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第262号  マタイの福音書24:1-16 

世界的な大規模地震回数に裏づけられる「産みの苦しみ」のしるし

キリストは世の終わりの前兆、「産みの苦しみ」のしるしを挙げられた。1948年5月のイスラエル国家復興が「産みの苦しみ」の始まりを画したことを、地質学的データが明確に裏づけている…

イエスが、宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々でききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は、冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、…そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。     マタイの福音書24:1-16

私たちの生きているこの時代が世の終わり、最後の世代であることを信じている人たちは、どれほどいるでしょうか。聖書を信じるキリスト者でも、キリストが弟子たちに語られた世の終わりがまさにこの時代であると信じている人たちは少ないようです。世の終わりを語る人たちを、人類の絶滅を信じ、吹聴し、人々に不必要な恐怖感を植えつけるカルト信仰者とみなすキリスト者も少なくありません。あるいは、教会が聖霊の力によって究極的にこの世を支配した後、キリストを支配者として迎えると信じているキリスト教の教派の指導者や人たちには、悪に立ち向かう備えをしなければならないという危機感はほとんどないようです。

しかし、預言者エレミヤの、民に偽りの安心感を持たせ、惑わす偽牧者や偽預言者、にせの霊的指導者を見分けるようにとの警告「『あなたがたに預言する預言者たちのことばを聞くな。彼らはあなたがたをむなしいものにしようとしている。主の口からではなく、自分の心の幻を語っている。彼らは、わたしを侮る者に向かって、「主はあなたがたに平安があると告げられた」としきりに言っており、また、かたくなな心のままに歩むすべての者に向かって、
「あなたがたにはわざわいが来ない」と言っている。』いったいだれが、主の会議に連なり、主のことばを見聞きしたか。だれが、耳を傾けて主のことばを聞いたか。見よ。主の暴風、―憤り―うずを巻く暴風が起こり、悪者の上にうずを巻く。主の怒りは、御心の思うところを行って、成し遂げるまで、去ることはない。終わりの日に、あなたがたはそれを明らかに悟ろう」(エレミヤ書23:16-20)
は、今日、神の民が耳を傾けなければならないメッセージです。かつてなかったような大きな惑わしの嵐がキリスト者を襲っているからです。パウロは、エレミヤやエゼキエルと同じく、これら偽りの平安を告げる人たちに惑わされないようにと警告、
「人々が、『平和だ。安全だ』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが望むようなもので、それをのがれることは決してできません。しかし、兄弟たち…ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう…すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい…平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められることのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」(テサロニケ人第一5:3-23)
と、主の再臨に向けての備えを指示しました。


冒頭に引用したマタイの福音書24章でキリストは、弟子たちの質問「あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう」に答えて、ご自分の再臨に向けて起こることがすでに定まっている、「産みの苦しみの始まる」世の終わりの時代のしるしを挙げられました。
1.多くの偽預言者(偽キリスト)の出現、2.民族、国家間の戦争と戦争のうわさ、3.ききん、4.地震、また、これら「産みの苦しみの初め」に次ぐ艱難期のしるしとして、5.真の神を信じる者にふりかかる死に至る迫害、6.多くの人々のキリスト信仰からの離脱、7.さらに多くの偽預言者の出現、8.無法状態、9.愛の冷え、10.エルサレム神殿に全世界支配の野心に駆られた王「荒らす憎むべきもの」、自分こそ全人類が拝むべき人類のメシヤ、キリストであると主張するサタンの権現、―反キリスト― が出現の「十のリスト」を挙げられた後、キリストは、「いちじくの木のたとえ」を語られ、
「これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代(世代)は過ぎ去りません」(24:32-34)
と、これらのしるしを目撃する世代の者の中に、主の再臨に至る最後まで生き延びる者がいることを示唆されました。
キリストのお言葉に従えば、私たちの時代が人類史の最後の世代であることは間違いありません。キリストが挙げられたリストのすべてのしるしを私たちは見始め、特に「産みの苦しみの初め」のしるしのすべてをすでに見ているからです。キリストの教えは、イスラエルの地にエルサレム神殿が存在していること、少なくとも、その聖所「聖なる所」が存在していることを前提にしていますが、イスラエル国家がほぼ二千年にわたる国外四散の後、1948年5月に聖地に復興したことで初めて、エルサレム神殿について語ることが可能になったことから、この預言の適用ができるのはこの時代以外にないのです。
用語「時代(世代)」に適用できる年数は数十年で、何百年、何千年でないことは明らかで、永遠の神に比べ被造物、罪深い人のはかなさを説いたモーセの言葉
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです」(詩篇90:10)
に従えば、平均的な一世代は七十年から八十年とみなすことができるのです。


冒頭に挙げたマタイ24章のくだりで、キリストは、迫害が迫る神の民の逃げ場所を「ユダヤから山々へ」と指示しておられますが、このことからも、ユダヤ人が聖地に住んでいることを前提としてこの最後の出来事が語られたことが明らかです。すなわち、ユダヤ人国家が聖地に存立している今の時代への言及です。
しかし、聖書解釈において、この指示は西暦70年にエルサレム第二神殿が崩壊したときの警告であったと、主張する人たちがいます。ルカもマタイと同じような預言をルカ21章で記しているので、混乱が起こっているようですが、マタイとルカのくだりを比較すると、出来事の次第が微妙に違っていることに気づかされます。
両者には幾つかの相違点がありますが、まず、鍵となる言葉は「しかし、これらすべてのことの前に(ルカ21:12、下線付加)と、「そのとき」(マタイ4:9)で、ルカでは「産みの苦しみの初め」のしるしの前に、エルサレムに起こる荒廃が描かれているのに対し、マタイでは「産みの苦しみの初め」のしるしの後、さらに別のエルサレム荒廃の出来事が起こることが記されています。次に、マタイが特記している「ユダヤにいる人々」がどのようにして「聖なる所に立つ」ものを「見る」ことができるのだろうか、どの時代への言及なのだろうか、という問いの答えは、どこにいても世界中の出来事をテレビやインターネットを通して見聞きすることのできる、世界的規模の報道網が同時中継で適用できる今の時代をおいてほかにないといえるのです。

これらの点から、ルカの叙述は特に西暦七十年に起こったエルサレム神殿崩壊に力点を置いた預言として、神殿で異邦人に向けて語られ、マルコやマタイの叙述は、オリーブ山でユダヤ人聴衆に向けて語られた、終末の末期に焦点を置いた遠未来預言であると結論づけることができます。実際、西暦七十年に起こったエルサレム崩壊時、エルサレムに籠城して「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見た」キリスト者や一部のパリサイ人は、キリストの警告通り、全員、都エルサレムから山へ逃げて無事だったのでした。
信じる者が神の御旨を行うとき、また神が定められたご計画が具現するときには、超自然的な現象、奇蹟が伴われますが、1948年にイスラエル国家が誕生したときにも、その後、1967年、1971年に、イスラエルに敵対する周辺のアラブ人が戦争を仕かけたときにも、神の超自然的なご介入によってイスラエルは勝利を収めたのでした。1991年の湾岸戦争時にイラクはイスラエルに対してもスカッド弾道ミサイル攻撃をしましたが、海に落ちて爆発したり、目標が外れたりしたほか、ほとんどは迎撃ミサイルシステムにより、イスラエル側には被害がなく、神の守りが実証されたのでした。


このように、神の選びの民イスラエルの背後には神のご計画があり、サタンでさえ、多少の妨害はできても、究極的な神の御目的をゆがめることはできないのです。霊の領域、天上で起こっていることはこの地上に反映されることが聖書の至る所で証されているように、地上に起こることはすでに天界で起こったことで、したがってこの世の行く末を知りたければ、占い師でも予言者でもサタン、堕天使、悪霊でもなく、預言的、歴史的に人類史のすべての正確な情報が網羅された神の言葉『聖書』に頼る以外にないのです。
聖書の情報の信ぴょう性は、すべての真理が明らかになる世の終わりに近づくにつれ、考古学、科学、工学、歴史ほかすべての領域で明らかにされてきていますが、米国の政府研究機関、地質調査所(USGS)は、全世界のマグニチュード5.6(大規模な災いをもたらす閾値)以上の地震に関して、2016年末に非常に興味深いデータを発表しました。1900年から2019年にかけての百二十年に亘る調査結果で、各十年ごとを単位に、地震の増加傾向を図示したところ、1900年から1949年までは十年ごとの地震回数は非常に少なく、最高でも500以下であったのが、1950年以降急に上昇し、1950年から1959年は2250、それ以降十年ごとにほぼ五百回ずつ増え、2010年から2019年までの回数はすでに4000を越しており、まだ七年間の合計であるにもかかわらず、すでに2000年から2009年の十年間の回数より多くなっているのです。
このことは、イスラエルが国家として誕生した年を境に地震回数が急増したことを示しており、奇しくも「産みの苦しみ」の過程に入ったことを告げているかのようなのです。