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メアリー・ジェインの手紙 : 2015年3月15日、17日

追伸:感動的な対面  2015年3月15日

私たちがアブラに行ったとき、ダニーの母親と兄弟たちとの感動的な対面の様子を以下ご報告します。
私たちがラクブ(Lacub)に着いて、jeepney(前面がジープの形をした小型乗り合いバス)から降りたとき、三人の若い女性たちが私たちを出迎えてくれました。ダニーの妹のジョセリン、彼の姪のアイリッシュ、彼女たちの隣人のディグナです。彼女たちは涙ながらに私を抱きしめ、私たちも涙を流しました。彼女たちは私たちの荷物(スパゲティー5㎏、スパゲティーソース5㎏、ホットドッグ2㎏、豚肉2㎏、豚肉オイル2ℓ、砂糖10㎏、コーヒー10箱、クリーマー10箱、洗剤、入浴石鹸など)を持ってくれて、ブネグ(Buneg)まで二時間かけて歩きました。

私たちが、クヤ モノロ(ダニーの一番年上の兄)の家に着いたとき、ダニーのお母さんが出迎え、私を抱きしめ「ダニーはどこ?」と尋ねました。その言葉を聞いて、涙が溢れ、私は彼女に「ごめんなさい、ダニーの写真しか持ってこられませんでした」と言うのがやっとで、そのあと、そこにいたすべての人々と一緒に数分間泣きました。

ダニーのお母さんは私たちフィリピン人の共通語、フィリピン語が話せず(彼女はイロカノとマバカ部族語しか話せません)サトゥルという通訳者(クリスチャンの若者)を通して会話をしました。その日の夕方、ブラカンの伝道所、農園で仕事中のダニーの様子を映したビデオ、写真(死体安置所のものも含む)を皆さんに見てもらいました。そして彼女にダニーの「死亡証明書」と「警察のレポート」を渡しました。ダニーの母親や兄弟たちは、ダニーの殺害事件を解決させる(犯人の検挙)ために何の力もなく、政治家とのつながりもなく、ましてやお金もありません。彼らができることは私たちの神に、その復讐を訴えるだけです。私たちは泣きながら祈りを捧げました。

3月14日、私たちがブネグを去るとき、彼らは泣いて私たちを見送ってくれました。私はまたこの地に戻ってくることを彼らに約束しました。

主の大いなる力を感じて
メアリー ジェイン

2015年3月17日

ダニーのお母さんに(ダニーについて)何が起こったかを説明することは大変難しいことでした。私はただ泣いて、ダニーを守ることができなかったことを彼女に詫びました。
そしてその日の夕方には、彼女は私がダニーの世話をしたこと、彼を神さまに導いたことに対して私に感謝し、私を抱きしめたのです。

ダニーの母親や親戚が住むアブラ地区のサパルには宗教がありません。しかし(アブラの)ブネグに住むダニーの一番上の兄はブネグのキリスト教会の長老なのです。

再度、お願いします。どうか、彼の親戚のだれかがダニーがしていたブラカンの伝道所、農園の仕事を引き継いでくれるようにお祈り下さい。特に、私は彼らにそのことを積極的に話してはいません。そのかわり、彼らにはダニーがどのような仕事をしてくれたのかを写真などで見てもらいました。
皆さまのお祈りに対して再度、お礼を申しあげます。またご連絡します。

主の強さの中で守られ、励まされて
メアリー ジェイン