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第209号:ヨハネの黙示録17章:ロー マ教皇ベネディクト十六世退位

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黙示録17、18章を文字通り、今後 復興される都バビロン(現在のイラク)の再崩壊と解釈する見解が最近増えている一方で、寓意的には、「緋色の獣に乗っている」大 淫婦をローマ・カトリック教会とみなし、偽預言者と反キリストとその体制下の十の国々が大宗教組織カトリックを利用して世界統一を達成した後、カトリック教会を見捨て、撲滅すると解釈する見解があり、今日、マラキの預言を信じるカトリック教徒たちの間で危惧されている終末的裁きと大きく類似しています。終末の末期、「荒らす憎むべきもの」、「不法 の人」、「滅びの子」と表現されている反キリストが登場する前に背教が起こり、選民でさえ惑わされることになるとキリストは警告されましたが、神の言葉、聖書が正しく解釈されていない今日、その兆しはすでにキリスト教界で広がっているようです。

また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。『ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。』それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、『すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン』という名であった。そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた……
ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです……この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます……御使いたちはまた私に言った。『あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行う思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配を獣に与えるようにされたからです。あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。』
黙示録17章

2月11日に、ローマ教皇が28日付で辞任するとの衝撃的なニュースが報道され、その日の夕刻、バチカン市国にあるカトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂の避雷針に雷が落ちるという偶然とは思えないようなタイミングの予兆的な出来事が続いて起こりました。世俗のメディアは、異例な退位の背後には健康上の理由以外に何かあるに違いないと探りを入れ、陰謀説やバチカンに累積している不正の富、司祭たちによる児童虐待ほか諸犯罪隠ぺいの責任回避説などを取り上げていましたが、教会関係のニュースでは、次期教皇に関する話題が大きく取り上げられました。カトリック教会ではちょうどレントの期間に入り3月の31日のイースターまでに次期教皇を選出すべく、三月半ばに115人の枢機卿がバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂に集まり、教皇選出会議が開かれることになりましたが、カトリック教徒たちの間では「ベネディクト十六世の後継者は最後の教皇」という聖マラキの預言に関心が集まっています。聖マラキは十二世紀にローマ・カトリック教に傾倒したアイルランドの大司教で、1143年にローマ教皇となったケレスティヌス以降百十二人の教皇に関する預言を残したことで知られています。これら預言のリストに関心が払われるようになったのは、最後の教皇の時代に近づいた二十世紀後半のことで、百十一人目の教皇に関しては「オリーブの栄光」と預言されていたのでした。「ベネディクト会」を設立した聖ベネディクトはオリーブの枝をシンボルとしたのですが、百十一人目に選出されたのはまさにその名がベネディクト十六世で、聖マラキの預言は成就したとみなされたのでした。さかのぼれば、1958年のヨハネ二十三世も、1963年のパウロ六世も、1978年のジョン・パウロ一世も、その直後に就任したジョン・パウロ二世もみな、それぞれ「大司教と船乗り」(水の都ベニスの総大司教)、「花々の中の花」(三大輪の百合の装飾された法衣)、「月のただ中から」(満月に生まれ、半月から半月の一箇月間在位)、「皆既日食」(皆既日食のときに生まれ、皆既日食のときに葬儀が行われた)のようにそれぞれ預言を成就し、残るは百十二人目「ローマ人ペテロ」と預言されている最後の教皇というわけです。

現在次期教皇候補として有力視されている三人のうち一人はガーナ人の枢機卿、ピーター(ペテロ)・トゥークソンで、初の黒人教皇誕生の可能性が取り沙汰されていますが、奇しくもその名がペテロなのです。しかし、この聖マラキの預言は1595年に歴史家アーノルド・デ・ワイォンが見つけ、初めて世に出されるまではだれによっても言及されておらず、出典が定かでないだけでなく、預言に一貫性がないことから後世訂正、加筆された可能性もあり、その上、非常に短い句で告げられた各預言はどのように解釈することも可能なことから、ちまたにあふれている信憑性のない予言の一種とみなすこともできそうです。これらの預言が神の霊感によって書かれたか否かは最後の預言の成就にかかっているわけですが、カトリック教徒の間では、この最後の教皇が「大いなる背教」の始まりを画すことになり、教会は「大艱難」、終末末期の大惨事へと導かれていく、すなわち、世の終わりが来ると捉えられています。このように、「にせ預言者」が台頭し、世界の全宗教団体を統率し、聖書で「反キリスト」として知られている政治的指導者を奉るように導くという黙示録の啓示の筋書き通りのことが起こる「とき」が非常に迫っていることは、昨今、カトリックの司祭たちの間で驚くほどよく語られるようになってきているようで、カトリック教会を内部から揺るがす背教、教会組織の崩壊、「七つの山」の都ローマの陥落で支配を終えることになる最後の教皇、神の裁きの「とき」が不可避的に到来したとみなされています。

預言者イザヤは神のご計画の中ではすでに定められていた、しかし、なかなか訪れないと苛立つ思いで待ち焦がれていた、神と神の民の敵「バビロン」崩壊のときが訪れたとき、その裁きの恐ろしさのゆえに喜ぶどころか「海の荒野(「バビロン」を伏せた表記、暗号)に対する宣告。それは、荒野から、恐ろしい地からやってくる。きびしい幻が、私に示された。裏切る者は裏切り、荒らす者は荒らす……私は、心乱れて聞くにたえない。恐ろしさのあまり、見るにたえない。私の心は迷い、恐怖がわたしを震え上がらせた。私が恋い慕っていたたそがれも、私にとっては恐れとなった」(イザヤ書21:1-4)と表現しましたが、歴史的、地理的に崩壊した古代バビロンをローマ崩壊のひな型として描いたと思われるのが、冒頭に引用した黙示録のくだりです。黙示録17、18章を文字通り、今後復興される都バビロン(現在のイラク)の再崩壊と解釈する見解が最近増えている一方で、寓意的には、「緋色の獣に乗っている」大淫婦をローマ・カトリック教会とみなし、偽預言者と反キリストとその体制下の十の国々が大宗教組織カトリックを利用して世界統一を達成した後、カトリック教会を見捨て、撲滅すると解釈する見解があり、今日カトリック教会内で危惧されている終末的裁きと大きく類似しているのです。終末の末期、「荒らす憎むべきもの」、「不法の人」、「滅びの子」と表現されている反キリストが登場する前に背教が起こり、選民でさえ惑わされることになるとキリストは警告されましたが、神の言葉、聖書が正しく解釈されていない今日、その兆しはすでにキリスト教界で広がっているようです。

2月17日付けの‘Israel Today’(http://www.israeltoday.co.il)に、東京の本屋でヒトラーの著書「我が闘争(Mein Kampf)」の漫画本を見つけ、憤った駐日イスラエル大使、ニシム・ベン・シェトゥリートが日本の出版社に抗議したとのニュースが載せられていました。その本がイスラエルに対する挑発である理由を教えられ、日本の出版社と漫画家二人は陳謝し、即出版停止を決めましたが、すでに何万冊も世に出回った後でその回収はもはやできず、その代わり、何らかの形で謝罪がなされることになりました。大使は、そのような愚かで邪悪な本ではなく、聖書の英雄を漫画にして日本の子どもたちに知らせるようにと勧め、「創世記」、「列王記」、「預言者」の三冊が刊行されることになったのでした。それは、イスラエル駐日大使の素晴らしい考案でした!

日本では漫画は子供向けの本ではなく大人の本であることをおそらく知らない大使は、成長期の日本の子どもへの影響をひどく憂慮したようですが、この記事を見て私は、世界事情を全く知らない、商魂しかない日本人の愚かさを恥ずかしく思いました。日本にはマスコミを含め、今日の中東問題を正しく評価できる世俗の批評家はおらず、日本政府も世論もみな、歪めて伝えられている情報に基づいて、強国イスラエルではなく貧困にあえいでいるパレスチナという固定観念に縛られ、名目上は人道主義、博愛主義の立場から後者を盲目的に支持する立場をとっているのです。無知がゆえに今日の日本がすべての領域で揺さぶられていることは深刻な現実問題で、特に中東情勢の背景を正しく知るには、日本人はもっと「神の言葉」聖書に書かれていることを正しく知る必要があると勧告せざるを得ないのです。不気味に軍国主義が強まりつつある日本を憂え、大使を通して悪魔の本の代わりに、聖書の英雄が漫画の主人公になる本が刊行されるようにと導いてくださったのは紛れもなく神です。‘Israel Today’には「アジアの諸国民は未だ、ヒトラーを英雄視する傾向がある。それは、ユダヤ人や少数部族民に対してどんなに恐ろしい迫害、虐殺がなされたかを知らないからだ」との記事も載せられており、イスラエルはその対策の一環として、アジア各国からの教師団にナチスによるユダヤ人虐殺の実態をヤド・ヴァシェムにある「ホロコースト記念博物館」の国際学校で学んでもらう企画を始めました。現時点ですでにインド、韓国、シンガポール、ニュージーランド、オーストラリアからの教師たちが学び、自国に正しい情報を持ち帰り、子どもたちの教育に当たる未来の成果が期待されているとのことです。インドでは今のところ反ユダヤ主義運動はないようですが、他方で、ちまたではヒトラーは強力な指導者として信奉されており、「我が闘争」も本屋の店先に並び、象徴の「かぎ十字」も広く用いられており、国民は第二次世界大戦時、六百万人以上のユダヤ人虐殺にヒトラーが大きく関わったことすら知らない無知な状態に置かれているといいます。それゆえに、過去の恐ろしい罪の実体を正しく学んだ教師たちが教育に当たることに期待が寄せられているのです。

この記事を読み、これはインドの問題ではなくまさに無知な日本の姿で、日本こそ教師団をヤド・ヴァシェムの国際学校に送って、中東情勢の背景を聖書からしっかりと学ぶ必要があると強く感じたのですが、もっとショッキングなことが後で発覚しました。日本の大手のキリスト教出版社の宣伝に、漫画本「創世記」がイラスト付きで載せられていたのです。駐日イスラエル大使が憤慨し、絶版となった漫画本は何と世俗の出版社からではなく、聖書に通じているはずのキリスト教出版社から出されていたのです。もちろん、キリスト教出版社であっても関わっているスタッフや漫画家がすべてクリスチャンというわけではないでしょうから、このような間違いが起こり得ることは斟酌しなければならないと思います。にもかかわらず、このことは、クリスチャンがキリストによる救いに確信があり、伝道に熱意を燃やす一方で、この世に迎合し、いかに自ら聖書を学んでいないか、キリストの教え「神の言葉」を正しく理解していないかを、如実に示しているのではないでしょうか。