんでした。
カポーは、伝統的なクラシック音楽家で、個人的な友人でもあったアドルフ・シャルル・アダンに助けを求めました。有名な作曲家であったアダンは自分の信じない歌詞に曲をつける要求に大きな挑戦を受けて立ち、作曲に取り組み、優れた作曲能力を発揮してわずか三週間で私たちが今日知っている旋律を生み出したのです。
カポーは、論争を避けるために、司祭にはアダンの宗教的見解を明らかにしなかったようですが、司祭は完成された曲の見事さに非常に興奮し、一ヶ月も経たないうちに、クリスマスイブの真夜中のミサにパリのオペラ歌手の助けでこの名曲を披露したのでした。
③フランスでこの歌は広範に知れ渡りましたが、スキャンダルのゆえに教会では禁止されました。
この「クリスマスの歌」の美しいメロディーと歌詞は瞬く間にフランスのカトリック教会に広まりましたが、歌が好評を得ている一方で、カポーは社会主義運動に献身し、事実上、教会を放棄しました。
さらに、作曲者アダンのキリスト信仰とは対照的な信念が教会の最高指導者の知るところとなり、この最愛の歌は論争に巻き込まれ、フランスのカトリック教会の指導者たちは、全国で爆発的な称賛を得た歌を拒否する決断を下したのです。
④教会の拒絶にもかかわらず、この歌は地下で生き続け、米国の作家で奴隷廃止論者のジョン・サリバン・ドワイトはフランス旅行中に聞き知った歌詞に大きな共感を得、タイトルを“O Holy Night”にして英語に翻訳、自らの雑誌に掲載し、南北戦争たけなわの米国北部に大きな反響をもたらしました。
また、1871年のフランコ・プロシア戦争中のクリスマスイブには、この歌を介して両軍が戦争を休止する波及効果がもたらされました。
1906年のクリスマスイブには、この曲は電波で放送された最初の曲となりました。大学教授で化学者のレジナルド・フェッセンデンは発電機を考案し、この日、ルカの福音書の降誕物語を朗読した後、自らバイオリンでこの曲を演奏し、無線の聴取者たちに魂に触れる調べを送ることに成功したのでした。
聖書を通してご自分を証ししておられる神は不思議な形で、すべての人々を通して、メッセージを語って来られ、今も語り続けておられます。
キリストのご降誕を目撃し、喜びと感動に打ち震え、良き知らせをすぐ町の人々に告げ知らせたベツレヘムの羊飼いたち以降、過去二千年間、福音宣教により、御子イエス・キリストによる人類の贖いとキリスト支配の御国の到来が全世界に告知され、今日、「初臨」(ご降誕、死、甦り、昇天)で地にもたらされた御国が完成されるとき、―主の「再臨」―が非常に近づいています。
上述の讃美歌の驚くべき由来に一例を見ることができるように、神は、教会で禁制だったワインの販売者によって書かれた詩とキリストをメシヤとして受け入れないユダヤ人による作曲を、御子のご降誕を全地に告げ広めるために用いられ、また、暗闇から光を待ち望む冬至に祝われる異教徒の祭りクリスマスを、この世が御子のご降誕を祝う日とするために利用され、すべての人々を人類救済のご計画に巻き込んで来られました。
神のなさることにはいつも驚き、意外性があり、聖書は逆説や背理に満ちていますが、特に、『ルカの福音書』はその意識的な構成で特徴づけられています。
冒頭に引用したくだりでは、全世界の唯一真の王の誕生を祝うために栄光に輝く御使いによって招かれたのは名も知れぬ羊飼いだけで、神の御子は本来の栄光とはかけ離れた馬小屋で「人」として生まれ、人類史にご介入されたのでした。
ルカは1章で、洗礼者ヨハネの母エリサベツと父ザカリヤを、2章では、メシア預言の成就を信仰で待ち続けていた「イスラエルの残りの者」の代表として高齢のアンナとシメオンを対にしてキリストのご降誕の証人として挙げています。申命記19:15によれば、出来事が立証されるためにモーセの掟が要求した証人は少なくとも二人でした。
しかし、ここで興味深いのは、どちらの対でも、福音宣教の担い手、弟子としての太鼓判が押されたのは女性であるという意外性です。西暦一世紀当時の圧倒的男性優先社会にあって、神が用いられ、引き立てられたのは女性でした。『ルカの福音書』と『使徒の働き』両書では、「この世の最も小さき者、最も弱い者、最後の者、失われた者が、イエス・キリストの来臨で、最大の者、最強の者、最初の者、見い出された者になる」が主要なテーマとして導入され、来たるべき神の国、―キリストの再臨でこの世に具現する御国― に迎え入れられる者を特徴づける予示になっています。
神の国の優先順はこの世の逆転です。
冒頭に引用した降誕物語に続いて、ルカは、幼子イエスが長子奉献の儀のため、エルサレム神殿に連れて行かれ、祝福を受けたくだりでアンナの役割に重点を置いています。
アンナはアシェル族で「ぺヌエル」、―神の顔の意― の娘であったと特記されていますが、当時の平均婚姻年齢十三歳で結婚し、二十一歳で夫、レビ族の祭司を亡くした後八十四年間神殿に住み、奉仕をし、断食と祈りで百五歳に至るまで健康でメシアの来臨を待ち望んでいたと考える学者はたくさんいます。
邦訳のように年齢を八十四歳とみなす解釈もありますが、日夜神の顔を仰ぎ、節制、健康管理に留意して神と神の民のために一生涯を献身したアンナが百歳を超えても現役で預言者として役割を果たしていたことは、人生百年時代の今日でなくても十分考えられることです。
御子のご降誕を確証したアンナの次の行動は神への感謝と周りの人々への積極的な福音宣教で、メシア来臨の喜びを自分に留めたシメオンとは対照的に描かれています。