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第210号:ヨハネ20:1-16:主 イエス・キリストの受難と甦り ―旧新約両聖書に基づく信仰こそ、唯一真のキリスト信仰―

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甦えられた後キリストは、弟子たちに、ヘブル語(旧約)聖書 《初代教会当時の聖書≫にいかに詳細、明確に ご自分の死を通しての全人類の贖い、永遠の生命への救いが 記されているかを解き明かされた 2013年3月13日、『ローマ人ペテロ』なる新教皇フランシスコ 一世、即位 果たして、十 二世紀 の聖マラキの預言の成就か? バチカンのエキュメニズムへの働きかけの是非は キリスト信仰の基盤、旧新約両聖書だけが明らかにする

さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子のところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちには分かりません。」そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた……そして、見て、信じた。彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである……マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いて……墓の中をのぞき込んだ。
すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。
しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
ヨハネ20:1-16

今年もキリストの受難と甦りを覚える時節が巡ってきました。朽ちる肉の身体の死の後、永遠に生きる新しい身体に甦られたイエス・キリストの「死から生命への甦り」の出来事は、全人類に真の未来の希望を与える唯一の拠り所です。キリストが人類の初穂として甦り、道を開いてくださらなかったなら、人に死後の希望は全くありません。しかし、二千年前、キリストが罪(神への反逆)の結果の「死」を克服して甦られたことによって、キリストによる罪の贖い、救いを信じる者にはだれにでも永遠の「生命」が与えられることが約束されたのでした。神の人類救済の遠大なご計画は旧約の預言者たちを通して語られ、アブラハムからダビデの血筋のユダヤ人メシヤによる全人類の救済は、預言通りナザレ人イエスにおいて成就したのです。このことはすべて旧新約両聖書に記されており、キリストが自称の、あるいは、人のでっちあげた教祖でも宗教家でもないことを明らかにしています。この世には多くの宗教があり教祖がいますがみな、人が祭り上げた偉人、偽りの神々に過ぎず、これらの人たちを崇拝すべきことを裏づけるものは何もありません。神の言葉によって明確に裏づけられ、預言され、またその預言を成就された経緯をたどることのできる方、人類の真の救い主はキリストをおいて他にいないのです。旧新約両聖書だけが真の神を証しし、指し示しているのです。

四福音書の記述に従えば、安息日明けの「週の初めの日」、すなわち、日曜日の早朝まだ暗いうちに、待ちきれずにキリストの墓に駈けつけたマグダラのマリヤは、空の墓に二人の御使いを見、その直後、自分の後ろにキリストが立っておられるのを見ます。しかし、マリヤでさえ最初はキリストを見分けることができず、「園の管理人」と間違えたほどで、甦られたキリストの御姿はマリヤが見慣れていたものではなかったようです。その方がキリストと瞬時に分かったのは「マリヤ」と親しみのある声で呼びかけられたときでした。

日曜日の午後キリストは、エルサレムからエマオという村に向かっている二人の弟子とともに歩いて、目的地の村までの十一キロメートルほどの間、ヘブル語(旧約)聖書を解き明かされました。道中、二人が関心を持って話し合っていた話題はエルサレムで起こった大事件についてでした。キリストが聞かれると、二人は「私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが……御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが……イエスさまは見当たらなかった……」(ルカ24:19-24)と説明したのでした。夕刻二人は、目がさえぎられていたため、旅の道連れをキリストと認識することなく目的地に着いたのですが、彼の聖書の解き明かしに心が燃えた二人は強いて彼を宿に引きとめ、かくして宿で食卓に着かれたキリストはパンを取って祝福し、裂いて二人に渡されたのでした。二人の目が開かれたのはそのときでした。普通、食卓でパンを裂くのは招待した側であって、客の側ではないのですが、おそらくこのとき、この道連れの手首に十字架刑の傷跡があるのを見、二人はキリストをはっきりと認識したのでした。同日の夜、二人はすぐエルサレムに引き返し、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と興奮ただならぬ十一使徒と仲間が集まっているところへ行き、自分たちもキリストに会った次第を説明し、互いに主の甦りを確認、喜び合ったのでした。そこへ、当のキリストご自身が突然姿を顕わされます。しかし、目の当たりにキリストを見ながら、弟子たちはじめそこに集まっていた者たちは「驚き恐れて、霊を見ているのだと思った」のでした(ルカ24:33-37)。確かに、朝、昼、晩とこの日曜日に起こった不思議な出来事はどれも、キリストをよく知っていた者たちにとってもすぐには信じることのできなかった前代未聞の奇蹟でしたが、彼らはみな、生前行動をともにし慣れ親しんだ師キリストを認識することができなかったのでした。

さらに夜明けどき、キリストはガリラヤ湖畔に姿を顕わされ、小舟に乗りこんで漁をしていた弟子たちに声をかけられました。弟子たちは湖畔に立っている人がキリストとは知らずに、その人の指示に従って網を下ろしたのでしたが、不思議なことに夜間何もとれなかったのに、大きな魚が網が破れんばかりにとれたのでした。とれたばかりの魚とパンで食事をするようにとキリストに招かれた、そのときの情景をヨハネは「弟子たちは主であることを知っていたので、だれも『あなたはどなたですか』とあえて尋ねる者はいなかった」(ヨハネ21:12、下線付加)と、キリストを外観からは確信を持ってすぐに認識できなかったことを伝えています。

ヘブル語聖書には多くのメシヤ預言が記されています。中でも詩篇22篇とイザヤ書52:13-53章には「苦難のしもべ」キリストの十字架刑の苦しみと意義が詳細に記されています。実際、キリストは十字架上で息を引き取られるとき、詩篇22篇1節の御言葉「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」を引用されたことによって、ダビデが詠んだこの詩篇がご自分の十字架上での贖いの死を預言したものであることを明らかにされたのでした。この詩篇の1-2節には、キリストが息を引き取られる直前の三時間、父なる神から完全に引き離され、まさに地獄を体験されたこと(マタイ27:45-50)、6-8節には、十字架刑を見ている者たちのあざけりとののしり(マタイ27:39-44)、11-18節には、十字架刑のはずかしめ、のどの渇き、引き裂かれる手足、足元で着物を分け合う者たちのこと(マタイ27:29-35、ヨハネ19:23-30)が、詩篇の詠み手自身が十字架刑にかけられているかのような驚くべき正確さで描写されているのです。

甦り後のキリストの手首、足首、脇腹に傷跡があったことは、ヨハネ20:25の記述から明らかで、また、再臨の主に関するゼカリヤの預言「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」(ゼカリヤ書12:10、強調付加)、―終末の末期、大艱難を経て生き残ったユダヤ教徒が再臨のキリストを一目見て、一瞬のうちにキリストを信じる者に変えられることを描写したゼカリヤの劇的な預言― からもそのことが窺えますが、甦られたキリストにはこれら以外に、顔にも傷跡が残されていた可能性をイザヤの預言が示しています。「しもべの詩」として知られているイザヤ書50:6「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった」は、キリストが十字架にかけられる前にすでに外見がすっかり変わるほどにまで暴力的、屈辱的な責め苦を受けられることを預言したものでした。このように聖書が証ししているように、キリストの甦り後の身体は、神の御目的のために肉の身体が受けた傷の痕跡を愛の傷跡として残していたために、生前の身体とは大きく異なっていたに違いないと結論づけることができるかもしれません。

先月、聖マラキの預言「ベネディクト十六世の後継者、百十二人目の教皇は最後の教皇で『ローマ人ペテロ』」に、カトリック教徒やキリスト教徒の関心が寄せられていることを取り上げました(フルダレターNo.209)が、3月13日、後継者の教皇(ローマ法王)が選出されました。欧州からではない初めての南米、アルゼンチン出身のジョージ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿がコンクラーベ(選出会議)の五回目の投票で選出され、十三世紀に貧しい者への施しと愛、宣教に尽力し、多大な感化を与えたアッシジの聖フランシスコに因んだ教皇名が採用され、教皇フランシスコ一世の即位となりました。教皇候補者の一人であったペテロという名のガーナの枢機卿トゥークソンではない、ベルゴリオ枢機卿が選出されたことで、聖マラキの預言「最後の教皇は『ローマ人ペテロ』」が外れたかのように見えたのですが、意外な事実が明らかにされ、今後の成り行きが注目されています。

「ローマ人ペテロ‘Petrus Romanus’」の著者トム・ホーンによると、ジョージ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿はイタリアからの移民を父にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれた「ローマ人」で、アルゼンチン人ではないのです。新教皇名は十二世紀末に生まれた聖徒アッシジの聖フランシスコに因んでつけられましたが、興味深いことに、聖フランシスコの初期の名は「フランシスコ・ピエトロ(ペテロ)・ベルナルドン」で、彼は、死の直前に意義深い預言「艱難期にローマ法王として昇進させられる者は、狡猾にも多くの者を罪と死に引き入れようとする。また、真理に沈黙する伝道者たちや真理を足蹴にし、否定する者たちが現れるであろう。そのころイエス・キリストは真の牧者を送らず、破壊者を送られるからである」を残しています。新教皇フランシスコ一世は即位直後の3月19日、イスラム教、仏教、ユダヤ教からキリスト教プロテスタントに至るまでの全宗教界の指導者をバチカンでの就任のミサに招き、世界平和と義のために団結の必要を訴え、世界宗教統一に向けての第一歩を歩み出し始めました。宗教的隔てを取り除き世界中の人々の心を一つにし平和を達成することが神の御旨とする「世界統一宗教(エキュメニズム)」が果たして聖書が語る神の御旨かどうかは遅かれ早かれ今後の動向で明らかになるでしょう。しかし、キリスト信仰の基盤「聖書」から外れたら、そこには背教しかないのです。