TRANSLATE

AD | all

第227号 マタイ25:14-30

キリストが『タラント』のたとえで想定された時代はまさに、キリスト信徒迫害の時代

― キリスト信徒として最後までキリストに忠実に生きるとは?
今日、シリア、イラクを電撃的に侵攻しているイスラム教スンニ派の過激派組織、自称「イスラム国」(IS)の野望は、イスラム教の戒律を厳格に適用するカリフ国家の樹立と、イスラム国をアジア、アフリカにまで拡大すること―
                               
天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』ところが、主人は彼に答えて言った『悪いなまけ者のしもべだ…おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきであった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。                    
マタイ25:14-30

この八月半ば、考古学者たちがエルサレムからテルアビブへの高速道の近くを発掘中、小さな陶磁器の箱の中に、古代ユダヤの貨幣が隠されていたのが発見されました。中にあった百十四枚の青銅の硬貨には銘刻と像が施されており、正確に70CE(西暦七十年)、―まさに、ローマ勢がエルサレムを征服、神殿を破壊し、全ユダヤ人を国外追放、四散させた年― のものであると判定されました。二千年前の動乱の時代、戦争時に生きたあるユダヤ人が、そこに隠すのが一番安全だとみなし、後で取りに戻るつもりで、財産を入れた陶磁器を地に埋めたに違いありません。時代をさかのぼれば、586BCEに都エルサレムが陥落したとき、バビロン勢による国家占領の危機に際して、イスラエルの人々が同じように考えたことが、エレミヤ書41:8からもうかがえます。そこには、食料を畑に隠し持っていた十人のユダヤ人が、たまたま出くわしたゲリラの長に虐殺されずに、生命拾いしたことが記されています。たとえ一時的であったにせよ、隠し持った財産によって生命をつなぎ止めた例です。

キリストは冒頭に引用した『タラント』のたとえを、受難週、最後のメッセージ「オリーブ山での講話」の中で語られました。マタイ25章には、『十人のおとめ』、『羊とやぎ』のたとえを含む三つのたとえが記されていますが、いずれもキリストの十字架上での贖いの死の後に起こる出来事の預言でした。一タラントは、当時の一年分の給料に匹敵する額で、たとえの主人は、留守の間、しもべたち各々に能力に応じて異なった額のタラントを与え、各自に異なった達成を期待したのでした。このたとえで、委ねられた「一タラント」を、安全のために地下に隠した三人目のしもべの行為は、当時の、あるいは、いつの時代であれ、この世の人々が危機に瀕したとき選ぶ道で、キリストは、近未来的には70CEの都エルサレム陥落に至る動乱の時代を、遠未来的には、ご自分の再臨直前の、信徒にとっては迫害、艱難、恐怖の時代を想定して、預言的警告を語られたのでした。今回の考古学的発見は、キリストのこのたとえの時代背景をより明確に裏づけることになったのです。

このたとえは、主人、すなわち、キリストが、旅行のため長期間留守をするという平和裏な設定ではなく、神の民の存在そのものが、あるいは、キリスト信徒であること自体が危ぶまれるような困難な時代に、最後までキリストに忠実に生きるとは信徒にとってどのようなことであるのかを教えたものでした。使徒パウロは、再臨の主を迎えるまでの信徒の姿勢について、
私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。この場合、管理者には、忠実であることが要求されます…ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです
(コリント人第一4:1-5、下線付加)
と教えましたが、ここには、困難な時代を想定してのキリストの教えが反映されています。パウロは、若く経験が浅いために小心になりがちであった弟子テモテに
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい…
(テモテ第二4:2-5)
と、時代の良し悪しに関わらず、委ねられた賜物を最後まで主のために最大限に用い続けるべきこと、人の目を恐れて「臆病」であってはいけないことを諭し、励ましましたが、このメッセージは、終末の末期に生きる今日のキリスト信徒が最優先で耳を傾けなければならないことです。

「タラントを地の中に隠(す)」ことに象徴されているのは危険を冒さない安全な道で、主から与えられた賜物―お金、地位、能力、技術― を用いて精力的に行動することを怠ることを意味します。そのようなしもべの姿勢に対する主人の非難
悪いなまけ者のしもべだ。私が、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか
から、このなまけ者のしもべが、自らの怠惰を主人のせいにしたことがうかがえます。ここでキリストが想定された時代背景が、キリスト信徒であることに対する迫害、国家喪失の時代であることを考慮すれば、そのことに備えての、キリスト信徒にふさわしい生き方とは、人の目を恐れる自分の弱さ、不信仰を、環境や時代、あるいは、神のせいにするのではなく、最後まで、信徒の責任、すなわち、福音宣教に自らの賜物を最大限に用いていく生き方であることは明らかです。その働きの結果の実りは、二倍であれ、百倍であれ、主ご自身が面倒を見られるので、各々の信徒がすべきことは、ただ実りを得るために挑むことなのです。

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません…わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます…自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします(マタイ10:28-39)
とキリストが、信じる者すべてに約束された報いの「とき」の到来が切迫していることは、マタイ25章の三つ目のたとえの背景を明示した冒頭の言葉
人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
から明らかです。キリストを受け入れ、救われた者が「備えられた御国を継(ぐ)」ための、信徒への報酬授与は、待ちに待ったメシヤの王国が地上に樹立される直前、キリストの裁きの御座“ベマ”において行われます。ユダヤ人やキリスト信徒に対する迫害が中東だけでなく全世界的に広がり、深刻化している今日は、まさにキリストがこのたとえの背景に想定された時代で、私たちは、たとえの中の第一と第二のしもべにならって、キリストの御旨に忠実に生きることがいかに困難であるかを体験していく時代にすでに突入しています。

中東、特にイラクのキリスト信徒に対する迫害をはじめ、イラクの少数派のヤジディ教徒への迫害は、今年六月のイスラム教スンニ派の過激派組織「イラクとシリアのイスラム国」(ISIS)による電撃的なイラク北部侵攻により口火が切られ、国連は八月半ば、イラクで起きている人道危機を、シリア、南スーダン、中央アフリカに並び、最大規模、高緊急性の「レベル3」に指定しました。
シリアを拠点とする、アルカイダから分派したISISは、イスラム教の戒律を厳格に適用するイスラム教のカリフ国家の樹立と、ひいてはアジア、アフリカへの拡大を目指し、今年イラクに侵攻、6月29日には改名して、「イスラム国」(IS)を宣言しました。

イスラム教では、指導者を世襲によらず、預言者ムハンマドの後継者の中から選出すべきとする「スンニ派」と、ムハンマドの直系の子孫からとする「シーア派」の暴力的対立が七世紀以降続いており、第一次世界大戦によって、トルコを本拠地とするオスマン帝国が終焉後、英国が委任統治国となった後も、イラクは三区画に分裂、北部モスルを中心にクルド人、南部バスラにはシーア派、バグダッドにはスンニ派が定住しています。

2003年に米国がイラクに侵攻し、サダム・フセイン体制が滅びるまでは、スンニ派が政治の中心的地位を占めてきましたが、2006年、初めてシーア派のマリキ政権が支配権を持つことになったのでした。今日、シリアからイラクへと勢力を拡大しているISによって、イラク国家分裂が危ぶまれていますが、他方で、ペルシャ帝国とオスマン帝国とのはざまの前線地帯で数世紀に亘って共同体を形成してきた、独自の言語、文化を持ちながら、自身の国家を持たない世界最大の民族と言われているクルド人の独立国家誕生の可能性も出てきているようです。


六月上旬モスルを支配したISは、キリスト信徒に、イスラム国の非イスラム教徒への人頭税「ジズヤ」納税か、処刑かの選択を強要し、迫害を恐れた多くの者たち、シーア派住民も含めた五十万人以上がクルド自治区に避難し、モスルからすべてのキリスト信徒が強制退去させられたのでした。古代アッシリヤの首都、チグリス川上の「ニネベ」の近くのモスル、―イラク第二番目の大都市― には六千年以上に亘って、アッシリヤ人が住み、彼らは二千年前、キリスト信徒に回心したのです。

しかし7月19日(土)、モスル最後のアッシリヤのキリスト信徒が去ったことが報道されました。2003年の米国のイラク侵攻以来、百万人以上のキリスト信徒がイラクから亡命し、現在、三十万人ほどしか残っていないとのことです。家屋、家財、所有物、食料、すべてを置いて立ち去ることを余儀なくされた難民たちや地元の人々の間では、「イラクではISに対抗し、他方でシリアでは政府に盾つくISや他の過激派組織を支持する」というような、米国やヨーロッパ諸国の不可解で矛盾した政策への不満が高まっているようですが、いろいろな要因が複雑に絡み、様相は混乱を極めています。

万が一イラク国家が幾つかの小国家に分裂するようなことになれば、そのドミノ効果で全中東が揺るがされ、レバノン、シリア、ヨルダン、トルコ、イスラエル、エジプトに市民戦争が勃発することを危惧する人たちは多く、ISの自称「聖戦」の標的は、最終的にはカナダ、英国、米国に至るであろうとの警告もされています。

実際、問題はイラクだけでなく、中東の全クリスチャン共同体は、ISによる絶滅の危機に直面しており、八月には、ISの威嚇声明を受けて、英国、米国の指導者はともに、シリアとイラクでの闘争のゆえに自国がテロ行為に巻き込まれる可能性を危惧し、自国民を守るため警戒態勢を強化することを表明しています。