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Yさんの証し その5

四月をふり返って

先日、夫の小腸内視鏡検査の間、病院の待合室で、夫のことをはじめ、さまざまなことに思いを馳せておりました。L姉妹のこと、闘病中のChristianの兄弟姉妹、病院に来られている患者さんたちのこと、簡単な検査・手術だと思って検査・入院をされた方が、深刻な病気を宣告されたり、中には手術室から、帰らぬ人となって出てこられることもあると聞いているものですから、そのような方々のことをあれこれ思い、祈りながら、待っておりました。

また、残り百頁ほどだった、ドストエフスキーの『罪と罰』も長い待ち時間を利用して、読み終えました。贖(あがな)い・恩寵をテーマにした古典ですが、とりわけ娼Sonyaの慈愛には、激しく心を揺さぶられました。自分の「(隣人への)慈愛の無さ」も思い知らされた気がいたしました。

半日がかりの“Colonoscopy”は、無事、終わりました。
お祈りありがとうございました。
Hallelu-jah!

4月28日 

今朝、無事にシフトを終えることができました。
皆さまのお祈りに感謝申しあげます。

L姉妹とご家族の肉体的・精神的な戦いの日々を覚え、主の御言葉と皆さまのお祈りのお支えで、この一番苦しいときを乗り越えられますよう、重ねてお祈りいたしております。
このような闘いの中で士気を保つことの難しさは、患難の状況こそ違え、だれしもが身をもって経験されていることと思います。
襲いくる不安、極度の緊張と気を張り詰めつづけていることからくる疲労、そして絶え間ないサタンの攻撃、少しでも弱気になろうものなら敵は一気に、八方から揺さぶりをかけてきます。

スイスの法学者であったカール・ヒルティは、聖書の中には、「恐れるな」という主の御言葉が三百回以上もあると記しています。
このような状況におかれたときに心に浮かぶのは、
エレミヤ書1:17
‘Do not be dismayed by them、lest I dismay you before them.’
です。
そのようなとき、私は、祈りと主の御手が戦局を変えて下さると信じながら、「ここで弱気になったら敵の思うつぼ、今までの闘いが水の泡になってしまう。この正念場を持ちこたえられるよう、イエスさま、どうぞお支えください!」と強く念じています。

ユダヤ人の “ひび割れた壺”の 「伝説」

West Sussexでユダヤ人のご婦人にヘブライ語を教わっていたころ、彼女がとても興味深い「伝説」を話してくださったことがありました。その出典については残念ながら解りません(『ミシュナ』か、何かでしょうか?)が、救世主の到来についての伝説です。

その伝説によると、この世は悪や不公平、四苦八苦を免れない「ひび割れた(欠陥のある)壺」なのだそうです。
修復をしないと“ひび”はどんどん大きくなって壺を粉々にしてしまうため、ユダヤの兄弟姉妹はこの修復を休むことなく続ける、すなわち、不正を裁き、苦しむ兄弟姉妹に大きく手を開く、のだそうです。
もちろん、修復しようとするやいなや、埋めた“ひび”とは別のところから、今度は別の“ひび”が入ります。この工程は果てしなく続きます。
それでは、このきりのない修復作業を、心を尽くして行うのはなぜなのでしょうか?
それは、この壺の“ひび”がすべて埋まったときに、救世主(ユダヤ人のメシヤ)がこの世に来られると、ユダヤ人の間では信じられているからだそうです。

救世主(救い主、メシヤ)

イエスさまが「この世の終わり」について語られたとき、この世は今までになかったほどの悪と不正と患難に満ち(マルコ13:19ほか)、これ以上悪くなりえないところにまで至るが、そのとき初めて、救世主(イエスさまご自身)が再臨される、と預言されました。
お恥ずかしい話ですが、福音書のこの部分を読んだとき、私は正直な気持ち、「このような大変な時代に(もし、まだ生きている間に遭遇したなら)、私は本当に希望と信仰を失わず、耐え忍び、主を待ち望んでいるだろうか」と思ったことが何度もありました。
ですから、このユダヤ人の「伝説」を聞いたとき、私は、なぜユダヤ人が何世紀にも亘る過酷な迫害を耐え忍ぶことができたのか、少し理解できた気がいたしました。

彼らにとって、この“ひび”をすべて埋めつくすことは、イエスさまが‘Be perfect’といわれたことと重なるのかもしれません。
「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(マタイ5:48)
確かに、魂の救いの道はただ一つ、主の恩寵・憐れみにすがる(イエスキリストの死による贖いを信じる)ことです。
しかしこの世の理不尽・患難については、壺の“ひび”が主の奇蹟で埋まることを祈って、待つだけではなく、人間の業と主の御手の共同作業によって埋めていくことの大切さを、私は、この「伝説」から学びました。
「ひびを埋めつくすこと」、すなわち、「(天の父のように)完璧であること」はほとんど不可能で、終わりのない試みですが、
「人にはできないことが、神にはできるのです」(ルカ18:27)
とイエスさまが仰ったとおり、神さまと私たち人間との共同作業、‘partnership’で、「ひびが埋めつくされる」日が必ず来ます。
そのときまで、同じ救世主を待ち望む者として、私も“ひび”の修復に小さな一役を担えたら、と思っております。
*人間と神の共同作業‘partnership’については、英国のChief Rabbi Jonathan Sacksさんが著書の中で言及されておられます)

とりとめのないこと、私が感じたままに、つづってみました。
明日は久々のヘブライ語レッスンです。夜勤明けですが少し早く起きて、予習をしようと思います。

皆さまの上に、主の祝福が豊かにありますように。
Yより

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