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第258号  出エジプト記12:1-20 

史実「出エジプト」を覚えて祝うイスラエルの主の例祭「過越の祭り」

今年は4月11日に過越、4月16日(日)に復活祭が祝われる。「過越」に続く「種を入れないパン」の祭りは、紀元前1446年ごろ起こった歴史的出来事「出エジプト」に因む祭りで... 2015年8月に、「出エジプト」の出来事が史実であることを多くの証拠を挙げて解説したDVD「証拠のパターン:出エジプト」が発売された…

主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ… あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確かにパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までの間に種を入れたパンを食べる者は、だれでもイスラエルから断ち切られるからである。
また第一日に聖なる会合を開き、第七日にも聖なる会合を開かなければならない。この期間中、どんな仕事もしてはならない。ただし、みなが食べなければならないものだけは作ることができる。あなたがたは種を入れないパンの祭りを守りなさい。それは、ちょうどこの日に、わたしがあなたがたの集団をエジプトの地から連れ出すからである。あなたがたは永遠のおきてとして代々にわたって、この日を守りなさい。最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種を入れないパンを食べなければならない。七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。だれでもパン種の入ったものを食べる者は、在留異国人でも、この国に生まれた者でも、その者はイスラエルの会衆から断ち切られるからである。あなたがたはパン種の入ったものは何も食べてはならない。あなたがたが住む所ではどこででも、種を入れないパンを食べなければならない。」    出エジプト記12:1-20
イスラエルの主の例祭「過越」の時期が今年も巡ってきました。今年は4月11日に過越、4月16日(日)に復活祭が祝われます。「過越」に続く「種を入れないパン」の祭りは単なる宗教行事ではなく、「出エジプト」という歴史的出来事に因む祭りで、紀元前1446年(1446BCE)に、二百五十万人にも及ぶヘブル人のエジプトからの大移動に先立ち、神が代々守るようにと命じられたものでした。ユダヤ暦の「ニサンの月の十五日」から大麦の収穫の始まりを画する「聖なる会合」(週ごとの安息日と同じ扱いで「どんな仕事もしてはならない」)で始まり、「聖なる会合」で終わる七日間、民は、罪、汚れを象徴する「パン種」(イースト、膨れあがって破壊する性質)を家中から取り除くこと、祭りの間、種を入れないで焼いたパンを食べることが命じられました。

この最初の過越のときイスラエルの民はパンを発酵させている間もなく、大慌てで食事を済ませ、エジプトを旅立ったのでした。それ以降今日に至るまで、イスラエル人はこの祭りを守るたびに、自分たちが神に聖別され、神との正しい関係に戻されたことを覚え、また、神との正しい関係に戻された(贖われた)民が、神の力強い御手によって超人的に、エジプトでの隷属下から身体的、霊的に解放されたことを覚えるのです。今日に至るまで、祭りの前日「ニサンの月の十四日」の正午までに、家中からイーストを除く慣習は、イスラエルの民の生活からすべての腐敗、堕落を取り除くことを象徴する儀式として定着しています。

使徒パウロは、
「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです」(コリント人第一5:6-7、下線部、ギリシャ語原文にはない)
と語り、ヘブル語(旧約)聖書の教えに従って、「パン種」を高慢、―サタンに端を発する罪― に結びつけました。また、新約聖書の中でキリストが「過越の子羊」であることをほのめかした聖句は非常に多いのですが、このパウロのメッセージは、キリストと「過越(の子羊)」とを明確に関連づけています。

しかし、ここでパウロの焦点がいけにえの子羊よりも「過越の食事」に置かれていることは注目に値します。
「ニサンの月の十四日」の午後三時、いけにえの子羊がほふられた後、「ニサンの月の十五日」の午後六時過ぎに始まる「過越の食事」にあずかるには、聖めを命じたモーセの掟(神の御命令)に従っていなければなりません。
この習慣がキリストの時代に定着していたことは、
「彼らはイエスを、カヤパのところから、総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった」(ヨハネ18:28、下線付加)
の文脈から、うかがい知ることができます。キリストは、「ニサンの月の十四日」の真夜中に逮捕されてから午前九時に十字架にかけられるまでの間、アンナス、大祭司カヤパ、ローマ総督ピラト、ガリラヤ領主ヘロデ、再びピラトの官邸へとたらいまわしにされ、不当な裁判を経て十字架刑に処せられましたが、キリストを訴えた宗教家たちの関心は裁判のため異邦人官邸に入らず、我が身を聖別し、儀式に関与できるように備えるという表面的な聖めだけでした。キリストのお言葉
「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。外側から人に入って、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです」(マルコ7:14)
は宗教儀式だけを遂行する者への警告です。

パウロは、先に引用した文脈、―キリスト者の高慢を警告― のひき続く八節で
「ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(下線付加)
と呼びかけています。パウロの真意は、他人ではなく自分の内に住みついている悪、罪の問題の喚起にありました。「古いパン種、悪意と不正のパン種が混じった状態では、過越を祝うことはできない」ということを銘記させたのでした。宗教儀式がただ無意味に繰り返される恐れはいつの時代にもありましたが、その罠に陥らないためには、神がなぜこの掟を命じられたかの原則に立ち返る必要があります。神との正しい関係にあるとき、私たちの礼拝は神に受け入れられるものになるのです。

パウロは「祭り」という表現を用いていますが、ペテロが信徒に
「聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい」(ペテロ第一2:5)
と奨励したように、「信徒の生命を日々ささげること」が意図されたと捉えることができます。他方で、おそらく「主の聖餐」への言及とみなすことができます。いずれにせよ、パウロはここで、キリスト者がいつも覚えていなければならない、キリストに従う者としての生き方に重要なメッセージを語っています。
1)キリスト者は神の御旨に従う生き方をすべきである
2)キリスト者の人生は巡礼の旅で、いつもさらなる霊的向上を目指す必要があり、間違っても、パン種に象徴されるような霊的優越感にあぐらをかくようなことがあってはならない
3)キリスト者は常に自らの生活を吟味し、罪からの汚れ、堕落をかなぐり捨てなければならない(自己除霊の必要:「ヨシェルの会第27回、除霊、―悪霊の追い出し― 」参照http://yosheru.blogspot.jp/2017/03/27.html
4)キリスト者の食物は「いのちのパン」キリスト、滋養豊かな「真理の言葉」、『旧新約両聖書』である

イスラエルの民は、代々「過越」と「種を入れないパン」の祭りを祝い、主の救い(神による一方的な贖い)を思い起こしますが、キリストが弟子たちと「最後の晩餐」を守られたのは、実際には「種を入れないパン」の祭りの前日で、まだ子羊がほふられていないため、キリストご自身をいけにえの子羊として覚える食事でした。そのときキリストは、ご自分が亡くなられた後、ご自分の死を覚えて、信徒たちが食事をともにするように、「主の聖餐」を制定されました。これは、「過越の食事」に由来するものでしたが、実際には、モーセの掟に定められた過越の食事ではありませんでした。今日、キリスト者が守っている「主の聖餐」は、パウロが
「あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります」(コリント人第一11:26-27、下線付加)
と警告したように、聖餐にあずかるキリスト者は、イスラエルの民が、神の御前に出るためにいつも身を聖めて備えたことにならい、内的にも外的にも汚れと罪を取り除いて身を聖めて臨む必要があるのです。しかし、昨今、教会でも「過越の食事」の儀式を教会暦に取り入れ、守る傾向が見られますが、以上説明したように、イエス・キリストが新しく制定された「主の聖餐」を守る新約の信徒たちに「過越の食事」を守る聖書的な理由はないのです。

このように新旧約両聖書が証しし、キリストご自身も明確に容認された「出エジプト」の出来事に対して、この世の歴史学者や科学者、エジプト学者や考古学者たちは証拠がないという理由で史実とは認めてきませんでした。「アブラハムの宗教を基盤とする聖書が真実であるなら、聖書に語られている数々の出来事の証拠はどこにあるのか?」と懐疑論者は、そのほかの神の奇蹟についてもまず認めないという選択を初めからして、議論する立場に立っています。信じる者には神の霊による証しがあるので、この世的な証拠がなくても、真理は真理として認めることができますが、神の霊によって新生していない「生まれつきのままの人」は、目に見える証拠によってしか自らを承服させることはできないのです。

2015年8月に、そのような人たちに「出エジプト」の出来事が史実であることを多くの証拠を挙げて解説したDVD「証拠のパターン:出エジプト」‘Patterns of Evidence:The Exodus’が、ティム・マホーニーの十二年にわたる探求の結果、発売されました。これまで学者たちは、出エジプトの時期を神学者たちの主張に従って、エジプト王ラメセスのとき、1250BCE頃として時代考証をしてきましたが、何の証拠も挙がらなかったため、出エジプトは史実ではないと決めつけていたのでした。マホーニーは北エジプトの大都市アバリスの廃墟にセム族の遺品があるといううわさから、そこがゴシェンの地に違いないと調査を進め、まさに出エジプト記に記されている描写に一致することを発見したのです。しかし問題は、その遺跡がラメセスの時代より四世紀も古いという年代のずれでした。しかし、出エジプトの出来事自体を学者たちが見積もったより古代(おそらく1446BCE)に見積れば、ヨセフがエジプトで大臣となり、ヤコブ一族七十人をエジプトに移住させたのは十八世紀BCE頃で、アバリスの廃墟から発見された王家の装飾のついた十二本の柱の周りに築かれた王宮や、王宮に隣接した十二の印象的な地下埋葬室や、中でも一番優雅な地下室、―色とりどりの上着を着、黄色い肌に赤毛の人物の並外れて大きい彫像のある、しかし、遺体のないピラミッド― などはすべて、聖書のヨセフを証拠づけているのです。また、エジプト人自身が記録した「イピュワー・パピルス」(『一人で学べる出エジプト記』補注3参照)の記述も、発掘されたアバリスの廃墟の状態や聖書の記述に一致していることをマホーニーは確かめたのでした。