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Yさんの証し その30

大艱難の時代に備えて

2019年3月3日(日)

頌主

月報をありがとうございました。
先月から私は体調を崩してしまい、先週息子が嘔吐、夫は現在、リンパの痛みを伴う風邪を四日ほど患っております。
さほど高熱は出ないのですが、一週間以上続くのどの痛み、鼻水など、普通の風邪とは異なる症状に得体のしれないものを少し感じます。

日本でもはしかが大流行していると聞き、驚きを隠せません。妊婦さんや乳幼児に大きな影響を与える病気ですので、早く収まるようお祈りいたします。
主が癒し、私たちを立ち上がらせてくださいますように。

今、昼休みを使ってQuo Vadis: A Narrative of the Time of Nero【ポーランドの作家シェンキェーヴィチ(Henryk Adam Aleksander Pius Sienkiewicz)】を読んでいます。
ネロ帝時代のキリスト教迫害の凄まじさを描いた歴史小説です。
その迫害の中ですら信仰を失わず殉教していった人々の犠牲の上に、カトリック総本山としてのRomeが建っている、このことを思い知らずにはおれません。
あまりにも残酷な描写に、時々黙示録が重なって、夜な夜な悪夢にうなされることもあります。来たるべき大艱難の時代に注意して備えよ、という一警告として、心に留めるつもりで読んでいます。
シェンキェーヴィチは予知夢に悩まされるなど霊感の非常に強い人物だったという記録もあるようです。

皆さまの上に、主のお守りと祝福が豊かにありますように。

Y

Yさんの証し その29

『ヨブ記』を熟読、与えられた洞察

2019年1月30日(水)

頌主
日本はインフルエンザが猛威を振るい、死者が出ていると聞き、とても心配いたしております。皆さまの上に、主の揺るぎないお守りがありますように。

今日は週一度の職場の聖書勉強会がありました。
1月16日から『ヨブ記』をともに学びながら、自身の体験談やそれぞれの視点を話し合い、祈っています。

ヨブ記1:1-2:10

本日の質問(ヨブ記1:1-2:10)は非常に考えさせられることが多く、帰宅後、読み返しました。
1.サタンは、ヨブの何を神に訴えたのか?
2.神はどのような理由で、ヨブとヨブの家族があのように痛ましい危害を被るようなサタンの挑戦に同意されたのだろうか?


1:9-11

サタンは主に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
ここに明記されている通り、主は、ヨブのご自分に対する揺るぎない信頼と信仰を称賛します。そこで、サタンは「ヨブの主への信頼と信仰が無条件のものではない(一番目の質問)」と当てこすり、ヨブの愛する者たちやその所有財産を取り上げるよう、神に訴えました。

2:1-10
…サタンは主に答えた。「皮の代わりは、皮をもってします。自分のいのちの代わりには、人は財産すべてを与えるものです。しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。主はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」
二番目の質問については、「主はすべてをお見通しであり、ヨブの主への信頼と信仰の堅古さを知り尽くしておられたから、この挑戦を受けて立たれたのだろう」と、勉強会のときは漠然と考えていたのですが、何か腑に落ちないものを感じながら帰宅しました。

ヨブを含め、イスラエルの族長時代の人々は、心を尽くして主の掟を守る者には豊かな祝福が約束されていること、それが契約の中で明記されていることを心にいつも留めておりました。
サタンはこれを逆手に取り、「祝福(見返り)がなければ、だれも主を心から愛しもしないし、主の掟など心にとめないだろう」と当てこすったのです。

さらに、サタンの当てこすりはこれに留まらなかったのではないかという気がしてきました。

主に逆らい、おごれるサタンは、「ヨブの主への信頼と信仰は無条件のものではない」と非難することで「主の人間に対する愛と祝福も無条件ではない」と、暗に揶揄したのです。
「ヨブ(人間)が信頼と信仰を諦めたとしたら、主はヨブ(人間)を、それでも愛する(恩寵を与える)だろうか」と。
このように捉えるなら、このサタンの挑戦は本当は(ヨブにではなく)、主自らに向けられた挑戦だったということになります。
だからこそ、主は受けて立たれたのではないか、との考えに思い至りました。

そうすると、次の問い
3.神がサタンの二つ目の挑戦(2:1-10)に同意されたのは、なぜか?
にも、新たな見方が出て来そうです。

ここでサタンは、「ヨブが自らの生命を捨ててまで、主への忠誠と信仰を貫くわけがない」と投げかけました。
これは先程と同様の過程で解釈すると、「(主は不死身でいらっしゃるが、もし人間のように生命に限りがあるとしたら)人間のためなどに、辱めを耐え忍んでまで生命を投げ出すことはないだろう」という、主の人類救済のご計画への挑戦であったとみることができるのではないでしょうか。

しかし、これら二つの挑戦は、「主イエスの贖いの死」によって完全に打ち砕かれることになりました。

もう一点、非常に興味深いことは、サタンがヨブの生命に手をかけることを、神がお許しになられなかったことです。
これは、(主イエスの贖いの死を信じる者が手にする)「永遠のいのち」がイエスによってずっと後に約束されたことと関係があるのかもしれないと思っております。

フルダミニストリーで強調されている教え「ヘブル語(旧約)聖書の中の福音のひな型」を今日、少しではありますが、垣間見ることができた気が致します。感謝の気持ちでいっぱいです。

今後ともご指南を何卒よろしくお願い申し上げます。
皆さまの上に、主の豊かな祝福がありますように。

Y


フレデリックの手紙:2019年2月、3月

ブルンジの首都ブジュンブラからご挨拶

2018年2月25日

フルダミニストリーの皆さま

とても忙しく、ご無沙汰しています。
簡単に、近況報告をいたします。

私たちは、引き続き四箇所のセンターで牧者たちの研修に当たり、研修に用いる資料を英語から私たちの方言、キルンジ語に翻訳する仕事ほか、いろいろなことに携わっています。http://www.eclea.net/burundi.htmlをご覧ください。
私たちの国ブルンジでは、第三の委任統治のせいでブルンジに課された禁輸により、物事はこの点では少しもよくないのですが、私たちはすべてのことに対し神に感謝しています。
私の二人の娘は、カナダに留学するため、ビザ取得を待っています。長男は、フランスで学んでおり、現在大学三年です。追って、新たな報告をいたします。
フレデリック ハレリマナ

3月1日

フルダミニストリーの皆さま

ブルンジの首都ブジュンブラからご挨拶します。
皆さまにはいつもご連絡さしあげているわけではありませんが、時折、私が何をしているか、また、私どものためのお祈りをお願いしたいので、このようにご連絡する次第です。

私の娘たちは、ブルンジでは良い高等教育を受けられないので、カナダに留学しようと思い、ビザを申請しましたが、残念ながら認可されませんでした。
このことをお知らせしたのは、皆さまが長期に亘って私たちを財政面で支援してくださったことを思い起こしたからです。私たち家族が困難の中にあったとき、皆さまは愛をもって私たちに憐れみをかけてくださり、本当に感謝しています。

そのおかげで、私は、難民として過ごしていたケニヤで聖書を勉強することができました。そこで、聖書の知識を十分得ることができ、難民キャンプで、また、母国ブルンジに帰還後もコミュニティ発展に努めることができたばかりか、私自身が心から主に献身することになったのです。

私は完全な人間ではありませんが、私の強い願いは主に仕えることです。それは、私が困難なときには主が見えなかったのに、今は主を見ているからです。
私がこれからどのような道を行こうとも、皆さまへの感謝の気持ちをいつも忘れることはないでしょう。私たちが困難な中にいたときに、皆さまが私たちを助け出してくださったからです。

今日、私は身体的には走ることはできませんが健康になっています。20kmは問題なく歩くことができるのです。神さまは私の理解を超えて私に良いことをしてくださったのです。神さまは偉大な方です。

皆さまに神さまから溢れるばかりの祝福がありますようにお祈りいたします。

フレデリック ハレリマナ



フレデリックの宣教報告:2018 年9 月24日

フレデリックの2018年秋季宣教報告

2018年9月24日、カンクゾーにて

私たちはカンクゾーで『キリスト教とイスラム教』についてのセミナーを開きました。
実はここに来たもう一つの理由があります。
カンクゾーにある教会の礼拝に出席し、その教会の指導者たちが私たちの研修で学んだことを実践しているのかどうかを見る目的がありました。この地域は人口の多くがイスラム教徒で、私たちが泊まったゲストハウスもイスラム教の人の所有でした。

☆セミナーには二十七人の出席があり、私たちは、イスラム教が恐怖と反キリストの宗教であることを訴えました。
☆彼らは、イスラム教がいかに聖書の記述をねじまげた経典を用いているか、また、イスラム教という宗教を通しての救いは不可能ということを学びました。
☆イスラム教はブルンジでも脅威になっています。
モスクが建てられ、何人かのキリスト者が、イスラム教はキリスト教よりも愛があるとの理由でイスラム教に改宗しています。事実、イスラム教徒がキリスト者に施しを与えて、そそのかしているのです。


セミナーを終えて帰路の途中、私たちはある婦人に出会いました。彼女の夫は以前に私たちの研修に参加したことがある牧者です。

以下は彼女の証しです。
夫が研修に参加したあと、多くの面で良い方向へと導かれました。家族は健康が支えられ、夫はいくつかの領域でリーダーシップをとるようになりました。今は家族で祈りあい、聖書を読み、やぎ、羊、牛などを飼っています。またバナナなども植えています。夫が各種研修に出席するときには、私が彼の背中を押しているのです。

また牧者ムスマリは次のように語りました。

研修参加後はバナナの木を植えました。これがその初なりのバナナです。研修を行っているレーマミニストリーに感謝をこめて差し上げます。私たちは研修で学んだことを私たちのミニストリーで実践しています。

以前の宣教報告

フレデリックの宣教報告:2018 年5 月30日

フレデリックの2018年春季宣教報告

2018年5月30日、ブルンジのルタナにて

一週間の研修コースを開きました。
研修テーマは『解説的な説教をするには』です。
私たちは幾人かの研修生に説教の型を与えて、それに基づき彼らが説教をしました。残念ながら、彼らの説教は十分なものではありませんでした。

研修参加者は次のように語りました。
☆私たちの問題は、長年行ってきた説教の方法にあります。態度、行動は一夜にして変化するものではありません。変えるには勇気、練習、批判を受け入れることなどが必要です。
☆私たちのうち幾人かは聖書学校にも行っていません。キルンジ語が読めない人もいます。どうかその点をご理解ください。お金と時間を費やしてこの研修コースで学んだのに、何も習得できなかったとしたら悲しいことになります。

研修後、彼ら全員が少しためらいながらも、この研修コースを受けた全ての研修生に、説教の準備をする実際の機会を与えてほしい、と願いました。

それに対し、私たちは次のように考えています。
☆このような研修コースを繰り返し受講することは重要です。
というのは、どの研修も内容が豊富でとても一度受講したぐらいでは十分な習得が期待できないからです。
☆特に、本コース『解説的な説教をするには』については、それがいえます。
二回、三回受けることで、ヒントが得られるのです。
☆このことは他のコースについても同じです。
ですから、私たちが用意している各種研修コースを短期間で終えてしまおうと思わないでください。基礎をしっかり身につけることが重要であることを肝に銘じてください。
☆もちろん研修を受けるにはお金がかかります。私たちはコスト面でも配慮するつもりでいます。

以前の宣教報告


フレデリックの宣教報告:2018 年1月12日

フレデリックの2018年冬季宣教報告

2018年1月8日〜12日、ムズエでの五日間の牧者研修報告

この研修における教官はフレデリック・ハレリマナとフランシス・ニテュンガでした。
ムズエには宿泊所がなく、研修参加者は毎日27km離れたところから通うことになりました。三十九名の牧者が研修を受け、うち十二名が初めて、あとはみな二度目の研修でした。

今回の研修テーマは『聖書的カウンセリング』でした。

研修の内容

毎朝、祈りと黙想のときを持ち、めいめいが短いメッセージを語って祈りを導きました。
先回の研修で学んだことをどのように実践したかの評価を徹底的に行うことで、月曜日の研修が始まりました。結果は大いに励まされるものでした。

たとえば研修生の牧者エリーザーは次のような証しをしました。
彼の教会で三十人の教会員を集め、『伝道して弟子を作る』という教会の使命について研修を行った。その結果十人以上の新しい入会者が教会に加わった。
また彼は自分の家から弟子作りを始めることが大切であることを知り、自分の子どもたちに、進んで外に出て伝道するようにと、励ましている。


聖書的カウンセリング

月曜日から金曜日の午後にかけて、『聖書的カウンセリング』の研修を行いました。
カウンセリングは、研修に参加した牧者たちの牧会の中で多くを占めていました。
研修を通して彼らは次のことに気づきました。
イエス・キリストがいろいろな悩みを抱えた人々のために来られたことを、改めて認識し、彼ら自身、先頭に立って、悩める人々のためにカウンセリングを行い、イエスがそのような人々にどのように働かれるかを見守ることにしよう、何よりも、それを実践しよう。


研修を受けた牧者たちの反応と証し
牧者ニャンデュイ・アーネスト
この研修は私にとって非常に重要で、いろいろなことを学びました。今後、私が今まで行ってきたカウンセリングのやり方を変えようと思います。
私は社会からはじき出され、問題を抱えている人々のために神さまが私を送ってくださったことを理解していませんでした。私はこの研修で学んだことをまず家族、教会さらに社会で実践したいと思います。そして、社会から拒絶された人々に焦点を置いて伝道しようと思います。


牧者レビス
本当にこの『聖書的カウンセリング』の研修は私にとって特別でした。聖書的カウンセリングとは何なのかをよく理解できました。私がいかに人の言うことを聞いていなかったか、いかにコミュニケーション不足であったかなどを知らされました。
これからは、やり方を変えます。私が目指すのは聖書を使って良いカウンセラーになり、キリストにある人々を本来あるべき姿に戻すことです。


牧者エサイエ
この『聖書的カウンセリング』の研修から多くのことを学びました。私の目が開かれた気がします。今までのカウンセリングでは、人々に幾つかの助言をしたり、病気が良くなるために、すべきことなどを話してきました。私の知識のみに頼り、聖書を使っていなかったのです。これからは、カウンセリングに訪れる人々の言うことを良く聞き、聖書を使って導きたいと思います。


ローズ姉
まず最初に、この『聖書的カウンセリング』研修に参加できたことについて主を賛美します。これまで私がしてきたカウンセリングとは異なった聖書的カウンセリングを、どのように行うかを理解できました。私に相談をしてきた女性たちの問題の多くは家庭に関することだったのですが、私は彼女たちにいかに夫に従うかなど、彼女たちがするべき初歩的なことを助言してきました。そして、いつもカウンセリングの最後は彼女たちのためにお祈りをしますが、祈った後、彼女たちは、私が彼女たちに語ったどの言葉よりお祈りに励まされると言ったのでした。これからは今回学んだ聖書的カウンセリングを実践していきたいと思います。

私たちの感想

研修を受けた牧者たちは今回の研修に対して建設的な反応を示してくれました。
彼らは聖書的カウンセリングがどのようなものであるかを理解し、これまで彼らが行ってきたカウンセリングの方法を変えると言っていました。
私たちも、この一週間の研修を通して彼らが学んだ聖書的カウンセリングを、今後実践するようにと、彼らを励ましました。
また彼らは討論、話し合いを通して互いに学び合いました。
だれも全知ではないのです。
彼らは「人生において全ての人が学習者です」と、言いました。

感謝!
☆私たちは神さまに、一週間の研修の間、私たちを守ってくださり感謝します。
☆ブルンジでは今でも食料生産が難しくその確保が大きな課題です。今年こそ良い収穫ができるように神さまに祈ります。神さまを讃えるとともに、神さまからの祝福をいただけるように祈ります。



第281号  ミカ書7:1-13

古代イスラエルの出エジプト(最初の贖い)とメシヤの来臨(最後の贖い)

2018年来、最後の贖いを予兆する出来事、―地に下る神の裁きと聖め― が相次いでいる。世の終わりに備えるには? 物理的現象によって損なわれることのない、永続するものを堅持すること!

ああ、何と悲しいことだ。私は夏の果物を集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れるときのようになった。食べられる房は一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。敬虔な者はこの地から消え失せ、人々の間に、心の直ぐな者は一人もいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする。彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人もさばき人も賄賂を求める。有力者は自分の欲するままを語り、こうして事をねじ曲げている。彼らのうちの善良な人も茨のようだ。心の直ぐな者も茨の生け垣に劣る。
あなたを見張る者の日、あなたの刑罰の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。あなたがたは友も信頼するな。あなたの懐に寝る者からも、あなたの口の戸を守れ。子は父を侮り、娘はその母に、嫁はその姑に逆らい、それぞれ自分の家の者を敵とする。しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。
私の敵よ。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、主が私の光だ。私は主の激しい怒りを身に受けている。私が主の前に罪ある者だからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出してくださる。私は、その義を見る。私の敵はこれを見て恥におおわれる。彼らは、私に向かって「あなたの神、主は、どこにいるのか」と言った者たちだ。私の目は、確かに見る。今に、敵は道の泥のように踏みつけられる。
あなたの石垣を建て直す日。その日、国境が広げられる。その日、アッシリアとエジプトの町々から、エジプトから大河まで、海から海まで、山から山まで、あなたのところに人々がやって来る。しかし、その地は、そこに住む者たちのゆえに、彼らの行いの実によって荒れ果てる。  ミカ書7:1-13(新改訳2017)

社会の退廃を嘆く預言者ミカの語りで始まる『ミカ書』7章は、冒頭に引用した箇所の8-10節に、都エルサレム(シオン)の声が差しはさまれた対話形式になっています。陰鬱な預言者の口調で修復の見通せない堕落した国家、社会が訴えられていますが、15節には神の応答で明るい未来が展望され、ミカ自身の名に託された意「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか」の神賛美で7章は締めくくられています。

預言書では、神の人や信仰を見つけることの難しさが、時節ではないときに夏の果物やぶどうの取り残しの実を見つけることがめったにないことにたとえられています。また、穀物や木の実の収穫には、神の裁きが象徴されています。収穫、裁きが終わってしまった今、もはや実を期待できないように、もう救いのチャンスはないといったミカの悲壮感が「敬虔な者はこの地から消え失せ…心の直ぐな者は一人もいない」に表現されています。

福音書に、キリストが子ろばに乗ってエルサレムに入城された翌日、ベタニアから都に赴かれた途上で、主が実のないいちじくの木に裁きを命じ、枯らしてしまわれたという出来事が記されていますが、実のなる季節ではないいちじくの木をキリストがなぜ枯らされたのかは一見、不可解です。しかし、ミカの嘆きの理由が、不信仰のゆえにイスラエルに下ろうとしていた刑罰であったことに関連させるなら、キリストの行為はまさに、実をみのらせることができなかったどころか、神を拒絶したエルサレムに下ろうとしていた裁きの象徴的行為であったと、解釈できるのです。

わいろ、詐欺をはじめ不正、不法がまかり通る堕落した社会には至るところ、人々を陥れる罠が張られていますが、無法状態になると、不道徳、暴力がはびこり、一番恐ろしいのは、健全な良心が失われることです。神の摂理、神の絶対基準を拒絶するようになると、社会は「善良な人も茨のようだ。心の直ぐな者も茨の生け垣に劣る」混乱状態に陥り、ちまたにはイザヤが「わざわいだ、悪を善、善を悪という者たち。彼らは闇を光、光を闇…甘みを苦みとする」(イザヤ書5:20)と非難した者たちがあふれ、ついには裁きが下ります。
「見張る者」預言者が警告してきた裁きの日には人の本性が暴露され、人間関係、家族関係が崩壊しますが、揺り動かされない神との絆だけは永続します。絶望の中で最後まで神に信頼し、御旨に忠実であった者たちは神の救いにあずかることができるのです。これはまさに、ミカ自身の確信、証しでした。

ミカの時代、ユダ王国はまだ安泰でしたが、すでに霊的堕落に陥っていた王国の、敵バビロンによる陥落は時間の問題で、イザヤをはじめ、紀元前八世紀の預言者たちは一世紀以上も前からバビロン捕囚を預言していました。ミカも8-10節で捕囚の民に言及しています。しかし、都エルサレムが諸国に向けて語る形式をとったこのくだりは、エルサレム陥落後のどん底からの信仰告白になっています。
このように暗黒のときを経て、すなわち、北イスラエル王国の場合は、アッシリヤによる陥落と国家喪失、南ユダ王国の場合は、バビロンによる陥落と捕囚を経て民は復興されました。
さらには、西暦七十年のエルサレム第二神殿陥落と国外離散(ディアスポラ)を経て、また今日のイスラエルも、中東戦争、反イスラエル主義、エルサレム分割、サマリヤとユダヤの地の大部分のパレスチナ国家への譲渡等々、諸問題に直面し、敗北のどん底から神を求め、罪赦され、聖められるとき、再び神の民として完全に復興されることになるのです。
諸国民によって「あなたの神、主は、どこにいるのか」と侮られることほど、神の民イスラエルにとって屈辱的なことはないのですが、この屈辱が逆転させられるときが必ず来ることを、預言者たちは告げたのでした。

今日、国家誕生七十周年を迎えたイスラエルの領土は、紅海からガリラヤ湖までのヨルダン川西岸域とゴラン高原の北部までですが、神がアブラハムに無条件に約束された地は「エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで」(創世記15:18)でした。ヨルダン川ではなく、ユーフラテス川の西岸までの地が本来、神が約束されたイスラエルの地で、ミカは、ユダヤ人の王メシヤが支配される時代、すなわち、メシヤの来臨によって神の国が地上に具現するとき、「国境が広げられる」ことを明確に預言しています。
その日には、全地に四散していたユダヤ人が本国帰還し、同時に、多くの異邦人も再建されたエルサレム、イスラエルの地に住むことになれば、地理的にも、国家的にもダビデ王国は拡張されることになります。

エジプトやアッシリアに代表されるかつての敵がメシヤの支配と神の民イスラエルを受け入れるとき、神がこれらの国々をイスラエル同様に祝福されることはイザヤも預言したことでした。
その日、エジプトからアッシリアへの大路ができ、アッシリア人はエジプトに、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人はアッシリア人とともに主に仕える。その日、イスラエルはエジプトとアッシリアと並ぶ第三のものとなり、大地の真ん中で祝福を受ける。万軍の主は祝福して言われる。『わたしの民エジプト、わたしの手で造ったアッシリア、わたしのゆずりの民イスラエルに祝福があるように。』(イザヤ書19:23-25)

究極的に、神は諸国民を「打って癒される」方法で、反逆の民を平和裏に治められますが、全地に満ちる大いなる祝福の前には、反逆するすべての敵の撲滅と、服従しない者たちの聖めのための懲らしめは必須です。メシヤが支配される王国では、服従しない者たちには裁きが直ちに下り、その地は荒れ果て、祝福にあずかることができないので、この世とは全く違った時代、各自の「行いの実によって」祝福を受ける、公平な生活が保障されます。
ミカは15節で、かつてエジプトで隷属下に置かれていたイスラエルの民を贖い出すために、神がエジプトに下した災いや驚くべきわざを再び起こし、イスラエルの民を究極的なメシヤの時代へと導くといわれたことに言及し、7章の後半を民の究極的贖い、救いで締めくくっています。

今日、イスラエルの究極的贖い、すなわち、メシヤの来臨、―キリスト者にとってはイエス・キリストの再臨― が非常に近いことが、2018年以降とみに世界中で起こり始めた諸現象から明らかになってきています。聖書の世の終わりに関する預言の多くが成就し始めているのです。
多くの世界的な現象の中でも、ラビたちはメシヤの来臨(最後の贖い)直前に、出エジプト時に起こった十の疫病がすべて再来すると解釈していますが、出エジプト時の十の災いのうちの五つはすでに2018年に起こり、引き続き頻度、強度を増して起こるとみなされています。
2019年2月には米国で、「生ける屍鹿病」の感染が伝えられ、ラビたちはこの疫病を出エジプト時の第五番目の災い「家畜の疫病」に匹敵するものとみなしています。かつて流行した狂牛病と同じような伝染力の強い家畜の疫病で、冒された家畜は体力を消耗し、衰弱死します。この十年来広がっているようで、米国の二十四州、カナダの二州で発見され、種を越えて感染、鹿肉を食べる人にも感染する可能性が指摘されています。この疫病を含め、すでに出エジプト時の六つの災いが再来したことになるのです。

2018年12月にスーダンとエリトリアに発生したいなごの群れが、2019年2月の異常な大豪雨で第二世代の大群を孵化させ、一集団はすでにイランにまで達し、現在、紅海の両岸エジプトとサウジアラビアでは、いなごの侵入を制御すべく対処に追われています。
砂漠に常時棲息するいなごは、普通個別行動をとるようですが、良好な繁殖条件下で十数億羽にも及ぶ大群を形成し、数十平方キロメートルにも広がると、行動が変わるようです。いなごの大群がもたらす被害は想像以上に大きく、一平方キロメートルの大群は三万五千人の一日分相当の食物を消費するとのことで、マリの首都バマコ、あるいは、ニジェールの首都ニアメの大きさのいなごの集団は、いずれかの国の人口の半分の一日分の食物を消費し得るとの脅威が警告されているのです。しかも、この集団は一日に150㎞も移動するので、被害域を留めることは難しく、今後さらに雨が続けば、2003年から2005年にかけての被害を上回る最悪の事態が起こり得ると危惧されています。

これらの疫病は出エジプト記9:3と10:13-15に記されていることの再来で、聖書の記述が歴史的事実に基づくいかに正確な記録であるかを知ると同時に、今日世界中で毎日のように起こっている災いが、神からの警告であることを知ることは大切です。たとえば、「主はイスラエルの家畜とエジプトの家畜を区別するので、イスラエルの子らの家畜は一頭も死なない」(出エジプト記9:4)と記されているように、出エジプト時、災いが局所的、選別的に下されたことを知るなら、今日起こっている災いを警告として受け止め、備えることによって、究極的な滅び、―霊と魂の滅び― を免れることになるからです。
➪詳細は、ヨシェル47

#281: SIGNIFICANT LEADERSHIP ROLE OF IMPLEMENTING GOD’S WORD CORRECTLY

SIGNIFICANT LEADERSHIP ROLE OF IMPLEMENTING GOD’S WORD CORRECTLY

U.S.President Donald Trump's Middle East peace plan will be announced soon after 9th April. It is speculated to call on Israel to turn over most of Judea and Samaria to the Palestinian Authority to establish Palestinian State. If this is the case, how will God react to this so-called "deal of the century" peace plan?

In the first month the whole Israelite community arrived at the Desert of Zin, and they stayed at Kadesh. There Miriam died and was buried. Now there was no water for the community, and the people gathered in opposition to Moses and Aaron. They quarrelled with Moses and said, ‘If only we had died when our brothers fell dead before the LORD! Why did you bring the LORD’s community into this wilderness, that we and our livestock should die here? Why did you bring us up out of Egypt to this terrible place? It has no corn or figs, grapevines or pomegranates. And there is no water to drink!’ Moses and Aaron went from the assembly to the entrance to the tent of meeting and fell face down, and the glory of the LORD appeared to them. The LORD said to Moses, ‘Take the staff, and you and your brother Aaron gather the assembly together. Speak to that rock before their eyes and it will pour out its water. You will bring water out of the rock for the community so that they and their livestock can drink.’ So Moses took the staff from the LORD’s presence, just as he commanded him. He and Aaron gathered the assembly together in front of the rock and Moses said to them, ‘Listen, you rebels, must we bring you water out of this rock?’ Then Moses raised his arm and struck the rock twice with his staff. Water gushed out, and the community and their livestock drank. But the LORD said to Moses and Aaron, ‘Because you did not trust in me enough to honour me as holy in the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.’ These were the waters of Meribah, where the Israelites quarrelled with the LORD and where he was proved holy among them.        NUMBERS 20:1-13.

Numbers Chapter 20 begins with the death of Miriam and ends with the death of Aaron, followed by conflicts with Edom, the Canaanite king of Arad, Sihon king of the Amorites, and Balak king of Moab in the next few chapters. These chapters seem to demonstrate God’s chastisement of Israel’s persistent disobedience and mistrust of God. Thus, Israel’s last year in the wilderness, the fortieth year after the exodus began with a series of sad events. 
If we can learn one lesson from Chapter 20, it would be the significant consequence of disobedience to God.

The majority of the Israelites who had been delivered from Egypt and who had complained about the bread from heaven in the wilderness had perished in the previous thirty nine years because of their rebellion, and now their children were voicing their complaints just before entering into Canaan. Moses’ accumulation of anger, tiredness and frustration over forty years of constant complaining from the Israelites blew up in the form of his violation of God’s specific instructions. 
This seemingly understandable offence of striking the rock two times with the rod instead of speaking to it was taken very seriously by God and Moses was denied entrance into the promised land and resulted in his death before the Israelites’ actual possession of the land. 

What was the justification for such harsh judgment here? Moses misrepresented God to the nation by giving an impression that God Himself was upset. He failed to show respect to God’s words and his action reflected his own emotion and not God’s nature. Thus he had discredited God’s holiness. Moses also took credit for the miracle of water from the rock as if it were Aaron and himself who had performed it, saying: ‘Listen, you rebels, must we bring you water out of this rock?’ 
The perspective and lesson that this event gives is very significant for all believers and the nation of Israel today, emphasizing the importance of trusting in Gods’ words and complete obedience.

Israeli prime minister Yitzhak Rabin had signed the Oslo Ⅱ interim peace accords with Yasser Arafat and Bill Clinton in September 1995, which was concluded to continue a process of giving more governing power to the PLO as part of a plan to create a Palestinian state. Shortly after this, the prime minister was assassinated. The assassin confessed his motivation saying: ‘Rabin wants to give our country to the Arabs’, regarding Rabin as a traitor. 

The following article: ‘Rabin Code - Hidden Prophecy Fulfilled’ relates Yitzhak Rabin’s assassination in 1995 to his disregard of God’s ancient promise to Abraham and points out that his destiny had been coded into Genesis Ch.15 in the Hebrew Scriptures by equidistant letter sequence (ELS).

The article puts it:
“And it came to pass, that, when the sun went down, and it was dark, behold a smoking furnace, and a burning lamp that passed between those pieces.” (Genesis 15:17) Yitzhak Rabin was prime minister in Israel until he was suddenly assassinated after a peace rally in Tel Aviv on November 4, 1995, by Yigal Amir, a Jewish radical. The day before the assassination was the Jewish Sabbath. In the synagogues, the verses being read were from the story of God passing between the sacrificial offering, confirming Abraham's covenant for the land. They saw the verse above in the Hebrew text and noticed that if you simply change the spacing between the letters, a message would be formed that is known today as the Rabin code. The passage reads: "...fire which passed between these pieces" (Gen. 15:17). When the spaces are changed between the Hebrew words in the Genesis 15:17 phrase, it reads, esb esb ra' b'rabin, or, "fire, evil fire against Rabin." The prime minister was shot twice, an allusion to the firing of two bullets. What a coincidence! (Line added) 
Needless to say, these ELS codes cannot be used to tell the future, nevertheless, they are understood to show hidden messages of God.

In 2005, Israeli prime minister Ariel Sharon made a decision to unilaterally withdraw Israel from the Gaza Strip and removed thousands of Israeli settlers from their homes in order to bring stability to the region. However, the withdrawal only allowed Arabs to see it as their own victory and since then sadly, more civil wars within the Gaza Strip have taken place. The fact that Sharon was hit by a stroke in 2006, a few months after the withdrawal, and finally he passed away in 2014 seems to be regarded by many as God’s own judgment for his denial of Israel’s right to the land. 
Israel celebrated her 70th anniversary in 2018 and until today she has been divinely protected and continues to be stable and prosperous, which will be so in the future as well as long as she is obedient to God and His Word.

For the present, what will be brought about by the Trump administration plan, the so-called “deal of the century” peace plan after Israel’s 9th April elections, which is supposed to call for a Palestinian state in most of Judea and Samaria, is worthy of note.