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第270号  詩篇132-134篇

「都上りの歌」の第五部、巡礼の旅の最終地はメシヤの御国への入国

主に信頼する神の家族、主にある兄弟姉妹の一致の素晴らしさ…至福の交わりは神の憐みの奇蹟、―「とこしえのいのちの祝福」の所有…
主よ。ダビデのために、彼のすべての苦しみを思い出してください。彼は主に誓い、ヤコブの全能者に誓いを立てました。「私は決して、わが家の天幕に入りません。私のために備えられた寝床にも上がりません。私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみをも。私が主のために、一つの場所を見いだし、ヤコブの全能者のために、御住まいを見いだすまでは。」今や、私たちはエフラテでそれを聞き、ヤアルの野で、それを見いだした。さあ、主の住まいに行き、主の足台のもとにひれ伏そう。主よ。立ち上がってください。あなたの安息の場所に、お入りください。あなたと、あなたの御力の箱も…
主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは大いに喜び歌おう。そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている。わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。」
  見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れて、その衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
  さあ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕える者たちよ。聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。天地を造られた主がシオンからあなたを祝福されるように。    詩篇132-134篇
                              
逆境下で忍耐と、主への確信で夜明けを待ち望む「都上りの歌」の第四部の後、第五部の詩篇132篇から134篇は、メシヤによる平和の御国樹立の祈りです。
132篇8節の「御力の箱」とは、モーセの幕屋の至聖所からソロモンの神殿の至聖所に移された「あかしの箱」のことで、この詩篇の祈りはソロモンがエルサレム神殿を奉献したときの祈りに関連づけることができ、その記念日には、この詩篇が歌われたと思われます。その都度、ダビデ王朝の基がどのようにして築かれたのか、神の箱がどのようにして保管されてきたのかが思い起こされ、公での神への誓い、献身が新たにされたに違いありません。

「都上りの歌」の最終ステップ、第五部で、巡礼者たちはエルサレムにいます。「あかしの箱」が置かれた神殿の至聖所には今、主の栄光が満ちており、巡礼者たちは神のご臨在の場に近づいています。詠み手は、ダビデがエルサレムを占領するとき直面した危険と、「あかしの箱」をそこへ運ぶために直面した危険や苦難を主が覚えておられるようにと、訴えています。
132篇6節には、神の箱がイスラエルの全家から二十年もの間失われていたのが、エフライム族の領土シロにあるとの情報が入り、ついに「ヤアルの野」、―おそらく「キルヤテ・エアリム」― で発見されたという感動の経緯が描かれています。放浪を経て、神の箱は共同体の礼拝の場、新しい家に保管されることになったのでした。

8-10節の「主よ。立ち上がってください…あなたのしもべダビデのために…」は、神の箱保管の儀式を思い起こさせる祈りです。それが聞かれたことが、14-17節の神の応答「『これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから…」に反映されていますが、実際、「主のための家を建てたい」とのダビデの切実な望みがついに神ご自身の御旨とされ、約束に変えられたことがサムエル記第二7章に記されています。
『主はあなたのために一つの家を造る。』あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。(11-13節)
との神の約束、―ソロモンによってダビデ王朝が確立し、神のご臨在の場、神殿が建てられる― が、預言者ナタンを通してダビデに告げられたのでした。

しかし、132篇17節の神の締めくくりのお言葉は「とこしえの王国」の約束で、「一つの角」、―強さを象徴― とは、ソロモンを越えたダビデの血筋のメシヤ「油そそがれた者」、イエス・キリストのことです。ダビデの後、王位を継承した子たちの中に、約束されたようなダビデの位に着き、「ともしび」、―永続、不滅の象徴― となるような子はだれもいませんでした。ダビデの系図の多くの王たちが神の御旨から離れてしまったことをヘブル語(旧約)聖書の歴史書や預言書は告げています。

至聖所の「あかしの箱」の上には「贖いのふた」が置かれ、大祭司は年に一度、「贖罪の日」にこのふたの上にいけにえの動物の血を注ぎ、罪の贖いの儀式を行いましたが、この「贖いのふた」は、ご自分の血で罪人を贖い、人類のために最初で最後の救いをもたらしてくださったイエス・キリストの玉座にふさわしいのです。14節以降は、今天上におられるキリストが再臨によって地上に戻って来られ、支配されるメシヤの時代の預言です。神は、ご自分の玉座から、語っておられるのです。そのとき、貧しい者たちは顧みられ、必要なものがすべて備えられます。
このように詩篇132篇は、非常な逆境下からの民の苦悩の叫びを聞かれた主が、ついに民の前に出現され、地を治められるメシヤの時代が歌われています。

続く133篇には、ダビデの血筋のメシヤによる理想的な支配、喜びと祝福をほうふつとさせる「ダビデの詩篇」が挿入されています。ダビデは分裂した民との間に市民戦争を繰り返し、ヘブロンで七年半の間ユダ族とベニヤミン族を統治した後、主が王国を統一させてくださったことにより、全イスラエル部族の王になったのでした。
ここには、その出来事を背景に、主に信頼する神の家族、主にある兄弟姉妹の一致の素晴らしさが描かれています。世界中からの巡礼者は妻子だけでなく、友も連れてエルサレムに上って来て、素晴らしい交わりに入ります。彼らはみな、唯一真の神ヤーウェを信じない人たちによる迫害を最後まで耐えた人たちでした。
大祭司に注がれ、特別に聖別された「尊い油」と、神が与えてくださる元気回復、生命と実りを象徴する「露」はともに、一致の喜び、祝福の描写です。ヘルモン山に降りる露が遠く隔てたシオンに降りることが奇蹟であるように、至福の交わりは神の憐みの奇蹟、―「とこしえのいのちの祝福」の所有― です。

「都上りの歌」の最後134篇は、大祭司による、すべての者たちへの賛美と奉仕への招きです。昼夜、神殿で主に仕え、賛美する者たちの特権は彼らがいつも主の家、主のご臨在のただ中にいることです。大祭司の祝福

「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」(民数記6:24-26)
は、神が大祭司に、「神の民一人ひとりへの祝福を、わたしの名で祈るなら、わたしはその祈りを聞き、民を祝福する」と約束された祝福でした。このように、信じる者たちの巡礼の旅の終わりは、喜び、救い、祝福の成就で、それはメシヤによる御国が地上に樹立されることによって完成を見ることになります。

詩篇120篇から134篇にかけて預言的に織り込まれたメシヤの御国到来、すなわち、イエス・キリストの再臨に向けての人類史が、今日、間違いなく終末末期を迎えていることは、昨今の世界情勢、異常気象現象、自然災害の頻度、強度の急増から明らかです。
2018年1月25日、『世界終末時計』、―人類の絶滅を午前零時になぞらえ、その絶滅までの残り時間を「あと何分」という形で象徴的に表示― の針も2017年よりさらに大きく進められ、残り二分と発表されました。政治、経済、社会、宗教、気象、科学的な要因のすべてを総合してこの世が認め、警告していることは、すでに聖書に明確に記されていることです。

前月報(No. 267-269)で考察したように、イスラエルの民の約束の地への帰還と国家復興を求めた祈り120-125篇はすでに完全な成就に向けて進行中で、126-128篇に描写されている神殿礼拝復興はまさに今日実現しようとしています。
3月19日に、イスラエルの新生サンヘドリン、―聖書的に七十一人の長老で構成された法廷― がアラブ人に向けて、「イシュマエルの子ら」としてエルサレム第三神殿を支持する役割を担うようにと招いた、ヘブル語、英語、アラブ語で書かれた手紙を公開したことが報道されました。
全世界をメシヤの時代を特徴づける世界平和へと一歩進ませたいとの意向から、手紙は、「親愛なる兄弟、すぐれたイシュマエルの子ら、偉大なアラブ国の皆さま、イスラエルの守護者、救い主、契約による世界の創造者の恵みの御助けによって、私たちは、メシヤの足音が明らかに聞かれ、エルサレムのモリヤの山のいにしえの場所に、神殿を再建するときが訪れたことを宣言します」で始められ、ユダヤ人と同じく父祖がアブラハムであるアラブ人に、イザヤの預言60:4-6を引用して、神殿再建と維持に役割を担うようにと要請したものでした。
すでに二十三人のラビによって署名されたこの手紙は、サンヘドリンの七十一人の署名を得た後、主要なアラブ諸機関と指導者たちに送られることになっています(詳細はサイトへ)。

今日、アラブ人、ユダヤ人、イスラム教徒、パレスチナ人との歩み寄りで、神殿の丘に第三神殿建設の実現が近くなっています。米国は2月に、5月14日のイスラエル国家独立七十周年記念日に合わせて米国大使館をエルサレムに移転し、フリードマン大使と少数の職員も5月に臨時の大使館に移転すると報道しました。
他方で米国は、イスラエル人とパレスチナ人の今後の平和提案を提示する予定でしたが、パレスチナのアッバス議長の強硬な反対で遅延されることになりました。しかし、現在、アッバス議長の健康状態が危ぶまれていることから、新しい指導者の下で平和協定が結ばれれば、パレスチナとイスラエル各々がエルサレムを首都とする東西エルサレム分割妥協案が受諾され、その代償としてエルサレム神殿再建の実現へと進展することになるかもしれません。

しかし、エルサレムに神殿/少なくとも聖所が建立され、古代イスラエルの祭司制度、いけにえ制度が復興しますと、世界的な大艱難のときへと導かれることになります。人の手に成る平和協定はくつがえされ、キリストが預言したように、反キリスト「『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つ」(マタイ24:15)からです。


#270: WITCHCRAFT AND IDOLATRY

WITCHCRAFT AND IDOLATRY

Throughout Israel’s history and also the whole world’s history, idolatry has been rampant. It continues to fill the earth since the fall of the first man. ...

Some of the elders of Israel came to me and sat down in front of me. Then the word of the LORD came to me: ‘Son of man, these men have set up idols in their hearts and put wicked stumbling-blocks before their faces. Should I let them enquire of me at all? Therefore speak to them and tell them, “This is what the Sovereign LORD says: when any of the Israelites set up idols in their hearts and put a wicked stumbling-block before their faces and then go to a prophet, I the LORD will answer them myself in keeping with their great idolatry. I will do this to recapture the hearts of the people of Israel, who have all deserted me for their idols.”
‘Therefore say to the people of Israel, “This is what the Sovereign LORD says: repent! Turn from your idols and renounce all your detestable practices!
‘“When any of the Israelites or any foreigner residing in Israel separate themselves from me and set up idols in their hearts and put a wicked stumbling-block before their faces and then go to a prophet to enquire of me, I the LORD will answer them myself. I will set my face against them and make them an example and a byword. I will remove them from my people. Then you will know that I am the LORD. ‘“And if the prophet is enticed to utter a prophecy, I the LORD have enticed that prophet, and I will stretch out my hand against him and destroy him from among my people Israel. They will bear their guilt – the prophet will be as guilty as the one who consults him. Then the people of Israel will no longer stray from me, nor will they defile themselves any more with all their sins. They will be my people, and I will be their God, declares the Sovereign LORD.”’                   EZEKIEL 14:1-11.


At the time of Exodus of the Israelites from Egypt, God instructed Moses to begin a new calendar, starting in “Nissan”: ‘This month is to be for you the first month, the first month of your year’ (Exodus 12:2). A Hebrew civil affair calendar usually begins in “Tishrei”, the seventh month (September or October) in the Bible, while a Gregorian calendar begins in January and ends in December. This new calendar marked a new start for the Israelites as an independent nation severed from slavery and idolatry in Egypt, heading for the promised land around 1446 BCE.

This year the first day of the Hebrew month of “Nissan” falls on Saturday 17 March and the feast of the Passover falls on 31 March, which was first observed by the Israelites in Egypt on the night when God’s judgment fell on all the gods of Egypt and God’s people were delivered from her bondage through the sacrifice of a lamb without blemish or defect for each household. Around two thousand years ago Jesus Christ died on the cross on the same day, 14th of “Nissan” as ‘the Lamb of God, who takes away the sin of the world’ to completely (once and for all) deliver sinners from the bondage of sin into eternal life through faith in Him, and a new era of salvation by this new covenant began.

Throughout Israel’s history and also the whole world’s history, idolatry has been rampant. It continues to fill the earth since the fall of the first man. In the Old Testament times God continually sent prophets to Israel and condemned idolaters and warned of impending, inescapable judgment. Nevertheless, as prophet Ezekiel depicted, while pretending to be religious and pious, even the elders conformed to multiple religions, whether obviously or secretly in their hearts. Acknowledging the fact that only God is able to judge what is in man’s heart, it is apparent that man cannot be saved by law-observing because it is impossible for man to follow all the law. If God had not sent Christ as His means of salvation for us, sinners, our destination after death would have been hell, eternal destruction and suffering.

Despite God’s continual warnings, the world is getting worse and worse, accelerated by the increase in a Godless society, of distortion of the truth and of idolatry, as prophesied in the Bible as being characteristic of the end times. According to Rabbi Nir Ben Artzi’s prediction last year, dark powers such as witchcraft and black magic are to re-emerge in the world, seeking to usurp God’s rule in the year of 2017 and 2018. He compared the spiritual condition in the present world to Egypt just before the Exodus of the Jews. The Breaking Israel News says that witchcraft and idolatry are actually increasing, ‘sometimes in insidious manners that present this ancient evil under a multitude of guises that make it appear benign, innocent, or even a positive cultural element’ (Line added), by presenting ten of its examples in the past years.

The following examples show how much UN, UNESCO and leaders of the seven largest economies representing more than 64 percent of the net global wealth are connected to pagan idolatry. The article points out: ‘The United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization was formed to promote peace and security through science and education. Nowhere in its charter does it say the organization should deal in idolatry but last year, pagan gods featured prominently in two of its exhibitions (which are depicted in the following No.6 and No.7 )’(Line added). Biblical scholars associate the Lion Idol “Al-Lat” of No.7 with the goddess; ‘idol of jealousy’ in Ezk.8:5.

Due to the insidious ways in which idolatry and witchcraft are being re-introduced into this world, we need to keep watch, pray for discernment and God's protection so that we will not fall in the end times!         
〔Click on all above 10 links to get more information〕

メアリー・ジェインの手紙と宣教報告 : 2018年 3 月 18 日

ナグササのアエタ部族を四年ぶりに訪問

3月18日

フルダミニストリーの皆さま

ご連絡をいただきながら、二月以降、返事が遅れて申し訳ありません。
フィリピンのミニストリーについてご報告します。

1月27〜28日

パンガシナンのウルビズトンドにある教会が設立後初めての一周年を迎えたので、多くの人々が方々からお祝いに駆けつけ、私たちは大変恵まれた時を過ごしました。

パンガシナンの教会について、1月24日のメールから抜粋
1月27日は私たちが祈り、支援してきたパンガシナンの教会の一周年になります。主をほめたたえます。
二十一歳の牧者ヨシュアは多くの困難の中で誠実に勇気を持って信仰の良き戦いを続けてきました。彼はサワト、マンガタレン、マラシクイ、バヤムバング、ボノルの各地区で聖書研究会を立ち上げました。
一周年を祝うため、私たちはオスの羊一頭をほふり、持って行こうと思っています。リクリクが運転手を務めてくれます。彼は伝道所/農園に私の父と一緒に住み、引き続き私たちのミニストリーの助け手として働いています。一方、農園では、デュマガット部族のロビンが羊と豚の世話を手伝ってくれています。どうか彼らが給金、手当のために働くのではなく、主の備えに目を留め、主にあって真の敬虔な信仰を持ち、まず主の力のある働きをじかに経験できるようにお祈りください。


2月

私は小児麻痺にかかったマーロンの息子に会いに行きました。そして治療を受けている病院にも行ったところ、一週間に二〜三回は通院して治療が必要とのことで、私は何がしかのお金を置いてきました。

そのあと、ナグササに住むアエタ部族を訪問しました。ここへは2014年、牧者平野師とFFNチームが訪れ、私も四年ぶりの訪問をしました。
この部族は先祖の土地からの立ち退きを迫られるという問題を抱えています。私が最初に訪問した2013年に、もうすでに、海岸沿いの地域に興味を持った、ある組織と土地に関わる争いが起こり、彼らは私に助けを求めました。私は彼らに「私は、あなたがたを助ける立場には立っていません。私ができることは現状について祈ることだけです。私たちは蟻で、巨人(組織)と戦っているようなものです。しかし、私たちには宇宙を支配する神がおられ、私たちのために戦っておられます」と言いました。

そして今回、訪問したときには、彼らの先祖代々の土地に関する新たなトラブルが地方政府との間で生じていました。彼らは私に「マニラに帰ったら大統領に会ってこの問題を話してほしい」と頼みました。私は彼らに「私は大統領に会うことはできないが、もしあなたがたが直接、大統領に会うためにマニラに来るようなことがあれば、宿を提供することはできる」と話し、彼らと土地問題について祈りました。
帰途、この問題のことが私の心に重くのしかかり、その後数日間は無力感で気分が落ち込んでしまいました。

3月初め

ポラクとカワグに住んでいるアエタ部族を訪問し、そこで五日間滞在しました。
そこには彼らの所有する広大な空き地があり、彼らは以前、この空き地で私たちとともに野菜を栽培していたのですが、野菜の栽培時期は三〜八ヶ月でした。
今、彼らはバナナを栽培してスビクあるいはサンマルセリノの市場で売っています。彼らは私に「カワグでもバナナ農園を開設することができる」と言って、彼らは私に、この土地で一緒にバナナ農園経営をしないかと、誘いをかけてきました。

バナナ農園経営のプロジェクト
私は資金がないので小規模ならスタートできるかもしれないと返答しました。もしフルダミニストリーの皆さんがバナナ農園経営の資金援助をしてくださるのであれば、彼らとのバナナ農園プロジェクトを考えたいのですが…………

このプロジェクトでは、スビク、サンマルセリノなどの地域の五十から百世帯のアエタ部族の生活支援ができると思われます。バナナは野菜栽培と違ってそれほど手間をかけることなく栽培できます。フルダミニストリーの他にも、このプロジェクトに賛同して資金援助をしてくださるパートナーを見つけることはできないものでしょうか。神さまが人々の心に触れて、そのような思いをいだかせてくださることを祈ります。

伝道所、有機農園について
ところで私たちの伝道所/農園についてですが、農園を手伝っていたリクは現在、故郷アブラに帰っています。私は彼の知人で小児麻痺にかかったイポトの診療代とリクの家族のためにお金を送りました。
リクによれば医者の診断では、イポト(22歳)は長年同じ姿勢で寝たきりでいたため、肋骨、関節などが固まってしまい、膝、肘を曲げることができないとのことです。アブラではもうどうすることもできないので、マニラのどこかの施設で彼をみてくれるところがあればよいのですが、見込みはありません。彼の母親は家族を捨てて他の男のもとに行き、父親はアブラには帰らず、イポットのほかの兄弟は親戚に預けられ、祖母がイポトの面倒をみています。  リクリクの報告参照

私の家族ですが皆元気に過ごしています。しかし家族として多額の借金があり、来年末までに返さねばならず、そのために母親の土地を今売ろうとしています。よい買い手が現れるように、また、このような金融状態から一刻も早く解放されるよう、祈っています。皆さまによろしくお伝えください。

多くの愛と祈りをこめて   メアリー ジェイン

第269号  詩篇129-131篇

「都上りの歌」の第四部に反映されている逆境、艱難のとき


逆境のとき、神の民は忍耐を学ぶ。自分で自分を救うことのできない「罪人」にできることは、神の約束に信頼し、主権者なる神の救いのわざを待つことだけ…

「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。」さあ、イスラエルは言え。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった。耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った。」主は、正しくあり、悪者の綱を断ち切られた。シオンを憎む者はみな、恥を受けて、退け。彼らは、伸びないうちに枯れる屋根の草のようになれ。刈り取る者は,そんなものを、つかみはしない。たばねる者も、かかえはしない。通りがかりの人も、「主の祝福があなたがたにあるように。主の名によってあなたがたを祝福します」とは言わない。
主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそ、あなたは人に恐れられます。私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。主は、すべての不義から、イスラエルを贖い出される。
主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。
イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。   詩篇129-131篇


信仰と繁栄との深い関りが経験的に美しく描かれた詩篇128篇から一転して、苦しい忍耐のときを描写しているのが、「都上りの歌」の第四部、詩篇129篇から131篇です。ここに歌われているのは、艱難からの救いを求める祈りです。129篇で、苦悩のただ中で解放を求めて祈りをささげる詠み手は、イスラエルの民がエジプトで隷属状態にあった過去を思い出し、むちが当てられ、深く長い傷跡の刻まれた背中に象徴される、ひどく長い年月に亘った苦しみの連続にもかかわらず、今も生き残ってここにいる奇蹟を証しすることで、正しく導いてくださった主を仰ぎ、敵へのさらなる勝利を宣言しています。
実際、次から次へと新たな困難に直面するたびに神を求め続けてきたイスラエルの民の歴史は、ただ神の憐みと救いを求める民の祈り、祈りに次ぐ祈りだけが「シオンを憎む者」に対する唯一の抵抗手段であることを証してきました。敵の「伸びないうちに枯れる屋根の草のように」短い繁栄と不作を、また、敵が近隣諸国から孤立するようにと求めてただ義なる主にすがりつく信仰が、今日までイスラエルを支えてきたのです。

終わりの見えない神の懲らしめに遭ったとき、どのように応答するかには人の側の選択が迫られます。
1.神を侮りののしる
2.神に頑強に抵抗する
3.打ちひしがれ気力を失う
4.神の御旨を受け入れて服従し、試練が無駄にならないようにと祈る
の四通りの選択肢があります。
130篇は、イスラエルの選択が、四番目、―憐みの神にすがり、恩寵による解放をひたすら待ち続ける― であったことを反映しています。祈りは、1節と3節では憐れみの神、贖い主なるヤーウェに向けて、2節では主権者なる主アドナイに向けて、赦しの哀願になっています。詠み手は、神が人を不義がゆえに裁くおつもりはないと確信しています。もし神が厳しい裁きを執行されれば、だれも救われる者はいないからです。「罪人」(すなわち、全人類)はすべて失われることになるからです。

神は、人にとってまことに畏れ多き方です。それは、神が人には自力での克服不能な「不義」を恩寵によって赦し、罪に対する勝利をもたらしてくださるからです。詠み手は、ただ希望もなく失望の状態で神を待つというのではなく、神の約束と真実、御言葉に顕された真理に堅く立って、心底から「私は主を待ち望みます」と宣言しています。
家畜のための、あるいは、軍隊の「夜回り」、すなわち、夜警は夜明けにもたらされる安全を確証していたので、朝の訪れを今か今かと待ったものでした。主の恵み/愛、贖いを確証している詠み手はそれ以上に大きな期待で主を待ち望んでいます。ですから、全イスラエルに、罪を悔い改め、主の赦しに入れられ、主に望みを置き続けるようにと、呼びかけているのです。

続く131篇では、解放を求める祈りに究極的な答えを与える「ダビデの詩篇」が挿入されています。謙遜な羊飼い、勇気ある武将、多くの賜物に恵まれた戦術家、真の神の人、イスラエル史上最大の王としてイスラエルの領土を広げ、多くの富を増し加え、息子ソロモンに神殿建設の考案、人材、資材、財源のすべてを委譲したダビデは、この詩篇で

主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません…イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て

と、人生の真髄、―神に栄光を帰し、自分は神の御働きを地上で成し遂げるための器として神の指示を仰ぎ、待つ― を語っています。詠み手は、自らの人生、生活様式が神以外のものに占められることはないと宣言し、神と神を慕う者との関係を、愛のきずなで結ばれた母親と幼子との絶対的な信頼関係にたとえ、神に対するしもべの真の謙遜と忠誠を表明しています。

「都上りの歌」の第四部、詩篇129篇から131篇に反映されているメッセージは何でしょうか。ここには預言的に、艱難期に自らを謙虚に顧みるユダヤ人たちの姿が描写されているようです。第三部は、巡礼の旅路にあるイスラエルにとっての最高潮、神殿再建に至り、エルサレムにもたらされる究極的な解放と祝福、平和を仰ぎ見た預言的祈りで締めくくられたのでした。ところが、続く第四部は、神殿礼拝復興の喜びどころか、苦しみの中から神を求める艱難期の描写です。
この「都上りの歌」に預言的に描写されている、逆境に再び引き戻される厳しい巡礼の旅路は、預言者ダニエルやキリストも預言されたことでした。キリストは、終末末期にエルサレムに起こることを

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば…そのときには…ひどい苦難がある…(マタイ24:14-21、下線付加)

と警告されました。神殿/聖所が、自分こそ神であると主張する反キリストによって占領され、汚されること、その出来事が「大艱難期突入」を画するしるしになることを明確にされたのです。

キリストのお言葉によれば、ご自分の再臨前にエルサレムに再建される神殿は、反キリストによって汚され、あるいは、破壊されることになり、預言者エゼキエルが詳細に描写した地上に成る「神の国」の神殿ではないのです。反キリストが正体を現わす前に神殿が建てられるとすれば、それがエルサレム第三神殿、エゼキエルの神殿は第四神殿になります。

イスラエルのメディアBINがリストに挙げた、2018年に成就が期待されている聖書預言五つのうちの一つは神殿再建です。ロシアのプーチン大統領は数年前イスラエルを訪問したとき、神殿再建を願い、祈るために神殿の丘を訪ねたといいます。イスラエルは、このプーチン大統領の願いが、イスラエルを支持している米国のトランプ大統領の方針と相まって、霊的遺産としてのエルサレムに対するユダヤ人の権利を大々的に支持する政治的条件を生み出すことができればと、期待しているのです。2018年初頭、現在の復興サンヘドリンは、異邦人国の指導者たち、―プーチン大統領とトランプ大統領― に、このことを思い起こさせるべく、聖書の預言を引用して手紙を送ったとのことです。

キリストが引用されたダニエル書9:27ほか、パウロも、テサロニケ人第二2:3-4で

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい、なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

と、「主の日」、すなわち、「主の再臨」直前に中東イスラエルで出来事がどのような順で起こるかを明確に告げ、同時に、反キリストが現れるとき、エルサレムに神殿、―少なくとも、「神の宮」を象徴する「聖所」― が存在していることを明らかにしています。したがって、「都上りの歌」の第三部から第四部への衝撃的な変遷は、2018年にエルサレム神殿が再建されることになれば、それに続いて起こることの預言になります。

イスラエルのメディアBINが挙げているその他の四つのリストは、
1.米国大使館のテルアビブからエルサレムへの移動
「『わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする」(イザヤ書42:6、下線付加)の預言の成就として、神ヤーウェの民イスラエルが本来の役割を担うことが期待されている

2.イスラム教スンニ派とシーア派の分裂
「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう」(創世記16:12)との預言通り、アラブ人世界を独占してきた「イシュマエル」の子孫の兄弟間での争いは今日に至るまで絶えない。イランとサウジアラビアの関係が悪化している今世紀、ラビたちは十三世紀に告げられた預言「ペルシャの王(イラン)がアラビヤの王(サウジアラビア)を憤らせるとき、アラビヤの王がエドム(西欧)に助言を求め、ペルシャの王は全世界破壊に乗り出す。全諸国民がいがみ合い、メシヤが顕れる」を思い起こしている
 
3.北朝鮮の脅威
北朝鮮がイランの軍事援助を受けていることから、北朝鮮の核武装はイスラエルにとっても脅威とみなされており、1967年の六日戦争と1973年のヨム・キプル戦争を正確に預言したラビ、レビ・サーディア・ナフマニをはじめ、北朝鮮を警戒するユダヤ人は多い 

4.ダビデ王朝の再興
預言者エレミヤは「ダビデには、イスラエルの家の王座に着く人が絶えることはない」(エレミヤ書33:17)と預言したが、家系図によると、ダビデから八十七世代を経たミッチェル・ダヤンというユダヤ人をはじめ、今日もダビデ王の血筋の人たちが生存している。イスラエルでは日増しにダビデの血筋のメシヤによるダビデ王国の再興が待ち望まれている。

#269: ERRONEOUS IDEOLOGIES IN THE CHURCH SOULD BE EJECTED

ERRONEOUS IDEOLOGIES IN THE CHURCH SOULD BE EJECTED
Nehemiah's passion for the truth of God’s Word, whatever the cost or consequences is regrettably missing and sorely needed among pastors and leaders today. ...
Before this, Eliashib the priest had been put in charge of the storerooms of the house of our God. He was closely associated with Tobiah, and he had provided him with a large room formerly used to store the grain offerings and incense and temple articles, and also the tithes of grain, new wine and olive oil prescribed for the Levites, musicians and gatekeepers, as well as the contributions for the priests. But while all this was going on, I was not in Jerusalem, for in the thirty-second year of Artaxerxes king of Babylon I had returned to the king. Some time later I asked his permission and came back to Jerusalem. Here I learned about the evil thing Eliashib had done in providing Tobiah a room in the courts of the house of God. I was greatly displeased and threw all Tobiah’s household goods out of the room. I gave orders to purify the rooms, and then I put back into them the equipment of the house of God, with the grain offerings and the incense.
I also learned that the portions assigned to the Levites had not been given to them, and that all the Levites and musicians responsible for the service had gone back to their own fields. So I rebuked the officials and asked them, ‘Why is the house of God neglected?’ Then I called them together and stationed them at their posts. All Judah brought the tithes of grain, new wine and olive oil into the storerooms. I put Shelemiah the priest, Zadok the scribe, and a Levite named Pedaiah in charge of the storerooms and made Hanan son of Zakkur, the son of Mattaniah, their assistant, because they were considered trustworthy. They were made responsible for distributing the supplies to their fellow Levites.
Remember me for this, my God, and do not blot out what I have so faithfully done for the house of my God and its services.          NEHEMIAH 13:4-14.

‘Tobiah’ the Ammonite in the passage above had been one of Nehemiah’s archenemies, who had opposed the wall-building in the city of Jerusalem. However, during Nehemiah’s absence from the city for a few years in order to return to the Persian king Artaxerxes’s court, Tobiah moved into the temple. When Nehemiah returned to Jerusalem he was shocked to find that ‘Eliashib’ the high priest in Judah had prepared a large room in the temple for Tobiah.
The chamber he occupied had been one of the temple storerooms, ordinarily set aside for the storage of tithes and other offerings such as grain. Eliashib and Tobiah were closely related by familial ties and Tobiah used this influence over Eliashib to his advantage to enter the temple and oppose God’s work while pretending to assist it.

Eliashib had once joined in restoring the walls but now he had allowed an opponent to reside inside the temple complex. Nehemiah took a drastic action, in which he ‘threw all Tobiah’s household goods out of the room… gave orders to purify the rooms, and then… put back into them the equipment of the house of God’, which expressed his anger and which reminds us of Christ’s holy anger against money changers in the temple area. Nehemiah not only rebuked the Jewish officials who had neglected their duties overlooking the work of the temple, but he also took action to correct the problem and he was able to plead with the Lord;
Remember me for this, my God, and do not blot out what I have so faithfully done for the house of my God and its services. 
Nehemiah was one of the few leaders whose motive throughout his ministry was genuine and dedicated to simply please and to serve the Lord wholeheartedly. His passion for the truth of God’s Word, whatever the cost or consequences is regrettably missing and sorely needed among pastors and leaders today.


I have read an interesting article on “Psychology and the Evangelical Church”, in which the author T.A. McMahon appropriately likens ‘Tobiah’ who hindered Nehemiah’s project for the Lord from within to “so-called Christian psychology”, putting it:
The Book of Nehemiah gives us a picture of what's happening in the church. Nehemiah (his name means "Jehovah is our comforter") is a type of the Holy Spirit. God sends him to rebuild and strengthen Jerusalem. Under the guise of helping Nehemiah, enemies of Israel attempt to subvert the restoration. Incredibly, the priest gives one such adversary, Tobiah, a room within the Temple. So it is with so-called Christian psychology today. How serious is this psychologizing of the church? Although devastating even now, Scripture tells us that it will far exceed what we can imagine. The Apostle Paul is emphatic in his warning (2 Timothy 3:1-5) that "in the last days" man's condition will be "perilous." That warning begins with a characteristic that is the cornerstone of humanistic psychology and which Paul indicates (verses 2-5) is the source of a host of evils: self-love. 
In it the author lists three erroneous ideas and he explains each of them in detail, reminding us of the fact that psychology and the Bible are basically opposed:
1.Psychotherapy is a scientific endeavor
2.Counselling is for professionals only
3.Christian psychology reconciles science and faith.

The following is an editorial review of the book ‘Psychology and the Church’ by amazon.com.:

For nearly two thousand years prior to the rise of modern psychiatry and psychotherapy, the church ministered to believers who were experiencing mental, emotional, and behavioral problems by using the teachings of the Scriptures and through the power of the Holy Spirit. Contemporary Christianity’s embrace of psychology raises an important question: Was there an insufficiency on the part of God’s Word and His Holy Spirit during those two millennia, making it necessary for the church to turn to modern psychotherapy in order to more effectively address a Christian’s problems of living? In the history of contemporary Christendom, no secular enterprise has had such a profound influence on Christianity as has psychological counselling. The critical question raised by these developments is: Have they been helpful or harmful to the body of Christ? Dave Hunt and T.A. McMahon, co-authors of The Seduction of Christianity, unearth the roots and expose the results of Christianity’s embrace of the beliefs of Freud, Jung, Rogers, Maslow, and others. Using content compiled from past feature articles in The Berean Call newsletter, the authors also contribute new material and tackle answers to tough questions in a special Q&A section.