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第295号  ハバクク書3:2-19

この先何が起ころうと神を喜ぶ信仰に生きる備えのときは今

さらに厳しい飢饉、干ばつ、疫病… 戦争、市民戦争などで命ある動植物のすべてが失われるときが来ようと、神を喜ぶ信仰に生きる決意をした預言者ハバククから学ぶ…
神はテマンから、聖なる方はパランの山から来られる。セラ その威光は天をおおい、その賛美は地に満ちている。その輝きは光のよう。ひらめきが御手から上り、そこに御力が隠されている。疫病はその前を行き、熱病がうしろに従う。神が立ってご覧になると、地は揺るぎ、国々は震え上がる。とこしえの山は打ち砕かれ、永遠の丘は低くされる。しかし、その道筋は永遠だ。
私が見ると、クシャンの天幕は不法の下にあり、ミディアンの地の幕屋はわなないていた。
主よ、川に対して怒りを燃やされるのですか。川に対してあなたの怒りを、海に対して激しい憤りを。
確かに、あなたは馬に、あなたの救いの戦車に乗っておられます。あなたの弓は覆いを取り払われ、ことばの杖による誓いが果たされます。セラ あなたは地を裂き、いくつもの川とされます。山々はあなたを見て震え、あふれる水が押し寄せます。深い淵は声を出して、その手を高く上げます。太陽と月は、その住む所にとどまり、あなたの矢の光によって進みます。あなたのきらめく槍のひらめきによって。あなたは激しい憤りをもって地を行き巡り、怒りをもって国々を踏みつけられます。あなたは御民を救うために、油注がれた者を救うために出て来られます。あなたは悪しき者の頭を打ち砕いて首までにし、彼の家の基をあらわにされます。セラ あなたは杖で戦士たちの頭を突き刺されます。彼らは、苦しむ者をひそかに食い尽くすように、ほしいままに私を追い散らそうと荒れ狂います。あなたは馬で海を、大水の泡立ちを踏みつけられます。その音を聞いたとき、私のはらわたはわななき、唇は震えました。腐れは私の骨の内に入り、足もとはぐらつきました。攻めて来る民に臨む苦しみの日を、私は静かに待ちます。
いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、オリーブの木も実がなく、畑は食物を生み出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。   ハバクク書3:2-19

神に忠実であり続けたいと願う「正しい人」が、悪が支配しているこの世にあっても、その背後で絶えず働いている神の義、永遠の義を現在の落胆、失望を越えて見ることができるようにとの意図のもとに書かれた『ハバクク書』の3章は、先行き不透明な疫病COVID-19に脅かされている今日の私たち、神の預言を信じ、神の劇的なご介入を信じる者たちに、信じ続けることに大きな確信を与えてくれるメッセージです。
ハバクク書の重要なメッセージ「正しい人はその信仰によって生きる」(2:4)は、使徒パウロの三つの書簡に引用されています。3章で預言者ハバククは、イスラエル史の重要な出来事、―モーセが率いた出エジプト、ヨシュアが率いたカナンの地入植、士師デボラとバラクによるキション川での大勝利と、17節では神ご自身がもたらされる天災― に言及して、危機に瀕して神のご介入を願う祈りを楽器の調べに乗せて、優れたヘブル詩で唱えています。
詩篇』で七十一回登場する「セラ」がこの文脈でも三回登場していますが、次節に移る前に立ち止まって沈思黙考するようにと、意識的に「間」が置かれているようです。

おそらく七世紀BCEのユダ王国、ヨシヤ王の時代に生きたと思われる預言者ハバククにとってイスラエル史での神のご介入の出来事はどれも恐ろしいものばかりでしたが、今、ユダ王国は神の来臨の力を求めざるを得ない状況に置かれています。

1章にはハバククの二つの苦情、「神の民の間にも悪が満ちている。正しい者の叫びを、主よ、なぜ聞いてくださらないのですか」と「神を信じない敵をなぜ、神の民を打つために用いられるのですか」が吐露されています。
神の来臨は邪悪な者にとっては裁き、正しい者には救いですが、神の民が必ずしも皆正しい者とみなされるのではなく、神の裁きは敵にも民にも及びます。疫病の後にもさらに恐ろしい第二波の疫病「熱病」を伴って来られる神の来臨を避けることのできる者はだれもいないのです。

5節「疫病はその前を行き、熱病がうしろに従う」
は、神が御目的を達成されるまでは、たとえ先立つ「疫病、悪疫」を逃れた者たちでも、後から来る「熱病、ペスト」に倒されると解釈することができます。
神のこの世へのご介入は稲光、嵐、疫病、雷、地震…と、世界中の民を震え上がらせる恐怖を伴いますが、みな明瞭な目的があっての神の意識的な行為なのです

9節「あなたの弓は覆いを取り払われ、ことばの杖による誓いが果たされます。セラ あなたは地を裂き、いくつもの川とされます」は、
古代ヘブル語聖書の注釈によると、「神の弓が覆いから取り出され、放たれると、それは破壊のために向けられた制御できない力ではなく、御言葉に従って行動する力である。神は、選びの民への永久の真実と全創造界に対する創造者の言葉の力で働かれる。神の創造的行為の切り裂く力は、まさにかつて地を裂いて川々を造られたと同じ力である。神はそのように御旨を行われる」となり、この聖句は神の裁きには御目的と秩序があることを詩的に表現しているのです。

それにしても、「あなたは激しい憤りをもって地を行き巡り、怒りをもって国々を踏みつけられます」と表現されているように、神が憤りで大自然を、また、人だけでなく動植物をも死に至らしめる異変、大災害を次々と起こされる理由は何でしょうか。
答えは13節「御民を救うために、油注がれた者を救うために」
から明らかなように、選びの民に対し永久に真実である神は民の不義を懲らしめた後、究極的に民を聖め救われるのです。
13節の後半部は邦訳では不明瞭ですが、新国際版聖書(NIV)「あなたは邪悪な地の支配者を打ち砕き、頭から足まで裸にされました」から、11-15節の記述は、過去、おそらくイスラエルの民のカナンの地入植時に神がしてくださったことが、未来に起こることの確証として語られていることがわかります。
過去神がしてくだった驚くべきわざを思い起こすことによって未来が顕され、神の御旨に従う民には、現在の境遇が如何なるものであれ、間違いなく神の守りの中に置かれていることを確信し感謝することができるのです。今、主にある平安に満たされる信仰に生きることができるのです。

16節のハバククの決意「攻めて来る民に臨む苦しみの日を、私は静かに待ちます」には、現在の苦境の先の、悪しき者を正しく裁かれる真実な神への期待が表現されています。ハバククは1章で、神が異邦の民カルデヤ人にご自分の民を攻撃させることに対して抗議したのでしたが、人の思いをはるかに超えた神の不可思議なご介入をただ信仰によって見守ろうと決意したのでした。
たとえ、さらに厳しい飢饉、干ばつ、疫病などの自然災害や戦争、市民戦争など人災で命ある動植物のすべてが失われるときが来ようと、信仰に生きるハバククには、すべてを救いの神にある喜びとして受けとめることができたのでした。

神の民、―ヤーウェを信じ、御旨を行うイスラエル(ユダヤ人)とイエス・キリストによる救いを受け入れ、御旨を行うキリスト者― が懲らしめを経て聖められ、究極的に残りの民全員が贖われることは、旧新約聖書の一貫した預言ですが、今日の私たちの時代が人類史、人類文明の最後の世代なのです。ハバククの預言の後バビロンのエルサレム攻撃によってユダ王国が滅亡したように、ノアの大洪水以降、人類が築き上げてきた現今の文明も崩壊し、人類の唯一の王イエス・キリストの来臨によって、この世がメシア(救い主)の御国に変えられるときが来ます。人類史に一瞬のうちに、これまでとは気象的にも物理的にも、また何よりも、霊的に全く異なった時代、神ご自身による支配が始まるときが非常に近づいているのです。

預言者ゼカリヤが
私の神、主が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であり、その日は主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海(死海)に、残りの半分は西の海(地中海)に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる。(ゼカリヤ書14:5-9、補足付加)

と幻想的に美しく描いたメシアの時代の到来です。私たちがさしかかっているこの終末末期は、まさにハバククが決意したような生き方が信じる者に要求されている厳しい時代、艱難の時代です。

2020年の幕開けとともに始まったCOVID-19は、究極的に神に属するものだけが残され聖められるために神が全世界に送られた疫病の第一波で、世界中の医療、介護従事者、医科学研究者の犠牲的尽力にもかかわらず、被造物にすぎない人にとって、感染回避能力の限界を認めざるを得ない状態が続いています。
だれが軽症から快復し、だれが重症から死に至るのかを学識によっても統計学的にも経験的にも予測することはできず、まさに、申命記32:39、サムエル記第一2:6、マタイ10:29他に明確に記されている聖書の原則「人の生命は父なる神の御手にあり、だれでも父の定めのときまで生かされる」に則り、自らを神の御手に委ねる以外に未来はおろか、現在をも知るすべはないのです。

この二、三年間、地震、津波、火山噴火、森林火災、疫病等々の頻度、強度が全世界で急増し、人知を尽くしても天災に不可抗力であることをだれしも認めざるを得なくなっているはずですが、危機打開に向けての人々の関心は異星人探査に向けられても、天地万物を司り、すべての源である創造者なる神に立ち返ろう、依存しようとの思いには至らないようです。

神の民であっても人は「罪人」として生まれ、その生まれつきの性質は悪で、国家の法に触れる罪を犯す、犯さないにかかわらず、人は神の御前に皆同罪です。神の律法によって罪を示され、悔い改めなければ、神を認めない罪の生涯を送ることになります。
しかし、人には生まれつき善悪を判断する良心が与えられており、神の掟を知らなくてもこの世の基準に従って、少なくとも外的には正しく生きることはできます。神の契約の民イスラエルは、モーセの律法『旧約』を守ることによって外的には正しいとみなされましたが、律法は心の中の罪までは裁くことができなかったので、人が全人類の父祖の堕落前の状態に贖われ、神の家族に戻されるには、神への反逆の根源、内住の罪の問題を解消するための神の手段、メシアの来臨が必要だったのでした。

イエス・キリストはこのため「救い主」として地に来られ、人に宗教行為、働きによってではなく、死に至るまでひたすら信じ続ける信仰によって救われる『新約』をもたらしてくださったのです。

#295: NEW DANISH BIBLE REFLECTS REPLACEMENT THEOLOGY

NEW DANISH BIBLE REFLECTS REPLACEMENT THEOLOGY

Paul argues: ‟Has God cast away his own people、Israel?”‟By no means!”Nevertheless, anti-Israel ideologies still exists in Christendom and they have been on the rise...
I ask then: did God reject his people? By no means! I am an Israelite myself, a descendant of Abraham, from the tribe of Benjamin. God did not reject his people, whom he foreknew. Don’t you know what Scripture says in the passage about Elijah – how he appealed to God against Israel: ‘Lord, they have killed your prophets and torn down your altars; I am the only one left, and they are trying to kill me’? And what was God’s answer to him? ‘I have reserved for myself seven thousand who have not bowed the knee to Baal.’ So too, at the present time there is a remnant chosen by grace. And if by grace, then it cannot be based on works; if it were, grace would no longer be grace.
What then? What the people of Israel sought so earnestly they did not obtain. The elect among them did, but the others were hardened, 8 as it is written: ‘God gave them a spirit of stupor, eyes that could not see and ears that could not hear, to this very day.’ …
I do not want you to be ignorant of this mystery, brothers and sisters, so that you may not be conceited: Israel has experienced a hardening in part until the full number of the Gentiles has come in, and in this way all Israel will be saved. As it is written: ‘The deliverer will come from Zion; he will turn godlessness away from Jacob. And this is my covenant with them when I take away their sins.’
As far as the gospel is concerned, they are enemies for your sake; but as far as election is concerned, they are loved on account of the patriarchs, for God’s gifts and his call are irrevocable. Just as you who were at one time disobedient to God have now received mercy as a result of their disobedience, so they too have now become disobedient in order that they too may now receive mercy as a result of God’s mercy to you. For God has bound everyone over to disobedience so that he may have mercy on them all.    ROMANS 11: 1- 8, :25-32.

In Romans 9-11, the Apostle Paul addressed the concerns that the Jewish people had regarding Gentile sinners turning to the Lord through grace, while the Jews were seemingly cast aside and forgotten. Paul gives an answer to the question of how Israel is to be restored and blessed as the prophets had predicted. 
Paul explored God’s dealings with Israel in the past, the present and the future, successively in these three chapters. ‘Has God cast away his own people?” “By no means!” Paul’s own experience of miraculous salvation by Christ proved this.
He went on to reassure the Jews that as in Elijah’s day, God had reserved seven thousand faithful Israelites unto Himself, pointing to the existence of a remnant according to the election of grace.

In Chapter11, Paul clearly teaches that whether Jew or Gentile, all alike are saved on the same principle of grace and the promises made to the patriarchs and to David will be fulfilled. Israel will be blinded in part, but only until the work of God among the nations is completed.
This passage is at odds with the idea that the people of Israel have been replaced by the Church, although such anti-Israel ideologies have been on the rise.

24NYT.dk, a Danish news service, reported on 19 April that the Danish Bible Society just published a revised translation of the New Testament, “Bible 2020”. 
The article headed ‘New Danish Bible translation purges Israel’ puts it: 
A new official translation of the Bible into Danish arouses wonder among religious people. The Danish “Bible Society”, which is responsible for the translation, has cleansed the New Testament – which in the new edition is called “The New Agreement” of the word “Israel”. According to Jan Frost, who has read the new edition, it applies both when the land of Israel and when the people of Israel are mentioned. Israel is otherwise mentioned in this way in the New Testament more than 60 times. Mr. Frost states in a video posted on YouTube that the word ‘Israel’ is only used once in the “Bible 2020”, which is the name of the new edition. In all other passages, the word ‘Israel’ is either replaced with ‘Jews’, ‘the land of the Jews‘ or not replaced with an alternative term at all. The translators of the new edition, according to Jan Frost, offer the explanation, that the land of Israel in biblical times was not identical to present Israel. But the same logic is not applied by the translators when the land of Egypt is mentioned. This land is also called ‘Egypt’ in the new edition of the Bible. On social media, several users are furious at the radical change of such a central element of the New Testament, and a widespread criticism suggests a suspicion that Israel has been removed for political reasons. 

There have been many responses to such an extraordinary move, one of which is by christiansfortruth.com. The article appeals to the Danish people with an ironic closing comment: 
‘Of course today’s political entity known as “Israel” is not identical to the ancient land of Israel, but then again, today’s Jews are not legitimately related to the ancient Israelite people. And to translate all references to Israel as “Jews” advances this false equation. …The Israelite people originally was comprised of 12 tribes, with the tribe of Judah being only one small fraction. Christ made it clear in no uncertain terms that He came only for the Lost Sheep of the House of Israel (Matthew 15:24), so this new translation must claim that He came only for the lost sheep of the house of the Jews? …Completely eliminating ‘Israel’ from the New Testament turns Christ into a liar, but it also advances the Jewish myth that only today’s “Jews” remain from all the 12 tribes of Jacob-Israel. And the Dan-ish people, who are named after the Tribe of Dan, must never know that they are indeed living, breathing descendants of those Israelites whom Christ came to redeem. That deception, no doubt, is at the heart of this new “translation” of the so-called “New Agreement”’ (Underline added).

According to BIN, Rabbi Tuly Weisz, the founder of Israel365, an organization that promotes the significance of the Land of Israel to the nations, strongly disagreed with the approach of the Danish Bible society: 
This translation of the New Testament is an important reminder that replacement theology is not a problem of the past …Some segments of Christianity still have a replacement theology problem. The notion that Israel can be scrubbed from the Bible is as ridiculous as removing ‘God’ from the Bible. …Israel became synonymous with his descendants, the Children of Israel, and the land God promised to them. The word “Israel” appears over 2,200 times in the Torah, Writings, and Prophets. It is also interesting to note that “Jerusalem” and its alternative Hebrew name “Zion” appear 850 times in the Old Testament. (Underline added). 
BIN also puts it: 
Christian replacement theology, also called supersessionism, holds that the Christian Church has succeeded the Israelites as the definitive people of God. Supersessionism requires reading the term Israel, referring to either the people or the land, as an allegory for the Christian Church. It should be noted that the Danish Bible Society is run by the Evangelical Lutheran Church, a strong proponent of supersessionism. 
Concerning the “replacement theology”, it is founded on a very flimsy premise. There is little biblical support for it, and I continue to be amazed that it still exists in Christendom.

Yさんの証し その37

主よ、人々の心の琴線に触れる言葉、話題へと導いてください! 

4月12日(日)

頌主

Happy Easter. Wishing you have a joyful and prayerful Easter!

月報をありがとうございました。
イスラエルのネタニヤフ首相が主に拠り所を求め、国民のために一丸となって祈る姿勢に胸を打たれました。

一方で、日本の政界に渦巻いている長年の嘘と欺瞞の数々、それに対して全く声を上げない国民、第三の権力として全く機能していない政府の飼い犬のようなマスコミ、経済と人命を秤に掛け続ける国会討議、各国からの警告にも耳を貸さず、不要な外出で感染を広げ続ける一部の国民の身勝手さ… これらがまかり通っている現状に、主はCovid-19で日本を一掃、浄化されるおつもりかもしれない、と戦慄を覚えました。

主なる神を信じる人々、たとえ今主を知らずとも人知を超えたものを恐れる心を失っていない方々を必ずお守りくださるように、と主に祈り続けております。

先日、母と電話で、過越祭とイエス・キリストの贖罪死の関係について話をしました。
そのとき、イスラエルの民をエジプトの地から解放し、約束の地に向かって導いたモーセが、実は自らに自信が持てなかったばかりでなく、主が再三、モーセとともにいて助けるとの再保証(Reassurance)を与えてくださったにもかかわらず、モーセはにべもなく「後生ですから、他の人を遣わしてください」と断って、主を怒らせてしまった(出エジプト記4:13)という点に触れました。

この箇所に、母は痛く共感を覚え、モーセを身近に感じられるようになったと言っていました。少しずつですが聖書に耳を傾けてくれるようになったことがこの上なく嬉しいです。

主イエス・キリストの憐れみがCOVID-19の蔓延を過ぎ越させてくださいますように。

Y

あとがき

国家安泰、世界平和のため、国民が一丸となって真の神に目を向け、哀願することは神の御旨です
そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。(テモテ第一2:1-3)

*日本の安倍首相をはじめ指導者のために、また、世界中の国家元首、統治者のためにお祈りください。
*国家元首が暴君、独裁者であるために国民が不当に虐げられ、苦しむ例は、人類史上、後を絶ちません。圧政下にある諸国の民を神が顧みてくださるように、お祈りください。
*国家の指導者が私利私欲を満たすために支配するのではなく、神から委ねられた国家統治の責任を果たすことができるよう、指導者の上に主の導きを、また、指導者が神の知恵に満ちた助言者に恵まれるようにと執り成していくことは、善も悪もすべてを支配しておられる神を信じる国民の役割です。
人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ人13:1)
*さらに、COVID-19危機の最前線で命がけで人命救助に携わっておられる医療従事者の方々の安全、守りを切にお祈りください。

4月20日(月)

ルーターが突然壊れて修理不能なため、新しいルーターが届くまで、スマートホーンを買わざるを得なくなったとのメールが届きました。
Yさんは今、ヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)の未来の学び、オンラインコースで「反ユダヤ主義」を聴講しているとのことで、ユダヤ・キリスト教神学に関心のある方ならどなたでも大いにお薦めとのことです。


新型コロナウイルス感染症COVID-19の聖書的見通し

新型コロナウイルス感染症COVID-19の聖書的見通し

2020年4月6日(月) 

世界保健機関WHOが新型コロナウイルス感染症COVID-19を世界的大流行と宣言し、全世界の社会体制が従来の流れを止めてほぼ一ヶ月近くになりますが、日本でも対岸の火事とは言っておられない、足元に火がついた状態になって来ました。

「主の再臨」に向けて備えの「とき」

三月の半ばに、主にある兄弟姉妹に向けてお便りしたとき、以下のことを挙げました。
1.「主の再臨」が、私たちが考えている以上に近い
✶キリスト者は花嫁として主に迎えられるよう、備えをする必要
2.1.に向かって、「産みの苦しみ」が次から次へと急速に展開している
✶神が送っておられる「しるし」に気づき、警告を悟る必要
✶門戸が閉じられる前に罪を悔い改め、イエス・キリストを「救い主」として受け入れる必要
✶主にある兄弟姉妹との間に未解決の問題があれば、今行動を起こし、和解する必要 ➝フルダレター293号で考察
3.1.「メシアの来臨」に向け、イスラエル国家に目を留める必要
エルサレムが踏み荒らされるのは「異邦人の時が満ちるまで」(ルカ21:24)
ユダヤ人の本国帰還のときが終焉に近づいている

➪2020年に入り、聖書が預言している、世の終わりの「しるし」の急増
✫新型コロナウイルス、ラッサ熱、いなご大発生、陸海空の生き物の理由不明の突然の大量死などの疫病と、地震の規模、頻度の増加(中東で地震の多発)、火山爆発、森林火災、大嵐、洪水、干ばつが方々で発生…… ➝「生きるを考える」に毎月の最新情報
➪コロナウイルス禍が「過ぎ越した」後、エジプトの疫病にまさるさらに恐ろしい疫病が発生する
➪来年辺りから食糧難の時代到来の予測
➪地球の地磁気の急激減少で磁極の逆転現象が接近、地球が宇宙からの侵略にますます弱くなっていると同時に、人体にもますます悪影響
✫自律神経系に関する種々の疾患、血液循環障害、アレルギー症状、視力低下、頭痛、関節痛、肺疾患……に陥りやすくなっている

この世の視点からは暗いニュースばかり、しかし、
神の視点からは、再臨のキリストによる神の支配が全世界に満ちるときが非常に近づいている、明るいニュースです。

とはいえ、キリスト者とユダヤ人に対する迫害と、信じない者に対する神の怒り、―裁き―、天変地異を経なければ、キリストの再臨と信徒の携挙は起こりませんから、信徒にとって今は、来たるべき艱難に備えて、信仰に堅く立つことができるように、御言葉をしっかり学ぶときです。

キリストの再臨(ユダヤ人にとっては「メシアの来臨」)後、信じる者にもたらされる至福(『聖書』が明確に約束)を信じ、すべての希望をそこに託して、今の艱難、来たるべき大艱難を祈りと執り成しで乗り越えるときがもう来ているのです。

今後の見通し

COVID-19 を先駆けに今後、「エジプトのあらゆる悪疫」(申命記28:60)にまさる災い、疫病が全世界に及ぶことが考えられます。
今、猛威をふるっている疫病COVID-19は確かに人々の恐怖、不安をあおっていますが、全人類にとって必ずしも致命的なものではなく、『黙示録』で預言されている最後の疫病ではないようです。

今年の「過越」の祭りを境に、COVID-19は収束していくと預言しているラビや預言者がたくさんいますが、―それはだれもが切望している見通しですが― その後、さらに恐ろしい致命的な疫病が全世界を襲うことを預言している少数の預言者もいます。
[2020年の「過越」はイスラエル暦の「ニサンの月の十四日」、4月8日の夕刻から9日夕刻までで、4月9日から一週間、4月15日までが通称「過越の祭り」といわれている「種なしパンの祭り」です]

最初の疫病COVID-19が、特に神の民イスラエルやキリスト者に対する霊の覚醒のための警告なら、次に世界中を震撼させる疫病は、信じない者に対する神の裁き、死に至る疫病といえるのではないかと思います。
実際、COVID-19でひどく打たれている国々は、中国、イラン(これら両国には別の理由が考えられます)を除き、キリスト教国です。日本は無神論国ですから、第一波が去った後に本格的な裁きがもたらされる範疇に入り、使徒ペテロの警告
さばきが神の家から始まる時が来ているからです。それが、まず私たちから始まるとすれば、神の福音に従わない者たちの結末はどうなるのでしょうか。『正しい者がかろうじて救われるのなら、不敬虔な者や罪人はどうなるのか。』(ペテロ第一4:17-18、下線付加)
は決して侮れません。

まだイエス・キリストによる救い、―死に至る永久の滅びからの解放、罪の赦し― を信じていない人たちは、疫病の第二波が全世界を襲う前、警告の時点の今、罪を悔い改めて(人類の根本的な罪は、真の神の存在を認めず、聖書に証しされている神を信じないこと)、永久の生命を受ける決意をされることをお勧めします。信仰は感情の産物ではなく、決意です。

COVID-19のような疫病から守られ、癒やされるには、まず、真の神の存在と神の癒しを信じる必要があります。完備された医療制度、医薬品、サプリメント、健康食品依存の習慣が根づいてしまった日本の人たちには、発想の転換が難しいかもしれませんが……

遠からず、神の警告の招きが閉じられるときが必ず来ます。
皆さま、真の神の救いを受け、祝福にあずかる決断を今してください!

神の守りの約束

☆神の怒りが下る前に、神を心から求める者
現在は警告のとき、憐れみの神は求める者すべてに手を差し伸べておられる
☆聖書が証しする天地の創り主なる神を信じる者
☆人の手に成る宗教、偶像ではなく、唯一真の神だけを避け所とする(依存する)者
☆癒やし主なる神がすでに備えておられる究極的な治癒薬、―木の葉― を信じて、受ける者 ➞黙示録22:2 ➝フルダレター294号参照
☆イエス・キリストが十字架上で流された尊い血潮にあずかる者 
➞イザヤ書53:5

このような人は、災いのただ中で神の守りが約束されています。
➞詩篇23篇、91篇、エゼキエル書9:4-6ほか

2020年の主の例祭「過越」

コロナ禍により全世界で外出自粛、十人以上の集会や礼拝禁止令が発令されていることにより、今年のイスラエルの主の例祭「過越」は、出エジプト時に守られた最初の過越以来、初めて、各家で家族/一族郎党だけで守られることになりそうです。
キリスト者も今年4月12日(日)の「イースター」(イスラエル暦の「初穂の祭り」)を、各家庭で守られる方が多いのではないかと思いますが、最後には、すべてがスタート時に戻るという聖書の原則、―初めから終わりまですべて掌握しておられ、初めと終わり融合して人類史が完成される神のご計画― が思い起こされます。

疫病による国家の危機に瀕して

すでにキリスト信仰に生きておられる方々は、イエス・キリストの名によって毎日、執り成しをお願いします。
対象は数えきれませんが、特に、国の安全、平和、繁栄、福祉のために責任を担っている国家の指導者 ―世界中の諸国家の頭首、日本の首相、上皇陛下、天皇陛下―、また、医療・介護従事者、ライフライン従事者、危険業務従事者の主による守りをお祈りください。
すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。(テモテ第一2:1-4)
憐みの神が日本国民の心底からの哀願に応え、日本への災いを最小限にとどめてくださいますように!
➞ヨナ書3:4-10 イスラエルの敵、異邦人国アッシリアの首都ニネベの悔い改めと哀願に答えられた神

第294号  エゼキエル書47:1-12

信じる者への神の備え、―天然の治癒薬―

神と神の預言の言葉『聖書』を信じる者は、この世にあっては真の平安に満たされ、神の御旨、御言葉に生き、来たるべき世にあっては永遠に生きる…

彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。次に、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。その人は手に測り縄を持って東の方に出て行き、千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。彼がさらに千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水は膝に達した。彼がさらに千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。彼がさらに千キュビトを測ると、水かさが増して渡ることのできない川となった。川は泳げるほどになり、渡ることのできない川となった。彼は私に、「人の子よ、あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に連れ帰った。私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの水があった。彼は私に言った。「この水は東の地域に流れて行き、アラバに下って海に入る。海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。漁師たちは、そのほとりに立つ。エン・ゲディからエン・エグライムまでが網を干す場所になる。そこの魚は大海の魚のように、種類が非常に多くなる。しかし、その沢と沼は水が良くならず、塩を取るのに使われる。川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」 エゼキエル書47:1-12(新改訳2017)


新型コロナウイルスCOVID-19の世界的な爆発的感染拡大で、欧州全域と米国は感染者数と死者数増大の一途で、収束の目途が全く立っていません。世界中の経済、金融が揺さぶられ、今夏の東京五輪、パラリンピックも一年の延期が確定しました。
全世界が同時不況に陥るとの危惧が渦巻く中、検査キット、ワクチン、治癒薬発見のため、世界中の医科学研究者の骨身を惜しまない尽力は感謝に堪えません。

イスラエルの著名な作家ヤアコフ・シャブタイの娘で精神科医のハムタル・シャブタイが、1986年から87年にかけて書き、1994年に刊行されたフィクションについての記事がありました。
その書に著者は「2020年は世界がこの疫病に苦しむとき」と小文字で記したそうですが、刊行当時、まだはるか先のことなので読者を動揺させたくないとの配慮だったようです。その書には、
ウイルスの攻撃によって世界は健康な人たちと病気や危険にさらされる人たちに二分され、後者は封じ込められ、孤立させられる。世界は、世界的な健康独裁政権、全体主義体制によって支配され、人々は、学校、幼稚園、スーパーマーケット、企業などあらゆる場所で毎日検査を受けることが強いられる。すべての公共の場所には生体認証ドアを通してしか入場できない。画面上で青く表示された人は直ぐ隔離センターに移動させられ、閉じ込められる。人々は握手をしたり、接触したりしなくなる。死を引き起こす可能性があるからである。また、すべての人に遵守が義務づけられる世界保健条約が定められる…
等々が記されており、今日世界中で猛威をふるっている新型コロナ旋風の一歩先を行く筋書といえそうです。

聖書に通じている人なら、この筋書きが聖書の預言を反映していることに気づきますが、聖書は、生命の源なる創造者を忘れ、利己的、自欲に生きる悔い改めない「罪人」を目覚めさせるための警告として、また裁きの手段として神が疫病や病を送られることを記しています。
疫病で多くの人たちが亡くなるのを見たとき、指導者が神に目を向け、赦しを乞い、人々を悔い改め、祈りへと導き、疫病が止んだことが多くの箇所で語られています。モーセもダビデもそのようにして、民を神の怒りから守った神を恐れる指導者でした。

ラビ、ベン・アルツの預言

今日も、イスラエルをはじめ世界中に、神の御旨を伺い人々に警告を告げている預言者がいます。イスラエルのラビ、ベン・アルツはその一人で、五年前に中国で始まる疫病が世界的大流行になると予告しました。
それは世の真の祝福の源がイスラエルであることを知るための疫病で、その死者は十万人以上になると、以前録画されたビデオで語ったラビは、3月23日、新たに、世界中の指導者が天の神とイスラエルを認めるまでこの混乱は続く、各々の指導者は自らが神によって選ばれた者であることを自覚し、自らの心が神の御手の中にあることを知るべきである、この疫病は中国がイスラエルと世界中の工場を買収しようとして起こったが、今はそのことが起こることはだれにも許されていないと、語りました。
イスラエルのネタニヤフ首相に関しては、イスラエルの国民の一人ひとりを救うためにあらゆる努力をし、必要に応じて的確に行動していると高く評価し、ラビはさらに続けました。この疫病は明らかに一種の戦争で、イスラエルだけでなく全世界が危機に瀕している。しかし、神は怒りにもかかわらず人々を愛しておられるので、全世界はイスラエルを通して神の救いに導かれる。イスラエルだけが世界を守ることができる。
この過越の祭りの時期、神の奇蹟としるしが見られ、疫病は終わる。神は人々の苦しみと恐れのすべてをご覧になり、私たちの祈りを聞かれる。一つ心で祈られるこの祈りがゆえに神は大いなる救いをもたらされる。
一言で言えば、悔い改めよ、ということで、病は悔い改めへの道を指し示している光である、と。(記事の詳細はここをクリック

神に懇願するイスラエルの首相

ネタニヤフ首相が最近聖書に傾倒していることは、ラビとともに詩篇147篇を暗唱している姿や、コロナウイルスからのイスラエルの救いのために毎日テフィリンを巻いて祈っている報道で知られていますが、イスラエルではユダヤ人もキリスト者もともに祈ろうとの呼びかけがオンラインでなされています。
最近のエピソードを挙げると、3月21日のインタービューのとき、「この疫病が終わるように世界の創造主に祈らなければならない」と語ったネタニヤフ首相に、神に言及した答えに不満を抱いた記者が、解決策はワイツマン科学研究所(イスラエルの生命科学分野で最も権威のある学術機関の一つ)にあると反論したところ、「ワイツマンでも神に祈る必要がある」との返事が戻ってきたとのことでした。

このような国家指導者の神に依存する真摯な姿勢はイスラエル国民に大きな影響を与え、ラビ、ベン・アルツの預言通り、今日世界中が必死に模索しているCOVID-19撲滅の突破口はイスラエルによって開かれるかもしれません。

今年の「過越」(いけにえの子羊を献げる)は4月8日で、9日から七日間、「種なしパンの祭り」が祝われます。今イスラエルでは、MIGALガリラヤ研究所で開発されたCOVID-19に対するワクチンが全世界の研究所に先駆けてすでに数週間以内に使用開始の状態になっており、癒やしはイスラエルから来るとの預言は、確かに過越の祭りの時期に成就するかもしれません。
イスラエルの科学技術大臣は、COVID-19による世界的な脅威に対してこの経口ワクチンが必要な答を提供できると、確信をもって語りました

今春の過越しの時期に関しては、イスラエルでは現在外出禁止をはじめ、祭り期間に家族や人々が集まることも厳格に禁止されており、過越の準備も十分できない状態なので、今年は、3月26日から始まる「ニサンの月」の前にもう一度「アダルの月」を加える古来の「うるう年の掟」を適用して、過越の祭りの時期を一ヶ月遅らせる提案もされたようですが、採用されませんでした。
イスラエルではまた、テクニオン・イスラエル工科大学とランバム医療センターの研究者によって、ウイルスの検出率を劇的に向上させる「プーリング」と呼ばれる方法を開発し、一日の検査量が大幅に増加でき、無症候性感染者も特定できると期待されています。

他方で、1月に発生後北東アフリカを襲い、アフリカの穀物を壊滅的に食い荒らし、6月までに五百倍になると予測されている砂漠のいなごの大群が過越の祭りのころ、方向を中東に移すと予測されています。しかし、イスラエルは通り過ぎ(まさに「過越」)、イラン、パキスタンに向かうようです。
このように神の守りはイスラエルにあり、全世界を祝福するために、神はイスラエルを用いるおつもりのようです。

生き返るイスラエルの大地

先月号でも考察しましたが、昨今、終末末期のメシア来臨(キリスト者にとってはキリストの再臨)の直前に成就するとみなされている聖書の預言が次々と実現しています。
冒頭に引用したエゼキエル書47章には、今日塩分37%の死海に新鮮な水が注ぎ込まれ、水質が良くなり、魚が跳ね、川岸のすべての生物が生きるようになることが記されています。死海の所々に淡水シンクホールが発見され、微生物、魚、藻類が棲息していることが2011年に発見されましたが、今年の2月にイスラエルに降った記録的な大雨でイスラエル唯一の淡水源ガリラヤ湖の水量が増え、枯渇していたアラバ(ヨルダン川)に流れ込んだ水で死海北岸に一斉に色とりどりの花が咲き乱れるという現象が起こりました。
死海沿岸に花が咲き乱れるということは考えられないことでしたが、今年は大量の雨で荒れ地に眠っていた種が芽生え、ネゲブ砂漠でも一斉に開花したようです。
荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び踊り、サフランのように花を咲かせる(イザヤ書35:1)、
とイザヤが預言したとおり、メシアの来臨の近づきを感知し、聖地は躍動しています。

メシアの時代、身体を癒やす常緑樹の葉

エゼキエル書47章には、メシアの時代、エルサレム神殿から死海に向かって流れる川の両岸には常緑樹が生長し、一年中実がなり食糧となり、葉は薬となるとありますが、エデンの園で、木が永遠の生命に関連づけられたこととイザヤ書65章のメシアの時代、人々が長寿を全うすることを考えあわせると、人々の健康維持のため、また自然の治癒薬として木の葉が利用されることは明らかです。
水辺に植えられる常緑樹で実も葉も樹皮も食べられる木といえば、日本では松です。安藤広重の東海道五十三次の風景画で印象的なのは、旧街道沿いの松並木です。
たまたま、米国のあるキリスト者が夢かビジョンの中で、コロナウイルスに感染した人たちがトウヒの木(Blue spruce)の針葉を食べて癒やされたのを見たと語ったビデオを見、早速、松、トウヒの効用を調べてみました。
中国の仙人やアメリカインディアンが常食とし、食物の稀有な冬期には人を飢餓から守り、日々の健康維持に貢献する、十六世紀の中国漢方薬の医学書『本草綱目』にも効用が載せられている食用、薬用植物であることが分かりました。
抜群にV.Cに富み、呼吸器系の機能を助け、風邪、流感、関節炎、循環器系…に効くまさに万能の木は天からのマナ、神の備えに違いありません。