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メアリー・ジェインの手紙 : 2019年4月20日

父の誕生パーティーのため、ナガササヘ、しかし…

4月20日

フルダミニストリーの皆さま

昨日、4月19日は私の父の六十九回目の誕生日でした。
私たちはブラカンの伝道所/農園で食事をとり、正午前にナガササに住むアエタ部族を訪問するために、ナガササ入江の海岸(2014年、日本のFFNチームも訪れています)を目指して、私はエアコンのついていない古い車を走らせました。到着まで六時間かかりました。というのは途中、ザンバレスのカワグに立ち寄り、そこに住むアエタ部族に二頭の子豚を持っていったからです。夕方の5時に入江に到着しました。

そこで偶然にも私の弟と彼の娘に会いました。彼らは入江近くのホテルに泊まっていたのです。入江ではナガササのアエタ部族が所有する小さな舟が私たちを待ち受け、一回目はまず荷物を乗せてアエタ部族の住む場所まで航行し、荷物を降ろした後、また私たちが待っている入江の海岸まで引き返し、私たち(私、私の父、アブラ出身のアジ、アリエスとアクの少年たち)をようやく運んでくれました。もう夜の9時45分でした。
私は前もってアエタ部族の人々にはナガササで父の誕生パーティーをすると知らせていました。ナガササに到着したのは夜中の11時38分でした。

私たちが長旅で身体を休めていたところ一時間ぐらいして父が「めまいがする」と言ったので私たちはマッサージをしたり薬をあげたりしていたのですが、父は吐いてしまい、その後汗をかいたので、彼の状態が落ち着くまで私は彼の手足のツボのマッサージを続けました。

そして翌日の午前1時頃に彼はうとうとし始め、私と少年たちも彼の横で眠りました。その後、私は午前3時に目が覚め、トイレに行ったのですが、父は眠っていて、私は父の身体にジャケットをかけてまた眠ったのです。
そして午前5時15分ぐらいだったでしょうか、一緒に寝ていたアジが私を起こして、あなたのお父さんは息をしていないみたいだというのです。私は父を急いで起こそうとしましたが、父は本当に息をしていなかったのです。

警察が来て、彼を調べ、父の死亡を宣告しました。私は帰りの舟をすぐ出してもらうように頼み、ナガササのアエタ部族の人々も父の死を悲しんで見送りに来てくれました。帰りの舟の上で私は、私の膝に父を乗せて、神さまに父の生涯を感謝しました。私には父が主イエスを受け入れたかどうかの確信はありませんが、何回も救いについて話しましたし、多くの牧者がそのために祈ってくれました。

わざわざナガササまで行って、父の誕生祝いをしなくても良かったと、私は泣いたのですが、アエタ部族のヨシュア(伝道師)は「あなたの責任ではない。彼の死のときだった。」と言って私を慰め、他のアエタ部族の人々も泣きました。

1時間45分かけて入江までもどり、私はその間、泣き通しでした。入江の港で、ホテルにいた弟と一緒に、父の死亡に係る手続きをして、父を葬儀所に安置しました。

私たちは今ちょうどノースオリンパスに到着しました。
家族のうちで私ただ一人が父をなんとか蘇生させようとし、ついに彼の最期を看取ることになろうとは! 私はまだ途方にくれた状態です。
皆さまの父に対するお祈りを心より感謝いたします。
引き続き私たちへの慰めのお祈りを献げてくだされば幸いです。

心から感謝して  メアリージェイン

編集後記

今年1月にお父さんのことで祈ってほしいとの祈りのリクエストがありました。

お父さんは2013年に最初の脳卒中で倒れて以来、何度も脳卒中発作を繰り返し、半身不随のためメアリー・ジェーンと、ミニストリーに携わる少年たちが伝道所でお世話をしていましたが12月末に再び転倒して、額を数針縫う大けがをしました。
それ以降、体力の衰えが進み、お父さん自ら「祈ってほしい!」と願い出るようになり、メアリ・ジェーンは、イエス・キリストを受け入れ、永遠の神の御国に入ることができるようにと、何度も救いに招きました。
時々、「わかった、イエスを受け入れた!」との応答はあったようですが、明確な意思表示がないまま、他界されました。

お父さんは、1月以降、伝道所の少年たちの手厚い看病によって、ザンバレスの入り江ナグササまで旅ができるほどまで回復されたようですから、地上での最後の数箇月は主が導かれた恵みの日々だったに違いありません。

良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。(下線付加)
ソロモンは、『箴言』に、一見不思議に思える聖句を残しています。

もし選ぶとしたら、ほとんどの人は葬式よりも誕生パーティーに行くでしょう。
しかし、ソロモンは、そのことに疑問を投げかけたのです。
ソロモンが疑問に思ったのはなぜでしょう。
悲しみは、喜びがもたらす以上の良さを、人々の心にもたらすからです。

ソロモンは、人生の二つの重要な日を対照させています。
1.人が名を受ける日

2.その名が死亡欄(死亡者略歴欄)に載る日

これら二つの出来事の間にこの世で営まれた人生が、その人の名が後にかぐわしい香りを残すか、あるいは、悪臭を放つしみを残すかを決定するのです。
この意味で、人の死の日は、その人の誕生の日より良いのです。


「香油」と「名」の関連づけの興味深い例

ベタニヤのマリヤが高価な油でキリストの埋葬の油注ぎをしたとき、香湯の香りが家中に広がりました。そのとき、キリストは彼女の名が世界中で覚えられるようになると言われましたが、まさにその通りになったのです。

正反対は、イエス・キリストを裏切った弟子ユダの例です。
ユダはキリストを敵の手に渡したことにより、彼の名は忌み嫌われるようになりました。
イスカリオテのユダが生まれたとき、彼には「賛美」の意の素晴らしい名「ユダ」が与えられたのです。しかも、ユダはイスラエルの王家の血筋でした。
しかし、ユダが死んだとき、ユダはこの栄誉ある名を恥ずべき名におとしめてしまったのです。