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メアリー・ジェインの手紙 : 2022年12月17日、20日

カモテ分配で部族の人たちと喜びを共有!

12月17日

フルダミニストリーの皆さま、おはようございます。

昨日、ナブクロドのアエタ部族の八十家族に買い手のつかなかった残りのカモテを分配しました。私たちは、また醤油に漬けた豚肉を料理しました。さらに私はここノバリチェスの三人の農民と彼らの子どもたち三人を連れて、教会の礼拝に出席しようと思います。



私たちは、農業では損失を出しましたが、カモテを分配することで、引き続き、部族の家族にとっては祝福となっています。

また、ご連絡します。多くの愛を込めて  メアリー ジェイン

12月20日

フルダミニストリーの皆さま

おはようございます。

そうです、私は、確かにグローバリストは異常気象を引き起こしていると思います。ここの幾人かの農民たちもまたそう考えています。先週、マニラ上空をヘリコプターが轟音をたてて、旋回していました。その理由はよくわかりませんが、そのあと、首都圏のある地域では雨が降りました。多分ヘリコプターは雲を作っていたのではないかと思うのです。

大部分の買取人や業者は農園の生産物の価格を操作しています。それが理由で、特にバングエトの農民が市場の買取業者に低い価格で農産物を売るよりは、農業自体をやめてしまうことが多いのです。

たとえばカモテは市場では値段が下がらないのに、業者は私たちのカモテの価格を下げ、1kg当たり12ペソで買いたいと言ったのです。しかし市場では1kg当たり50ペソで売られています。ですから、私たちはまだノバリチェスに滞在し、戸別訪問をして私たちのカモテを売るつもりです。

先週の日曜日、私は三人のアエタ部族の父親たちと子どもたちを連れて教会の二十周年記念会に出席し、そのあとケソンシティ記念公園に行きました。

どうか良いクリスマスをお過ごしください。

多くの愛を込めて  メアリー ジェイン

あとがき

ある記事によると、昨今の世界的な異常気象に大きな役割を果たしたのは、ポリネシア国家トンガのフンガトンガ-フンガハアパイ火山の2022年1月の噴火であったとのことです。

火山噴火によって引き起こされた混乱は作物の植え付けに多大な影響を与えたため、この火山噴火は食糧供給の面で、大きな変化をもたらすことに貢献したのです。専門家はこの噴火は、今後、北半球と南半球の両方での作物生産に影響を与えることになると考えています。

この噴火に関する別の記事によれば、この噴火は自然噴火ではなく、グローバリストによって引き起こされた可能性も考えられるとのことでした。この噴火では、通常の火山噴火では発生しない、キノコ雲が撮影されたのでした。

グローバリストは、今日、世界の食糧生産を破壊しているので、破壊につながることを何でも試みるかもしれません。

この記事に興味がある方は、サイト:‘Tonga volcano eruption produced mysterious, puzzling concentric ripples in the atmosphere’をご覧ください


Mary Jane のミニストリー活動報告:2022 年12月13日

収獲したカモテを販売

12月13日(火)

フルダミニストリーの皆さま

おはようございます。励まし、力づけのe-mailをありがとうございました、

12月11日(日)、私が市場でカモテを売る作業を、アエタ部族の人々も手伝ってくれました。その結果、一部のカモテを3,100ペソで売却し、そのうち2,000ペソをアエタ部族の人々に与え、1,100ペソを私たちがケソンシティーに帰る交通費として受け取りました。

私は11:40pmに自宅に戻り、明け方の4時ごろまで寝ないで、まだ売れずに残っているカモテの買い手を探し続けました。その結果、昨日、二人の買い手を見つけました。

彼らはそれぞれ1kgあたり20ペソでケソンシティー仕向け500kg買うというのです。これで私は、20,000ペソを売り上げることになり、運搬トラックの燃料代3,500ペソ、運転手に1,000ペソ、あの土地を開墾してくれた二人の農民に4,000ペソ、十日間、農園で働いてくれたアエタ部族の四人に12,000ペソを支払うことができます。

信仰の戦いを戦い抜く決意を新たに!

このカモテを売ろうとしたあの日、最初の買い手が、すべてのカモテの中に虫がいるという理由で買い取り拒否をしたとき、私は泣きたい気持ちになりましたが、アエタ部族の人々が、希望を失わないようにと私を励ましてくれたのでした。そこで、私は気持ちを奮い立たせ、その後の交渉に臨むことができました。私は彼らに「信仰の戦いを戦い抜きましょう!」と言いました。

彼らはまだ農園にいて収穫を続けています。私は今日、パンパンガに戻り、二人の買い手が希望するケソンシティーへの配達の手配をします。

信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前で素晴らしい告白をしました。私は、すべてのものにいのちを与えてくださる神の御前で、また、ポンティオ・ピラトに対してすばらしい告白をもって証しをされたキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい。(テモテ第一6:12-14)

福音未踏の地での伝道

昨日、二人の牧者がある調査結果を知らせてくれました。それはフィリピンの牧者のうち、未開拓伝道地に留まっているのは、ほんの10%という実情です。そこでは、電気は不通、水はなく、トイレ設備もない、献金額がほとんどないため、牧者の生活、教会の維持が困難などの問題があるのです。

本日いただいたe-mailを読んで、私自身が聞いた調査がお知らせいただいた調査結果に一致しており、未開拓地での伝道がいかに行き届いていないかの確証となりました。

現在、フィリピンでは、多くの教会がショッピングモール地域での設置、礼拝を選び、特に大規模教会の牧者は贅沢な生活をしていることは悲しいことです。多くのキリスト者も快適な生活をしています。

部族の人たちとの心温まる連帯感

私は時々、神さまに「私はだんだん年を取ってきたので部族の集落に行くのが大変になってきました」と話していますが、部族の人々は私に「多くの牧者に会ったが今まで一人も私たちと一緒に滞在、住んだ人はいない。あなただけが私たちと一緒にいてくれる」と、しみじみと語ります。

彼らに「本当に?」と問い返すと、アエタ部族の人々は「本当にそう」と答え、そのあと、私たちは互いに抱きしめ合い、冗談を言い合い、大笑いをするのです。

昨晩、神さまはマタイの福音書25章34~46節の御言葉を示してくださり、私を励ましてくださいました。

…あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです… (40節)

ハレルヤ!私たちの偉大で力ある神さまのお名前が祝福されますように。

ヤーウェ エル シャダイ!(全能の神さま!)十分すぎるほどの神さまに、アーメン!

再度、フルダミニストリーの皆さまに感謝を申し上げます。

皆さまがいなければ、これまでのすべての困難、また、これらの少数部族のために、私が人生を棒に振っている、と非難し、だから、都心で働いた方がいい、という私の家族からの、言葉の迫害に耐えることができなかったと思います。     

良いカモテ、悪いカモテを分別しました。


下のビデオは私たちが収穫しているところを撮ったものです。

多くの愛を込めて    メアリー ジェイン

あとがき

最近の別々の調査によると、世界中で奉仕しているキリスト教宣教師、約四十万人のうち、福音がまだ伝わっていない地域の人々に焦点を当てている宣教師はわずか3.3%とのことです。

現状では、約七千人のグループが「福音未踏の地」として分類されています。

なぜこれらのグループが未踏なのかの理由は幾つか挙げられますが、中でも主要な理由はアクセスできない地形にあるようです。それに、文化的および政治的困難が挙げられます。

メアリー・ジェーン姉はまさに、過去三十年近く、文字通り困難を推して、自国で差別的措置下にある少数部族や貧しい家庭の子どもたちに目を向け、教会組織には属さず、単独で宣教に携わっている牧者たちを助け、福音宣教に励んでいます。


Mary Jane のミニストリー活動報告:2022 年12月8日

バイ ラガヤン アブラ 訪問

12月8日

フルダミニストリーの皆さま

謹んでご挨拶します。月報とフルダミニストリーの最新記事を送っていただきありがとうございました。

先にご報告しましたように、12月3〜5日、いとこの車でバイ ラガヤン アブラに行ってきました。

彼が八時間かけて運転して、3日の午前11時 にアブラの町に到着。私の叔母の家で午後3時まで休憩をとりました。そのあとバングエドに行き、夜まで親戚や知人を訪問、祈りをして叔母の家に戻り、宿泊。4日にはそこから車で二時間のところにあるバイに行き、お昼頃、バイの人々と賛美の集いをしてプレゼントを渡しました。

5日の朝、私たちはバイ小学校で百八十六人の小学生と三十六人の保育園児、そして十八人の先生のための祈り会をし、そのあと、プレゼントを渡しました。校長は、バイ小学校創立百周年にあたる2023年12月に私たちを招待してくれました。また私たちはこの小学校で価値教育を行う牧者ロナルド・コルマと協働してこの小学校の伝道を行っています。

早朝、走行中の車の中は、バイの人々への贈り物でいっぱいです。贈り物の内訳は小学校の制服、クッキー、キャンディーそして、クリスマスの漫画です。十八人の先生には、スパゲティ、新約聖書、そして四十の家族にはスパゲティー、古着、そして子ども用プレゼントを用意しました。行く途中、長時間のドライブのせいか私はめまい、ムカムカを覚えました。車酔いになったのかもしれません。

以下は写真の説明です。

12月4日の午後、バイでの子どもを含めた四十家族との賛美、礼拝です。

その四十家族それぞれに、プレゼント(ソーセージのようなロンガニーサも入れました)が入った袋を手渡しました。

 

家庭訪問と祈りをしました。



バイ小学校を訪問

12月5日

 


袋の中に入っているのは学校の制服です。子どもたちはそれを見て、大変喜びでした。校長は生徒と両親には制服の着用を求めませんでした。というのは、対面授業が今年の11月5日から始まったばかりで、コロナ感染の蔓延がようやく落ち着いてきたところで、制服の着用を要請することは、経済的に両親の負担になるかもしれないと考えたからです。

校長によれば、二人の教師がコロナワクチンを打たなかったため、十ヶ月の停職になったとのことです。

大きなカメラがないので、生徒全員が写った写真を撮れなかったのですが、携帯電話のカメラで一年生から六年生の写真を学年ごとに分けて撮りました。しかし、添付ファイルの量が多くなるので、残念ながら、全ての学年の写真をお送りすることはできません。

来週には、ここパンパンガでの12月6〜10日までの活動状況の写真をお送りするつもりです。今から寝ます。明日の早朝、農園でカモテ(フィリピンのサツマイモ)の収穫をするからです。明日の収穫がどのようになるのかを考えると、少し緊張しますが、神さまが良い収穫にしてくださると信じています。

私がアブラでの伝道中、アエタ部族の人々は12月1日からここパンパンガに来て準備しています。私たちがパンパンガの農場でアエタ部族の人々の生計維持ができるのも、フルダミニストリーの金融支援があるからこそと感謝いたします。

そして、皆さまを通して神さまからの供給をいただいていることを、神さまに感謝するものです。

多くの愛を込めて     メアリー ジェイン

メアリー・ジェインの手紙 : 2022年11月30日,12月3日

カモテの収穫に落胆

11月30日

フルダミニストリーの皆さま

謹んでご挨拶します。

私は、今パンパンガからバスに乗って帰宅途中です。パンパンガへは日帰りの訪問でした。

五袋のカモテ(フィリピンのサツマイモ)を収穫しましたが、この時期はカモテの市場への売却価格は安く、7,856ペソ(約2万円)の売り上げでした。そのうち3,500ペソ(約9千円)を私と一緒に働いたアエタ部族の家族に支払いました。そして、さらに12月6日に2ヘクタールの畑(借地)に植えたカモテの収穫を予定しています。

がっかりしたことに、そのカモテ畑には私の腰の高さほどの雑草が生え、12月5日の収穫日にはまず、ナブクロドのアエタ部族の人々と一緒に雑草の除去から始めなければなりません。そのため、彼らには1万ペソを払います。

ナブクロドのアエタの人々は昨年の9月にアンパラヤ(ゴーヤ)を収穫して以来、まったく仕事がなく、パンパンガの農園での仕事は願ってもない収入源になるのです。

 

上の写真は二ヘクタールの畑のカモテです。雑草が生い茂り、私たちは12月6日までには収穫する必要があります。どうか良い収穫ができるようにお祈りください。

この土地は肥沃ですが、ここの雑草はブラカンの雑草と違って、非常に強く、養分を雑草が吸い取ってしまうので、カモテが十分成熟しないようです。

来る12月3日〜5日、私たちはバイ ラガヤンのアブラに行く予定です。そこには2020年1月、私の娘、エゼキエレと一緒に訪問し、小学生を対象とした伝道を行いました。私たちは2020年3月までには、もう一度訪ねるという約束をしたのですが、新型コロナによるロックダウン(都市封鎖)で、今まで行けずじまいでした。

私たちは、百八十六人の小学生たちに学校の制服と少し早めのクリスマスプレゼント、十五人の先生たちに贈り物そして三十家族にクリスマスの贈り物を持って行きます。アブラから帰ったらすぐにご報告をするつもりです。

多くの愛を込めて  メアリー ジェイン

追伸

いま、次のようなことを考え、そして祈りながら、バスで移動中です。私がもしパンパンガにある二ヘクタールの農園での農業をやめて、もっと小さな農地での農業をするとしたら…

どうかこの決断についてアドバイスをお願いします。

同労者のリクは大いなる助け手でした。しかし、彼はここでの農業をやめて郷里に帰り、自身の生活を選びました。

アエタ部族の人々は、神さまが私に、農園そして伝道における生涯の助け手、同労者を送ってくださるようにと、祈ってくれています。私は主がそのように導いてくださるのか、あるいは、主は、農業、伝道を私が一人で行い、農作業において、また山岳地域に行く際に、私を助けてくれる人々に、その都度、報酬を払うというやり方を望んでおられるのか、私には、全く分かりません。

私は運転できるのですが、でも車で移動中に車が動かなくなったり、何らかのトラブルが発生したりすると、私が一人で対応するには無理があり、ましてや、車が古いとなると、やはり助け手となる同労者が必要なのです。

バスでパンパンガに行き、今、またバスでマニラ首都圏に戻るところです。

重さ30kgにもなるカモテの半袋を私が運びます。

多くの愛を込めて   メアリー ジェイン

思いが与えられました!

フルダミニストリーの皆さま、

私は、ちょうど家に着いたところです。

前のe-mailで書きましたが、パンパンガの二ヘクタールの農園についてまた次のような思いが与えられました。それは、引き続き、この農園を私が借りて、アエタ部族の五家族がこの農園でゴーヤを栽培し、私が彼らに金融支援をして、収穫時には初期投資を差し引き、残りの半分を利益とする。このナブクロドのアエタ部族が継続的な収入源を持つことを望んだから農地を借りたわけで、彼らは山地では、雨季の季節にしかゴーヤの栽培ができないのです。以上のことについて一緒にお祈りください。 メアリー ジェイン

バイ、ラガヤン、アブラでの開拓伝道のためにお祈りください

12月3日

フルダミニストリーの皆さま

12月1日木曜日、郵便局に行ったらフルダミニストリーからの手紙と月報が届いていました。ありがとうございました。今年になって受け取った手紙はフルダミニストリーの皆さまからのものだけです。私もまた、皆さまにクリスマスプレゼントの入った小包を送りました。

さて、今私たち(私、いとこのラミル、私の母の三人)は、ラミルの車でアブラに向かっているところです。私はラミルに燃料代、高速道路利用料、食事の費用を支払います。彼の車はディーゼル車でアブラへの往復の燃料代は6千ペソ(約1万5千円)にもなり、アブラは燃料代が高いので、向こうで給油しなくても良いように、こちらでディーゼル油を買って容器に入れての移動です。

ご覧ください。彼の車はアブラに持って行く物で一杯です。

私は後ろの席に座っています。バイ小学校の子供たちへのプレゼントが入った200袋を載せています。2020年1月、私たちはバイ小学校を訪問して、またその年の3月には戻ってくる約束をしたのですが、新型コロナによるロックダウンで、それがかなわず、今日になってしまいました。もうすぐアブラの人々と再会できます。母にとっては20年ぶりのアブラ行きです。

上の写真は、私たちからのアブラの人々への幾つかの贈り物です。

バイ、ラガヤン、アブラでの開拓伝道のためにお祈りください。彼らは魂の救いの準備ができています。私はまたジュニー・コディエンとその家族、そしてノセにも会うつもりです。またご連絡します。

多くの愛を込めて メアリー ジェイン


第326号  マタイの福音書2:1-20

キリストのご降誕は紀元前6年の秋だった

ユダヤ人歴史家ヨセフスの記録、―ヘロデ大王は「贖罪の日」の直後に起こった月食と「過越の祭り」の間に亡くなった― が正しければ、ヘロデ大王の死は、紀元前5年の終わりから4年の初めになり、イエス・キリストのご降誕は紀元前6年の秋になる…

イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。『ユダのベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について、詳しく聞いた。……博士たちは……夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子捜し出して殺そうとしています。」……ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。……ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」        マタイの福音書2:1-20


聖書学者たちは、キリストのご降誕の時期を、2BCE(紀元前二年)、あるいは1BCEとする多少の例外を除き、8BCEから4BCEの間とみなしています。ご降誕の時期の算出は、ヘロデ大王の死がキリストのご降誕の後、起こったとする聖書の記述に基づき、いろいろ考証されて来ました。その結果、『ユダヤ古代誌』を記したユダヤ人歴史家フレウィウス・ヨセフスの記録から、ヘロデ大王は4BCEの「過越の祭り」(4BCEは4月12日)の前に亡くなったとの見解に、歴史家や学者の多くが落ち着きました。

ヨセフスの年代設定に必ずしも疑問がないわけではありませんが、ヘロデの死の直前に月食が起こったと記録していることが年代設定に重要な鍵を残しました。今日、天文学では、2022BCEから3000CE(西暦三千年)にかけて起こった、あるいは、起こる月食の日付と時刻さえも正確に割り出すことができるのです。ですから、どの月食が出来事に該当する時期に起こったのかを割り出すことができれば、それがヘロデの死の時期の決定的な証拠になるのです。


11月8日、日本全国で皆既月食、―月が地球の影に完全に隠れ、満月が赤黒く見える天体現象― が見られました。日本全国で次回、皆既月食が見られるのは2025年9月8日とのことですが、今回の皆既月食では天王星食も見られたことから、以前、皆既月食と惑星食が同時に見られた1580年7月26日の出来事以来442年ぶりの天体現象とのことでした。

天体現象は神が創造の初め創案され、古代、天空のしるしは神の御旨、「神の栄光を語り告げ(る)」(詩篇19:1)手段と捉えられてきました。時節を知る色々な手段が発明、開発された今日も、恒星、惑星、衛星、彗星は季節を知る暦として有益であることに変わりないのです。特に、イスラエルから観測される月食の前後にはイスラエル史上大きな出来事が起こりました。


伝統的に、①4BCE3月12日に起こった部分月食がヘロデの死の時期の決定的証拠となる月食である、と受け入れられてきました。しかし、その後、さらに三つの月食、―②5BCE 9月15日の皆既月食、③1BCE 1月9日の皆既月食、④1BCE 12月29日の部分月食― が考察の対象に加えられました。

ヨセフスは『ユダヤ古代誌』の17巻で、ヘロデ王による幾人かのユダヤ人の処刑に先立って、全ユダヤ人が断食日を遵守したことを記録し、ヨセフスの表現は、この断食日がイスラエルの主の例祭の「ヨム・キプル(贖罪の日)」であったことを示しています。この日、ヘロデは大祭司マッティアの祭司職を剥奪し、その数日後、別のマッティアが仲間と扇動を起こした廉で処刑されたのでした。この処刑日に月食が起こったと、ヨセフスは記しているのです。

上記の①~④の月食のうち、ヨセフスの記述に一致するのは、②5BCE 9月15日の皆既月食だけです。5BCEの「ヨム・キプル」は、月食の四日前の9月11日に遵守されたのでした。

②5BCE 9月15日の皆既月食がヨセフスの記述に一致すると思われる証拠は他にもあります。この月食と翌年の「過越の祭り」、―4BCE 4月12日― との間には七箇月の隔たりがありますが、この間にヨセフスが記している二十以上の出来事が行われたのでした。行事の中には数箇月かかるものもあったので、すべての行事をこなすには十分な期間が必要で、実際、計算で得られた必要日数は、ほぼ三十一週(七箇月)でした。上記の②以外の月食では、①の場合は、月食と「過越の祭り」との間が一箇月しかなく、③の場合は、三箇月の隔たり、④の場合も、三箇月の隔たりで、どれも諸行事をこなすには短すぎ、ヨセフスの記述に符合しないのです。

ヨセフスによると、「ヨム・キプル」の前にすでに不治の病に侵され、月食の日に犯罪者たちに話すために立ち上がることもできない状態であったヘロデは、月食と翌年の「過越の祭り」の間に亡くなったのでした。したがって、ヘロデの死は5BCE の終わりか、4BCEの始めに起こったことになります。

キリストのご降誕とヘロデの死の間には、羊飼いたちが目撃したベツレヘムの宿の飼葉桶の中のみどりご、東方の博士たちのエルサレム訪問など、ご降誕にまつわる諸出来事と、ヨセフ、マリアと幼子イエスのエジプトへの逃亡の出来事、ベツレヘムとその周辺一帯での二歳以下のユダヤ人男児虐殺の出来事が起こったのでした。

古来、キリストのご降誕時期に関して見解の一致はなく、200~600CEの初代のキリスト者の間では、見解は5BCEから2BCEにまで及んでいました。しかし、上記のような諸々の出来事が起こるために必要な年月と、イエス・キリストがヘロデがまだ生きていたときにお生まれになった事実とから、キリストのご降誕は6BCEの終わりにかけてであった、と推し量ることができるのです。


キリストが福音宣教を始められたとき、祭司が職務につく年齢三十歳であったとみなし、三十三、四歳でお亡くなりになったとの見解を、私はこれまで支持してきましたが、ヨセフスの記録が正確であるなら、以上考察したように、キリストのご降誕時期が思っていたより早かったことになります。その場合は、これまでの見解を訂正せざるを得なくなります。民数記は祭司の就業年齢を三十歳から五十歳までとしていますから、また、ルカの福音書は

イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳

と記していますから、キリストは6BCEの秋にお生まれになり、三十三、四歳でミニストリーを始められたと思われます。

いずれにせよ、洗礼者ヨハネがミニストリーを始めたのは「皇帝ティベリウスの治世の十五年」(ルカ3:1)、29CEの夏で、キリストは29CEの秋にミニストリーを始められ、33CEの春に十字架刑で亡くなられたと思われます。

ちなみに、ダニエル書9章の『七十週の預言』の解釈を、正しいヘブル語訳に従い、キリストの初臨によってすでに成就したとする見解によれば、この預言の第六十九週(483年)の終わりはちょうど29CEで、キリストがエルサレムでミニストリーを始められた年に一致し、預言の第七十週の七年間でキリストによる新約が、エルサレムを中心に全ユダヤ人に伝えられたと解釈できるので、この見解は聖書の主張に一致していることになります。

この画期的な見解については、次号で取り扱いたいと思います。