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Yさんの証し その22

2017年5月から12月にかけてのYさんの証し その22~24

5月25日(木)

お返事が遅くなり大変申し訳ございませんでした。
5月15日付で、健康を理由に解雇となりました。その後、突然の激しいめまいに断続的に三日間見舞われ、今日の午後は寝たきりになってしまったので、外出時は夫に付き添ってもらわなければなりませんでした。

間一髪、聖書に守られて!

去る日曜日、恐ろしいことが起こりました。
突然車が突っ込んできたことに気づかず、危うく息子もろとも轢かれそうになったのです。でも、間一髪で免れました。
その日、鬱の改善に近くの自然保道を家族で歩こうと、出かける途中のことでした。主の聖日(日曜日)なので、木陰で休むとき三人で読もうと、ちょうど聖書をリュックに入れていました。一瞬の悪夢は、この聖書に守られたとしか考えられないような出来事で、私はただ主に感謝しました。

散策の途中一休みし、夫がヨハネの福音書(15章1-11節)を読んでくれました。引き続く鬱の治療と今後の再就職活動に対し、漠然とした不安をぬぐえない弱い私を、主が憐れんでくださり、励ましてくださったのでしょうか、この箇所に心底力づけられました。

証しの掲載(「Yさんの証し その18~21」までの掲載部分)をありがとうございました。同じような状況にあるどなたかの励ましになればとても嬉しいです。

6月4日(日)

月報をありがとうございました。お祈り、ご助言に心から感謝申し上げます。
体調を見ながら、不可解な症状が続く場合は即GPに精密検査の依頼をいたしたいと思います。貴重なご助言、ありがとうございました。

D市の旧友のご主人(ユダヤ人)が、車椅子での生活を余儀なくされることになりました。
この十二年間、周りの友人のほとんどに打ち明けることもなく、腰の不調を抱えながら仕事にまい進されていたのですが、ついに自分で歩くこともままならなくなってしまったのです。
Face Bookには「…この十二年間、ありとあらゆることを試してみましたがすべて効果がなく、ついに車椅子のお世話になることになりました …だから、たとえ善意からであっても『この治療法を試してみたら?』といった書き込みはもうたくさんです…」といった趣旨の告白に、“Don't worry, I'm taking it well, life is still beautiful.(心配しないでください。よく分かっています。人生はまだ美しい)”と、添えられていました。

主ご自身が宣言しておられるので、私は主の癒しの力を疑いませんが、私たちが目の当たりにしている現実は、得体のしれない病苦と葛藤の日々を送っておられる方々が非常に多いということです。
…わたしは主、あなたをいやす者である。‘...For I am the LORD your healer/who heals (רֹפְאֶֽךָ)’ 出エジプト記 15:26


祈りながら、以前お話に出たMezuzah(メズーザー)、―羊皮紙に申命記の一部がヘブル語で書かれた小さな巻物で、律法に従って、ユダヤ人家庭の出入口の柱に埋め込まれた― にまつわる‘Talmud(タルムード)’の逸話を思い出しました。
主の御言葉がこの世のどんな宝よりも尊いものであり、心から信じるときに初めて、その言葉の真の力が、信じる者の上に発揮されることがこのTalmudから伝わってきます。

そのことを踏まえた上で、コリント人への手紙第二12:9-10のキリストの御言葉「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである…なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」を読み返すと非常に意義深く、病気や怪我、障害に悩まされ続ける私たちに大きな慰めと勇気を下さる御言葉として常に覚えていたいと思っています。

今日はPentecost(ペンテコステ、五旬節)です。ヨシェルの会「キリスト教会誕生」を聞き直しています。
鬱の治療と並行して、私自身、形式にとらわれない「家の教会クァハール・祈りの集い」をどのように実現していくことができるのか、また、主のお導きを通して、日本人、ユダヤ人の友人たちにも我が家に来ていただき、気軽に聖書を手に取って、話しあえるような機会(雑談・お茶会)を設けられたらと、あれこれ考えています。

日本は梅雨入り間近、どうぞご自愛下さいませ。
主イエス・キリストの祝福とお守りが豊かにありますように。

10月5日(木)

今日10月5日はSukkot(仮庵の祭り)でした。
月報をありがとうございました。お便りをお出ししたいと思いながら、波のよう次々と変化が押し寄せてきて、9月中にお便りできず、申し訳ございませんでした。

ユダヤ暦5778年の始まり

まずは9月21-22日、Rosh Hashanah (新年祭)、ユダヤ歴5778年が始まりました。
5月14日はイスラエル国誕生七十年目を迎える節目の年なので、主の御旨通りに世界情勢も大きく働くのではないかと希望を持ちつつ、気を引き締めたいと思っております。
今年のYom Kippur(贖罪の日)は私自身の誕生日と重なり、悔い改めをするのに非常に良い機会となりました。なぜかYom Kippurと主の再臨が密接に感じられてなりません。

大図書館からの採用通知!

去る9月20日にB図書館のアジア部門職の採用試験を受け、条件付き採用をいただきました。主に心から感謝いたします。
現在、DBS(身元調査)中で、出願時に鬱についても公表していたので、健康診断書の提出を求められる可能性もあると思います。この二点を通過すると本採用通知となります。主が私を常に正しい道へお導きくださいますように、この仕事を通して、主の御業を周囲の方々に伝えられますようにと、お祈りしています。

召天されたE姉妹の深い洞察「あなたは美しい!」

昨日4日は、教会の友人の葬儀に参列いたしました。
Eさんは六十代の女性で、交通事故で足腰に不自由があり、多くの健康問題を抱えておられました。非常に愛のある方で、以前、街中で彼女を見かけたとき、BigIssue(ビッグイシュー:ホームレスの社会復帰に貢献することを目指す企業が英国を発祥に世界で販売しているストリート新聞)を売っておられたHomeless(ホームレス)の人たちに気さくに声を掛け、別れ際に細い身体で大きなHug(抱擁)をしておられました。

鬱で、教会の礼拝に参列できたりできなかったりしていた私をいつも気遣って下さり、よく「祈っているからね」と帰りがけにお声をかけてくださいました。鬱と自己嫌悪で心が押しつぶされそうだったある日曜日、彼女がしっかりと私を見つめて、「貴女は美しい」とおっしゃいました。
瞬時に、それは私の外見のことではなく、「不完全な人間の私の中にも存在する、神の似姿としての美しい一面」を彼女が見て取られたのだ、と感じました。姿形こそ違え、すべての人間の中に存在する神の似姿を、慈愛のある人は一人ひとりの中に見出だすのだと、心が打ち震えました。

彼女が亡くなる三日前の日曜日、奇しくも彼女はこの言葉をもう一度私に残しました。
そしてしっかり二人でHugをして別れました。これが私と彼女の最期の会話になりました。
わけもなく自己嫌悪にさいなまれそうになるたびに、Eさんの言葉と慈愛を思い返しています。

日本も随分秋めいてきた頃でしょうか。どうぞご自愛ください。
主の慈愛と祝福が皆さまの上に豊かにありますように。

Y


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