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メアリー・ジェインの手紙 : 2019年6月24日

父が一足先に主の御許に召されたとの確証と実感

6月24日

フルダミニストリーの皆さま

e-mailをありがとうございました。
私の伝道報告書を受け取られたとのこと、嬉しく思います。

私の父の召天について、報告書に写真(告別式などの)と合わせて詳細に書いたものですから、「今、私の父はイエスさまと一緒にいる」という確証と実感で涙が出てきます。

昨晩、父の夢を見ました。私たちに「食べなさい」と語りかけ、容姿は四十歳代の若い父で、楽しそうでした。神さまはなんと偉大な方でしょう!

主の驚くべき愛

神さまは、自分の誕生日後に海のそばで死にたいという父の望みを、まさにかなえてくださいました。驚きと畏敬の念で涙が出るほどです。
なんと神さまの愛は私たちの想像を超えたものでしょう。
というのは、私は神さまが父の死のタイミングを、父の望みをかなえるように計らってくださるとは考えもしなかったからです。

私は、今年の1月の父との会話をまた思い出しています。
そのとき、父は言いました「もう直ぐ死ぬことになると思う」と。そこで私は父に「イエスさまをあなたの主、救い主とするなら、たとえ今、召されても素晴らしいことです」と話しました。そのとき、きっと彼自身の中でイエスさまを受け入れたのだと思います。そのことを思うと、いつも涙が出ます。

私は先ほど、ブラカンにある伝道所/農園から戻ってきました。同労者で助け手のリクは私をここに降ろした後、パンパンガに出かけました。そこで彼はアエタ部族の生計のためのトマト、ナス、キュウリの栽培(耕作と施肥)作業の手助けをします。
リクはかつて私に「牧者になりたい」と言っていたのですが、今は、金銭的に私と彼の家族を助けるために警備員になることをも考えているようで、少なからず自分の将来について迷っています。とにかく彼はだれにも負担をかけず、生きていきたいと考えているのです。彼には「祈りなさい、そして、神さまからの声を聞きなさい」と話しています。私もまた今できることは、彼のために祈ることだと思っています。

私の健康についてですが、今、熱冷ましと痛み止めの薬を飲んでいます。ブラカンの伝道所/農園に数日間滞在しましたが、午後はいつも雨降りで、結構涼しかったのですが、一方、パンパンガでは砂漠のような暑さで、私たちがその地を借りたときはそこはローム層の砂の稲田で、木一本も生えていなかったのに、今や野菜農園に変わりました。
どうかこの農園での野菜栽培が気候変動、害虫から守られ、祝福されるようにお祈りください。そして、収穫された野菜を低価格ではなく適正な価格で売ることができるように神さまに祈っていきます。
収穫時期は8月の終わりか9月の第一週になると思います。

再度、皆さまのお祈りに感謝します。皆さまのお祈りにより、私は前に進むことができます。
平野牧師とFFNチームの皆さまはお元気でしょうか? 
皆さまには、サンマルセリノ ザンバレスの無牧だったアエタ部族にサンフェルナンド パンパンガ出身のビックが牧者として仕えることになったことをお伝えください。
そして、今月末には多目的ビルが完成します。神さまは偉大な方です。ハレルヤ!

皆さまがたを覚えていつもお祈りしています。

多くの愛を込めて  メアリー ジェイン

メアリー・ジェインの手紙 : 2019年6月14日

父の死後、気づいたこと

6月14日

しばらくご連絡をしなかったことをお許しください。

2019年は、私にとって家族、伝道において挑戦的な年です。
伝道については多くのことをしてきたと思いますが… 家族のこととなると、たとえば、年老いた両親と私の娘に寄り添ったかどうかという点になると、あるいは、健康管理面でおろそかにしてきたことが多いように思います。

父が亡くなったあと、いくつかのことに気づきました。
まず、家族と過ごす時間や健康がいかに大切かということです。この世の富をいかに多く所有しても、健康でなかったら、全ては無価値となります。
タガログ語の歌に「私たちの生命は神さまから借りたもの。神さまが私たちの生命を取ろうとするとき、私たちは神さまに嫌ですとか、まだ早いですとは決して言えません」というのがあります。

祈りはまた、神さまといつも対話するための最善の鍵です。
「神さまからお借りした生命をありがとうございます。私たちがこの生命を感謝と憐れみで使うことができますように!」

皆さまのお祈り、ご支援、そして月報をありがとうございます。
月報は牧師仲間に見せています。先月の月報で地球の磁場とニビルが取り上げられていましたが、まさに時宜を得たものだと思います。というのは、ここフィリピンの気候は暑さの度合いが増し、その異常さに息が詰まるほどで、多くの人々が不安を覚え、弱っているからです。 
私自身も先週、暑さのため悪寒、高熱で寝込んでしまいました。身体中あちこちが痛み、今でも続いており、脱水症状で大量の水を飲んでいます。

今回、今年1月から6月2日までの活動報告をお送りしました。
皆さまのお祈りと温かいご支援、骨が折れる私たちの部族伝道を神さま、価値あるものと認めてください!
と、私はいつも祈っています。
神さまは私にいつも、「主にあるあなたがたの働きが無駄に終わることはない」ということを思い出させてくださいます。
というのは、私は度々死にそうになり、本当にお手上げの状態になることがあるからです。
ですから、私の愛する兄弟たち、堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。(コリント人第一15:58、新改訳2017)
今年は、部族伝道という同じ志を持った幾人かの人々との出会いがあり、そのことで神さまに感謝しています。私一人だけでは多くの仕事をすることができませんが、チームならできること、皆と一丸になって神さまのために多くのことを成し遂げることができることをご存じだからです。

再度、皆さまのお祈りとご支援に感謝いたします。
今月(6月)の終わりには、リバーサイド サンマルセリノ ザンバレスにアエタ部族のための多目的ビルが完成します。
クユン・マニーという人がビル建設のために人材を集め、30万ペソ(63万円)の寄付金集めに尽力しました。私たちもアエタ部族のために有機農法を取り入れたり、そのための水をくみ上げるポンプの設置や、食事を用意するなどしてその一翼を担いました。
そして、アエタ部族のための教会活動の先駆者としてマニーと彼のチームを紹介したのは私です。

近々、このビルの写真とリバーサイドでの有機農法の様子の写真をお送りします。
心から、主をほめたたえます!
リバーサイドのアエタ部族の教会がほしい、という五年越しの祈りがようやく実現するのです。神さまは祈りに応えられ、この7月末には教会が誕生します。感謝します。

多くの愛を込めて   メアリー ジェイン

Mary Jane のミニストリー活動報告:2019 年5月から6月

VBS(夏季休暇聖書学校)

5月26日〜28日


サン イシドロ、ブラカンで、VBS(夏季休暇聖書学校)を開きました。
百三十三人の子どもたちが参加し、二人の先生が手助けしてくれました。

2019年3月の第二週、左上の写真に写っているこれらの牧者たちはサン イシドロで開拓伝道を始めたいとのことで、バランガイの役所の人が私に彼らを紹介してくれました。
そこで、私は彼らをサン イシドロのデュマガット部族とバランガイ サンイシドロの聖書クラスに参加している家族のところに案内しました。
4月27日に、サン イシドロ小学校での最初の伝道集会が開かれ、私もお手伝いしました。
2014年、日本のFFNチームが彼らの伝道の一環としてパフォーマンスを披露したのは、この小学校ででした。

5月25日〜31日

リバーサイドのアエタ部族の若者五人がアンティポロにある聖書訓練コースで学ぶことができるように、財政支援を行いました。
コース終了後、私たちは彼らをザンバレスに連れ帰り、彼らの兄弟の分も含めて学用品を手渡しました。
彼らはリーダーとして立ち上がる勇気を得ました。
「多くが召名を受けるが選ばれる者は少ない」との聖句を思い起こし、私たちは、彼らに「あなたがたは神さまから祝福を受けている。あなたがたが部族の祝福となるように!」と励ましました。
折しも、多目的ビルが完成することにより、彼らはますます神さまに用いられることでしょう。
左下の写真はザンバレスでの開拓伝道をする私たちの同労者クヤとマニーです。
招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。(マタイ22:14)
マタイ22:1-14は、結婚の披露宴に招かれた者は、主催者があてがった高価な礼服を身に着け、ふさわしく盛装して出席する必要があること、それが主催者への儀礼であり、応答であることを教えた、預言的含蓄のある「たとえ」である
多くの含蓄の中でも重要な二点を挙げることができる
1.王なる神の招きの言葉は二度放たれた
✶最初は神の民、イスラエルに、二度目は異邦人に
➝『使徒の働き』8章以降で、福音宣教が異邦人に及び、神の救いの招きは全世界に放たれ、成就
2.披露宴への出席資格として、「主催者があてがった高価な礼服」、すなわち、「神の義」が要求された
✶神の救いの宴会に受け入れられるには、
自分自身の義(所詮、「罪人の義」は汚れた雑巾 イザヤ書64:6)ではなく、神が与えてくださった「キリストの義」をまとうことが要求された

➪自分の義と自我を捨て、悔い改めて、キリストの義に依存するとき、だれでも神の国、御国に入れられるのです!

牧者ノノイと父

6月1日、父の召天後四十日記念会をブラカンの伝道所/農園で行いました。近所の人々が参列。牧者ノノイは彼らのために祈りました。
左下の写真は2019年2月8日、牧者ノノイが父と一対一で二時間あまり話し合ったときのものです。
このとき、父は牧者に「自分の全家族を集めて、皆の前で赦しを乞いたい。もう直ぐ死ぬことになるだろうから、おそらく私の誕生日に」と語り、二人とも涙を流したとのことです。
この話を聞いて、私は牧者ノノイに言いました。「父の全家族が集まることはとても難しい。特に私の弟シップの家族は難しい」と。
牧者ノノイは私に言いました。「だれもいつ死ぬかは分からない。でもあなたのお父さんは誕生日に死ぬ、と言ったのです」
牧者ノノイも葬儀に駆けつけてくれました。彼は、お棺に入った父の遺体の前で、私たちに、2月8日に父と語り合ったことを話し、父の代わりに私たちに赦しを願ったのです。それを聞いて私たち家族は全員、涙を流しました。父が望んでいた家族全員を集めることは彼の生前、決して実現することはなかったのですが、彼が亡くなって初めて、弟たちとその家族も含め、母も一緒に集うことができたのです。

6月1日

父の召天後四十日の記念会の写真です。私たちは近所の人々、彼の友人、子どもたちを招待しました。

6月2日

私たちは、リバーサイド ザンバレスの若者たちを車でリバーサイドに送りました。
設置されたポンプは今や彼らの洗い場になっています。
左下の写真はリバーサイドに住むロシタの庭です。彼女はスイカなどを育てています。
右下の写真は聖書コースに参加した五人の若者の兄弟たちです。

Mary Jane のミニストリー活動報告:2019 年4月

ナグササ湾の近くのアエタ部族訪問

4月10〜13日

私たちはサンアントニオ ザンバレスのナグササ湾の近くに住む別のアエタ部族を訪問、滞在し、最後の二日間は礼拝のときを持ちました。

サイドカー

私たちは一万ぺソ(二万一千円)でオートバイの横に取り付けるサイドカーを買いました。オートバイ(中古のユーロスターで二万八千ペソ)の持ち主はアリエスとレアです。
サイドカーには荷物、人を乗せます。

4月14日

ナグササ湾の近くに住むアエタ部族の訪問を終え、次にカワグに住むアエタ部族を訪問、滞在しました。そこで、私たちがバナナ商売を助けているアリエスとレアに会いました。バナナの供給はこのところの雨不足で減少しています。
写真上の中腰の婦人がレアです。サバとラテュンダンの二種類のバナナを売っています。
海外へ輸出する特別なバナナはミンダナオ産です。

4月15日

私たち(私と母グローリと娘エゼキエレ、そしてアエタ部族出身のアリエル)はケソン市に戻り、翌日、私とアリエルは伝道所/有機農園があるブラカンに行き、父がどうしているか見に行きました。
アブラ出身の少年、アジが父の面倒を見、ランボが農園の仕事をしています。翌日、母も来て料理などをして手伝ってくれました。父は一日中ハンモックで寝ていました。

後から思えば不思議なこと

4月19日

父が六十九歳の誕生日を迎えました。
体調は少し悪かったのですが、お祝いに久しぶりにナグササ湾の海辺に行くということで、嬉しそうでした。料理をしながら、母は父に、神さまに人生を献げなさいと話していました。

母が初めて見た光輝く父

父の死後、母は私に次のようなことを語ってくれました。「そのとき、あの人の頭の上に光を見た。彼は輝いているように見え、彼の服は綺麗にアイロンがかかって、清潔そうで、顔には笑みを浮かべていた。今までそんな彼の姿を見たことがなかった」と。
そのときの私はといえば、海辺に行く準備に追われて忙しくしていたので、父の様子をしっかり見ている暇がありませんでした。そして、その日の朝9時、私たちは車で出発。途中で母と弟のイアンは私たちと別れ、別行動で父と私たちはカワグに寄り、部族の人たちに子豚を与えたときはもう午後4時でした。

私たちはまだ昼食を取っていなかったこともあってか、同乗の父は少し疲れた様子でしたが、とにかく、ナグササ行きの船が出るサンアントニオまで車を走らせました。
サンアントニオに着いたのはすでに午後7時。その日はあいにく、教会暦のレントの休暇中で人が多く、駐車に手間取りました。ナグササに行く船は小さかったので、最初は私たちの荷物だけをまずナグササに運び、また戻ってきて今度は私たちを乗せてという段取りで、ナグササに行くまでにずいぶん時間がかかってしまいました。
ようやくナグササの島にたどり着いたときはもう夜中の午後11時40分。しばらく海辺で休んでいたら、父が気分が悪いというので手、胃のあたりをマッサージしたところ、彼は吐いてしまいました。父に薬と水を飲ませ、少し症状がおさまったと思ったら、また戻しました。服を着替えさせたところ、父は一言、「眠たい」と言いました。
竹で編んだベッドに父を寝かせた後、明日の朝はここでバーベキューをして父の誕生日を祝おうと、皆で確認した後、私たちも神さまに父のことを祈りながら午前2時ごろ砂浜で寝ました。一時間後、風のせいで私は目覚めトイレに行きました。その後、父にジャケットをかけて、私はまた眠りました。

安らかな父の最期

朝の5時半ごろ、同行していたアジが「お父さんが…」と言って私を起こしたのです。私は素早く起きて、父の身体を揺すりましたが、息をしていないのです。
警察が来て検分を行いました。アジに船を操縦できる人を探してもらい、父を船に乗せました。アエタ部族の人々も駆けつけ、彼らも私たちも父の突然の死を悼み泣きました。私は乗船中、息をしていない父を抱きながら、同行した皆と一緒にただ泣くばかりでした。
本島に到着後、私のもう一人の弟シップも来てともに泣きました。その後、葬儀の手続きを済ませ、父の遺体をザンバレスからケソン市に移しました。

後で知ったことですが、生前、父は親友たちに、誕生日に海辺で死にたいと言っていたそうです。

4月16日


左上は父の最後の写真です。近所の人が撮ってくれたそうです。写真の二人の子どもたちはいつも伝道所/有機農園に父を訪ねてきました。
4月22日
左上の写真を撮った日から六日後に父は亡くなり、今、お棺の中に入っています。
葬儀場にはナグササ湾のアエタ部族がいち早く駆けつけてくれました。

4月25日〜28日

父の葬儀が執り行われました。

4月27日

葬儀では、私たちの伝道の一環として、牧者たちが食べものと薬を用意し、私たちは子どもたちに学用品を手渡し、父兄も昼食に参加しました。

Mary Jane のミニストリー活動報告:2019 年1月から3月

宣教活動2019年1月から3月までの写真とレポート

リバーサイド サンマルセリノ ザンバレスでの伝道

2014年、日本の平野牧師と若者のFFNチームがリバーサイドを訪問して以来、そこに住むアエタ部族は自分たちの教会がほしいと祈ってきました。去年から私は部族に心を寄せる牧者、あるいは、伝道団体を探してきました。

今年1月、マニーとその友人二人(左上の写真で、縞模様の服を着たのがマニー、二人の友人は彼女の両側で、それぞれ緑と青の服を着ている)が、水供給システムを設置できる人を探してくれました。
私は彼らに、リバーサイドにおける私の計画(どの家族も、自分の庭で有機農法に従事できるようにすることと、災害時の避難所、あるいは、御言葉宣教の集会が開けるなどの多目的ビルの建設)を話しました。その結果、水供給システムについてはフルダミニストリーからの支援金で二箇所にポンプを設置することができました。
写真左下は1月25日に設置された最初のポンプです。

2月

私たちは一ヶ月かけて有機農法のセミナーを開きました。

左下の写真は種をまいてナス、キュウリの苗を育てるための古タイヤです。
リバーサイドのアエタ部族の首長は「集会のための建物をセメントなどで造ることはできないが、三〜四層のブロック積みならできる」と言いました。
右上の写真は二番目に設置されたポンプです。
右下の写真では、古タイヤを利用してどのように苗を育成させるかを見ることができます

2月27日〜3月1日

古タイヤを各家族に分配し、礼拝をしました。
昼食の用意もしました。

3月24〜26日

リバーサイド サンマルセリノ ザンバレスでの有機農法の訓練と施工

2019年5月1-3日の福岡聖会

2019年5月1-3日の福岡聖会

サドゥー・スンダー・セルバラ―ジ師のメッセージ

☆2018年春のエルサレムツアーで、インド人預言者で福音伝道者のサドゥー師が語った2019年の預言がユーチューブで2019年1月に公開され、すでにその内容をお知らせした
サドゥー師の預言を見る

☆その中でサドゥー師は日本についての預言を語り、最後に次のように締めくくった
 「大きな揺さぶりが日本に来る。これが、神が私を5月に日本に送られる理由である。『フクオカ(福岡)』と呼ばれる市で、預言の聖会を5月1-3日まで開催予定である」


☆果たして、福岡聖会は予定通り行われ、三日間のメッセージが5月から6月にかけてユーチューブで徐々に公開されている

☆以下は、ユーチューブで2019年5月31日に公開された二時間余に亘るメッセージ「セッション2」の要約である

Sadhu Sundar Selvaraj | Session #2 | Open Heavens Conference Japan
https://www.youtube.com/watch?v=N0t6dQjjMBA&t=3372s

☆ここにはサドゥー師の三日間の聖会の要旨が凝縮されていると思われる  

フルダ記 

キリストは日本について何を語っておられるか?

☆二つのこと、祝福と呪い
➞申命記28章

祝福

☆日本人は多くの良いことをしてきた
1.貧しい人々に、個人的にも国家的にも助けの手を伸ばしてきた
2.最新技術、―発明、技術力、生産、製造品等々― を通して世界中の人々を祝福してきた
3.多くの人々を破壊から守った
4.不義、不正に対する抗議の声を上げてきた
5.傲慢になることなく、謙遜、柔和の日本文化を培ってきた

☆昨日(5月1日)、BBCニュースで、新天皇即位を知った
✶日本で最高の地位に就いておられる方であるが、その謙遜さや人々にお辞儀をする姿勢を見、尊敬すべき日本文化の一面を見た

呪い、破壊

☆日本では、「海、川の女神/処女神」崇拝が行われている
1.この女神は最高位の堕天使の一人
✶ガブリエル、ミカエル、ルシファー(堕落前のサタン)は、指導層の御使いたち
✶ダニエル書には、ペルシャの君/王子、ギリシャの君/王子、というように各国を支配している御使いのことが記されているが、この範疇に属するのが、日本の「海、川の女神/処女神」

2.サタンは、この「海、川の女神/処女神」に、日本を支配させた
✶マタイ4:8-9、ルカ4:5-6には、悪魔が超自然的にキリストを高いところに連れて行き、そこから全世界の諸王国を見させ、それらの支配者が自分であることを豪語したことが記されている
✶サタンは国々を支配し、手下の御使いに管理させている

3.この「海、川の女神/処女神」の役割
①人々を水に溺れさせるため、不自然な水没を引き起こし、水の霊が人々を引きずり込む
✫そのようなことが現実に起こっており、幼少時の経験を語る預言者もいる
②物理的だけでなく、霊的な水没をも引き起こす
✫すなわち、人々を空しさや肉の喜びに溺れさせる
✫日本の子どもや若者を性的喜びに埋没させる
③この「海、川の女神/処女神」を見よ!
✫この女は強い欲望、―肉欲、物欲、切望― の女神である
✫民を美しいスタイル、服装、格好良さで誘惑し、空しい空想や欲望、また、虚無へと強要、人々を駆り立てている
➪神の霊「聖霊」によって、新しい独創的な考え、発想が与えられ、この世をむしばんでいる病と戦う必要がある!

☆日本には広島と長崎に原爆が落とされたが、この原爆の歴史をご存知だろうか?
✶原爆はユダヤ人科学者が、本来、人類の平和のために発明した
✶同じように、日本の核は平和目的のためにだけ、用いられるべきである
✶神は良い発想、発明を人に与えたが、悪魔はそれを堕落させ、悪用させている
✶このように、悪魔は人の心に悪い欲望を植えつけ、素晴らしい発明を悪い目的のために用いるよう、仕向ける

☆日本人は、テレビの発明において大きく貢献した
✶かつてはテレビは場所を占める大きなテレビ、プラズマTVであった
しかし、どんどん開発された
プラズマ TV➝LED TV➝HD TV➝4K TV➝8K TV

☆今日、3D鏡をかけて3D画像を見ることができるが、非常に近い将来、3D鏡をかけずに、3D画像を見ることができるようなTVが世にもたらされることは間違いない

☆旧約時代、バアルの預言者たちは山や高き所で欲望の献げものを偶像の神々に献げたが、日本でも悪しき慣わしが行われている
✶秘密裏に山々で献げものが献げられ、仏教の寺でも献げられている

☆今日、同性愛行為をはじめ、生殖器崇拝など、旧約時代に行われていた異端的崇拝が日本でも行われている
✶生殖器崇拝は、日本独自で、他の国では見られない
✶インドでもそれに近い崇拝はあるが、明確な形を取っていない
☆これらの偶像を忌み嫌われる神は、日本を振るい、破壊される

☆科学者は地震が起こる原因を、地下の岩盤/プレートのずれによる等々、説明するが、地震は所定の場所に、神が起こされる

☆2011年3月11日、日本でM9.0の恐ろしい地震と津波の被害をもたらした東日本大震災が起こった
☆その前日の3月10日、イスラエルで七人の執り成し手による祈りが献げられていた
✶執り成し手の一人はインド人で、彼はそのとき示されたビジョン/幻を通して日本に大津波が起こることを知っていた
✶後にサドゥー師は、そのインド人に会い、話を聞いた
夜10時、だれかが彼の部屋の窓をたたいた。
彼は窓を見、何百人もの御使いが窓の外を通り過ぎていくのを見た。
一人の御使いが彼に、皆、日本に行くが「あなたも行って、証人になるか?」と尋ねた。
「なぜ?」と彼が聞くと、「悪を取り除く裁きとして日本を揺さぶるため」と御使いは答えた。
☆一箇月を経た4月26日午後9時、サドゥー師は日本の破壊についてビジョンを見た
✶水/海の上を、三人の御使いが素早く通り過ぎて行った
✶どこへ行く?と聞くと、御使いは「日本をもう一度揺さぶるため…神が日本の破壊を定められた」と答えた
✶この地震の直前にサドゥー師は、海から輝く光が立ち上るのを見た(そのことに気づいた人はだれもいないかもしれない)
✶サドゥー師は、それを、御使いたちが日本を揺るがすために「こと」を起こしたしるしと見た
✶神はサドゥー師に、「日本の民を空しさ、うぬぼれから目覚めさせるために、揺るがす」と言われた
それによって、形のあるすべてのものが失われる!

☆十年前、インドのチュンナイで大洪水が起こり、四十日間、全市が冠水した
✶あるところは腰までの深さに、あるところは首までの深さに
✶金持ちも貧しい者たちも物乞いもみな、金持ちの家の屋根に上り、そこでともに寝、同じように過ごさなければならなかった
✶すべての金持ちはすべてを失った!

このように大きな揺り動かしが日本に来る
「海の女神」が破壊されるような形でそれは起こる
☆サドゥー師は、この破壊が水を通して起こると、言う
✶地の底、海の底に地震が起こると、地の上に水があふれ、洪水が起こる
✶まさに、2011年3月11日に起こったように!
✶その結果、日本人はエジプト人のように嘆く
✶「海の女神」に助けを求め、祈願する者がいるかもしれないが、「海の女神」には何の力もない

日本の教会に対して主は言われる

☆私の民は注意深くない、居眠りをしている
✶注意深く、敵に立ち向かう兵士ではない

☆私の民はギャンブルに巻き込まれている
✶お金をとばくに賭けるということではなく、生活のために忙しく、追われている
✶自分のため、教会のために必要以上にお金を貯めこむことはギャンブルと同じで、教会は献金を求め、富によって成長することを求めている

「見張り人」とは?

1.物見の塔に上り、どのような敵がやって来るかを見張る
✫良い目を持ち、遠くを見る目で見張る
✫良い耳を持ち、馬が来るのかろばが来るのか、どのようなものが来るのかを聞き分ける

2.人々に警告する
☆日本のキリスト者の問題は、自分の国を見張っていないこと
✶この国には見張り人がいない、ビジョンを見る者がいない
✶日本のキリスト者は霊的な耳が聞こえず、霊的な口がきけず、預言できない
✶日本のキリスト者は神についての知識がない
✶日本の教会は目が見えず、耳が聞こえず、口がきけない!

☆日本のキリスト者はなぜ、ギャンブルするのか?
✶お金への欲望から!
✶教会にお金が集まることばかりに関心を寄せている!

☆日本の「海、川の女神/処女神」は、日本全土に多くの地雷を埋め込んでいる
✶それゆえ、このような聖会を引き続き開催し、この女神が活動できないように祈りこむ必要がある

☆エゼキエル書22:30には、神が一人の人を捜しておられることが記されている
✶主はこの一人の人を日本に捜しておられる!
✶「執り成しの祈り」は、今日の教会や集会で行われているような生半可なものではない

(ここで、サドゥー師、携帯を用いて実質の伴わない教会の祈祷会を暴く)
➝サドゥー師、自分の携帯が鳴るとすぐ取り出し、応答した後、祈りに戻る祈祷会風景を実演、今日の教会の祈りの虚しさを指摘

➪全教会はもろ手を挙げて悔い改めの祈りをしなければならない!



あとがき

☆サドゥー師の語ったことがすべて、キリストに由来するかどうかは、その成就によって初めて明らかになり、彼の預言の信ぴょう性を吟味することができる
☆聖書は間違いなく、終末末期、キリストの再臨前の世界的な大災害、天変地異を語っているので、聖書を信じるキリスト者は、心の備えをし、日々祈る必要がある
☆実際、2018年はその前触れとなる、かつてない世界的な大災害の年となった
フルダ記

Yさんの証し その33

もう一つの邂逅(かいこう)、主の不思議な巡り会わせ

2019年6月8日(土)

頌主

月報を誠にありがとうございました。
情けなや、月の初めに風邪をひいてしまい鼻垂れ小僧の毎日ですが、何とか無事に過ごさせていただいております。

3月から、お便りしたいことが重なり、少しずつ書き記させていただければと思いながら6月になってしまいました。申し訳ございません。
今日は、前回「証しその31」でお話しさせて頂いた「もう一つの邂逅(出会い)」について書かせていただきたいと思います。

「ひび割れた壺」の伝説

数年前、「証しその5」で“ひび割れた壺”の 「伝説」(出典不明)についてお話させて頂きました。サセックス在住時代、隣家のユダヤ人ご夫妻から聞いた伝説で、現在の職場に入ってからも、Hebrew語担当の同僚と司書の先生の助言を頂きながらその出典について探っておりましたが、残念ながら答えを見出せぬまま一年以上が経ちました。

年明けに転機が訪れました。
2月に図書館の元同僚、―「証しその25 & 31」で言及のユダヤ人の友人― から連絡があり、彼女の修士課程の現Supervisor(指導教官)が、3月に地元P市のユダヤ人集会で説教をする、とのことでした。

当日集会に参加させていただき、また友人が私のことをあらかじめ紹介してくれていたおかげで、相手方に警戒されることなく、お話しの機会を頂くことができました。

友人のSupervisorの専門の一つがたまたま「ユダヤの伝説・説話」であると知り、後日、私は電子メールにて「“ひび割れた壺”の伝説の出典を教えていただければ大変有難いのですが」と、お話しいたしたところ、即時にご回答を頂くことができたのです!

「ひび割れた壺」の伝説の出典

(前後省略)
それは ゾーハル/ルリアの神秘的神話の単純な改作のようである。
実質上、世界が創造されたとき、悲劇的な災難があり、神の光を保持するはずの船の幾つかが壊れたのであった。光の破片がそのとき、この世界に落ちた。
人の仕事は、戒めや善行他を守ることによって、これらを正当な場所に戻すことである。しかし、光の破片の幾つかは邪悪な力に捕獲され、人々が悪を行うときはいつも、邪悪な力はそれら破片の上に悪の把握を強化する。すべての破片が神に戻されるとき、メシヤ(救世主)が来るであろう。
このことは、ゲルショム・ショーレムの『ユダヤ人の神秘主義』、あるいは、ジョセフ・ダンの『カバラ』の中に書かれている。          非常に短い紹介まで
It sounds like a simplistic retelling of a Zoharic/ Lurianic mystical myth. In essence, when the world was created there was a tragic mishap and some of the vessels meant to hold the divine light broke. Shards of light then fell into this world. The human task is to lift those back to their rightful place by keeping the commandments, good deed etc. But some of the shards were captured by evil forces, and whenever humans do bad – they strengthen the hold of evil over them. The Messiah will come when all shards are lifted back to God. You can find this in Gershom Scholem's Jewish Mysticism or in short in Joseph Dan's 'Kabbalh - a very short introduction.

Supervisorを紹介してくれた元同僚とも不思議なご縁の出会いでしたが、今回もまた主の不思議な御手に導かれての邂逅となりました。心からHallelu-Jah(ハレルヤ)!です。


明日9日、日曜日は、教会でPentecost(ペンテコステ)が祝われ、synagogue(ユダヤ教会堂)では、本日6月8日から10日にかけて、ペンテコステ/週の祭り(שָׁבוּעוֹת シャブオト)が祝われます。シナゴグでは、『ルツ記(מגילת רות‎ メギラト・ルツ)』を読む習慣があり、ルツ(嫁)のナオミ(義母)への献身と愛(loyalty & compassion)、そして、ボアズ(夫)の慈愛(Chesed/Hessed חֶסֶד ヘセド:Loving kindness)に思いを巡らす大変良い週末になりそうです。

“Radical Then Radical Now on Being Jewish”

ラビ、ジョナサン・サックスは、著書のp.120~p.121で「裁き(Mishpat、ミシュパト)」、―自分が嫌だと思うことを人さまにしないこと― と「慈善(Tzedekah、ツェダカー)」、―律法で定められた行うべき慈善― を説明した後、次のように記しています。

以下は、Jonathan Sacksジョナサン・サックス著“Radical Then Radical Now on Being Jewish” (Continuum 2000) のp.122からの抜粋です。
そして、最後に‘ヘセド’があり、通常は『優しさ』として翻訳されるが、実際には契約の愛を意味する。
‘ヘセド’は、家族の一員である者たちに私が負っている忠誠心であり、契約社会では、一つの拡張された家族からの全ての市民は、唯一人の神の子どもとして一家族である…
‘ヘセド’は、礼儀正しい社会秩序を権利と義務だけに基づいて構築することは決してできない、という考えを表している。
私たちには、「律法の条文を超えて」、すなわち、公平と相互関係の要求を超えて行かなければならないときがある。‘ヘセド’は、個人的で数量化できない、社会の「私と汝」の次元、律法として決して形式化することはできないが、代わりに、関係の質に属する、また、貧しい人、未亡人、孤児、見知らぬ人が私の兄弟であり姉妹であるという考えに属する、思いやりと人間性…(肉太活字部分、強調付加)
"And finally there is hessed, usually translated as "kindness" but in fact meaning covenantal love.
Hessed is the loyalty I owe to those who are member of my family - and covenantal society is one in which all citizens from a single extended family, as the children of one God. ....
Hessed represents the idea that gracious social order can never be constructed on the basis of rights and obligations alone. There are times when we must go "beyond the letter of the law", beyond the requirements of equity and reciprocity. Hessed is personal, unquantifiable, I-Thou dimension of society, the compassion and humanity that can never be formalized as law but instead belong to the quality of relationships, to the idea that the poor, the widow, the orphan and the stranger are my brothers and sisters...


皆さまにとって良い週末となりますように。
次回6月11日のヨシェルの会も主の祝福と聖霊に満ちた一層素晴らしいひとときとなりますように。

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