聖書にすでに記された神の全啓示と今日の預言
― 永久に不変の神は今日も預言を通して、ご自分の御旨を、信じ求める者に語っておられる 。過去一世紀余に亘って、神は何を語ってこられたのであろうか。終末末期の今日、神は世界中の霊的指導者に、何を語っておられるだろうか―
まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。あなたがたが夢を見させている、あなたがたの夢見る者の言うことを聞くな。なぜなら、彼らはわたしの名を使って偽りをあなたがたに預言しているのであって、わたしが彼らを遣わしたのではないからだ。―主の御告げ―」まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。―主の御告げ―わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。―主の御告げ―わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」
エレミヤ書29:8-14
紀元前七世紀から六世紀初頭にかけてのユダ王国滅亡直前の時代にエルサレムに広まり、人気を博したのは、「神の名の置かれた都エルサレムと神の御臨在される神殿が滅びるはずがない」という一見、神の言葉とも受け取られる「平安」を告げる偽預言でした。当時は、王や指導者たちが好む偽りの預言を告げる偽預言者が横行し、出どころが神ではなく、サタンのだまし、人の心に由来する偽りの言葉が人民をたぶらかしていた時代でした。そのような時代、神の真の預言者エレミヤは四面楚歌の中で、神の預言「ユダ王国滅亡、首都エルサレムは神殿もろとも陥落、支配者も民もバビロン捕囚に連れていかれる。民はその隷属下で、捕囚先バビロンの繁栄を祈り、安定した共同生活を樹立せよ」が見事に成就するのを見届けるまで、迫害に耐えて神のメッセージ「主の御告げ」を告げた数少ない預言者の一人でした。
このエレミヤの時代は恐ろしい背信の時代で、ユダ王国の至る所をはじめ、エルサレム神殿内にも、異邦人の偶像が満ち、混淆宗教、不道徳、不正に特徴づけられる退廃の時代でした。神は、危機の時代にはいつもご自分の預言者を召名し、預言者を通して民に御旨、警告を語ってこられました。民が悔い改めて、神に立ち返りさえすれば、神は民との正しい契約関係を更新され、祝福が約束されたのでした。しかし、この時代の南ユダ王国は、すでに一世紀以上も前に背信のゆえに北イスラエル王国が滅亡したのを目撃しておりながら、教訓を学ぶことなく背信路線を歩み続けており、社会の上層から下層まで一様に、神殿を物神でもあるかのように間違って信奉しており、それゆえ、祭司制度、王制、偶像の神々、所有地、所有物等々、すべてが剥奪されなければ、もはや聖めようがないほど堕落した状態に陥っていたのでした。
残念ながら、この時代を今日の私たちの時代の姿とみなす霊的指導者はたくさんいます。物質文明のとりこになり、コンピューター、機械工学技術を駆使し、すでに歯止めが利かなくなっている医科学分野での探求を通して、現代人は創造者なる神の秩序の多くをすでに大きくゆがめています。この行きつく先は、聖書の預言に従えば、人々が夢見ているユートピアでは決してなく、滅びです。
最初にイスラエルの民にのみご自分を顕された全人類の神ヤーウェは永久から永久まで、ご自分を求める者たちにいつも関わっておられる神です。ですから、求める者はだれでも神の御旨を知り、生きることができます。もし、神が今日も私たちに御旨を知らせることができることを否定するとしたら、全聖書が証ししている神の不変の本質を否定することになります。旧約の時代や初代教会の時代、預言者や使徒を召し、メッセージを語られた神は今も語っておられるのです。
しかし、神の啓示は旧新約両聖書ですでにすべて顕されたので、今日私たちが聞く預言に新しい神のご計画が加えられることは決してなく、聖書に照らして内容を吟味をすることは必須です。今日、聖霊の助けにより、預言の賜物を用いて預言を語ることのできる預言者はたくさんいますが、聖書に登場する神の預言者のような全権威を帯びて語ることのできる預言者を神は、啓示をすべて聖書を通して知ることのできる時代にはもう送られないので、昨今の預言を逐語的に神のメッセージとして受けとめるのではなく、人の思いが混じることを知っておくことは重要です。ただ大艱難期に大使命を帯びて突如としてエルサレムに現れる二人の預言者だけは、神の全権を担って民に警告を発した旧約の預言者同様にみなすことができるでしょう(『一人で学べるキリストの啓示』p.259-269 )。
過去一世紀余に亘って語られてきた霊的指導者による預言の中で、まだ成就していない預言をも含んだ興味深い預言を以下、取りあげてみました。全世界に影響を与える「ヨーロッパ」に関するリバイバルの預言です。
1855年のハドソン・テイラーのビジョン:二週間の中国での休暇の後、英国で説教をしているときに、ハドソン・テイラーに与えられたビジョンです。
「私はビジョンを見た。それは、世界を巻き込む大戦のビジョンであった。私はこの戦いが後退するのを見たが、それはまた始まり、実際には二つの大戦であった。この後、全世界に影響を及ぼすような多くの不穏な状態や反乱を見た。またあるところでは霊の覚醒が起きるのを見た」
「私は、ロシアで、すべてを包含する国家的な霊の覚醒が起こり、それが多くのヨーロッパの国々に広がるのを見た。それから私は、全面的な霊の覚醒に続いて、キリストが来臨されるのを見た」1911年のマザー・バーバラの預言:1918年、マザー・バーバラは、エルサレムにあるオリーブ山のゲッセマネの園の近くの共同住宅に移り住む少し前に、ロシア正教会のアリストコリ司教から、ある預言を受けました。この驚くべき預言で予知されたいくつかの出来事は、すでに成就しました。たとえば、ロシアにおける共産主義の盛衰はすでに起こり、ドイツは1945年以来ほぼ五十年に亘って分割され、英国は帝国と植民地を失いましたが、英国がこの世で類を見ない、最強で最も繁栄していた世界最大の大英帝国を支配していた、あの第一次大戦前の1911年に、その没落を予想することができたとは、驚くべきことでした。
このマザー・バーバラがアリストコリ司教から受けた預言は、英国の預言者クリフォード・ヒルを中心に全世界の預言者が集まって神の御旨を求めた1986年のイスラエルのカルメル山での集会のすぐ後、同年9月の“Prophecy Today” 誌に最初に掲載されました。また、小冊子“Hearing from God”にも載せられています。このカルメル山での集会では、ソビエト連邦が今にも崩壊することが預言されましたが、なるほど、嵐雲はすでにソビエト連邦の上空に集まっていました。
「女たちに告げよ。ひとえに神に結びついていなければならない、と。女たちは、これから起こる大きなこと、および、神が地上になさることを信じなければならない。女たちは、自分たちの魂を、また、子どもたち、夫たちを備えさせなければならない。女たちは、神のために非常に大いなる働きをするであろう。終末のとき、女たちは何と大いなる働きをしなければならないことか、そして、男たちは女たちに従うことになるであろう」英国の信仰の巨匠スミス・ウィグルスワース(1859-1947年)による「大いなるリバイバル」の預言:この預言は1947年、召天の直前、スミス・ウィグルスワースにエリム年次集会のときに与えられたものです。
「裁きから免れる国はひとつとしてないであろう。あなたがたが耳にすることに恐れをなしてはならない。悪がまもなくロシアを席巻(せっけん)し、その悪が行くところ、どこにでも血の川が流れるであろう。この悪は全世界を席巻し、それが行くところ、そのためにどこにでも血の川が流れるであろう。それはロシアの魂ではなく、ロシアの魂にのしかかった賦課(ふか)である。それはイデオロギーでも、哲学でもない。それは地獄からの霊である」
「終わりの日には、ドイツは二つに分割されるであろう。フランスは無となるであろう。イタリアは自然災害によって裁かれるであろう。英国は築き上げた帝国、植民地を失い、ほとんど荒廃と化すが、しかし、祈る女たちによって救われるであろう。米国は世界の国々を養っていくが、ついには崩壊するであろう。ロシアと中国はお互いに滅ぼし合うだろう。最終的にロシアは解放され、その信者たちは出て行って、諸国家から多くの者を神に立ち返らせるであろう」
「これからの数十年間に、イギリス中の教会で、二つの際立った聖霊の動きがあるだろう。最初の聖霊の動きは、それを受け入れるすべての教会に影響を与え、洗礼の復興と聖霊の賜物で特徴づけられることになろう」紙面が限られているので、全世界宣教に関する三つの預言だけを取り上げましたが、改めて預言をふり返ったとき、私自身、英国でスミス・ウィグルスワースが預言した通りのことを目撃、体験し、今や日本でもこの動きは確実に進行しています。
「第二次の聖霊の動きにより、人々は伝統的な教会を離れ、新しい教会を立ち上げることになろう」
「これら二つの聖霊の動きの各々の期間中、その動きに携わった人々は『これは大リバイバルだ』と言うだろう。しかし主は言われる、『いや、二つとも大リバイバルではない、それに向かうステップだ』と」
「新しい教会成長の勢いが衰え始めるとき、以前には見られなかった何かが教会の中に明らかになるであろう。それは、御言葉を重視する教会と聖霊を重視する教会との団結である」
「御言葉と聖霊が結びつくとき、英国国民が、いや全世界でさえも、かつて見た中で最大の、聖霊の動きとなるであろう。それはリバイバルの始まりを画し、過去、英国に起こったウェスレーによるリバイバル(十八世紀)や、ウェールズ地方のリバイバル(1904-1905年)でさえも、かすんでしまうほどのリバイバルとなろう。神の聖霊の注ぎが、英国からヨーロッパ大陸に溢れ出て、そこから地の果てに至るまでの宣教活動が始まるであろう」
「御言葉と聖霊の御働きの重視」はまさに、キリストの再臨が非常に近づいている終末末期の今日、キリストの教会にとって最大の関心が払われるべき重要課題です。
キリストの甦りの最初の証人として女が用いられたように、キリストの再臨信仰は、女が男、子どもを先導することになるのでしょうか。