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第283号  ルカ9:23-35

主イエス・キリストとの親密な関係から生み出される、何ものにも揺るがされない信仰

イエス・キリストを信じる信仰生活を通して、神の偉大さ、神々しさに畏敬の念を体験した者はだれでも、これからの人生で何が待ち構えていようと、主の再臨、キリストの救いを確信をもって待ち望むことができるのです…

イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます。まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、神の国を見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」
これらのことを教えてから八日ほどして、イエスはペテロとヨハネとヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられると、その御顔の様子が変わり、その衣は白く光り輝いた。そして、見よ、二人の人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤで、栄光のうちに現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について、話していたのであった。ペテロと仲間たちは眠くてたまらなかったが、はっきり目が覚めると、イエスの栄光と、イエスと一緒に立っている二人の人が見えた。この二人がイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った…ペテロがこう言っているうちに、雲がわき起こって彼らをおおった。彼らが雲の中に入ると、弟子たちは恐ろしくなった。すると雲の中から言う声がした。「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」 ルカの福音書9:23-35(新改訳2017)

イエス・キリストを信じる信仰とは、どのような信仰でしょうか。この世の唯一の救い主、キリストを証しし、キリストの教えを収録した聖書は、信奉、働きによって得るこの世のご利益を一切約束していませんから、キリスト信仰とは、いわゆる人が考案、作り上げた宗教のことではありません。ヘブル語(旧約)聖書に預言され、新約聖書でキリストが教えられた福音は、簡潔に言えば、
すべての人は生まれながらの罪人で、自分たちの手でこの世に真の平和をもたらすことはできないので、必然的に神と神の救いの手段を受け入れ、神の国に入れられる必要がある。神の約束を信じ、神の命じられたことを行う者たちには死後、永遠の生命が与えられるだけでなく、この世でもすべて必要なものが添えて与えられる 
ということでした。

神の救いの手段として神ご自身が与えてくださった、イエス・キリストを受け入れた者には、個々の信徒のうちに宿られる聖霊の働きと導きによって祝福の信仰生活が始まりますが、逆説的に、それは決して楽な道ではなく、悪しき霊や迫害との戦いの人生になります。それは、キリストを受け入れることで、サタンの支配下にある「真理を憎むこの世」を敵にすることになるからです。
冒頭に引用した箇所には、三人の弟子たちがこの世に生きたままで、未来の神の国を垣間見る超自然的な体験、すなわち、キリストの変貌の出来事を体験したことが記されています。神々しい神の御姿をキリストご自身に見たペテロは、この出来事に遭遇し、神の御声をも聞いた衝撃を後に、自らの手紙の中で
私たちの主イエス・キリストの力と来臨を…目撃者として伝えた。(ペテロ第二1:16)
と、確信をもって語っています。

この超自然的な出来事を体験する前、弟子たちがキリストとともに山に登って祈ったことに留意することは大切です。その祈りを通して、また、はるか昔にこの世を去った神の人、モーセとエリヤが御国で生きている事実を目撃することによって顕された神の未来のご計画を通して、さらに、雲間からの神の御声を通して、三人は「キリストが、罪人に生命を与えてくださる真の救い主として神が選ばれた御子である」ことを確信することができたのでした。
キリストの死後、弟子たちが死に至るまで揺るぎない信仰を持ち続けて殉教に至った原動力は、内住の御霊と祈り、また、キリストとの関係に生きることを通しての数々の超自然的な体験によるものでした。今日も、同じことが各々のキリスト者に適用できます。

英国では、EU離脱が十月まで延期され、国家指導者や国会の方向性が混迷し、かつてない国家危機に陥っているとの不安の声が聞かれますが、久しぶりに英国のキリスト者との交わりを通して感じたことは、キリスト信仰に生きる兄弟姉妹たちには、この世の動乱、諸問題は彼らにとって神への依存、祈りへの専心にこそなれ、不安、失意に埋没させるものでは決してないという確信でした。
1918年にマザー・バーバラは、ロシア正教会のアリストコリ司教から受けた預言を伝えましたが、その中に、すでに成就した出来事をも含めて
英国は築き上げた帝国と植民地を失い、ほとんどが荒廃するが、しかし、祈る女性たちによって救われる。
との言葉がありました。

英国のキリスト者たちの間では、祈るためにクァハール(エクレシア)を随時招集して、異なった教会に属する近隣の兄弟姉妹をも含めて、緊迫した課題に焦点を当てて真剣に祈るグループが広く行き渡っています。
その結果は、まさに奇蹟の信仰生活の実証です。

E姉は最初の子に恵まれたとき、妊娠初期の時点で胎児に欠損内臓があると診断され、この世の常識に従って堕胎が勧められましたが、キリスト者夫婦にとっては、子は神からの賜物、神のご介入を願う祈りと執り成しが始まりました。胎児は成長するにつれ、臓器が形づくられ、障害は残ったものの無事出産という奇蹟が起こりました。その後、健康な第二子に恵まれ、現在、第三子の出産が待たれています。
G姉は二十年以上離婚した夫を待ち続け、絶えない祈りと執り成しの結果、数年前夫と再婚、現在は夫もキリストを受け入れ、祝福の信仰生活を送っています。
J姉は、十数年間の幸せな結婚生活がキリスト者の夫の不倫、離婚請求で突然の困難に直面していますが、G姉の例証に励まされ、また、自身の信仰生活の中で、主が何度も奇蹟的なご介入や預言的に語られた事々の成就など多くの体験を通して築き上げられた主との親密な関係に裏づけられた「信仰の賜物」に支えられ、目下、揺るがない確信、祈り、執り成しで主が突破口を開かれることを待ち望んでいます。
そのほか、この祈りの輪に参加している兄弟姉妹たちの間では、この世の人生のあらゆる面での奇蹟が御言葉遵守、揺るぎない信仰、祈り、執り成しによって起こっています。

冒頭の聖書箇所から洞察が得られるように、この世の困難、迫害にも屈しない信仰は、内住の聖霊、確信をもって祈る祈り、神との深い関係、によって生み出されます。

このような信仰はまさに山をも動かす信仰ですが、この受難週に封切りされたハリウッド製作者デボン・フランクリンによる映画‘Breakthrough’は、揺るがない信仰による奇蹟が今日もキリス者の間で起こり得ることを、実例を通して例証しています。
この映画は、14歳の少年が氷の割れ目から落ち、15分後に救い出されたが心肺停止で、病院で四十五分間蘇生術が施され、心拍は再開したものの、脳症で回復不能と宣告された後、神のご介入により突破口が開かれ、生き返る奇蹟が起こったことを描いています。

別れを告げるため、少年の母親が救急処置室に入ったとき、彼女は、十七年間祈り続けて与えられたその子を神が取り去られるはずがない、その子の上に三人の子がいたが二人は亡くなり、今は兄一人しかいない、その少年は神が授けてくださった賜物ではないか!と神に悲しみを訴え、主と問答を繰り返しながら病院へ急ぎ、主の答え「心配しなくてもよい。このことはわたしが引き受けた」の意味が完全には分からないまま、揺るぎない確信で少年の蘇生のため祈ったのでした。 ➪Monthly Letters No.283 参照

反迫害慈善団体のオープン・ドアーズは毎年、キリスト者が最も迫害を受けている五十の国々のリストを発表していますが、2019年度の上位十一箇国は、順に北朝鮮、アフガニスタン、ソマリア、リビア、パキスタン、スーダン、エリトリア、イエメン、イラン、インド、シリアです。北朝鮮は過去十八年間、最悪の迫害国としての地位を保っていますが、五年前までは、北朝鮮だけが過酷な迫害国だったのが、今年は十一箇国が最悪のリストに挙げられています。
国際的監視報告によると、キリスト者に対する迫害は2018年に世界中で飛躍的に増加し、今日、二億四千五百万人以上のキリスト者が迫害を受け、13.9%、すなわち、三千万人以上のキリスト者が一年前より、さらに厳しい迫害に遭っているとのことです。2018年には、四千三百五人以上のキリスト者がただ信仰がゆえに殺害されたのでした。迫害されているキリスト者をよく支援している国の一つは英国とのことですが、英国をはじめ、いわゆるキリスト教国でも、キリスト者迫害は飛躍的な増加の傾向にあるのです。キリストの預言的警告は終末末期に生きる私たちに語られているのです。

2019年度の国際的監視報告は、アジアが迫害の新たな温床になっていることを示しています。過去五年間で急速に増加し、現在、アジアのキリスト者の三人に一人が過酷な迫害に苦しんでいます。中国での迫害は1976年の文化大革命以来の最悪状態にあり、世界最大の民主主義国で、過去十数年のうちに福音宣教が急速に広まったインドも、今年初めて迫害国の上位十箇国に挙げられました。ヒンドゥー教過激派によるキリスト者や教会に対する暴力的攻撃が、日増しにエスカレートしているのです。

今日、インドで主要宗教であるヒンドゥー教徒の宗教的少数派に対する暴力行為が推進されている背景には世界的な国粋主義の台頭があり、同様な迫害傾向が、国家のアイデンティティが宗教に拘束されているブータン、ミャンマー、ネパール等の国々でも見られます。少数派のキリスト者は都市から追放され、そのため、遠隔の農村地帯のキリスト者にもかなり顕著な影響が及んでいるのです。
「非暴力、不服従」を訴えたマハトラ・ガンジーによって建国されたインドが、国際的監視報告で、今日イランに続くキリスト者迫害国に挙げられたことを嘆く英国在住のインド人キリスト者は少なくありません。四、五年前の彼らの証しとは打って変わって、今日、インドでは多くのキリスト者の日常生活が恐怖にさらされているのです。

他方で、東南アジアではイスラム教過激派の台頭が憂慮されています。
インドネシアの自爆テロリストたちはキリスト教会を標的にしており、フィリピンのミンダナオ島やインドネシアのアチェ州は、イスラム国との関連グループの占領地帯で、そこから地盤、領域を広げているのです。

しかし、ヨーロッパ、米国、オセアニア諸国等キリスト教国における迫害の増加は、昨今の自由主義的な愛の道徳的混乱に起因するとみなされるかもしれません。
次号で、詳細を取り扱いたいと思いますが、信仰は犯罪ではなく、信徒は犯罪者同様に扱われるべきではないにもかかわらず、自由主義的な愛の主張が政治的妥当性という名の下で、聖書を説くキリスト者への迫害に拍車をかけているようだからです。