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フレデリックの宣教報告、続き:2017年11月17日

「赦しと和解」の教会指導者研修会(ブルンジ、ガンクゾーにて)

2017年8月28日〜9月1日、レーマミニストリーは、ガンクゾーで「赦しと和解」の研修会を開きました。講師は私、フレデリック・ハレリマナと他二名です。ちなみに、ガンクゾーは首都ブジュンブラから240km離れたところにあり、道路は舗装されています。
この研修は、参加した人々の意見をまとめるとまさに時宜に適ったものでした。
研修の詳細はここ

分裂の教会事情

研修参加者が語ったことは次のようなものでした。
「私たち、合同メソジスト教会は二つのグループに分裂し、困難な時期を過ごしています。教会が二つに割れてしまったのです。このため教会は癒しがたい傷を負ってしまいました。いわば、幾人かはアポロにつき、他の者たちはパウロにつきのような状態になっているのです。ですからこの研修は大変重要なのです」と、ある牧者は語りました。

この研修を始めるにあたり、取り上げた話題「赦しと和解」に対して多くの質問が投げかけられました。たとえば、「病気であること」と「赦し」には関連があるのか?関係がないとすれば、イエスはどうして麻痺した人にあなたの罪は赦されたと言い、その人がたちまち癒されたのか?
別の牧者は言いました。「私たちの国と教会は、分派、殺戮、根深い嫌悪…という困難な時代を通り過ぎてきた事実を無視しているように思える。この問題は公には決して解決されてきていない。国民の間で、強い和解への努力がされることなく、多くが隠されたままになっている。ゆえに、この研修を受けている私たち自身がそのような本当の和解を始める絶好の機会である」と。

「主の祈り」の意味を再発見

本題に進んだとき、研修参加者は、自分たちがどんな風に「主の祈り」を祈っていたのだろうか、ただそれを唱えていただけで、一度も一分たりとも、祈ったことの結果を考えるために立ちどまったことがなかったのではないかと、思いを巡らしました。
彼らは主の祈りの中の聖句
私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人を赦しました
に深く心を動かされたのでした。言い換えれば、それは、あたかもイエスご自身が私たちに語っておられるかのようです。
「私たちが、私たちに負い目のある人を赦す度合いは、主が私たちを赦すのと同じ度合いである。あるいは、私たちが、私たちに負い目のある人を赦す目盛りは、あなたが私たちを赦すと同じ目盛りである。もし私たちが、私たちに負い目のある人を赦さないなら、主も私たちを同じように赦さないであろう」ということでしょうか。
なんと力強い啓示ではありませんか!

ある参加者は「果たして主は、私たちが祈ることを分かってくださるのだろうか、あるいは、それが見かけの祈りにすぎないとみなされるのだろうか。もし後者だったら、だれも天国に行けないだろう。私たちは実際、赦していないことに気づかされた」と、言いました。
また、別の参加者は次のように言いました。「イエスは、私たちが達成することが不可能なことを要求されたのだろうか? もしそうでないなら、どうして私たちの日常生活や教会で赦しが見られないのだろうか? その答えは、私たちが説いてきた福音が薄っぺらだった、ということだ」と。
研修参加者のために祈るフレデリック

研修は実りました。研修の終わりには、本当に多くの研修参加者が祈ってほしいと私たちのところにやって来ました。
彼らはひざまずいて祈りました。聖霊のご臨在は圧倒的で、真の悔い改めがなされました。
悔い改めの祈りをささげる研修参加者

祈りの後、参加者はお互いに赦し合うため歩き回りました。
またある参加者は「牧者が、他の人々に対して、悔い改めてあなたがたの敵を赦しなさいと主の前で説いても、私たち牧者自身の中に憎しみ、恨みがあるのは残念なことだ。私たちの人を赦さない行動、習慣をもう終わりにしようではないか! もしそれができなければ、私たちは天国の門に入ることを許されないだろう。私たち牧者は、人々の肩の重荷を積み上げるのではなく、私たち自身が実践に生きることがらを、説教し教えていくときが来たのだ。赦しと和解が今後、私たちの説教の中心にならなければならない」と述べました。
ブグス・マシウ牧師(合同メソジスト教会、ガンクゾー地区総監督)は神に、研修参加者が他人を赦すことができるように、聖霊の力が降り注がれるよう祈り願いました
マスマリ・エドウド牧師(合同メソジスト教会、リュイギ地区総監督)も、「主よ。あなたが私たちを赦されたように私たちも他の人たちを赦すことができるよう助けてください。そしてお互いが和解できるように恵みを与えてください」と祈りました。
ある人々は静かに祈り、中には、泣きながら自分の赦せない心を赦してください、和解ができていないことを赦してくださいと、神にすがり、祈る人たちもいました。

「あぁ、神さま、我々をお赦しください!」

この時宜を得た研修をやり終えることができ、研修中、神が私たちとともにいてくださったことを感謝し、神をほめたたえます。

フレデリック・ハレリマナ