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第257号  アモス書9:7-15 

メシヤ来臨の期待が高まるイスラエル

今日、ユダヤ教ラビやユダヤ教徒の間でメシヤの来臨が非常に近いことがしきりに語られている。根拠のないうわさによってではなく、多くのデータに加え、預言的、また、聖書の暗号に基づいて、期待の声が高まっている… この世のあらゆる領域に現れている驚くべき多くのしるしは、まさに神が全世界に語っておられるものと解釈できるようだ…

「イスラエルの子ら。あなたがたは、わたしにとって、クシュ人のようではないのか。―主の御告げ― わたしはイスラエルをエジプトの国から、ペリシテ人をカフトルから、アラムをキルから連れ上ったではないか。見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、わたしはヤコブの家を、全く根絶やしにはしない。―主の御告げ― 見よ。わたしは命じて、ふるいにかけるように、すべての国々の間でイスラエルの家をふるい、一つの石ころも地に落とさない。わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ。彼らは『わざわいは私たちに近づかない。私たちまでは及ばない』と言っている。
その日、わたしは、ダビデの倒れている仮庵を復興し、昔の日のように、これを立て直す。これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。―これをなされる主の御告げ―
見よ。その日が来る。―主の御告げ― その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。わたしは、わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあなたの神、主は、仰せられる。
アモス書9:7-15

今年は、1517年にマルチン・ルターがドイツのヴィッテンベルクの教会の扉に九十五箇条の論題を打ちつけて始まった宗教改革から五百周年を迎えます。ルターによる聖書への立ち返りと、わざではなく信仰による救いの教理はキリスト信仰に開眼をもたらしました。しかし、ルターの聖書解釈には限界があり、ヘブル語(旧約)聖書が証しているイスラエルに対する神の無条件の契約を無視したため、ルターは「イスラエルへの祝福は、霊的なイスラエル、教会に移された」と、反イスラエル、反ユダヤ主義台頭の萌芽を残し、「ナチズムはルターの遺産」と悪びれることなく説教した著名な聖職者も現れるなど、その影響は今日にまで及んでいます。
また、カトリック教会が築き上げた建物、聖礼典重視の礼拝形式や組織、ピラミッド型の聖職者制度は手つかずのままプロテスタントの教会に引き継がれ、西暦一世紀のキリストの直弟子たち、使徒たちによる「家の教会」での集まりが、主にある兄弟姉妹の交わりの場であった原始キリスト信仰とはほど遠い形式が、伝統的な「キリスト教会」で踏襲されているのが現状です。


冒頭に引用したアモス書のくだりでは、かつてエジプトで隷属下にあったイスラエルを奇蹟的なご介入で救出され、荒野で養われ、約束の地に導かれた神が、イスラエルを神への不従順のゆえに根絶やしにすることがあろうかとの疑問に、明確に「あり得ない」と答えられ、むしろ、ふるいにかけられ聖められたイスラエルが義の王国として復興する未来が描写されています。ここに反映されているのは、発せられたお言葉、約束にとこしえに真実な神、ご自分の義を基準にすべての民族を平等に支配、裁かれる神の不変の本質です。神は全諸国民の歴史、民族移動に関わって来られました。
では、イスラエルとその他の民族との線引きがどこでなされるのかに対しては、神はすべての民族に地を割り当て、支配しておられるのは一人の主、ご自分であると言われ、すべての民族にご自分の掟に一律に従うことを要求される点で、イスラエルに何の特権もないと語られたのでした。

神は、外見上どんなに信仰深くふるまおうと独善的な者を、過去の特権によってではなく、現在の主との関係で裁かれます。イスラエルには神の憐みのゆえに、必ず、約束を相続する「残りの者」が残されますが、不純な者は神の民から取り除かれるのです。
「わたしの民の中の罪人」とは、聖書では生来的にすべての者が罪人ですから、ここでは、罪人の中の特別な範疇の者たち、すなわち、過去に信頼して、今、危機感を感じずに生きている者たち、未来に何の災いも自分には降りかからないと豪語している者たちへの言及です。
神の真の民とは、罪人であることを自覚し、罪深い自我との戦いを神の憐みにすがって戦い、聖さを慕い求め、神の掟を愛する者たちで、このような者を神はすべて御国にふさわしい者と認めてくださり、悔い改めた者を一人として滅ぼすようなことはなさらないのです。このことは、イスラエルに対する執念深い憎しみと復讐心のゆえに、神の怒りを買い、滅びたはずの「エドム」でさえ、復興の対象に数えられていることから明らかです。

アモス書9:11-12は、新約聖書の使徒の働き15:16-18に引用されていますが、ギリシャ語訳旧約聖書LXXからの引用のため、
「『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人(アダムの子孫)がみな、主を求めるようになるためである。大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』」(下線付加)
と、異なっています。
LXXの翻訳者は、神と神の民に敵意を持つ世界勢力の象徴として預言者たちに用いられてきた「エドム」を「アダム」の子孫の残りの者、すなわち、神に立ち返った異邦人とみなし、来るべきメシヤの時代を視野に入れて訳したのでした。

確かに、敵対してきた全諸国民がイスラエルのメシヤ「救い主」の下で一つになり、全地に平和と繁栄が訪れるのは、ダビデの血筋の王イエス・キリストの再臨によって始まる、千年支配の御国においてです。
祝福の時代の全地がいかに肥沃であるかは、翌年の収穫のための耕作をしている者のかたわらで、今年の実りを刈り入れている者がいるという描写に表れています。山にも丘にも畑にも仕事が満ち溢れ、終身雇用の約束された、満たしと喜びの時代はまさにメシヤの時代です。異邦人でもその御国に入ることができることは、キリストご自身も語られたことでした。
「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴ってくるとき、…すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。…『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べるものを与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、…わたしをたずねてくれたからです。…あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』…」(マタイ25:31-46)
と。


今日、ユダヤ教ラビやユダヤ教徒の間でメシヤの来臨が非常に近いことがしきりに語られていますが、根拠のないうわさによってではなく、この世の国際的、社会的、倫理的、天文学的、気象学的、地理学的、地質学的、考古学的データに加え、預言的、また、聖書の暗号に基づいて、期待の声が高まっているのです。この世のあらゆる領域に現れている驚くべき多くのしるしは、まさに神が全世界に語っておられるものと解釈できるようです。

世界最古の「ヘブル語」アルファベット

まず、2016年12月末、へブル語のアルファベット二十二文字はエジプトの象形文字から生み出された世界で最初のアルファベットであるとの研究成果が、カナダの考古学者で古代エジプト学の碑文解読者でもあるダグラス・ペトロヴィッチ教授によって発表されました。
教授は、エジプトとシナイの異なった場所から発見された十八枚の古代石板に刻まれた文字が実際には初期のヘブル文字であったことを解読し、そこには3800年以上も前にエジプトに住んでいたへブル人のことが記されており、まさに出エジプト記1章を裏づける内容であることを発見したのでした。
教授が1874BCEの資料に「へブル人」と解読される刻銘があることを発見したのは、2012年1月にエジプトのカイロ博物館で学術調査を行っているときのことで、この発見は、聖書の叙述が歴史的に裏づけられるものであることを立証することにもなったのです。教授によれば、エジプトのイスラエル人は象形文字を簡略化した二十二文字のへブル文字(原始)を編み出し、互いの交信に用いたようです。聖書が主張するように、モーセが十戒ほか613の掟を書き記すことができたことも裏づけられる、まさに画期的な発見でした。

神殿への奉献用の良質のワイン製造

アモス書ほかへブル語聖書の諸預言書には、メシヤの時代に約束の地にあふれるぶどう園、ぶどう酒のことが記されていますが、今日、そのことがラビたちの間で話題になっています。
今年1月半ばに三十本のワインが、2004年に復活した「古代サンヘドリン(ユダヤ最高議会)」に納入されましたが、ぶどう酒は、エルサレム神殿での祭司制度に欠かせない要素であると同時に、メシヤ来臨の前触れとして預言されている品目でもあるのです。
ぶどうは、イスラエルに祝福の食物として挙げられた七品目のうちの一つですが、パレスチナがイスラム教徒の支配下に置かれていた長期間、アルコール禁止の掟により栽培されなかったのでした。しかし、預言者ミカは
「彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわり、彼らを脅かす者はいない」(4:4)
と、メシヤの時代を、イスラエルの地の住民がぶどうを自由に栽培、所有する時代として預言したのでした。

ゴラン高原の有機ぶどう園をはじめ、何百ものぶどう園では、適正食品の掟(カシュルート)に則った栽培がされています。生産者自身、安息日厳守のユダヤ教徒であることが要求され、厳格な製造過程を経て造られたイスラエルのワイン製造業界は潤っているようです。
しかし、神殿で用いられるぶどう酒は、地から直接育つぶどうの木から絞られる必要があり、今日では非常に珍しい方法で栽培されなければならず、エルサレム第三神殿建設の準備として、小さなぶどう園から生産された六十本のうち半分が、サンヘドリンに初めて納入されたのでした。
今年、納入されたこのぶどう酒も、古代イスラエルのぶどう酒は最高品質との古来の定番通り、非常に良質であることが確かめられ、イスラエルに、日常的消費用よりはるかに厳格な適正枠に則った、神殿への奉献用の良質のワイン製造業が復興したことはメシヤ来臨のしるしの一つに数えられています。

ガリラヤ湖、ヨルダン川、死海の枯渇

2016年9月に、ガリラヤ湖の真ん中に島が現れたことが話題になりました。
去年の夏以降、二、三ヶ月のうちに、湖の水位が一メートルも下がり、警報域の最下位を示す赤線表示より四十センチメートル近くも低い、1926年以来の最下位レベルに至り、このことは生態学的には深刻な警報ですが、預言的には、ユダヤ教の聖書の解釈本『タルムード』に明確に記されている、ダビデの血筋のメシヤ来臨の前兆なのです。
イスラエルでは例外的な干ばつが続いており、乾季に島が突然現れることはさほど驚くことでもないのですが、『タルムード』は、ガリラヤ湖とヨルダン川上流域のゴラン高原が荒れ果て、破壊されると解釈しています。
しかし、メシヤの時代にはエルサレムから水が湧き出るとの他の預言もあり、ラビたちはメシヤの来臨を待ち望み、祈りによって、死をもたらす破壊の預言を生命と繁栄をもたらす良い預言に変えることができると、祈りを奨励しています。