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第306号  使徒の働き12:1-11

キリストの血による永遠のいのちと甦りのからだ

2000年前の過越の祭りのとき、使徒ペテロは牢から奇蹟的に救出された。まさに3500年前の出エジプト時の「最初の過越」を再現させるかのように、神がご介入されたのであった。イエス・キリストが「最後の過越」の子羊として十字架上で亡くなり、甦られた今、キリストの救いを信じる者はペテロと同じように、、神の力を体験している…

そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。

ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」 使徒の働き12:1-11


2021年も早や、イスラエルの例祭「過越の祭り」と、教会暦の「復活祭」(イスラエルの例祭では「初穂の束を献げる日」)の時節になりました。一年前、COVID-19が世界的大流行となり、先行きが不透明だったとき、自称預言者たちが出エジプトの出来事に因み、疫病は2020年の過越の祭り以降ぱったり止むと、異口同音に語り、期待を集めましたが、止むどころかもっとひどくなり、今日までまだ続いています。

今年は3月27日夕刻から過越の祭りが始まり、28日から一週間、4月4日の夕刻まで「種なしパンの祭り」が祝われます。ユダヤ教では、これら春の三つの例祭をひっくるめて「過越祭」と呼んでいます。イエス・キリストの甦りを祝う教会暦の復活祭は今年は4月4日、日曜日です。

初代教会の時代、この過越の祭りの間にペテロがヘロデ王に捕らえられ、投獄されたことが、冒頭に引用した使徒の働きの書12:3-4に記されています。エドム人ヘロデ・アグリッパ一世は使徒ヤコブを剣で殺したばかりで、ユダヤ人の歓心をさらに買おうと、エルサレム教会の指導者であったペテロに目を留めたのでした。しかし、福音宣教の黎明期にあって、主要な人物ペテロの投獄は神の御旨ではなく、即、神がご介入されました。イスラエルの民が最初に経験した「過越」がイスラエルをエジプトでの隷属下から解放したように、神は御使いを送ってペテロを牢から救い出すことによって、最初の過越のとき、エジプト中の人々を震撼させたあの神の力を思い起こさせられたのです。

『使徒の働き』の著者ルカは、イスラエルの神のご臨在がキリストの最初の弟子たち,―すべてユダヤ人― にも引き継がれていたことを、御使いの言葉を通して明記しています。同時に、ルカは、キリストを信じる者の群れ、教会が心を一つにして、ペテロ救出のために「熱心な祈りを神にささげていた」とも、記しています。

投獄された後、夜間、二人の監視の兵士の間でペテロが眠っていたとき、御使いが現れ、ペテロの脇腹を突いて目覚めさせ、手の鎖を外すと、御使いはペテロに「帯を締めて、履き物をはきなさい」と促しました。この言葉は、出エジプト時、へブル人たちに神がどのようにして過越の食事にあずかるかの指示を与えられたとき命じられたお言葉

腰の帯を固く締め、足に履き物をはき…急いで食べる。これは主への過越のいけにえである(出エジプト記12:11、下線付加)

を思い起こさせるものでした。この指示に従った後、へブル人は出エジプトの奇蹟を見ることになったのでしたが、ペテロの場合も同じように、牢からの脱出の奇蹟を経験したのです。ペテロは御使いに従って第一、第二の衛所をだれにも妨害されることなく通り、「町に通じる鉄の門」もひとりでに開き、その後、「御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ている」ような状態のまま、一目散に一本道を町へと急ぎ、途中で導いていた御使いがいなくなったとき初めて、ペテロは主が奇蹟的に救出してくださったことに気づいたのでした。また、解放をはばんだ「鉄の門」は、へブル人の自由を奪ったエジプトが「鉄の炉」と表現されているのを思い起こさせるものでした。

これら二つの出来事は神のご介入による類似した奇蹟でしたが、対照的な面も見られます。出エジプトの出来事では、死の御使いが現れたとき、いけにえの子羊の血が戸口に塗られたへブル人の家々は過ぎ越され、守りのないエジプト人の家々の、人から家畜に至る初子がすべて殺されました。しかし、ペテロに起こった奇蹟では、御使いはペテロを捕らえた者たちを討つのではなく、眠っていた「ペテロの脇腹を突いて」、ペテロ自身の救いへの脱出を促したのでした。

このように、神を信じ、従う者たちへの神の真実は昔も今も変わらず、初代教会のとき、ペテロや他の使徒たち、聖書に登場する信徒たちが御使いによって守られ、導かれたように、今日も、神は見えない助け手を私たちの周りに送ってくださっています。まさに、いけにえをほふった「過越」の後、へブル人がエジプトでの束縛の隷属下から救われたように、神の御子イエス・キリストが十字架上でいけにえの子羊として、私たち、すべての「罪人」の代わりに死んでくださったことにより、信じる者すべてに、罪の隷属下からの救いがもたらされたのでした。

イエス・キリストは、ご自分がいけにえの子羊として十字架上で亡くなられる前日の夜、―この日は、夕刻から一日が始まるユダヤ暦ではすでに「ニサンの月の十四日」でしたが―、弟子たちとともに一日早い「過越」の食事をされました。後世、「最後の晩餐」として覚えられるようになった、キリストにとってはこの世での最後の食事で、このとき主は記念すべき覚えとして、「聖餐」を発足されました。キリストの時代をほぼ1500年さかのぼる出エジプト時に、へブル人が四百年のエジプトでの隷属下から救われたのは、いけにえの子羊の血によってでした。その最初の過越以降、イスラエルでは祭司制度の下で、毎年いけにえを献げ続けてきましたが、キリストは、ご自分をいけにえとして献げることによって、最後の完璧ないけにえとなってくださり、旧約のいけにえ制度に終止符を打ってくださったのでした。いけにえに罪を覆いかぶせる儀式を守り続けることによる旧約の不完全な救いではなく、キリストの贖いの死を信じる者たちに、信仰による完全な救い、新約がもたらされたのでした。

出エジプトの出来事が起こるまでのほぼ一年間、エジプトのパロは頑なに神の民を自由にすることを拒んだので、神は最後のエジプト中の長子の死に及ぶ十の疫病を送られましたが、神が贖い、守ると約束されたへブル人は全員、すべての疫病から完全に守られました。天地、天候、大自然を司る神には、へブル人が住んでいたエジプトのゴシェンの地域には疫病が及ばないようにすることができたのです。十番目の疫病、長子の死に関しては、神が発足された「過越」の儀式、―完璧ないけにえの子羊の血を入り口の柱と鴨居に塗った家の中にいる者たちは全員救われる― を守ったへブル人家庭の一族郎党は完全に守られたのでした。

かつて神の約束の民へブル人だけに適用された贖いが、キリストによって信じる者すべてに適用されることになった新約の時代、キリストが十字架上で流された血潮の重大な意義を思い起こす必要があるようです。「聖餐」にあずかる都度、個々のキリスト者の心の戸口がキリストの血潮でしるしづけられていることを思い起こすことは、聖餐、―主にある兄弟姉妹とともに一体となってキリストの死を覚え感謝し、未来の約束を待ち望む食事にあずかる― を発足されたキリストが命じられたことでした。信徒には、定期的に食事をともにし、主の死を覚え、「過越」に象徴された主の血にあずかる力を体験していくことが、「主が来られるまで」続くことが約束されているのです。

パウロは、

もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです…(コリント人第一11:27―30)

と、聖餐にあずかる者の姿勢、心の状態を病との関係で明確に警告しています。信徒が自分をわきまえて信仰生活を送るなら、神の裁きが下ることを免れることができ、「過越」に顕された主の血にあずかる力を体験していくことができるのですが、わきまえなければ、神の裁きが懲らしめとして下り、究極的に信徒の魂が救われるために、時期尚早の死に至ることもある、と教えたのでした。

今日、COVID-19と変異株の世界的蔓延で、諸国家がワクチン接種を法制化し、証明書交付を義務づける傾向にあるので、多くの人たちがワクチンを受けなければ疫病から守られ、社会的に自由な行動ができる道はないと考えるようになっていますが、特に世の終わりに蔓延することが預言されている疫病に関して、キリスト者は目が開かれなければならないようです。生命を与え、救う神が疫病の蔓延をも許しておられるなら、同じ神は信じる者すべてに文字通り、キリストの血による贖いと甦りの生命にあずかる力を与え、疫病から守り、克服させてくださることをも覚えなければならないのです。


#306:THE REALITY OF GOD'S PRESENCE AND SUPERNATURAL INTERVENTION

THE REALITY OF GOD'S PRESENCE AND SUPERNATURAL INTERVENTION

If miracles happened as written in the Bible, we should always be expectant that they could happen now to those who seek God because God is an unchanging God through the ages...

It was about this time that King Herod arrested some who belonged to the church, intending to persecute them. He had James, the brother of John, put to death with the sword. When he saw that this met with approval among the Jews, he proceeded to seize Peter also. This happened during the Festival of Unleavened Bread. After arresting him, he put him in prison, handing him over to be guarded by four squads of four soldiers each. Herod intended to bring him out for public trial after the Passover.

So Peter was kept in prison, but the church was earnestly praying to God for him.

The night before Herod was to bring him to trial, Peter was sleeping between two soldiers, bound with two chains, and sentries stood guard at the entrance. Suddenly an angel of the Lord appeared and a light shone in the cell. He struck Peter on the side and woke him up. ‘Quick, get up!’ he said, and the chains fell off Peter’s wrists.

Then the angel said to him, ‘Put on your clothes and sandals.’ And Peter did so. ‘Wrap your cloak round you and follow me,’ the angel told him. Peter followed him out of the prison, but he had no idea that what the angel was doing was really happening; he thought he was seeing a vision. They passed the first and second guards and came to the iron gate leading to the city. It opened for them by itself, and they went through it. When they had walked the length of one street, suddenly the angel left him.

Then Peter came to himself and said, ‘Now I know without a doubt that the Lord has sent his angel and rescued me from Herod’s clutches and from everything the Jewish people were hoping would happen.’                  ACTS 12:1-11.


We approach the most precious season of the year once again, when we focus on the very essence of the Gospel: the suffering, death, burial and resurrection of our Lord Jesus Christ as Paul writes:

I want to remind you of the gospel I preached to you… For what I received I passed on to you as of first importance: that Christ died for our sins according to the Scriptures, that he was buried, that he was raised on the third day according to the Scriptures (1Co.15:3-4).

In the Book of Acts, it is written that; filled with the Holy Spirit, disciples of Christ vigorously went out to preach the Gospel and the power of God accompanied them. It has been a natural phenomenon for people to see God being active through His followers up to this day.

Lately, when hearing an exciting account of a Christian lady’s miraculous experience, I was reminded of the biblical narrative quoted above at the time of the Passover feast 2000 years ago. Peter’s miraculous rescue from prison took place in such an astonishing way to remind him of the account of the first Passover at the time of Exodus, in which the Lord instructed the Israelites to eat the meal and leave Egypt ‘with your cloak tucked into your belt, your sandals on your feet and your staff in your hand’ (Ex.12:11). As a result, they were set free from the bondage of Egypt, i.e., ‘the iron smelting furnace’ (De.4:20). When the angel appeared before Peter and released him from prison, the Lord likewise reproduced the first Passover night and Peter was saved through ‘the iron gate’ leading to the city.

Nowadays more often than ever, it is exciting to witness the reality of God’s miraculous intervention to His faithful followers around us. If miracles happened as written in the Bible, we should always be expectant that they could happen now to those who seek God because God is an unchanging God through the ages. A Christian lady called Kathi experienced a miraculous escape from abductors ten years ago and shared her experience on YouTube (Click here): 

When Kathi Byker was kidnapped at knife point from her bed, she didn't know what to do. Prayer was the furthest thing from her mind. But suddenly she remembered what she had been taught about the Holy Spirit and the power of praying in tongues. Watch what happens when she began to use her prayer language!

In her talk, she shared a lot about how true the presence of the Lord and His angels’ help were in times of her helplessness. I believe that what she shares is very relevant to us all, since we are facing some of the worst times of persecution and tribulation. I would like to highlight some of what she pointed out, which many Christians might agree with through their own experiences, and also, which would become very important to remember in times of our own hardship. 

When two men abruptly appeared in her bedroom, wielding knives and dressed in black, Kathi believed it was a nightmare but soon found it to be real. With duct tape over her eyes and mouth, she was pushed into her own vehicle, which the intruders planned to steal and she was commanded to lie down on the back seat, threatened at knifepoint. 

For a while, so much trauma and confusion prevented her from thinking of prayer but when she realised her utter helplessness, she remembered to call out to God, which was the turning point. Although she was still in the same situation, everything had changed in her heart. After that, God was in the centre in her heart and spirit. Not knowing what to pray, except muttering ‘Help, God’, she focused on God and prayed in tongues. The Spirit Himself interceded for her. 

She continued to pray in tongues and pleaded the blood of Jesus over her body. She needed God’s protection. God brought Scripture after Scripture to her mind and so she felt tremendous peace and power. According to her words, “the fear factor was lessening as the God factor was going up”. 

Soon after that, she was pulled into a cornfield and after the abductor bound her to a telephone pole with duct tape, he left her behind. Hearing him leave, she removed tapes from her eyes, mouth, wrists and knees, which miraculously ripped when she just put slight pressure on it. In the darkness, she had to decide which way she should go and while sometimes hiding and praying, as directed by God, she ran barefoot to find someone to help her. She can testify that God is there to rescue us all at the hardest times. 

The other factor of her miraculous escape lies in the earnest prayers of brothers and sisters, whom her husband called soon after her abduction. The three men involved in the abduction are now serving long-term prison sentence, and she has chosen to forgive them before God.


受洗後、最大の試練を克服して  ―K姉の証し―

受洗後、最大の試練を克服して

祝福の信仰生活を送っていたK姉を突然襲った痛み、不眠、不信感、虚脱、恐怖、危機…

昨2020年、私は受洗以来最大の試練に遭いました。

睡眠導入剤

その始まりは、痛みのために、生まれて初めて陥った不眠でした。

痛みが落ち着いた後も、体が覚えてしまった不眠サイクルから抜け出せないまま数か月経ち、生まれて初めて「睡眠導入剤」を飲みました。しかし、不眠は改善するどころかむしろ悪化。数日で服用を止めましたが、その後も今までにない不眠が続きました。

抗うつ剤

ついに体の限界を感じ、私は医者が勧めるままに今度は、よく眠れるという「抗うつ剤」を二種類試しました。ところが、睡眠が改善されないばかりでなく、恐ろしいことが起こりました。

薬の副作用で自分の意思と関係なく気分が上下し、

体中がしびれて何日も動けなくなり、

胸がソワソワしてじっとしていられなくなり、

足中に薬疹が出、体調は悪化するばかり、

本当に恐ろしい経験でした。

パニック

断薬直後には離脱作用のパニックのような症状も経験し、胸の痛みが取れるまでに三週間もかかりました。二種類の「抗うつ剤」は数日から十日分服用しただけでしたが、もう金輪際、薬はいやだと思いました。

ほかにも、カウンセリング、運動、鍼(はり)、ビタミン剤、漢方等々… 思いつくありとあらゆるものを試しましたが、改善しないまま数週間が経ちました。

悪夢

痛みと不眠から始まった悪夢は、あがけばあがくほど、この世の手段に走れば走るほど、悪化していくようでした。薬を飲むたびに体調が悪化し、漢方薬ですら頻脈が起こり、すぐにやめなければなりませんでした。

何を試しても上手くいかない。医者に行っても、別の薬を飲めと言われるだけ。神さまが癒してくださらなければ癒されません!と叫ぶ毎日でした。

信仰?

苦しくて『聖書』が読めず、「助けてください!」以外祈れず、心も体もへとへとで、かろうじて生きている状態が続きました。

必ず癒やされると多くのクリスチャンの兄弟姉妹が励ましてくれましたが、神さまがどこかへ行ってしまったような、先の見えないトンネルを歩いているような毎日でした。自分の人生に何が起きているのか、なぜ神さまはこのようなことを許されるのか、どうして助けてくださらないのか…、あれもこれも色々なことが分からなくなりました。

悪魔にがんじがらめにされて身動きが取れなくなり、いつまで経っても助けが来ないように思えました。

自分の信仰がどこかへ行ってしまったようでした…

絶望からの脱出

不眠が始まってから五か月、なすすべもなく月日が経ち、もうどうしてよいかわからなくなりました。絶望状態で、とにかく、しばらく休暇をもらって実家に帰りました。

日常生活から離れ、リラックスし、太陽を浴び、栄養をとり、運動することを心掛けた生活が始まりました。クリスチャンの母と毎日一緒に祈り、聖書を読み、賛美をしました。その結果、あんなに長い間眠れなかったのに、一週間ほどで眠りが大幅に改善したのです!

異言の力

久しぶりにH姉ともお会いし、癒しの祈りをしていただきました。そのとき、異言で祈ることを勧められ、私は毎日散歩しながら何時間も異言で祈り始めました。異言で祈り始めて四日ほど経ったとき、朝起きるとふっと頭が軽くなっていることに気づきました。医者も薬もいらない!。祈り続け、健康的な生活をしていれば良くなる、と確信しました。

闘い終焉のしるし

私の生活スタイルが変わった後、一瞬で完全に治ったわけではありませんが、ある日劇的に良くなってから以降は、多少の波を繰り返しながら確実に回復していきました。H姉が定期的にお電話くださり、私の間違った思考を神さまの基準に正す助けをしてくださいました。

このように、聖書を読んで、祈り、運動をする毎日を二か月続けたある日の夜、夕食後急に腹痛がして、15分ほど激しい嘔吐をしました。とても苦しかったのですが、全部出てしまった後、とてもすっきりした気分になり、同時に、得体のしれない長い闘いがこれで終わったのかなと思いました。

自分の中の悪いものがすべて出ていったような気持ちになったのです。

そのとき、「家に帰る時が来た」、と思いました。

帰宅

家に戻って以降は、心配事があると眠りが浅くなる日が時々ある以外は、全く元の生活に戻りました。

「この経験は何だったのだろう?」 と思うときがあります。

私の経験を要約すると、「静まって神を待ちなさい」ということだったのかなと思います。現実を見て心を乱さず、静まって信頼して神さまが働かれるのを待つこと。そのことを学ぶときだったのかなと思います。

受洗してはや十五年が経ちますが、私は長い間荒野をさまよっていたのかもしれません。ヨルダン川を越えて、肉に死に、霊に生きること、そして、自分の限界を味わって、完全に自分を主に明け渡すことを学ぶ経験だったのかも知れません。

神さまのご臨在

つらかったときは、神さまが隠れてしまったように感じていましたが、振り返ってみますと、苦しかったとき、大変だったとき、いつも神さまは必要な助けを送ってくださいました。折々の危機的な状況のとき、主にある兄弟姉妹が祈ってくださり、電話をくださり、訪ねてくださり、食事を届けてくださいました。私に見えていなかっただけで、神さまはやはりずっと傍にいて、助けてくださっていたのです。

試練を通しての開眼

今回、薬の恐ろしさを経験して、今まで知らなかった世界を垣間見たような気がしました。

この世の常識、この世の価値観と、神さまの基準には大きな隔たりがあります。神さまの声をしっかりとキャッチすること、この世に流されないように、聖書を読んで、祈って、日々神さまの基準に戻していただくことが必要だと思います。

病であっても、人間関係の試練であっても、肉の思いで行動すると結局は状況が悪化します。つらいからとすぐに動かず、つらいときに一歩踏みとどまって神さまが働かれるのを待つ、神さまのタイミングを待つ忍耐を、これからも養っていきたいと思います。

あとがき

信仰生活でこれまで経験したことのないような大きな試練、揺り動かしを経験しておられる主にある兄弟姉妹が非常に多くなっています。

聖書が明記しているそのようなとき、

さばきが神の家から始まる時(ペテロ第一4:17)

に差しかかっているからです。困難を克服された兄弟姉妹の力強い証しは、神が、迫りくる艱難、迫害に耐えることができるように信徒をさまざまな形で練り、聖め、備えてくださっていることを物語っています。

昨今の世界情勢を見ますと、聖書が語る世の終わりの艱難のときは間違いなく近づいています。信徒は備えを始めなければなりません。

1.『聖書』を学び、神の言葉を蓄える

2.異言で話し、神との関係を深くする

✫異言はこの世には全く未知の言語ですが、神の国の言葉なので、この世にあってもすでに御国に属している信徒は、このような混乱の時代こそ、話し続け、神との関係を密にする必要があるのです。

✫異言で神と対話することによって信徒の内なる人が築き上げられます。

➞コリント人第一12-14章

3.今は、神の良き戦士として訓練されるときです

エペソ人6:12-18に記されている神のすべての武具を身に着ける必要があります。

主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。…   ➀腰には真理の帯… ➁胸には正義の胸当て… ➂足には平和の福音… ➃信仰の盾… ➄救いのかぶと… ➅御霊の剣、すなわち神のことば… ➆御霊によって祈り…目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。(番号付加)


メアリー・ジェインの手紙 : 2021年3月2日

COVID-19ワクチン接種が始まりました

3月2日

Email をいただきありがとうございました。

フルダミニストリーの今年度に計画している宣教が成功し、多くの人々にイエス キリストの福音が伝わるようにお祈りします。

ここフィリピンにおける新型コロナウイルスワクチンについてですが、中国北京から六十万本のワクチンが送られ、昨日から政治家、医療従事者など最前線で働く人々への接種が始まりました。

大統領は今後七千万人のフィリピン人が接種を受けられると言っています。そして、ある有名な上院議員は、多くの人々が反対している強制接種の法律を通そうとしています。

私は他のキリスト者とともに、ワクチン接種の法律制定に反対する書類に署名しました。ワクチン接種が不法に強制されないように、祈っていきましょう。

情報をお知らせくださったコロナワクチンについてのウェブサイトを見ましたが、ワクチンを接種された人々の免疫系が徐々に崩壊して、ゆっくりと死に至るのを政府が助長するかのような印象を持ちました。それはまさに大変恐ろしいことで、多くのフィリピン人はそのことが分かっていないのだと思います。

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ナブクロドでの礼拝、聖書クラスは対人距離を十分保って慎重に行っています。でも部族の人々はそれに慣れていないので実行には難しいものがあります。集会には食事が伴いますので、フィリピンの自治村の役所ともうまく折り合いをつけることができるように願っています。

同労者リクの土地取得要請の件ですが、ご指示いただいたように、土地を買うことで地主と交渉していきたいと思います。ただ、アブラ地区はまだコロナ感染防止の規制が厳しく、外部からの人々の出入りを許していないので、来週にも交渉が開始できればと思っています。

この世の揺さぶりの中で主にあって私たち信徒が強くされるように祈っていきましょう。

再度、感謝を申し上げます。皆さまにもよろしくお伝えください。

パンパンガから愛をこめて      メアリー ジェイン

 

 



メアリー・ジェインの手紙 : 2021年2月5日、13日、16日

土地購入の件に関して

2月5日

フルダミニストリーの皆さま

お返事をいただきありがとうございます。

確かに、ここフィリピンでも気候変動が、多くの農家に深刻な被害をもたらしています。私の叔父までがこの1月のトウモロコシの収穫量の少なさに落胆しました。1月、最初の週の長雨でトウモロコシが腐ったり、有害な菌が付着したためです。昨日、私たちも再び収穫したのですが、不作でがっかりでした(写真をご覧ください)。 収穫が少ないのでコストは上がり、1kgあたり20ペソです。それでも私たちはこれから白菜や緑葉野菜を植えるつもりです。


 

リクのお願いの手紙の件ですが、彼が送った写真のように、その土地は山の斜面にあります。しかし、部族の人たちは、そのような斜めの土地でもこのような稲田にすることができるというのです(写真をご覧ください)。この稲田は彼らが買いたいと思っている土地のすぐ下にあります。

彼らが住むアブラはまさに山岳地帯にあり、米作に適する平らな土地がありません。ですからアブラは、ルソン中央部のパンガシナンやヌエバ エシヤから米を買っています。彼らは、あまりにもルソン中央部に依存しているため、彼らが手にする農産物は高額になるのです。このような理由でアブラはルソン島の中で最貧郡になっています。

大部分のアブラ部族農家は雨季に稲の苗を植えて育て、もっぱら1年間の彼らの食糧に充てていて、売るための米を栽培はしていません。ですから言えることは、買おうとしている土地は家族の消費のために使用され、市場に売る農産物生産のためではないということです。買うかどうかの決断はフルダミニストリーの皆さま次第なのですが、神さまが私たちにどのように語られるのか祈っていきたいと思います。

ここパンパンガでは平地の水田は何百万ペソと高額です。したがって、アエタ部族のために年間を通して私たちが土地を借り、彼らが米やトウモロコシを栽培しています。アエタ部族はまた、山にある水を含んだ土地でも作物を栽培しています。このことについてはまたご連絡します。

皆さまのお祈りそしてご支援をありがとうございます。     

メアリー ジェイン

ナブクロドからパンパンガへ

2月13日

フルダミニストリーの皆さま

私たちは再びパンパンガに滞在しています。天候は悪く三日前は豪雨で、今も降っています。

今朝は、午後までナブクロドにいました。ここのアエタ部族は2018年以来、私に彼らの農産物、しょうがを市場で売るのを手伝ってほしいといっていたのですが、私はどのように助けられるか、その方法を分からないでいたのですが、ようやく昨年、彼らのしょうがを売却する手助けを何とかすることができました。


  

そして今日、私は彼らの生産したタロイモを運ぶトラックを借りたところ、彼らは大変喜んでくれました。というのは、作物を市場に運ぶすべのない彼らの話では、長年、業者が大変安い値段で彼らの生産物を買い、その量も自分たちに分からないようにごまかすのが常であったからです。結果的には十家族を助けることができました。どうか良い天気になり多くの収穫が出来るようにお祈りください。

ご支援を感謝いたします。

メアリー ジェイン

この世の不正を神は必ず裁かれる

2月16日

フルダミニストリーの皆さま

お返事をいただきありがとうございました。

2月13日、福島県沖で起きたM⒎3の地震はここフィリピンでも報道され、私もテレビで見ました。皆さまのところには被害がなかったとのことで何よりでした。環太平洋火山帯の活断層がそれぞれ影響しあっているのだと思います。

昨年の12月25日、フィリピンのブラカンでも強い地震があり、そこにある私たちの伝道所の壁に亀裂ができました。しかし私たちにとって時々起こるM6規模の地震は普通のことなのです。

さて、先日のemail でご連絡したタロイモについてですが、きのう私たちは早朝の3時にパンパンガをトラックで出発して、ブラカン、そして、ノバリッチの市場まで運びました。しかし市場での販売は非常に厳しいものとなりました。

私は生産者のアエタ部族には25ペソ/kgで買ったのですが、市場では18ペソ/kgでしか卸せず、逆ざやになってしまいました。ところが、市場の屋台では50〜60ペソ/kgで販売され、スーパーでは100ペソ/kgで消費者に販売されているのです。

市場が生産者から非常に安い値段で仕入れ、それよりもはるかに高い値で一般に売ることは不公平、不正なのですが、それがまかり通っている現状に私はため息をつくどころか、涙が出てきます。

欺きの秤は主に忌み嫌われ、正しい重りは主に喜ばれる。

誠実な人は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身に災いをもたらす。

悪しき者は偽りの報酬を得るが、義を蒔く者は確かな賃金を得る。

実に、義を求める者はいのちに至り、悪を追い求める者は死に至る。  箴言11:1、:17-19

ところで、同労者リクのお願い(土地の購入)について、私は彼の両親に話を聞きました。それによりますと、斜面の土地は稲が栽培できる棚田にすることができるとのことで、年間40〜60俵の米が生産でき、それはリクの家族の一年間の食糧分となり、多く収穫できれば他の家族にも分けることができるとのことです。ですから、あの土地はリクの家族にも彼らの共同体にも意義あることと思われます。

現在、アブラでは都市封鎖が続いていて、出入りができません。そこには二十六の自治体がありながら、一つの病院しかないのです。小売業者もいません。

アブラに住んでいる私のいとこの電話では、全ての小規模事業者は、週一回のジープニーの自治体間の往来のような限られた交通のため、破産してしまったとのことです。公共交通機関は3月の第1週まで動きません。アブラの役所の公務員は、アブラの公金を横領するなど汚職にまみれ、アブラを貧困地域にしています。

そのようなわけですから、あの土地の購入は米の生産ができることを含め、良い結果を生み出すと思います。明日はパンパンガに再び行き、ナブクロドでの定期の聖書クラスを持つつもりです。

しかし、コロナ渦中でもありますので、無事終了できるようにお祈りくだされば幸いです。

愛をこめて    メアリー ジェイン



第305号  エステル記9:1、:17-32

 謎に満ちた書:『エステル記』

「エステル」の意、―何かが隠されている― が暗示しているように、この書には、神ヤーウェの名が幾つかの方法で隠されている…

第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。…これはアダルの月の十三日のことであり、その十四日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。しかし、スサにいるユダヤ人たちは、その月の十三日にも十四日にも集まり、十五日には休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。…

実に、アガグ人ハメダイの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのである。こういうわけで、ユダヤ人はプルの名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。…

ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。         エステル記9:1、:17-32

『エステル記』にはペルシャ帝国支配下でのユダヤ人の栄光の時代が記録されています。ユダヤ人女性エステルがペルシャ王クセルクセスの王妃に選ばれ、ユダヤ人虐殺の陰謀から民を救うために神がエステルを用いられ、どのような経緯でユダヤ人救出を祝う「プリム祭」が制定されることになったかのイスラエル史を記録しています。

後世、毎年プリム祭のときには、『エステル記』が読まれ、一般のユダヤ人の間でもヘブル語聖書の他のどの書よりも人気のある書です。何世紀にも亘るユダヤ人迫害の歴史下で、この書は、全世界に四散したユダヤ人に究極的な解放の確信と生存、国家樹立の希望を生き生きと蘇らせてきたのでした。

この書が多くのユダヤ人に知れわたっている理由の一つに、まず、他のどの書よりも写本が多いことが挙げられます。次に、ラビたちによるこの書の注釈がキリストの福音宣教の初期の時代から多くあったということが指摘できます。それは『タルムード』に収められており、今日もユダヤ人学者によって敬意が払われています。数多くある初期の資料の中でも、ほとんどの英語訳聖書の原本となっているへブル語の『マソラ本文』は疑う余地なく最も初期の形式を留めており、英語版からの邦訳もその類になります。

書かれていることは善が悪に勝つという道徳訓ではなく、歴史的実話です。その裏づけをする外部資料は少なくとも五つあり、著者自身も書の最後に

彼(クセルクセス王)の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の時代誌』に確かに記されている(10:2)

と情報源を明記しています。バビロン帝国を征服したペルシャ帝国が539BCEから331BCEの間、聖地、カナンの地を支配するようになり、その支配の最初の時点でバビロン捕囚から解放されたイスラエル人が自国イスラエルの地に帰還しましたが、『エステル記』はクセルクセス(アハシュエロス)王が支配したペルシャ帝国の中間期の十年以上に亘る出来事を記録しています。


この書は謎に満ちた書とみなされています。多くの理由がありますが、『聖書』のうちの一書なのに、神の名ヤーウェや神の称号に言及されていない、礼拝、信仰、祈り、いけにえへの言及もメシアの予告もなく、マルティン・ルターはこの書は正典に加えられるべきではないと信じたほどでした。しかし、「エステル」が「何かが隠されている」の意であることが暗示しているように、今日では、神ヤーウェの名が幾つかの方法でこの書に隠されていることが明らかになっています。

すべての出来事の背後には、人類史を司っておられる創造者なる神がおられ、神の主権、思惟が著者を通してこの書に反映されたようです。おそらく、捕囚後、イスラエルがまだ他国、異教の神々の支配下にあった時代、著者はイスラエルの神の名を意識的に伏せ、しかし、「折句(アクロスティック)、あるいは、頭字語法」「等距離文字列法」とを用いて、この書に神の名を織り込んだのでした。『エステル記』は、ユダヤ人撲滅をもくろんだユダヤ人の敵ハマンが陰謀をくじかれただけでなく、敷いた罠に自分がかかるという劇的な逆転劇のほかに、隠されたメッセージも織り込まれている驚異的な書なのです。

非常に興味深いことに、「折句」では、神の名「ヤーウェ」が五箇所登場し、隠されている文字は最初の箇所は逆順で、次は正順で、というように、以下、交互に入っています。それぞれの箇所の額面上の文脈と隠された名「ヤーウェ」を組み合わせると、順に次の五つのメッセージになります。

1.この世や異邦人の助言や協議事項は神に逆行する(逆順で後退を象徴)2.神は支配しておられ、エステルに行動を起こさせる(正順で前進を象徴)3.神は異邦人ハマンの喜び、計画を覆される(逆順で後退を象徴)4.神は支配しておられ、定められた敵の最期をもたらされる(正順で前進を象徴)5.ユダヤ人の敵は「わたしは『わたしはある』という者である」方、すなわち、ヤーウェの敵(逆順でヤーウェに逆行する者を象徴)。

「等距離文字列法」では、三箇所に「メシア」、「イエス(イェシュア)」、「全能の神(エル シャダイ)」の名が入っており、最後の一箇所には「ハマンとサタン、悪臭を放つ」のメッセージが入っています。

冒頭に引用した9章には、「アダルの月の十三日」、定められた戦いの日に、驚くべきどんでん返しが起こり、ユダヤ人に対して敵が企てたことがすべて、ユダヤ人の敵の頭上に降り注がれることになった神のご介入の奇蹟が記されています。

エステルの養育者モルデカイの助言

あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない(4:13-14)

を聞き入れ、王妃エステルが生命をかけて王の前に出、ユダヤ人のために執り成したことにより、ペルシャ政府当局はユダヤ人を助けたのでした。アガグ人ハマンとハマンの十人の息子たちが処刑されたことにより、サウル王が神の聖絶の命令に逆らって命拾いさせて以降、モーセの時代にも執拗にイスラエル撲滅を企んできた「アマレク」がついに滅ぼされたのでした。

モーセの掟では制定されなかった「プリム祭」が、このようにして、神の慈しみを思い起こす祭りとして二日間祝われることになり、撲滅を免れたユダヤ人は食べ、楽しみ、贈り物を交わし合い、貧しい人たちを覚え、「第十二の月、すなわち、アダルの月の十三日」は断食日、「アダルの月の十四日と十五日」は祝宴の日として年ごとの例祭に加えられたのでした。

また、イスラエルでは、第十一の月、「シェバテの月の十五日」に木々の初なりの果実を奉献する日が、古代のラビたちによって制定されました。十三世紀のトーラ学者ナフマニデスは、エゼキエル書36:8、

だが、おまえたち、イスラエルの山々よ。おまえたちは枝を出し、わたしの民イスラエルのために実を結ぶ。彼らが帰って来るのが近いからだ

に因んで、イスラエルの地の木々が豊かな果実を実らせるとき、それは「最後の贖い」、―メシアの来臨― の明らかなしるしである、と注釈しました。

その果実を奉献するこの「地の贖いの日」は、今年は1月27日で、その三十日後が「アダルの月の十五日」のプリム祭で、今年は2月25、26日になります。ラビたちは地が贖われ、木々が育ち、果実が実り始め、備えができてから、国家、民の贖いがもたらされると解釈し、現在のイスラエル国家の状態はまさに「最後の贖い」の時期にあるとみなしています。それは、最初のイスラエル政権が発足されるはずだったのは1948年10月でしたが、独立戦争のゆえに11月に延期された後、戦争が終結し、やっと地が贖われたのは1949年1月25日だったのでした。この日はちょうどその年の「シェバテの月の十五日」に当たり、その三十日後がプリム祭で、イスラエルは国家の贖いの時期に入り、完成が近づいているからです。

国家として誕生してから今年七十三年になるイスラエルの地の木々の生長ぶりは素晴らしいものがあります。族長ヤコブは死の床で、息子たちに祝福の預言を告げましたが、ナフタリに対し

ナフタリは放たれた雌鹿、美しい子鹿を産む(創世記49:21)

と告げました。十一世紀のフランスのトーラ学者ラシは、「この預言的ビジョンは、ナフタリ族に割り当てられた地のジノサール峡谷に言及するもので、ちょうど鹿が敏捷なように、その地域の肥沃な地の果実は速く熟すだろう」と注釈しました。

実際、北部ガリラヤは、極めて肥沃で、青々としているのです。先に引用したエゼキエルの預言は、ユダヤ人とイスラエルの地との関係は非常に深いので、ユダヤ人が戻ってくるまでは聖地は不毛のままであるが、ユダヤ人が戻るや、溢れる果実を生み出すことになると読むことができ、これは実際に昨今、イスラエルで起こっていることなのです。この地に住んでいる人たちは、ナツメヤシの木もオリーブの木も次から次へと実を結び、穀物もよく育ち、極上の収穫物に喜びと祝福、預言の確かさと驚きを共有しているとのことです。


数年ほど前から死海の沿岸に海底から真水の湧き出るシンクホールが発見され、魚が生息するようになっていましたが、2019年の冬から初めて海岸沿いに花々が咲き乱れるようになっています。イザヤ書35章、エゼキエル書36章ほかの預言の成就で、メシア到来が非常に近いことのしるしです。

また、最近、イスラエルの砂丘に生息する新種の蜜蜂が沿岸平野シャロン地域で見つかったことには意義深いものがあります。ここ数十年、気候変動、昆虫病、公害のために世界的に飼育蜜蜂が激減しており、世界の穀物、果実生産に貢献する受粉昆虫の絶滅が危ぶまれているからです。神はイスラエルの地をどんな環境下にあっても食物に恵まれる地「乳と蜜の流れる地」と呼ばれましたが、野生の蜜蜂発見はこの預言の成就なのです。


#305: SUBMIT YOURSELVES TO EVERY HUMAN AUTHORITY FOR THE LORD’S SAKE

SUBMIT YOURSELVES TO EVERY HUMAN AUTHORITY FOR THE LORD’S SAKE

Peter’s exhortation to his readers to abide by governmental laws is a good reminder to those believers who tend to overemphasise God’s power to achieve their own purposes, without discerning the situation...

As you come to him, the living Stone – rejected by humans but chosen by God and precious to him – you also, like living stones, are being built into a spiritual house to be a holy priesthood, offering spiritual sacrifices acceptable to God through Jesus Christ. For in Scripture it says: ‘See, I lay a stone in Zion, a chosen and precious cornerstone, and the one who trusts in him will never be put to shame.’

Now to you who believe, this stone is precious. But to those who do not believe, ‘The stone the builders rejected has become the cornerstone,’ and, ‘A stone that causes people to stumble and a rock that makes them fall.’ They stumble because they disobey the message – which is also what they were destined for.

But you are a chosen people, a royal priesthood, a holy nation, God’s special possession, that you may declare the praises of him who called you out of darkness into his wonderful light. Once you were not a people, but now you are the people of God; once you had not received mercy, but now you have received mercy.

Dear friends, I urge you, as foreigners and exiles, to abstain from sinful desires, which wage war against your soul. Live such good lives among the pagans that, though they accuse you of doing wrong, they may see your good deeds and glorify God on the day he visits us. 

Submit yourselves for the Lord’s sake to every human authority: whether to the emperor, as the supreme authority, or to governors, who are sent by him to punish those who do wrong and to commend those who do right. For it is God’s will that by doing good you should silence the ignorant talk of foolish people. Live as free people, but do not use your freedom as a cover-up for evil; live as God’s slaves.  Show proper respect to everyone, love the family of believers, fear God, honour the emperor.              1PETER 2:4-17.


The Lord spoke to Peter in Mt.16:18, 

You are Peter, and on this rock I will build my church, and the gates of Hades will not overcome it 

and used two different Greek words to describe ‘Peter’ the rock: ‘πέτρος’ (small stone), and ‘Christ’ the Rock: ‘Πέτρᾳ’ (rock). Peter uses the same metaphor to explain the intimate communion between the Lord and believers in the passage quoted in the beginning. 

Christ is the living Stone. Every believer in Christ is also a living stone, which is quarried from the Rock by grace. The living Stone, Christ, has life in Himself and gives life to others. Each individual is to enter into personal and vital relationship with this ‘Living Stone’. While people in the world rejected Christ, God had chosen Him as precious. Likewise, Christians may be rejected by the world but should be reminded of the knowledge that they are valued and elected by God.

Believers, identified with Christ as living stones will be built into a spiritual house, whose base is the living Stone, Christ. Now that all believers are priests, they no longer need a mediator other than Christ to directly approach God. A cornerstone provides visible support, upon which the rest of the building relies for strength and stability. Although Christ was rejected by the builders of the world, He is to be the precious cornerstone in Zion. 

Here Peter encourages his readers with a scriptural promise of ultimate victory for those who trust in Christ and who keep themselves holy. On the other hand, he warns those who do not receive Christ as their Saviour of the judgment they will have to face one day because of sin and disobedience. 


God’s purpose of choosing believers for Himself is so that they may declare His praise before others as witnesses of the glory and grace of God. For this reason, believers should live godly lives in a pagan society. In other words, Christians should be discernibly different, behave differently, which Peter spells out in verses 11 to 17. 

Christians are those whose values and beliefs are rejected by the world, so they are to live as a pilgrim and a stranger to this world, which means to live apart from sinful desires not only for their own spiritual well-being but also in order to maintain an effective testimony to this world, hopefully to convict it of its sin. 

Peter’s exhortation to his readers to abide by governmental laws is a good reminder to those believers who tend to overemphasise God’s power to achieve their own purposes, without discerning the situation: 

Submit yourselves for the Lord’s sake to every human authority. 

Submission to lawful authority does not negate Christian liberty but rather, it is in accordance with the will of God, who ordained human government, as long as those laws do not conflict with the teaching of Scriptures. Christians can freely enjoy their freedom only when they submit themselves to God and live as His servants. 


I agree with the following article entitled “We Must Stop Looking to Politics for Answers to America's State of Crisis”, issued on 16 Feb.’21, in which a journalist and former lawyer Michael Snyder shares that the only hope for the US to be turned around is in Christ through repentance but not by pursuing a political solution: 

We can all agree that America is hurting. Headlines reveal that the pandemic lockdown as well as mass civil and political unrest have left us in a state of financial, mental and emotional distress. "There's not going to be a political solution in this country," author, political commentator and end-times expert Michael Snyder tells… the church has been looking in the wrong place for answers. "Over the past four years, in the evangelical movement, we've been worshipping politics and politicians and thinking this is how we're going to turn the country around," he says. "No matter—even if we won every political race, even if we were successful in politics. On every level there, we're not going to turn the country around without God, without repentance. And that's what we need." We must repent, Snyder says, because "We really are in the end times. The judgment of America has begun, and it's going to accelerate and get even worse. Very, very difficult times are ahead of us, and it's because as a nation, we have rejected God; we've turned our backs on God. Even throughout the past four years, the American people have continued to race after sin." But there is hope, Snyder says. Despite these trying times, those who put their faith in the Lord Jesus Christ "will always have hope" and know that, at the end of everything, God wins.

 (For more from Michael Snyder about how we can cope in these days of end-times warning, listen to the entire episode of Greenelines here)