『ヨブ記』を熟読、与えられた洞察
2019年1月30日(水)
頌主
日本はインフルエンザが猛威を振るい、死者が出ていると聞き、とても心配いたしております。皆さまの上に、主の揺るぎないお守りがありますように。
日本はインフルエンザが猛威を振るい、死者が出ていると聞き、とても心配いたしております。皆さまの上に、主の揺るぎないお守りがありますように。
今日は週一度の職場の聖書勉強会がありました。
1月16日から『ヨブ記』をともに学びながら、自身の体験談やそれぞれの視点を話し合い、祈っています。
1月16日から『ヨブ記』をともに学びながら、自身の体験談やそれぞれの視点を話し合い、祈っています。
ヨブ記1:1-2:10
本日の質問(ヨブ記1:1-2:10)は非常に考えさせられることが多く、帰宅後、読み返しました。
1.サタンは、ヨブの何を神に訴えたのか?
2.神はどのような理由で、ヨブとヨブの家族があのように痛ましい危害を被るようなサタンの挑戦に同意されたのだろうか?
1.サタンは、ヨブの何を神に訴えたのか?
2.神はどのような理由で、ヨブとヨブの家族があのように痛ましい危害を被るようなサタンの挑戦に同意されたのだろうか?
1:9-11
サタンは主に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
ここに明記されている通り、主は、ヨブのご自分に対する揺るぎない信頼と信仰を称賛します。そこで、サタンは「ヨブの主への信頼と信仰が無条件のものではない(一番目の質問)」と当てこすり、ヨブの愛する者たちやその所有財産を取り上げるよう、神に訴えました。
2:1-10
…サタンは主に答えた。「皮の代わりは、皮をもってします。自分のいのちの代わりには、人は財産すべてを与えるものです。しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。主はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」
二番目の質問については、「主はすべてをお見通しであり、ヨブの主への信頼と信仰の堅古さを知り尽くしておられたから、この挑戦を受けて立たれたのだろう」と、勉強会のときは漠然と考えていたのですが、何か腑に落ちないものを感じながら帰宅しました。
ヨブを含め、イスラエルの族長時代の人々は、心を尽くして主の掟を守る者には豊かな祝福が約束されていること、それが契約の中で明記されていることを心にいつも留めておりました。
サタンはこれを逆手に取り、「祝福(見返り)がなければ、だれも主を心から愛しもしないし、主の掟など心にとめないだろう」と当てこすったのです。
さらに、サタンの当てこすりはこれに留まらなかったのではないかという気がしてきました。
主に逆らい、おごれるサタンは、「ヨブの主への信頼と信仰は無条件のものではない」と非難することで「主の人間に対する愛と祝福も無条件ではない」と、暗に揶揄したのです。
「ヨブ(人間)が信頼と信仰を諦めたとしたら、主はヨブ(人間)を、それでも愛する(恩寵を与える)だろうか」と。
このように捉えるなら、このサタンの挑戦は本当は(ヨブにではなく)、主自らに向けられた挑戦だったということになります。
だからこそ、主は受けて立たれたのではないか、との考えに思い至りました。
このように捉えるなら、このサタンの挑戦は本当は(ヨブにではなく)、主自らに向けられた挑戦だったということになります。
だからこそ、主は受けて立たれたのではないか、との考えに思い至りました。
そうすると、次の問い
3.神がサタンの二つ目の挑戦(2:1-10)に同意されたのは、なぜか?
にも、新たな見方が出て来そうです。
3.神がサタンの二つ目の挑戦(2:1-10)に同意されたのは、なぜか?
にも、新たな見方が出て来そうです。
ここでサタンは、「ヨブが自らの生命を捨ててまで、主への忠誠と信仰を貫くわけがない」と投げかけました。
これは先程と同様の過程で解釈すると、「(主は不死身でいらっしゃるが、もし人間のように生命に限りがあるとしたら)人間のためなどに、辱めを耐え忍んでまで生命を投げ出すことはないだろう」という、主の人類救済のご計画への挑戦であったとみることができるのではないでしょうか。
しかし、これら二つの挑戦は、「主イエスの贖いの死」によって完全に打ち砕かれることになりました。
もう一点、非常に興味深いことは、サタンがヨブの生命に手をかけることを、神がお許しになられなかったことです。
これは、(主イエスの贖いの死を信じる者が手にする)「永遠のいのち」がイエスによってずっと後に約束されたことと関係があるのかもしれないと思っております。
これは、(主イエスの贖いの死を信じる者が手にする)「永遠のいのち」がイエスによってずっと後に約束されたことと関係があるのかもしれないと思っております。
フルダミニストリーで強調されている教え「ヘブル語(旧約)聖書の中の福音のひな型」を今日、少しではありますが、垣間見ることができた気が致します。感謝の気持ちでいっぱいです。
今後ともご指南を何卒よろしくお願い申し上げます。
皆さまの上に、主の豊かな祝福がありますように。
Y