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第268号  詩篇123-128篇

「都上りの歌」の中心的ビジョン、エルサレム神殿再建

預言的洞察で祈られた「都上りの歌」の中心はエルサレム神殿再建のビジョン、まさに、私たちの時代に実現しようとしている、イスラエルのメシヤ、イエス・キリスト来臨の予兆となる出来事を眺望…

あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで …
「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え …ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天を造られた主の御名にある。
主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。悪の杖が正しい者の地所の上にとどまることなく、正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである。主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、いつくしみを施してください。しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを、不法を行う者どもとともに、連れ去られよう。イスラエルの上に平和があるように。  詩篇123-125篇
主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」…主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰ってくる。
主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい …主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。見よ。子どもたちは主の賜物。胎の実は報酬である …
幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう …見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。主はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。    詩篇126-128篇


イスラエルの族長アブラハム、イサク、ヤコブに約束されたように、イスラエルの首都エルサレムが、全世界の首都として樹立されるまでには、紆余曲折を経なければならないことが、詩篇120篇から134篇の「都上りの歌」に祈りの形で、預言的に洞察されています。この驚くべき詩篇を今月も引き続き、考察することにしましょう。
三篇ずつの五連詩で構成されているこの巡礼の詩篇の最初の部分三篇を先月取り上げました。今月は、この祈りのパタンが繰り返されている第二と第三の部分、123~128篇を考察します。第二の部分は、天上の神に向かってユダヤ人の「約束の地への復興」を願う祈りが、苦悩の叫びに続いて苦悩から主への信頼、解放と祝福の描写、という第一部と同じパタンで構成されています。
続く第三の部分は、「神殿礼拝復興」を求める祈りですが、五連詩のこの真ん中の部分には、第一部、第二部と同じ祈りのパタンは見られず、「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった」と、神殿礼拝復興を眺望した喜びの表明に続き、全十五篇の中心127篇で、エルサレム第一神殿を建立したソロモンの詩篇を導入することで、神殿再建に焦点が当てられています。第三の部分の締めくくりの128篇は、エルサレムに究極的な解放と祝福、平和を仰ぎ見た預言的祈りになっています。


エルサレムの平和がますます遠のいたように見える幕開けとなった2018年に、二千四百年近くも前に編纂され、預言的洞察で祈られたこの「都上りの歌」の眺望がどのように成就することになるのでしょうか。すでに成就した数々の預言だけでなく、まだこれから成就することになる多くの預言が網羅されている聖書は神が源なので、記されている預言は百パーセント成就することが期待できます。賛美、祈祷書とみなされている『詩篇』も多くの預言を含んでおり、特に使徒パウロの初代教会時代以降の終末の末期、すなわち、今日に関わる預言が含まれているのです。「都上りの歌」もその一つで、まさに私たちの時代は、この神殿再建預言の成就を待っている時代といえます。

これらの預言的詩篇が「都上りの歌」と名づけられた種々の理由のうちでふさわしいと思われる解釈は二つあります。バビロン捕囚にあったイスラエルの民が七十年を経て約束の地に本国帰還したときの「アリヤー」を象徴的に「都に上る」とみなしたという見解と、イスラエルの民が、年に三回巡礼の義務づけられた「主の例祭」を守るため、都エルサレムに上ったことへの言及とみなす見解です。
西暦七十年にエルサレム第二神殿の崩壊で全世界に四散後、捕囚先各地から本国への帰還はイスラエルの場合、十九世紀後半から1948年の建国までに五回起こっています。1882年から1904年にかけて、ロシアからの大規模移民、1904年から1914年にかけて、ロシア、ポーランドからの大規模移民、1919年から1923年にかけて、おもにロシアからの大規模移民、1924年から1932年にかけて、おもにポーランドからの大規模移民、1933年から1939年にかけて、おもにドイツからの大規模移民です。これらの「アリヤー」はイスラエル建国後も今日に至るまで引き続き起こっており、ロシア、ウクライナ、モルドバ、フランス、英国、ドイツ、オランダ、ベルギー、アルゼンチンからのさらなる移民が予期されています。


イスラエルの歴史をさかのぼると、北イスラエル王国がアッシリヤに滅ぼされた後、南ユダ王国のヒゼキヤ王、―多くの詩篇と箴言を書き残し、強い信仰に生きた王― は、エルサレム神殿を聖め、神殿礼拝を復興させました。不治の病を信仰の祈りで克服したヒゼキヤ王に、神は十五年の寿命を加えられ、その癒しの確証を求めた王に、さらに神は「アハズの日時計」に針が十度戻る奇蹟を起こし、しるしとされました。ラビや学者たちの間では、この奇蹟の十度が「都上り」のステップに関連するという見解が採られています。
ヒゼキヤ王に加えられた十五年の寿命の間に、六年ごとに一箇月を加えることにより暦が変えられ、このとき以降、一年は360日から365.25日になったと、ラビたちは伝えています。興味深いことに、ローマ人もエジプト人も、そのほか世界の各国でこの時期に暦を変えたことが記録されているのです。

癒されたヒゼキヤは「主は、私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で琴をかなでよう」(イザヤ書38:20)と、日時計の「十度」に因んで喜びの詩篇を十篇作り、それにダビデの詩篇四篇とソロモンの詩篇一篇を加えて十五篇とし、自分に加えられた十五年の寿命の記念、覚えにしたといいます。
「仮庵の祭り」のとき、祭司が神殿の十五の階段を口ずさみながら上ったこれら「都上りの歌」には、約束の地への復興、神殿建設、艱難、メシヤの御国到来にかけての預言的眺望が祈りの形で歌われていますが、これらの預言の成就に向けての過程は二十世紀に始まり、今日急ピッチで完成に近づいているのです。

敵にあざけられ、さげすまれている詠み手を憐れんでくださいと、神のご介入を願った123篇は、加害者への裁きを要請した苦悩の叫びの120篇を、今度は被害者への憐みの要請で繰り返したものです。
第一部と同じ祈りのパタンの第二部の後、第三部(126篇~128篇)は、眼前に信じられない光景を見た驚きを、エルサレムの夢のような繁栄、灼熱の太陽が照りつけるネゲブ砂漠を流れる川、奇蹟的な収穫の喜びで表現し、主が建てられる「家」、すなわち、願望の神殿建設、主が守られる「町」,すなわち、エルサレムに訪れる平和、を眺望するクライマックスになっています。
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう」は祈りではなく、民の主への従順こそ、主が奇蹟を起こし、願望を確かな祝福へと変えてくださるという確信の表明で、「種」に宿してくださった主の力を信じる者、「種」に働かれる主のわざを信じる者は、自分が信じたもの、収穫を刈り取ることになるのです。

127篇で生命の宝庫、「種」に関連づけて言及されているのは子孫の誕生、―生命を司る創造者からの賜物― で、主に信頼する結果、主は愛する者に必要なものをすべて喜んで与えてくださることが明確に語られています。
すべてを備えてくださる神に信頼し、神に安息するとき、人生の野望、目的、義務、人間関係、楽しみ、喜びをはじめすべてが、間違いなく神の最善へと導かれるのです。イスラエル、エルサレムに訪れる究極的な救いと祝福がイスラエルを象徴するぶどうとオリーブの木で描写されている128篇は、今日、ユダヤ人だけでなく、世界中が成就を見守っている預言です。


五連詩で構成されたこの巡礼の詩篇が眺望しているエルサレム神殿建立の動きは、トランプ大統領の「米国大使館をテル・アビブからイスラエルの首都エルサレムに移す」との宣言、1月18日に米国メディアが2018年末までに移動すると明言したことにより、にわかに高まっています。
イスラエルでは神殿再建のために二十世紀後半から着々と準備がされてきており、神殿奉仕に必要な聖具類、祭司の血筋の神殿奉仕者、装束、第三神殿の設計図、聖めに必要な調合油、香油、神殿での使用のためのいけにえ用の動物などすべてがすでにそろっています。神殿さえ建立されれば、西暦七十年で阻止された祭司制度が復興することになるのです。
この動きを確証するかのように、今年3月31日の「過越の祭り」、続く一週間の「種なしパンの祭り」の時期にベングリオン国際空港と神殿の丘の西壁、―エルサレム第三神殿― を結ぶ新高速列車が開通することになっています。高速道の交通渋滞とは無縁の鉄道は、世界中からの巡礼者たちと、彼らが携えて来るいけにえの動物を運ぶのに最適であるという実用面だけでなく、ヘブル語の列車「ラケベト」にはものを結びつけるの意があり、全イスラエルを集める主の例祭にふさわしい輸送手段なのです。
また数秘術で「ラケベト」と「神殿の丘」が622の同数値で関連づけられることや、列車、テル・アビブ、エルサレムがヘブル暦5778年に関連づけられて、創世記17章に「聖書の暗号」で織り込まれでいることなどから、ラビたちは
多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。(ゼカリヤ書8:22)

を引用し、この列車の開通がメシヤ到来の前触れとなると信じています。

#268: SUBMIT TO GOVERNMENTAL LAWS UNLESS IT CONFLICTS WITH THE BIBLE

SUBMIT TO GOVERNMENTAL LAWS UNLESS IT CONFLICTS WITH THE BIBLE

What is the lesson to learn from the persecution of the local government?

Dear friends, I urge you, as foreigners and exiles, to abstain from sinful desires, which wage war against your soul. Live such good lives among the pagans that, though they accuse you of doing wrong, they may see your good deeds and glorify God on the day he visits us.
Submit yourselves for the Lord’s sake to every human authority: whether to the emperor, as the supreme authority, or to governors, who are sent by him to punish those who do wrong and to commend those who do right. For it is God’s will that by doing good you should silence the ignorant talk of foolish people. Live as free people, but do not use your freedom as a cover-up for evil; live as God’s slaves. Show proper respect to everyone, love the family of believers, fear God, honour the emperor.
Slaves, in reverent fear of God submit yourselves to your masters, not only to those who are good and considerate, but also to those who are harsh. For it is commendable if someone bears up under the pain of unjust suffering because they are conscious of God. But how is it to your credit if you receive a beating for doing wrong and endure it? But if you suffer for doing good and you endure it, this is commendable before God. To this you were called, because Christ suffered for you, leaving you an example, that you should follow in his steps.
‘He committed no sin, and no deceit was found in his mouth.’
When they hurled their insults at him, he did not retaliate; when he suffered, he made no threats. Instead, he entrusted himself to him who judges justly. ‘He himself bore our sins’ in his body on the cross, so that we might die to sins and live for righteousness; ‘by his wounds you have been healed.’ For ‘you were like sheep going astray,’ but now you have returned to the Shepherd and Overseer of your souls.               1PETER 2:11-25.


I recently read an article about the forced demolition of the “Golden Lampstand Church” in Linfen in northern China's Shanxi province by “paramilitary troops known as the People's Armed Police” using excavators and dynamites. According to the Associated Press, on 9 January authorities in northern China's coal country demolished a well-known Christian mega-church, underscoring long-standing tensions between religious groups and the officially atheistic Communist Party.

The church was built using nearly $3 million in contributions from local worshippers in one of China's poorest regions. The church was built by husband and wife evangelists Wang Xiaoguang and Yang Rongli as a permanent home for their followers around ten years ago and had since grown to a congregation of more than 50,000, and had long clashed with the government. In an earlier crackdown in 2009, their Bibles were seized and church leaders were given long prison sentences, by being charged with illegally occupying farmland and disturbing traffic order by getting together, and in the end, the church was demolished by police and hired thugs.

In China, there are an estimated 60 million Christians. While many of them worship in independent congregations like the “Golden Lampstand Church”, millions of Christians, Buddhists and Muslims are said to worship in state-sanctioned assemblies as well. However, the facts are as follows:
the surging popularity of non-state-approved churches has raised the ire of authorities, wary of any threats to the party's rigid political and social control. Freedom of religion is guaranteed under China's constitution, so local authorities are often seen as using technicalities to attack unregistered churches. Charges of land or building violations and disturbing the peace are among the most common.

According to anonymous people, the church did not hold the necessary permits and it was illegally constructed in violation of building codes, although religious groups must register with local religious affairs authorities under Chinese law. Early in their evangelisation, when they started preaching in 1996, the founders are said to have established congregations in improvised spaces such as factory dormitories and greenhouses. While authorities did not block the church's construction, the couple and other church leaders were sent to prison at a later stage.

This article reminded me of Peter’s teachings over Christians’ behaviour. As quoted at the beginning, Peter taught that Christians should behave differently to the world. Christians’ real home is in heaven and so, Christians are pilgrims on earth, i.e., ‘foreigners’ (strangers) in the world. They are accountable as the Lord’s witness to maintain an effective testimony before unbelievers and their positive lifestyle would be a powerful means of convincing the world of its sin as Christ taught:
let your light shine before others, that they may see your good deeds and glorify your Father in heaven (Ma.5: 16). 

Also, Christians are responsible to abide by governmental laws with the right motivation for the Lord’s sake but not from a fear of punishment. It would be a good reminder for Christians that they are to observe man-made laws as long as those laws do not conflict with the clear teaching of the Bible, by carefully judging
which is right in God’s eyes: to listen to you (authorities), or to him? (Acts4:19).

According to Peter’s argument in his letter above, the organised persecution through oppressive Roman laws seems not to have yet reached the provinces of Asia Minor at that time. So then, Christians might have faced deceptions, false accusations and verbal abuse, but not torture or death yet, which means even Christians enjoyed the protection of a legal system that commended those who obeyed the law. Accordingly, a believer’s best defense against slanderous criticism was their good behaviour. Peter encourages Christ’s followers to always do good to glorify God as Christ Himself modelled in His life. Such an enduring living would be applied to any situation where unjust suffering occurs, which must be God’s will for His true followers, especially in the last days.



フレデリックの宣教報告、続き:2017年11月17日

「赦しと和解」の教会指導者研修会(ブルンジ、ガンクゾーにて)

2017年8月28日〜9月1日、レーマミニストリーは、ガンクゾーで「赦しと和解」の研修会を開きました。講師は私、フレデリック・ハレリマナと他二名です。ちなみに、ガンクゾーは首都ブジュンブラから240km離れたところにあり、道路は舗装されています。
この研修は、参加した人々の意見をまとめるとまさに時宜に適ったものでした。
研修の詳細はここ

分裂の教会事情

研修参加者が語ったことは次のようなものでした。
「私たち、合同メソジスト教会は二つのグループに分裂し、困難な時期を過ごしています。教会が二つに割れてしまったのです。このため教会は癒しがたい傷を負ってしまいました。いわば、幾人かはアポロにつき、他の者たちはパウロにつきのような状態になっているのです。ですからこの研修は大変重要なのです」と、ある牧者は語りました。

この研修を始めるにあたり、取り上げた話題「赦しと和解」に対して多くの質問が投げかけられました。たとえば、「病気であること」と「赦し」には関連があるのか?関係がないとすれば、イエスはどうして麻痺した人にあなたの罪は赦されたと言い、その人がたちまち癒されたのか?
別の牧者は言いました。「私たちの国と教会は、分派、殺戮、根深い嫌悪…という困難な時代を通り過ぎてきた事実を無視しているように思える。この問題は公には決して解決されてきていない。国民の間で、強い和解への努力がされることなく、多くが隠されたままになっている。ゆえに、この研修を受けている私たち自身がそのような本当の和解を始める絶好の機会である」と。

「主の祈り」の意味を再発見

本題に進んだとき、研修参加者は、自分たちがどんな風に「主の祈り」を祈っていたのだろうか、ただそれを唱えていただけで、一度も一分たりとも、祈ったことの結果を考えるために立ちどまったことがなかったのではないかと、思いを巡らしました。
彼らは主の祈りの中の聖句
私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人を赦しました
に深く心を動かされたのでした。言い換えれば、それは、あたかもイエスご自身が私たちに語っておられるかのようです。
「私たちが、私たちに負い目のある人を赦す度合いは、主が私たちを赦すのと同じ度合いである。あるいは、私たちが、私たちに負い目のある人を赦す目盛りは、あなたが私たちを赦すと同じ目盛りである。もし私たちが、私たちに負い目のある人を赦さないなら、主も私たちを同じように赦さないであろう」ということでしょうか。
なんと力強い啓示ではありませんか!


ある参加者は「果たして主は、私たちが祈ることを分かってくださるのだろうか、あるいは、それが見かけの祈りにすぎないとみなされるのだろうか。もし後者だったら、だれも天国に行けないだろう。私たちは実際、赦していないことに気づかされた」と、言いました。
また、別の参加者は次のように言いました。「イエスは、私たちが達成することが不可能なことを要求されたのだろうか? もしそうでないなら、どうして私たちの日常生活や教会で赦しが見られないのだろうか? その答えは、私たちが説いてきた福音が薄っぺらだった、ということだ」と。
研修参加者のために祈るフレデリック

研修は実りました。研修の終わりには、本当に多くの研修参加者が祈ってほしいと私たちのところにやって来ました。
彼らはひざまずいて祈りました。聖霊のご臨在は圧倒的で、真の悔い改めがなされました。
悔い改めの祈りをささげる研修参加者

祈りの後、参加者はお互いに赦し合うため歩き回りました。
またある参加者は「牧者が、他の人々に対して、悔い改めてあなたがたの敵を赦しなさいと主の前で説いても、私たち牧者自身の中に憎しみ、恨みがあるのは残念なことだ。私たちの人を赦さない行動、習慣をもう終わりにしようではないか! もしそれができなければ、私たちは天国の門に入ることを許されないだろう。私たち牧者は、人々の肩の重荷を積み上げるのではなく、私たち自身が実践に生きることがらを、説教し教えていくときが来たのだ。赦しと和解が今後、私たちの説教の中心にならなければならない」と述べました。
ブグス・マシウ牧師(合同メソジスト教会、ガンクゾー地区総監督)は神に、研修参加者が他人を赦すことができるように、聖霊の力が降り注がれるよう祈り願いました
マスマリ・エドウド牧師(合同メソジスト教会、リュイギ地区総監督)も、「主よ。あなたが私たちを赦されたように私たちも他の人たちを赦すことができるよう助けてください。そしてお互いが和解できるように恵みを与えてください」と祈りました。
ある人々は静かに祈り、中には、泣きながら自分の赦せない心を赦してください、和解ができていないことを赦してくださいと、神にすがり、祈る人たちもいました。

「あぁ、神さま、我々をお赦しください!」

この時宜を得た研修をやり終えることができ、研修中、神が私たちとともにいてくださったことを感謝し、神をほめたたえます。

フレデリック・ハレリマナ


フレデリックの手紙と宣教報告:2017年11月17日

中部アフリカ、ブルンジのフレデリックから宣教報告

2017年4月24〜28日、ブルンジのニャンザラクでの教会指導者研修報告

ニャンザラクでレーマミニストリー(フレデリック主催)による教会指導者研修が4月24〜28日に行われ、私、フレデリック・ハレリマナと他二名が研修の講師を務めました。
「聖書的な執事とは?」のコース(講座)は過去に終了していましたので、今回は基本的なコースとして『テモテへの手紙第一』を学びました。

終えたコースを振り返っての 評価

『テモテへの手紙第一』を学ぶ前に、私たちは一日かけて、以前「聖書的な執事とは?」のコースで学んだことを研修参加者が実際にどのように実践しているのかについて評価をしました。彼らは、そのコースを受講したことによって、いかに自分自身や自身の考え方が変えられたかを語り、私たち講師は大いに喜び、励まされました。教会執事の講座は一人ひとりの全人間を霊的、物理的に扱うコースなのです。

研修参加者は、先回の研修の後どれだけ多くの木々、アブラヤシを植え、実を実らせたか、またトイレのための穴を掘ったかを語り、さらに今回のコースを受けた後は、それぞれの教会で聖書の学びの会を始め、信徒に今回の研修の内容を教えると誓いました。
こうした評価活動は大変重要です。
というのは私たちが彼らに提供する講座が、どのようにして彼らの宣教活動に役立っているかを知ることができるばかりか、彼らから私たちも学び、研修方法を改善し、私たち自身の教育経験の積み上げができるからです。

今回のコースのテーマ『テモテへの手紙第一

研修参加者は、この手紙が教会の指導者に宛てられただけでなく、多くの信徒をも対象としていることを再認識しました。
というのは、この手紙は公衆の前で音読され、信徒の行動、態度について扱っているからです。むしろ牧者に宛てられたというより、全キリスト者を対象とした書簡で、研修参加者が思いもしなかった事柄について言及しています。

まず言葉についてですが、参加者は書簡の中で使われている言葉は大変意味が深いということに気づきました。すなわち、パウロはすべての手紙の書き出しで定型の文章を用いていますが、この手紙については別の重要な言葉を加えて、他の手紙とは幾分違った形にしています。その言葉とは「憐れみ」です。
この手紙を読み進めていくと、パウロは自分が憐れみを受けるにふさわしくない者であるのに、神/キリストからいかに多くの憐れみを受けたか、また、かつて神への冒涜者でありながら、神から憐れみをいただき使徒とさえ呼ばれるに至ったかを語っています。
もしそのような恵みが神からパウロに与えられたのであれば、神はいかなる状況にいるどこのだれでも救うことのできる方ということです。贖われない人はいないのです。

 挑戦

研修参加者が多くの時間を割いて取り組んだのは「破門(信仰の破船)」という問題でした。彼らは、パウロが、二つの事例で「信仰の破門」を語ったことを認識しました。
一つはアレキサンデルとヒメナオの事例です。パウロは彼らをサタンに引き渡しました。もう一つは異邦人でさえもできない、あるいは、しない罪の事例です。

最初のケースでは、これら二人が信仰を捨て、異端、間違った教えを唱えたために、パウロが彼らに警告したにもかかわらず、彼らが異端信仰をやめなかったので、信仰者を守るために取らなければならなかった行為でした。間違った教え、教義は野火、毒のようなものです。研修参加者は、過去、そのような問題に対してどのように対処してきたかについて多くの意見を交わし、同時に、宿題としても持ち帰りました。
他方で、研修参加者は教会活動、運営に関して、これまでの方法や関わり方を変えていくという誓いをしました。彼らはタンガニカ湖の周辺を拠点として宣教を行っていますが、その地域は間違った教義が語られている一帯です。信徒をそのような教えから守るために彼らが戦っている現状をかんがみると、今回の研修はまさに時宜を得たものでした。

研修参加者のあかし

例一
「会衆自身が悔い改めなければならない、私はそのことに焦点を当ててきました。私はそれが教える理由だといつも考えていました。私が説教に努める理由は、会衆が純粋な心、安らかな心そして本当の信仰からくる愛によって満たされるべきであると、信じ、信じてきたからです。」

主催者として私は、もっと早くにこのコースを始めておればよかったと、感じました。
多くの女性が、教会の指導者としての資格を持っています。しかし、残念ながら私たち男性は間違って教えられてきたため、その結果、女性が教会での重要な役割を担うことを私たちが妨げてきたのです。
私見ですが、パウロが主張したことと、私たちが若いときから教えられてきたこととを比較し、関連させ、そこに焦点を当てると、私たちは教会の役員を任命する際には、もう一度原点に戻って考え直す必要があると思います。

例二
「私は、私たちキリスト者が自国の中で起きている事柄について責任があるとは考えもしませんでした。今私は、権力に対して祈ることについてのキリスト者の責任という面で怠慢であったことに気づきました。また、もし私たちが心と霊を一つにして団結すれば、ブルンジで起きている混乱の多くを回避できると思います。私の結論は次の通りです。キリスト者としてまた特に教会の指導者として、私たちに委任された教会のためになすべきことの正しい基本に戻るために、鞭打たれなければならないということです。」
研修参加者(牧者)、コースを終えて

 結論、―今回のコースを振り返って―

この書簡『テモテへの手紙第一』は私たちが毎日奮闘している諸問題を扱っているので、基礎的な学びのコースです。
このコースのために働いてくださった方々に感謝を申し上げます。このコースを終了した研修参加者はみな、各々の会衆に、違った方法で聖書を教えることができることでしょう。主が引き続き皆さまを支えてくださいますようにお祈りします。

メアリー・ジェインの手紙と宣教報告 : 2017年12 月27 日 2018年に持ち越される課題

2018年に持ち越される課題をあれこれ思いめぐらしています

2017年12月27日

フルダミニストリーの皆さま
おはようございます。E-mailをありがとうございました。
お返事が遅れてすみません。

その後、治療には行っていません。あまりにも高額だからです。
二人のアブラ出身の少年たちはこの15日、郷里に帰りました。そのため農園では、私がずっと作業をしています。まだ骨盤の痛みはあります。でも、痛み止めの薬を飲めば痛みはなくなるのです。

アエタ部族とともに過ごしたクリスマス

この24〜26日、私と娘はカワグとマルセリノのアエタ部族と一緒にクリスマスの礼拝と賛美で過ごしました。その間、隣の人に羊、豚の世話をお願いしました。
昨、26日、カワグから帰って来た際に、私の両親は農園の豚などすべての動物を売って農園を閉めるようにと話しかけてきました。そこで私は、それなら買い手を見つけるのを手伝ってほしいと両親に返事しました
そのとき両親は、腰が痛いのに農作業をしなければならない私がふびんでもう見ていられないから、農園経営をやめるよう勧めているのだと、心の内を分かってくれました。






意気消沈

少年たちについては、郷里からまた帰るのかそのまま郷里にとどまるのかを私は聞きませんでした。なぜなら、彼らは郷里に帰ることを楽しんでいるようだったからです。

このようなことが重なって、私はまたすっかり気落ちしてしまいました。どうか私のために祈ってください。ダニーが亡くなって以来、農園をしっかり管理してくれる人がだれもいません。このような現状を解決するためにどうか助けてください!と、私は今朝も主に祈り求めました。

お祈りください

今、農園には十匹の羊、四匹の子羊そして五匹の豚がいます。私の母は、いつもいつも、動物をすべて売りなさいと言ってきました。
買い手がいないわけではないのですが、ある買い手はそれぞれ一匹あたり3,000ペソで買うと言いますが、その値段は小さな山羊一匹の値段なのです。私が弱い立場にいるのを知って、足元を見て安い値段をふっかけているのです。でも私は今までそれに応じて来ませんでした。
羊はご支援いただいたお金で2016年に買ったもので、当初六匹だったのが今では十四匹に増えました。この地域で羊を飼っているのは私の農園だけです。
どうかこの現状についてお祈りください。

どうすることもできない現状を祈りつつ、

メアリー ジェイン





 

メアリー・ジェインの手紙と宣教報告 : 2017年11 月28 日 バタアンとパンパンガの境界に住むアエタ部族への宣教

パンパンガのアエタ共同体の子どもたちと

11月28日

子どもたちと一緒になって遊ぶことは何と楽しいことでしょう。
この子どもたちはカメラに写っている自分たちの顔を見るのは初めてで、みな、不思議そうに見ていました。また外部の人から贈り物をもらうのも初めてのことでした。
子どもたちはパンパンガ ポラクにあるナブクロドのアエタ共同体に住んでいます。この共同体には水道施設がなく、ペットボトルの水を飲んでいます。栄養失調の子どもたちがあちこちに見られます。

アエタの十代の少女たちの大部分はもう十四歳ごろから子持ちになります。 

先週の土曜日、アエタ部族の人々と賛美礼拝をしました。  

 

私の身体の癒しのためにお祈りください

11月29日

フルダミニストリーの皆さま
 
私は、超音波の検査に今日の夕方行ってきました。
医師の診断は、脂肪肝、胆嚢にポリープほかの臓器に筋腫があるというものでした........この二年間よくむくみが出たり、吐き気がしたりしていました。そしてこの二週間は、下腹部や骨盤あたりに激しい痛みが続いていました。
先月、脊柱のレントゲン写真を撮って検査をしたのですが、腰の一部の椎骨が薄く細くなってその間にある液状物質、あるいは腱が薄くなってきているとのことでした。
また、首の骨も真っ直ぐではないとのことも判明しました。
主が、このボロボロになっている身体を癒してくださいますように。
それではお休みなさい。

主にあって メアリー ジェイン


12月1日

フルダミニストリーの皆さま

口座のことでご心配をおかけしましたが、送っていただいたサポート資金が昨日、銀行口座に無事入金となりました。本当にありがとうございました。
この12月、私は何よりも最初に、あの赤ちゃんに会いにいくつもりです。

メアリー・ジェインの手紙 : 2017年11 月23 日  心の内を吐露

私の心の叫びを聞いてください!

11月23日

フルダミニストリーの皆さま
おはようございます。

私は、バタアンとパンパンガの境界に住むアエタ部族への伝道旅行の準備をちょうど終えたところです。私が調べたところ、そこはキリスト教会がなく、地方政府からの支援はほとんどなく、山地であるため非政府組織の人々も行ったことがありません。
私は百三十人の子どもたちと五十家族のために贈り物を用意しました。
私の末の弟がそのためのショッピングを手伝ってくれ、リクが運転をして、私と一緒に伝道に出かける予定です。

私の後、このミニストリーはどうなるのでしょう?

私はときどき、今日私が死んだらどうなるのだろうと思います。
だれも私の代わりにこのミニストリーをしないでしょう。
私の家族はこのミニストリーへの私の思い入れを理解しません。それどころか、両親は私の伝道に対していつも迫害者でした。
母はいつも、私が訪問している部族は希望のないどうしようもない人々で、いかに私が彼らを助けても彼らは変わらないと言います。そのことで私は傷つき時折、母親と口論になります。母は私に何をせよというのでしょうか?
自分たちのことだけを考え、贅沢な生活をしている私の兄弟のようになれというのでしょうか?
母は私のミニストリーに以前からずーっと消極的なのです。

「伝道基地と若者たち」の集い

昨年の11月15日、私はアンティオポロで行われた「伝道基地と若者たち」の集いに招待され、デュマガット部族について話しました。
そのとき、あるアメリカ人宣教師が私に向かって「デュマガット部族をほかの教会に送りこむ代わりに、なぜ、あなた自身が牧会をしないのか?」と、尋ねました。彼はまた、「教会を持つことは簡単だし、良いことだ。そこで説教し、幾つかの賛美歌を歌う、それだけだ」と言い、そして私に批判めいたことを言い続けたので、私は彼に、牧者としての召命を受けていないとだけ答え、その後は口を閉じました。
私は、個々の部族の人たちの救いのために、彼らの生活の場に出かけて伝道したことはなく、市街地でプラカードを掲げて説教するだけの彼とは、それ以上言い争うことをしたくなかったからです。

私は、そのアメリカ人宣教師に腹が立ちました。
彼はキリストの教会をそんな風に考えているのでしょうか?教会は生きている人々の集まりであり、主ご自身は、個々の民の心の中に住まわれるのであり、建物、礼拝の場所に住まわれるのでないことを、彼はどのように理解しているのでしょうか。
私はそのことを彼には話しませんでした。というのは、「私こそ義なる正しい人間だ」と信じている人との議論を極力避けたかったからです。

堕落した教会、実のない伝道

私は、牧者が、召命と権威を笠に着て極力多くのお金を信者から集めようとやっきになり、伝道者をしもべのようにこき使ったりして自分の権威を乱用するケースをたくさん見てきました。私自身も過去、犠牲者となった経験があります。

現在、ある牧師によってアブラに二年間遣わされているノセもその一人です。ノセはその教会からは何の支援も受けておらず、自力で宣教しているのに、その牧師はアブラに来ると、ノセの働きが自分の傘下でなされているかのように吹聴し、アブラの地域のあちこちでも多くの伝道をしていると、自慢げに言うのです。
その牧師が誇らしげに語るのを、私自身の耳で聞いたのは、つい先ごろ11月3日から6日にかけてアブラの刑務所の青少年犯罪を扱う部署に行ったときのことでした。

見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払いの賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。(ヤコブ5:4)


私は収容者たちに、イエス・キリストを救い主として受け入れるなら、詩篇127篇、マタイの福音書5章に記されているように、主によって備えられることと、自分の罪を悔い改め、主の救いにすがり、神のために生き、神を見上げ、刑務所の中で光、塩になってほしいと、彼らを励ましました。
主が家を建てるのでなければ…主が町を守るのでなければ…主はその愛する者には、、眠っている間に、このように備えてくださる。(詩篇127:1-2)
あなたがたは、地の塩です…あなたがたは、世界の光です…あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:13-16)

バタアンとパンパンガの境界のアエタ部族の村

ところで、私がこれから訪問伝道する予定のバタアンとパンパンガの境界のアエタ部族の村には、教会はあるのですが、牧師がいません。なぜだと思われますか?

その理由の一つは、信徒が牧師にこき使われ利用された苦い経験から、牧師の支配下に置かれることに辟易(へきえき)しているからということが、挙げられます。
私が実際目撃した例を挙げますと、ザンバレスのサンマルセリノにある大きな教会(無牧です)の場合です。ある一定期間、ケソンシティーからある牧師が数人の韓国人を連れてその教会にやってきました。

そこで何をしたかといいますと、アエタ部族の信徒の写真を何枚か撮ったのです。それは、アエタ部族を利用して資金集めをするためでした。
牧師たちは、たった一日、部族の教会にやって来るだけで、アエタ部族とともに、対等の関係で質の高い交わりをしようとはません。それはデュマガット部族、アブラにいる部族についても同じことがいえます。

間違いなくそのような部族の間での収穫(部族の魂の救い)は大きいのですが、陽の当たらない部族に手を差し延べる人はほとんどいないのです。政府から差別を受けている人々に、心底から執り成す牧者や伝道者がいなければ、どのようにして神さまのこと、キリストによる救いを伝えることができるでしょう?

また、私にあの思いがよみがえってきます。もし私が死んだら…このミニストリーはどうなるのだろうかと。
私の家族?
私の家族は私がしていることをだれも引き継がないでしょう …あゝ、神様助けてください!

どうかお祈りください。ここフィリピンでも「繁栄の福音」、―この世での物質的繁栄、健康維持、肉の祝福に重点を置く、異教のご利益宗教と何ら変わらないこの世に迎合するキリスト宗教― に誤まって導かれている多くの牧者がいます。
聞きなさい。金持ちたち…あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。(ヤコブ5:1-3)
実は、私からお金を借りたまま返さない牧者が何人かいます。私は彼らを主の御前にかかげ、主の裁断にお任せしたいと思います。
この手紙を読んでくださりありがとうございました。皆さまに面と向かってお話をした気がして、気分が少し楽になりました。

主にあって    メアリー ジェイン

こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです…見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。(ヤコブ5:7-9)


メアリー・ジェインの手紙 : 2017年11 月21 日  気候の変動に振り回されて…

主の御旨を求めて、祈っています… 

11月21日

フルダミニストリーの皆さま

長い間ご連絡せずにすみません。
農場で洪水に浸かった幾つかの野菜を生き返らせようと忙しく働いていたのです。
予測の難しい激しい気候変動に振り回され、ここフィリピンでは長雨が続いたり、太陽が顔を出すときは酷暑になったりで、私たちの身体に変調をきたしています。

私は、今収入を得るために農場で何をしたらよいのかを祈っています。有機養鶏や地場の黒豚飼育など… いずれにせよ創業資金が必要となります。ですからまだ祈りの段階です。

ノセの刑務所及び非行青少年伝道

11月3-6日
私は脳性小児麻痺を患っているイポットたちがいるアブラに行って、そこで五年間、伝道師として働いてきたノセの刑務所及び非行青少年伝道を手伝いました。
彼はこの12月にアブラを離れて、郷里の山岳地帯に戻ります。

残念なことに、アブラの教会には分裂の霊があり、教会の栄光のために伝道師をただ働きさせるのです。私は、彼がそのような教会から抜け出ることができて嬉しく思っています。

11月4日、私たちはアブラにある刑務所に行き、詩篇127篇、マタイによる福音書5章について収容者(百八十二人中三十名出席)に語りました。そして神を見上げ、助けを求め、刑務所の中で光、塩になるようにと彼らを励ましました。
彼らへのお土産として、浴用石鹸、タオル、シャンプー、歯磨きそして以前送っていただいた「聖書に関する小冊子」を手渡しました。そして非行青少年たち(十七人、十一〜二十歳)にも会い、同様に聖書の話、贈り物をしました。

顧みられない子たちへの思い

あれから、医者に診てもらったことのないイポットのような患者が、何か受けられる医学療法がないかをアブラの総合病院と私立病院に問い合わせましたが、いずれもそのようなプログラムはないとのことでした。あゝ、残念です。
アブラはフィリピンで最も貧乏な地域の一つで、そこの政治家だけが裕福になっていく貧富の差が激しい地域です。アブラの病院は医療設備が整っていなくて、きちんとした医療を受けるにはバクイオ市など他の町へ行かなければなりません。

(以前、イポットの報告と一緒にお知らせしましたが)パンガシナンの脳性小児麻痺の赤ちゃんについては、その後一度だけですが、医者に診てもらったとのことです。しかし母親が逃げてしまっていないのと、経済的な理由で診療を続けることができず、父親は他の自分の子どもたちのために働く必要があるため、その子をだれかが引き取ってくれないものかと考えているそうです。
どうか以上のことについてお祈りください。

アブラからマニラに帰る前日の11月5日にリクの両親に会うことができました。
1年に1回しか収穫できないというお米を彼らが持ってきてくれました。栽培に当たって農薬は一切使わず、先祖伝来の伝統的な手作業で米作りをしています。脱穀も臼を使っての手作業です。

私の手がこわばってしまって以前のように手紙を書くことができず、読みにくい字ですみません。再度、皆さまのお祈りと金銭支援をありがとうございます。

主にあって  メアリー ジェイン


リクリクからの手紙

11月16日

フルダミニストリーの皆さま
一足早いですが メリークリスマス !

この12月の第二週に兄弟と私がアブラの家に戻り、両親とともに米の収穫を行います。
昨日、メアリー ジェインと私はアンティポロにある「アンティポロ キリスト若者教育センター」に行ってきました。
メアリー ジェインが2011年に使徒訓練を受けたそのセンターで、彼女は、シティオカラヒューム、イポダム、及びアンガトダムに住むデュマガット部族と現在の彼らの状況についての講演をし、デュマガット部族が住む地域には教会がほとんどないので、そのような地域で伝道、奉仕をしている人々のために祈ってほしいと、出席者(リーダーたち)に訴えました。

私自身はこのような使徒訓練を受けるにはまだ準備ができていないと思っていたのですが、昨日は、リーダーたちに来年1月の使徒訓練コースに参加するようにと励まされました。そこで、今私は、伝道に先立ちもっと聖書の知識を得、効率的な宣教ができるように、来年の使徒訓練コースに参加するかどうかを考えているところです。どうかこのことについてお祈りください。

あらためて、皆さまのお祈りとサポートに感謝いたします。
どうか皆さま、良いクリスマスをお迎えください!

主にあって  リク リク サバダオ